2016年11月17日
「ロードショー」1972年5月創刊号 付録ポスター
今日は「ロードショー」の創刊号とその付録の紹介。
創刊号は1972年5月号。ということは1972年3月発売ですね。
中学生〜大学生がターゲットの洋画雑誌は「映画の友」が1968年3月号(1月発売)で廃刊になって以来、「スクリーン」1誌の独占状態が続いていましたが、ここで大手出版社集英社が殴り込み。
でも最近の紙媒体の売り上げ激減のため、2009年1月号(2008年11月20日発売)をもって廃刊になっています。
僕が中学時代の印象では、「スクリーン」はデザインセンスが悪い、「ロードショー」はおしゃれ。
ただし「スクリーン」はしっかりした映画評論家が書いていて評論などの読み物が充実しているけど、「ロードショー」は芸能人などが評論を書いていて映画の評価が全然当てにならない、という感じでした。
それにオードリーファンとしては、「ロードショー」にはほとんどオードリーが載ってないので、買う価値をあんまり見いだせませんでした。
なので、「ロードショー」を買っていた女の子とオードリーの記事と「スクリーン」のトレーシー・ハイドの記事を交換したものです。
トレーシー・ハイドが「ロードショー」でだけ人気だったのも不思議でしたね。映画も「小さな恋のメロディ」しかないのに、70年代のもう後半でなんで?とか思ってました。
その「小さな恋のメロディ」は1971年に公開されたのですが、日本でだけ大ヒット。その余波で、この創刊号でもかなり誌面が割かれています。
あと、この号はカトリーヌ・ドヌーヴが表紙なんですが、撮影中の映画の記事や、4つ折になっているピンナップもドヌーヴ。一番出番が多いのが、このドヌーヴかと。
70年代前半はこのカトリーヌ・ドヌーヴが日本で人気でしたよね。オードリーを好きになる以前の僕でも、オードリーは知らなかったけどカトリーヌ・ドヌーヴの名前は知ってました。
今この創刊号を見ると、「スクリーン」とは違い、映画と全く関係のない広告があるのがビックリします。パンティストッキングに紅茶にチョコレート。
誌面作りといい、全体的になんか軽い感じが漂います。おそらく「スクリーン」よりも低学年層を狙ったのではないかと。
この号は創刊号なのでまだ読者のハガキの投稿は載ってないのですが、この後の「ロードショー」では、読者の投稿で自分の好きなスターを持ち上げて他の人気スターをののしる、そしたらそのののしられたスターのファンが今度は相手のスターをけなす、といった具合に、読むに絶えないような応酬が延々と繰り広げられていました。
よくもまあ当時の「ロードショー」編集部はそんなのを載せたなあ…と呆れます。誰も気分良くならないよ!みたいな。今なら大問題ですよね。
「スクリーン」はありがたいことに、そういう低俗なのは無かったですね。
さて、こちらにも来ていただいている明智常楽さんは当時のオードリー・ファンクラブの会長さん。
この「ロードショー」創刊時にも意見を求められたそうで、“オードリーを大事にしてください” とお願いしたそうなのです。
でも年々オードリーの扱いを小さくしていって、僕がオードリーを好きになった頃にはもうオードリーは載ってませんでした。
オードリーが亡くなった時に、これは表紙くらいはくるんじゃないか?と思ったんですが、その時も表紙はシャロン・ストーンでしたね。オードリーの特集号や写真集は一度も出たことはなかったですし。
廃刊前も、クラシックスターを扱うことはほとんどなく、最後くらいは「ロードショー」を買ってあげよう!と思ってたのにオードリーはほぼ無しで、買う理由が全然見当たりませんでした。
洋画雑誌なのに邦画がもの凄い幅を利かせていて、最後の方は思いっきり迷走している感じでした。
さて、この創刊号はオークションで買ったのですが、それは付録であるオードリーのポスターがきちんと付いていたから。
売ってくださった方は、この創刊号を大事にしていたそうで、自分の手元から離れるのを覚悟はしてたけれども、とても寂しいと綴ってらっしゃいました。
このオードリーポスターの付録は縦にとても長いサイズ。広げると37.2cm(横)×110cm(縦)ほどになります。
裏面には何も印刷されていません。
上部のペンダントを持つ「おしゃれ泥棒」オードリーの画像は、昔神戸にあった元映というところで飾ってあったポスターの絵柄と同じ。
元映では確か200〜300円くらいでB2のスターのポスターを売っていたのですが、“あのオードリーをください!” というとそのポスターはもう在庫が無くなっていて、“別のになるけどいい?” と訊かれました。
