2023年05月28日
“スクリーン”1973年4月号 「ローマの休日」リバイバル紹介
今年は「ローマの休日」に関して、いろいろな記念の年になります。
まずはもちろんアメリカでの公開から70周年。そして日本での1963年リバイバルから60周年、1973年リバイバルから50周年、2003年リバイバルから20周年、そして今年は8月25日に新しいリバイバルが来る、ということで「ローマの休日」に関して大渋滞しています。
ええっと、アメリカの初公開は8月27日だそうです。
日本での63年リバイバルは日比谷スカラ座で5月18日〜7月16日、
73年リバイバルはスバル座で2月24日〜3月30日、
2003年リバイバルはテアトルタイムズスクエアで9月13日〜12月12日の上映、となっています。
今年のリバイバルは何日間上映されるのでしょうね?
さてさて今までの日本での上映で、2003年とか今年とかは“製作50周年!”“製作70周年!”って謳ってるんですけど、今回紹介する73年とか63年のリバイバルでは一切“製作◯◯年!”って宣伝で使ってないんです!
63年リバイバルのプレスシートも、73年リバイバルのプレスシートも確認しましたが、全く書いてない!
普通に考えたら、それがウリ文句になるだろうと思うのですが、当時の宣伝部の人たちは潔いというか何というか、全く意に介してませんね。
もしかしたら気付いてないのかもしれません。
当時の人たちからしたら、単なるリバイバルの一環でしかないのかなーと思います。
昭和の豪放さというか大らかさというかを感じますね。
さて、今回はそんな1973年リバイバル時の「ローマの休日」を紹介している1973年4月号の“スクリーン”の紹介。
この時期って、オードリーは何にも活動していませんよね。
「エクスラン・ヴァリーエ」のCMも終わっているし、「ロビンとマリアン」の台本はもう送られてきていたかもしれませんけど、まだ動いてません。
すっかり家庭の主婦でルカの子育てをしていた頃のオードリー。
でもこの号ではそこそこオードリー関連のことが載っています。さすがオードリー!
前年まで放送されていた「エクスラン・ヴァリーエ」のCMで、まだまだ若くて素敵なことが日本のファンにも知れ渡って人気は落ちていません。
次の5月号でもまたまた人気投票で1位を獲得します。
この号での最初のオードリーは、折り込みのカラーピンナップ。「おしゃれ泥棒」のオードリーです。
このころの映画雑誌って、どのオードリーが出てくるか予想が立たないのが良いです!
全オードリーが愛されていた時代だったので、若い頃もあるし、60年代もあるし、現在のオードリーもあるって感じです。
なので、この時代はどんなレアなオードリーの画像を見せてくれるのか?ってのがファン心理をくすぐる要素になっていたようですね。
“スクリーン”も“ロードショー”もこの時期はレア画像を載せることで競っていましたね。
僕もこの時代にもし映画雑誌を買っていたら、本をめくるまでワクワクしていただろうなーと思います。
今みたいな “あ、またこれ”ってガッカリ感はないですよね。
その上、今はオードリーをリアルタイムで知る編集者もいないし、詳しく調べようともしていないので、書いてある文章の内容も誰でも書けるようなうっすーいものだったり、間違いだったりってことがほとんどで、買うこともまれなのですけど、この当時はグラビアなんかはずっと前の過去の号とも被らないようにしてくれていますよね。
この「おしゃれ泥棒」のオードリー、デジタルなんかない昔なので、ほっぺたの毛穴なんかはそのまんまです。
目の下には黒いクマがあったのかシワが目立ったのか、これだけは当時のポジ(何世代目かは不明)の段階で削ったかのような不自然に白い部分があります。
昔って修正できてもせいぜいこれくらいだったんですよね。
今みたいにシワも毛穴も消して…ってことは出来ない。
でも僕はそんな修正のないオードリーのシワも毛穴も小学生の時からずっと見てましたけど、それも含めてオードリーが大好きです!