もちろんオードリーなら他のでも良かったのですが、買えたのは髪を結い上げて前髪を上げているもの。
僕は前髪のあるオードリーの方が好きなので、このペンダント・オードリーが手に入らなかったのを凄く残念に思っていました。
なので、このオードリーは僕のずっと憧れだった画像です。
ちなみに、その時買えたポスターはジバンシィのランテルディの宣伝写真の別ショット。
買えた方のほうが、ずっとずっとレアだったのです!未だにそれ以降写真集などでそのショットを見たことはありません。
でも残念なことに、そのレア画像ポスターは高校の時に手放してしまったんですよねー。
今では、そのポスターを写した、反射して写りの悪い物しか残っていません。
さて、一般的には上部のペンダント・オードリーよりも、下部の丸で囲われた方がもっとレア。
この画像は1967年アカデミー賞で作品賞のプレザンターを務めた時のスナップですね。
その時の作品賞は「わが命つきるとも」で、オードリーは製作&監督のフレッド・ジンネマンにオスカーを渡しています。
映像が残っていますが、封筒を開けて発表する時に「尼僧物語」でお世話になったジンネマンだったので、オードリーがとても興奮して嬉しそうなのが素敵です。
他のページのオードリーは、夫アンドレア・ドッティと歩くところをパパラッチに撮られたスナップがグラビアに。
そこでの文章もオードリーの若々しさを讃える文章になっています。
その時と同じ時に撮られたであろう写真が “シネマをラジオできいちゃおう” って記事で出てくるんですが、その記事はオードリーは出てきません。
オードリーが使われている意味がわかりません。
いろんな女優の髪型を載せているページでも「おしゃれ泥棒」のオードリーが登場。
テレビの洋画劇場の紹介ではテレビ初登場の「ローマの休日」の紹介。
特選映画をこうしてグラビアで1パージ丸々使って紹介するのは、この「ロードショー」が最初なのかなーと。
そのちょっと前の「スクリーン」を見ても、見開き2ページでテレビで放映される映画を小さくまとめて紹介してるだけなので、このスタイルは当時は画期的だったのかも。
後に「スクリーン」もこのスタイルに追従しますね。でも今はページ数が減ったからなのか、毎週放送の洋画劇場みたいなのが無くなったからなのか、こういう大々的にはやってませんね。
その「ローマの休日」のために、“今月のスター” として取り上げられていますが、文章は小森和子さん。
小森のおばちゃまは「緑の館」と「暗くなるまで待って」撮影中に直接オードリーにインタビューしていますけど、「暗くなるまで待って」撮影時のオードリーは「世界で一番誠実な日本のファン」と感謝していたそうです。
オードリー以外では当時の東京の銀座&有楽町界隈の映画館のイラスト地図が載っているのが興味深いです。
なにせ銀座の映画館は日本で一番格が高いとされる劇場たち。東宝や松竹や東急のチェーン・マスターの映画館が集中しています。
名前だけは残っていても小さくなってしまった今と違って、当時の銀座の大型映画館は1館で1200〜1500以上の座席を有していました。
左上から
・スカラ座(「パリの恋人」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」「おしゃれ泥棒」「ロビンとマリアン」初公開時、「ローマの休日」「おしゃれ泥棒」「マイ・フェア・レディ」リバイバル時)
・みゆき座(「昼下りの情事」リバイバル時)
・有楽座(「緑の館」「マイ・フェア・レディ」初公開時)
・日比谷映劇(「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「尼僧物語」初公開時)
・スバル座(「シャレード」「ローマの休日」リバイバル時)
・ニュー東宝(「麗しのサブリナ」「シャレード」リバイバル時)
・日劇(「オールウェイズ」初公開時)
・丸の内ピカデリー(「シャレード」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「華麗なる相続人」初公開時、「マイ・フェア・レディ」「戦争と平和」リバイバル時)
・丸の内松竹(「パリで一緒に」リバイバル時)
・銀座文化(80年代〜90年代リバイバルのオードリー作品のほとんど)
・東劇(「許されざる者」初公開時、「暗くなるまで待って」リバイバル時)
・松竹セントラル(「戦争と平和」「昼下りの情事」「噂の二人」初公開時、「パリの恋人」リバイバル時)
・テアトル東京(「マイ・フェア・レディ」リバイバル時)
・テアトル銀座(「ティファニーで朝食を」「ローマの休日」リバイバル時)
などが載っていて、当時の東京を知らないですけど往年の大劇場を思って “ほ〜っ!” ってなります。
今は亡きそごう・松坂屋・阪急デパートなどが載っているのもノスタルジーを感じます。
創刊号は1972年5月号。ということは1972年3月発売ですね。
中学生〜大学生がターゲットの洋画雑誌は「映画の友」が1968年3月号(1月発売)で廃刊になって以来、「スクリーン」1誌の独占状態が続いていましたが、ここで大手出版社集英社が殴り込み。
でも最近の紙媒体の売り上げ激減のため、2009年1月号(2008年11月20日発売)をもって廃刊になっています。
僕が中学時代の印象では、「スクリーン」はデザインセンスが悪い、「ロードショー」はおしゃれ。
ただし「スクリーン」はしっかりした映画評論家が書いていて評論などの読み物が充実しているけど、「ロードショー」は芸能人などが評論を書いていて映画の評価が全然当てにならない、という感じでした。
それにオードリーファンとしては、「ロードショー」にはほとんどオードリーが載ってないので、買う価値をあんまり見いだせませんでした。
なので、「ロードショー」を買っていた女の子とオードリーの記事と「スクリーン」のトレーシー・ハイドの記事を交換したものです。
トレーシー・ハイドが「ロードショー」でだけ人気だったのも不思議でしたね。映画も「小さな恋のメロディ」しかないのに、70年代のもう後半でなんで?とか思ってました。
その「小さな恋のメロディ」は1971年に公開されたのですが、日本でだけ大ヒット。その余波で、この創刊号でもかなり誌面が割かれています。
あと、この号はカトリーヌ・ドヌーヴが表紙なんですが、撮影中の映画の記事や、4つ折になっているピンナップもドヌーヴ。一番出番が多いのが、このドヌーヴかと。
70年代前半はこのカトリーヌ・ドヌーヴが日本で人気でしたよね。オードリーを好きになる以前の僕でも、オードリーは知らなかったけどカトリーヌ・ドヌーヴの名前は知ってました。
今この創刊号を見ると、「スクリーン」とは違い、映画と全く関係のない広告があるのがビックリします。パンティストッキングに紅茶にチョコレート。
誌面作りといい、全体的になんか軽い感じが漂います。おそらく「スクリーン」よりも低学年層を狙ったのではないかと。
この号は創刊号なのでまだ読者のハガキの投稿は載ってないのですが、この後の「ロードショー」では、読者の投稿で自分の好きなスターを持ち上げて他の人気スターをののしる、そしたらそのののしられたスターのファンが今度は相手のスターをけなす、といった具合に、読むに絶えないような応酬が延々と繰り広げられていました。
よくもまあ当時の「ロードショー」編集部はそんなのを載せたなあ…と呆れます。誰も気分良くならないよ!みたいな。今なら大問題ですよね。
「スクリーン」はありがたいことに、そういう低俗なのは無かったですね。
さて、こちらにも来ていただいている明智常楽さんは当時のオードリー・ファンクラブの会長さん。
この「ロードショー」創刊時にも意見を求められたそうで、“オードリーを大事にしてください” とお願いしたそうなのです。
でも年々オードリーの扱いを小さくしていって、僕がオードリーを好きになった頃にはもうオードリーは載ってませんでした。
オードリーが亡くなった時に、これは表紙くらいはくるんじゃないか?と思ったんですが、その時も表紙はシャロン・ストーンでしたね。オードリーの特集号や写真集は一度も出たことはなかったですし。
廃刊前も、クラシックスターを扱うことはほとんどなく、最後くらいは「ロードショー」を買ってあげよう!と思ってたのにオードリーはほぼ無しで、買う理由が全然見当たりませんでした。
洋画雑誌なのに邦画がもの凄い幅を利かせていて、最後の方は思いっきり迷走している感じでした。
さて、この創刊号はオークションで買ったのですが、それは付録であるオードリーのポスターがきちんと付いていたから。
売ってくださった方は、この創刊号を大事にしていたそうで、自分の手元から離れるのを覚悟はしてたけれども、とても寂しいと綴ってらっしゃいました。
このオードリーポスターの付録は縦にとても長いサイズ。広げると37.2cm(横)×110cm(縦)ほどになります。
裏面には何も印刷されていません。
上部のペンダントを持つ「おしゃれ泥棒」オードリーの画像は、昔神戸にあった元映というところで飾ってあったポスターの絵柄と同じ。
元映では確か200〜300円くらいでB2のスターのポスターを売っていたのですが、“あのオードリーをください!” というとそのポスターはもう在庫が無くなっていて、“別のになるけどいい?” と訊かれました。