でもね、今不思議なのは、割とみんな画像の加工とかしてるじゃないですか。
なのに加工された画像が見分けられないのが不思議〜って思っちゃうんですよね。
「ローマの休日」の街着のスカート、青い着色とかめっちゃ不自然なのに、着色が見分けられなくて、まだネットを見ると青だと思ってる人がいるとか、海外のサイトでも英語で “青なのか、ベージュなのかイディス・ヘッドしかわからない”などと書いてるところを見つけちゃいまして、ホンッと見分けつかない人いるんやねーと思います。
ちなみに「ローマの休日」の青いスカートのイメージを最初につけてしまったのは2000年ごろの午後の紅茶のCMでの着色カラーだと思っています。
「ローマの休日」は日本以外ではそこまで人気作品ではありませんでしたから(海外ではオードリーでは「ティファニーで朝食を」が絶対)、海外でオードリー人気が出てから再評価された時にYouTubeであったのがキリンの午後の紅茶CMだったというわけですね。
まさか当時ここまでこんな(悪い)影響力があるとは思ってもみませんでした。本当にいい迷惑です。
次のオードリーは72〜73年の現在のオードリー。これらはパパラッチに撮られたものだろうと思うのですが、オードリーは日本の映画雑誌では人気があるので、よくこういうのも載っていましたね。
でもホッとするのは当時の雑誌では、キャプションは温かいものだったこと。
来日時の女性週刊誌や写真週刊誌の見出しは本当に酷かったですからねー。当時はバブル前夜で、日本も驕っていたんでしょうね。
ここでのオードリーの髪型は、「暗くなるまで待って」の頃の髪型が崩れて、「ロビンとマリアン」への髪型の過渡期的なものになっています。
でも似合っているかというと微妙かなー。
次は「どこで だれが いつ」っていうブルーのページで、「ちょっとお耳を…」ってコーナーの部分。
エリザベス・テイラーが1月20日の雑誌の対談で「私は未だかつて自分を美人と思ったことはない」と言ったそうで、「本当の美人とはエヴァ・ガードナー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、ブリジット・バルドー、ラクエル・ウェルチ」だと言ったということが書かれています。
これ、オードリーの伝記で、オードリーは「本当の美人はエリザベス・テイラー、エヴァ・ガードナー…」と言ったことが書かれており、エリザベス・テイラーは「エヴァ・ガードナー、オードリー・ヘプバーン…」と言ったことが書かれていましたが、これだったのですね!
そして自分の老後に関しては、「豚肉の桶のようにブクブクと太り、髪は真っ白。でも誰にでも親しまれる人の良いお婆さんになるでしょう。」と答えていて、美人よりも人の良いお婆さんになりたがっていることがわかります。
エリザベス・テイラーって、あまりにも美人扱いされて崇められてただろうと思うので、本人的にはイヤだったんじゃないかと。
8回も結婚・離婚を繰り返してますけど、それもどうやら好きになったら結婚という古風な形をとらないとイヤだという真面目な性格だったと書かれているものもありましたしね。
それに晩年は友人の罹ったHIV撲滅の為やチャリティーに貢献したりとしていたようなので、手が届かなくて冷たそうに見えるリズですけど、実体は人の良いおばさんの方にあったのではないかと。
次のページでは72年度ヒットと歴代十傑というヒット作品が載っていて、有名なヴァラエティー誌による北米の歴代の配給収入では第10位に「マイ・フェア・レディ」が入っています。「ベン・ハー」の次だなんて凄い!
次のオードリーは、小森のおばチャマこと小森和子さんの寄稿で、「画面で見られないスターたちのくせ」ってところで、メル・ファーラー、「緑の館」セットでのアンソニー・パーキンス、などと共に、「暗くなるまで待って」でのオードリーとの2ショットが載っています。
オードリーに関しては、「カタログ オードリー・ヘプバーン」に載っていたこととも違う、ここだけの話が読めます。
それによるとオードリーはいろんな香料を入れたお風呂に入るのが大好きだとのことです。
戦時中、なかなかお風呂に入れなかった時に、バレエでソロを踊るオードリーのためにみんながお湯を沸かしてバスタブに運んでくれたということ。
その親切にオードリーは疲れも吹き飛び、生きる楽しさと勇気が湧き上がってきたそうです。
それ以来、オードリーはバスに入ると疲れも取れるし最高の気分転換にもなるため、香料を変えて1日数回も入ることがあるんだとか。
お風呂に入らずにシャワーだけで済ませる外国の人も多いのに、オードリーはお風呂好きだなんて、なんか嬉しいですね!
次がいよいよ「ローマの休日」の紹介です。
緑色のグラビアページで、これは昔“スクリーン”を買っていた人からすると、とても懐かしい感じを持つだろうと思います。
この号の最初の紹介作品は「ポセイドン・アドベンチャー」で、それは大ヒットしましたが、そのあとは「美しく青きドナウ」とか「シシリアン・マフィア」とか現在では忘れ去られた映画が続き、そのあとが「ローマの休日」登場となります。4番目の登場ですね。
そしてその後には「しのび逢い」「シェーン」というリバイバルが続きますので、リバイバルではトップの扱いですね。
その後には今となっては完全に忘れ去られている新作7つとポルノ映画2つが続きます。
画像は残念ながら取り立てて珍しいものは無し。解説で原作はイーアン・マクレラン・ハンターと書かれてるのが時代を感じます。
原題は「古代ローマ人風の休日」と訳されています。
それとここはグラビアページなので画像を見せるだけで解説にとどめ、文字だらけのストーリーは後ろの方の黄色の上質紙のページでまとめられています。これも懐かしいですね。
今の“SCREEN”は文字も画像も一緒くたでごちゃごちゃしてて、画像は小指ほど、みたいなことになっていますからね。
しかも文字は配給会社から与えられたものそのままだったりして、読むところも見るところもありません。
その次は映画評論家:筈見有弘さんによる“いい映画と面白い映画”という連載の4で再度 “ヴァラエティー”誌の歴代10作品が取り上げられています。もちろんここは「マイ・フェア・レディ」。
途中洋書を扱っている会社の広告があって、今でこそ洋書はアマゾンなどで簡単に買えますけど、僕も中学時代、洋書って洋書を扱っている特別な本屋さんに行って、そこで探すというなんか特別感があって、ちょっとほわわーんとしてた気持ちを思い出しました。
次には僕も中学時代お世話になっていたFOXスクリーンフレンドさんやクリエイト鷹さんの広告があって、そこに映画カラーパネルでオードリーの写真がありました。そうそう、僕が持ってたこれと同じ「パリで一緒に」のが載ってる!