もちろんオードリーなら他のでも良かったのですが、買えたのは髪を結い上げて前髪を上げているもの。
僕は前髪のあるオードリーの方が好きなので、このペンダント・オードリーが手に入らなかったのを凄く残念に思っていました。
なので、このオードリーは僕のずっと憧れだった画像です。
ちなみに、その時買えたポスターはジバンシィのランテルディの宣伝写真の別ショット。
買えた方のほうが、ずっとずっとレアだったのです!未だにそれ以降写真集などでそのショットを見たことはありません。
でも残念なことに、そのレア画像ポスターは高校の時に手放してしまったんですよねー。
今では、そのポスターを写した、反射して写りの悪い物しか残っていません。
さて、一般的には上部のペンダント・オードリーよりも、下部の丸で囲われた方がもっとレア。
この画像は1967年アカデミー賞で作品賞のプレザンターを務めた時のスナップですね。
その時の作品賞は「わが命つきるとも」で、オードリーは製作&監督のフレッド・ジンネマンにオスカーを渡しています。
映像が残っていますが、封筒を開けて発表する時に「尼僧物語」でお世話になったジンネマンだったので、オードリーがとても興奮して嬉しそうなのが素敵です。
他のページのオードリーは、夫アンドレア・ドッティと歩くところをパパラッチに撮られたスナップがグラビアに。
そこでの文章もオードリーの若々しさを讃える文章になっています。
その時と同じ時に撮られたであろう写真が “シネマをラジオできいちゃおう” って記事で出てくるんですが、その記事はオードリーは出てきません。
オードリーが使われている意味がわかりません。
いろんな女優の髪型を載せているページでも「おしゃれ泥棒」のオードリーが登場。
テレビの洋画劇場の紹介ではテレビ初登場の「ローマの休日」の紹介。
特選映画をこうしてグラビアで1パージ丸々使って紹介するのは、この「ロードショー」が最初なのかなーと。
そのちょっと前の「スクリーン」を見ても、見開き2ページでテレビで放映される映画を小さくまとめて紹介してるだけなので、このスタイルは当時は画期的だったのかも。
後に「スクリーン」もこのスタイルに追従しますね。でも今はページ数が減ったからなのか、毎週放送の洋画劇場みたいなのが無くなったからなのか、こういう大々的にはやってませんね。
その「ローマの休日」のために、“今月のスター” として取り上げられていますが、文章は小森和子さん。
小森のおばちゃまは「緑の館」と「暗くなるまで待って」撮影中に直接オードリーにインタビューしていますけど、「暗くなるまで待って」撮影時のオードリーは「世界で一番誠実な日本のファン」と感謝していたそうです。
オードリー以外では当時の東京の銀座&有楽町界隈の映画館のイラスト地図が載っているのが興味深いです。
なにせ銀座の映画館は日本で一番格が高いとされる劇場たち。東宝や松竹や東急のチェーン・マスターの映画館が集中しています。
名前だけは残っていても小さくなってしまった今と違って、当時の銀座の大型映画館は1館で1200〜1500以上の座席を有していました。
左上から
・スカラ座(「パリの恋人」「ティファニーで朝食を」「パリで一緒に」「おしゃれ泥棒」「ロビンとマリアン」初公開時、「ローマの休日」「おしゃれ泥棒」「マイ・フェア・レディ」リバイバル時)
・みゆき座(「昼下りの情事」リバイバル時)
・有楽座(「緑の館」「マイ・フェア・レディ」初公開時)
・日比谷映劇(「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「尼僧物語」初公開時)
・スバル座(「シャレード」「ローマの休日」リバイバル時)
・ニュー東宝(「麗しのサブリナ」「シャレード」リバイバル時)
・日劇(「オールウェイズ」初公開時)
・丸の内ピカデリー(「シャレード」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「華麗なる相続人」初公開時、「マイ・フェア・レディ」「戦争と平和」リバイバル時)
・丸の内松竹(「パリで一緒に」リバイバル時)
・銀座文化(80年代〜90年代リバイバルのオードリー作品のほとんど)
・東劇(「許されざる者」初公開時、「暗くなるまで待って」リバイバル時)
・松竹セントラル(「戦争と平和」「昼下りの情事」「噂の二人」初公開時、「パリの恋人」リバイバル時)
・テアトル東京(「マイ・フェア・レディ」リバイバル時)
・テアトル銀座(「ティファニーで朝食を」「ローマの休日」リバイバル時)
などが載っていて、当時の東京を知らないですけど往年の大劇場を思って “ほ〜っ!” ってなります。
今は亡きそごう・松坂屋・阪急デパートなどが載っているのもノスタルジーを感じます。
Posted by みつお at 12:00│Comments(9)
│ロードショー
この記事へのコメント
こんにちは
「ロードショー」創刊号!涙が出るほど懐かしいです。折り目のついた付録ポスターが、郷愁をかきたてますね(笑)。
70年代に「ロードショー」誌でもっとも人気があった外国の女優さんは、トレーシー・ハイドとノラ・ミャオでしたね(笑)。英国で普通のOLさんをやっていたトレーシーと、香港の女優であるノラ・ミャオが人気ナンバーワンの洋画スター(東洋の役者さんを洋画スターと呼ぶのは、日本語の使い方として変なのではとちょっと疑問を感じるのですが)だったという点が、いかにも「ロードショー」らしいですよね。
ただ、この「ロードショー」というミーハー雑誌(笑)、オードリー関連のいい記事も70年代にそこそこ載せてたんですよ。
例えば、オードリーの無名時代の出演作「若妻物語」の出演者たちの集合写真を、白黒グラビア1ページで掲載したり。
池田昌子さんと野沢那智さんの写真と記事を、白黒見開き2ページで掲載したり。
富山敬さん、池田昌子さんらアテレコ界の大スターたちが、吹き替えの仕事について語りあう誌上座談会をやってくれたり。
オードリー映画の特集記事も、創刊間もない頃の「ロードショー」で読んだ記憶があります。
「ロードショー」誌も、捨てたもんじゃなかったんですよ(笑)。
「ロードショー」創刊号!涙が出るほど懐かしいです。折り目のついた付録ポスターが、郷愁をかきたてますね(笑)。
70年代に「ロードショー」誌でもっとも人気があった外国の女優さんは、トレーシー・ハイドとノラ・ミャオでしたね(笑)。英国で普通のOLさんをやっていたトレーシーと、香港の女優であるノラ・ミャオが人気ナンバーワンの洋画スター(東洋の役者さんを洋画スターと呼ぶのは、日本語の使い方として変なのではとちょっと疑問を感じるのですが)だったという点が、いかにも「ロードショー」らしいですよね。
ただ、この「ロードショー」というミーハー雑誌(笑)、オードリー関連のいい記事も70年代にそこそこ載せてたんですよ。
例えば、オードリーの無名時代の出演作「若妻物語」の出演者たちの集合写真を、白黒グラビア1ページで掲載したり。
池田昌子さんと野沢那智さんの写真と記事を、白黒見開き2ページで掲載したり。
富山敬さん、池田昌子さんらアテレコ界の大スターたちが、吹き替えの仕事について語りあう誌上座談会をやってくれたり。
オードリー映画の特集記事も、創刊間もない頃の「ロードショー」で読んだ記憶があります。
「ロードショー」誌も、捨てたもんじゃなかったんですよ(笑)。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2016年11月20日 19:58
ヴェロニカ・ハメルさん、こんばんは。
「ロードショー」創刊号、お持ちでしたか!?そうだとすると、確かにとても懐かしい雑誌ですよね。
それと、ノラ・ミャオ!確かにいましたね。ブルース・リーと同時期にベスト10に入ってたんでしたっけ?それともその後でしたっけ?
この人って確かに洋画雑誌にという意味では不思議に思ってました。
70年代の「ロードショー」は古い順にカトリーヌ・ドヌーヴ、ノラ・ミャオ、トレーシー・ハイド、リンゼイ・ワグナーって感じでした。
これが70年代の人気女優という意味では、「ロードショー」は偏り過ぎな感じがしました。若い子に特化してしまったのか、マニアックすぎて時代の尺度には使えない気がします。
70年代前半の「ロードショー」は僕も後にいくつか買いそろえましたけど、確かにオードリーが色々と載っていますよね。ヴェロニカ・ハメルさんがおっしゃった「若妻物語」とか、持ってますよー。(^-^
でも池田昌子さんの記事は知らないです。なんか興味深いですねー。
初期「ロードショー」にはオードリーに関する短い伝記の連載みたいなのも載ってますね。
でも36年と10ヶ月の間に、一度だけでもオードリーの特集本や写真集を出していて欲しかったです。
70年代後半になるともうちっとも載ってない…って感じで、80年代後半〜90年代前半のブーム時でもオードリーほぼ無視だったので、縁遠い雑誌でした。
でも70年代前半ってリバイバルも何本も来てますし、雑誌にも毎号のように取り上げられてて、当時のファンが羨ましいです。
「ロードショー」創刊号、お持ちでしたか!?そうだとすると、確かにとても懐かしい雑誌ですよね。
それと、ノラ・ミャオ!確かにいましたね。ブルース・リーと同時期にベスト10に入ってたんでしたっけ?それともその後でしたっけ?
この人って確かに洋画雑誌にという意味では不思議に思ってました。
70年代の「ロードショー」は古い順にカトリーヌ・ドヌーヴ、ノラ・ミャオ、トレーシー・ハイド、リンゼイ・ワグナーって感じでした。
これが70年代の人気女優という意味では、「ロードショー」は偏り過ぎな感じがしました。若い子に特化してしまったのか、マニアックすぎて時代の尺度には使えない気がします。
70年代前半の「ロードショー」は僕も後にいくつか買いそろえましたけど、確かにオードリーが色々と載っていますよね。ヴェロニカ・ハメルさんがおっしゃった「若妻物語」とか、持ってますよー。(^-^
でも池田昌子さんの記事は知らないです。なんか興味深いですねー。
初期「ロードショー」にはオードリーに関する短い伝記の連載みたいなのも載ってますね。
でも36年と10ヶ月の間に、一度だけでもオードリーの特集本や写真集を出していて欲しかったです。
70年代後半になるともうちっとも載ってない…って感じで、80年代後半〜90年代前半のブーム時でもオードリーほぼ無視だったので、縁遠い雑誌でした。
でも70年代前半ってリバイバルも何本も来てますし、雑誌にも毎号のように取り上げられてて、当時のファンが羨ましいです。
Posted by みつお at 2016年11月21日 22:04
こんばんわ
まあ、70年代後半(「ロビンとマリアン」が公開された翌年、77年ごろから)の号から、オードリーの記事や写真があまり掲載されなくなったのは、「ロードショー」だけに限った話ではなく、「スクリーン」も一緒だった気がしますけどね。
池田昌子さんのグラビア記事が「ロードショー」誌に掲載されたのは、あの人
がまだ声優業と平行して、顔出しの女優業もやってらした70年代初めのころ
だったと記憶してます。
今洋画のアテレコをやってらっしゃる役者さんたちは、アテる作品のDVDをもらって自宅で練習出来るわけですが、池田さんの時代はDVDどころかビデオすらなかったわけですから、大変だったみたいですね。アテる作品を観られるのは試写室での上映1回きりで、そのあとすぐ本番みたいな感じで仕事しなければならず、大変な集中力を要求されたようです。そういったお仕事の苦労話も、インタヴューで語ってらした記憶があります。
テレビの吹き替え洋画で初めてオードリー映画に接した私のような世代の人間にとって、池田さんの声こそがオードリーの声みたいな感覚がありましたから、こういう記事を読むのは快感でしたね。
ちなみに私、今綾鷹を飲みながら、この文章を書いてます(笑)。綾鷹のCМの池田さんのナレーションも、とっても素敵ですよね。
まあ、70年代後半(「ロビンとマリアン」が公開された翌年、77年ごろから)の号から、オードリーの記事や写真があまり掲載されなくなったのは、「ロードショー」だけに限った話ではなく、「スクリーン」も一緒だった気がしますけどね。
池田昌子さんのグラビア記事が「ロードショー」誌に掲載されたのは、あの人
がまだ声優業と平行して、顔出しの女優業もやってらした70年代初めのころ
だったと記憶してます。
今洋画のアテレコをやってらっしゃる役者さんたちは、アテる作品のDVDをもらって自宅で練習出来るわけですが、池田さんの時代はDVDどころかビデオすらなかったわけですから、大変だったみたいですね。アテる作品を観られるのは試写室での上映1回きりで、そのあとすぐ本番みたいな感じで仕事しなければならず、大変な集中力を要求されたようです。そういったお仕事の苦労話も、インタヴューで語ってらした記憶があります。
テレビの吹き替え洋画で初めてオードリー映画に接した私のような世代の人間にとって、池田さんの声こそがオードリーの声みたいな感覚がありましたから、こういう記事を読むのは快感でしたね。
ちなみに私、今綾鷹を飲みながら、この文章を書いてます(笑)。綾鷹のCМの池田さんのナレーションも、とっても素敵ですよね。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2016年11月22日 02:09
そうなんですよね、僕が買いはじめた頃は、ちょうどオードリーが載らなくなってきた頃で、ちょっとの差で「ロビンとマリアン」とかが載ってたのに…と思ってました。
それでも、「スクリーン」はなんやかんやで結構オードリーが載ってましたが(スターのベスト5とか、○○年のヒット作など)、クラシック映画に厳しい「ロードショー」はテレビ放映の所以外はもうなかったです…。
綾鷹とか、ありえへん世界とかで今でも池田昌子さんの声が聞けるのは嬉しいですよね。
ただ、昔と違って、ちょっとお声にお年が入ることがあるのが(常にではありません)、やはりオードリーとしては気になります。
なるべく早く、池田昌子さんが吹き替えてらっしゃらない「緑の館」「初恋」「マイヤーリング」「おしゃれ泥棒2」「ニューヨークの恋人たち」、そしてテレビ放映のみの各作品の欠損部分の追加収録をお願いしたいです。
でも試写会1度切りで本番とは、昔の人って厳しかったんですね。
でも池田昌子さんは女優もやってらしたので、舞台や昔のテレビなど、1回きりの演技に慣れてらっしゃったのかもしれませんよね。
昔の声優さんは皆さん俳優さんだったようなので、そういう経験がある方でないと、アテレコって難しかったのかもしれませんね。
でも、オードリーの吹替は、やっぱり池田昌子さんじゃないと!って思いますよね。
他の方だと、声が気になって見れないです。
それでも、「スクリーン」はなんやかんやで結構オードリーが載ってましたが(スターのベスト5とか、○○年のヒット作など)、クラシック映画に厳しい「ロードショー」はテレビ放映の所以外はもうなかったです…。
綾鷹とか、ありえへん世界とかで今でも池田昌子さんの声が聞けるのは嬉しいですよね。
ただ、昔と違って、ちょっとお声にお年が入ることがあるのが(常にではありません)、やはりオードリーとしては気になります。
なるべく早く、池田昌子さんが吹き替えてらっしゃらない「緑の館」「初恋」「マイヤーリング」「おしゃれ泥棒2」「ニューヨークの恋人たち」、そしてテレビ放映のみの各作品の欠損部分の追加収録をお願いしたいです。
でも試写会1度切りで本番とは、昔の人って厳しかったんですね。
でも池田昌子さんは女優もやってらしたので、舞台や昔のテレビなど、1回きりの演技に慣れてらっしゃったのかもしれませんよね。
昔の声優さんは皆さん俳優さんだったようなので、そういう経験がある方でないと、アテレコって難しかったのかもしれませんね。
でも、オードリーの吹替は、やっぱり池田昌子さんじゃないと!って思いますよね。
他の方だと、声が気になって見れないです。
Posted by みつお at 2016年11月22日 23:31
編集部に月形龍之介の孫がいました。
そのせいで邦画も。
オードリー人気、見か切り。
ロードショー、運のつき。
そのせいで邦画も。
オードリー人気、見か切り。
ロードショー、運のつき。
Posted by 明智常楽 at 2018年12月06日 13:18
ムムム、それで邦画まで!?( ̄~ ̄;)
洋画雑誌なのに、晩年は邦画が相当巾をきかせてましたよね。
そのせいで僕の印象はまた悪くなってたんですけど…。
70年代後半は「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかり数年おきにリバイバルしてましたよね。
それじゃあファンも見に行かないです。
作品の選択が悪いのは配給会社なのに、それをオードリーの人気が落ちた、と読み違えるのもどうかと思いますよね。
実際いろんな作品がリバイバルされた80年代後半にはまた再ブームになってましたし。
今、“午前十時の映画祭”が1年おきに「ローマの休日」をやってるのも70年代と同じ状況に陥ってますね。
「ローマの休日」を安い扱いにしてしまって、だんだん飽きられないか心配です…( ´△`)
洋画雑誌なのに、晩年は邦画が相当巾をきかせてましたよね。
そのせいで僕の印象はまた悪くなってたんですけど…。
70年代後半は「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかり数年おきにリバイバルしてましたよね。
それじゃあファンも見に行かないです。
作品の選択が悪いのは配給会社なのに、それをオードリーの人気が落ちた、と読み違えるのもどうかと思いますよね。
実際いろんな作品がリバイバルされた80年代後半にはまた再ブームになってましたし。
今、“午前十時の映画祭”が1年おきに「ローマの休日」をやってるのも70年代と同じ状況に陥ってますね。
「ローマの休日」を安い扱いにしてしまって、だんだん飽きられないか心配です…( ´△`)
Posted by みつお at 2018年12月06日 21:51
はじめまして。
私は小学生の時に、ロードショーの創刊号から買った覚えがあるんですが、創刊号の表紙、オードリーじゃなかったですか??
私の勘違いかも??
ちなみに当時の私はアランドロンの大ファンで、彼も表紙になりましたね。
ロードショーの付録が好きで、アカデミー賞の授賞式の音源のソノシートや、レアなポスター。今でも保管して時々眺めています。
一番のお気に入りは、俺たちに明日はないの一家が揃って写ってるポスターです❤︎
私は小学生の時に、ロードショーの創刊号から買った覚えがあるんですが、創刊号の表紙、オードリーじゃなかったですか??
私の勘違いかも??
ちなみに当時の私はアランドロンの大ファンで、彼も表紙になりましたね。
ロードショーの付録が好きで、アカデミー賞の授賞式の音源のソノシートや、レアなポスター。今でも保管して時々眺めています。
一番のお気に入りは、俺たちに明日はないの一家が揃って写ってるポスターです❤︎
Posted by なな。 at 2020年03月10日 10:49
表紙の写真、載せられてますね(笑)
ドヌーブ。
オードリーは、麗しのサブリナが表紙になった記憶が。
ドヌーブ。
オードリーは、麗しのサブリナが表紙になった記憶が。
Posted by まま at 2020年03月10日 10:51
>なな。さん、ままさん
別名ですが、同じアドレスからコメントされていらっしゃるので、同じ方だと判断させていただきました。
コメントしていただき、ありがとうございます!(^-^
オードリーが表紙になったのは創刊2号でした。
その時は「おしゃれ泥棒」が表紙でした。
↓創刊2号の紹介はこちら
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e494391.html
アラン・ドロンは、「スクリーン」が女性ばかり表紙にしていた時期に、「ロードショー」はアラン・ドロンも表紙に採用していましたよね。
「ロードショー」の方が表紙は垢抜けていた印象があります。
付録では「ローマの休日」のソノシートが付いたこともありますよね。
それとオードリーは表紙になったのは「ロードショー」では全5回しかありません。
全体に「ロードショー」はオードリーに極めて冷たかった印象しかなく、オードリーが亡くなった時にも「スクリーン」はオードリーを表紙にしてくれましたが、「ロードショー」はシャロン・ストーンでした。
写真集も1冊も出してくれていません。
それと、表紙は60年代のオードリーばかりで、「麗しのサブリナ」では表紙になっていません。
「ロードショー」がオードリーを表紙にしたのは70年代前半だけなので、当時のメイクに近い60年代が表紙になったものと思われます。70年代は「おしゃれ泥棒」のオードリーがよく使われていたようです。
↓全「ロードショー」での表紙の紹介はこちら
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e18107.html
またお気軽に書き込んでくださいねー。(^o^)/
別名ですが、同じアドレスからコメントされていらっしゃるので、同じ方だと判断させていただきました。
コメントしていただき、ありがとうございます!(^-^
オードリーが表紙になったのは創刊2号でした。
その時は「おしゃれ泥棒」が表紙でした。
↓創刊2号の紹介はこちら
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e494391.html
アラン・ドロンは、「スクリーン」が女性ばかり表紙にしていた時期に、「ロードショー」はアラン・ドロンも表紙に採用していましたよね。
「ロードショー」の方が表紙は垢抜けていた印象があります。
付録では「ローマの休日」のソノシートが付いたこともありますよね。
それとオードリーは表紙になったのは「ロードショー」では全5回しかありません。
全体に「ロードショー」はオードリーに極めて冷たかった印象しかなく、オードリーが亡くなった時にも「スクリーン」はオードリーを表紙にしてくれましたが、「ロードショー」はシャロン・ストーンでした。
写真集も1冊も出してくれていません。
それと、表紙は60年代のオードリーばかりで、「麗しのサブリナ」では表紙になっていません。
「ロードショー」がオードリーを表紙にしたのは70年代前半だけなので、当時のメイクに近い60年代が表紙になったものと思われます。70年代は「おしゃれ泥棒」のオードリーがよく使われていたようです。
↓全「ロードショー」での表紙の紹介はこちら
https://audreyhepburn.ko-co.jp/e18107.html
またお気軽に書き込んでくださいねー。(^o^)/
Posted by みつお at 2020年03月10日 14:50