僕は神戸そごうで買ったんですけど、そしたらこれもクリエイト鷹さんのものだったんかな?とか思ったりして。
一旦手放してしまった後、もう一度手に入れ直したお話はこちら。
でもこの広告だと、「昼下りの情事」のちょっと小さいサイズのもあったんですね!それも欲しいな〜。
クリエイト鷹さんって、後ろの黄色いページでも広告打ってるんです。えらく儲けてたんでしょうか。
FOXスクリーンフレンドさんでは「オードリーのすべて」などという大型写真集なるものがあったりして、でも僕は見たことないです。
どなたか持ってる方、見せてくださーい!
これってヴィヴィアン・リーのもあるみたいですね。
その次のページではブロマイド・サービス・センターさんというところの広告もあって、オードリーの写真が2点載っています。
でも思うんですけど、これらって元のスターの許可はもちろん、映画会社の許可すらも取ってるかどうか怪しげですよね。
僕が中学時代に買ったどこだったかのオードリーやヴィヴィアン・リーのカラー写真って、単に“スクリーン”や“ロードショー”のグラビアページを撮影しただけのものが売ってましたもんね。
買った当時は知らない画像だったしめっちゃありがたかったですけど、事情を知るとこれってどうなの?とか思ったりして。
そういうのがゆるーく見逃されてた時代だったんですね。
そして日野康一さんのページで、この当時手に入れることのできるサントラ盤の全リストが載っているのですが、オードリー関連では「ティファニーで朝食を」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」の30cmLPレコード、17cmEPレコード以外に、「いつも2人で」「暗くなるまで待って」のEPと、「おしゃれ泥棒」のアルバムがまだ手に入ったことが驚き!
僕がファンになった頃は、すでに「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「おしゃれ泥棒」は廃盤になっていました。
数年の違いで!残念やー!
あと、「風と共に去りぬ」のサントラが2種類ポリドールとRCAビクターから出ていたのは知っていました。中学の時、レコードの帯か何かで2種類出ていることを知って、なんでやろーと思っていました。多分選曲が微妙に違うんやろと思っていましたが、その通りだったようです。
テレビの映画劇場のページでは、テレビで放映時に改題されることがあって困り者だということが語られています。
最後のオードリーは「ローマの休日」のストーリーの載った黄色いページです。
そういえばいまだに「ローマの休日」が1953年製作って書いてあるもんだから、オードリー24才なんて書いてる人もいますが、撮影は1952年の夏ですから、オードリーって23才ですよね。
でも、そうなるとオードリーって、1954年3月のアカデミー賞ではもう2年も前の自分の演技でオスカーをもらったことになりますよね。
オードリーからすると、「ローマの休日」、「ジジ」地方公演、「麗しのサブリナ」、「オンディーヌ」と映画の撮影に舞台にと走り続けていることになるので、「ローマの休日」ってきっとだいぶ昔の感覚だったんじゃないかなーとかって思います。
この “スクリーン”ですが、70年代後半に映画を見始めた僕でも全く知らない俳優や作品がいっぱいで、70年代前半〜って感じですが、スティーブン・スピルバーグ監督の「激突!」が双葉十三郎さんの “ぼくの採点表”コーナーで☆☆☆☆(80点)で載ってたりして、70年代後半から80年代へ繋がる部分も見えているのが興味深いです。
まずはもちろんアメリカでの公開から70周年。そして日本での1963年リバイバルから60周年、1973年リバイバルから50周年、2003年リバイバルから20周年、そして今年は8月25日に新しいリバイバルが来る、ということで「ローマの休日」に関して大渋滞しています。
ええっと、アメリカの初公開は8月27日だそうです。
日本での63年リバイバルは日比谷スカラ座で5月18日〜7月16日、
73年リバイバルはスバル座で2月24日〜3月30日、
2003年リバイバルはテアトルタイムズスクエアで9月13日〜12月12日の上映、となっています。
今年のリバイバルは何日間上映されるのでしょうね?
さてさて今までの日本での上映で、2003年とか今年とかは“製作50周年!”“製作70周年!”って謳ってるんですけど、今回紹介する73年とか63年のリバイバルでは一切“製作◯◯年!”って宣伝で使ってないんです!
63年リバイバルのプレスシートも、73年リバイバルのプレスシートも確認しましたが、全く書いてない!
普通に考えたら、それがウリ文句になるだろうと思うのですが、当時の宣伝部の人たちは潔いというか何というか、全く意に介してませんね。
もしかしたら気付いてないのかもしれません。
当時の人たちからしたら、単なるリバイバルの一環でしかないのかなーと思います。
昭和の豪放さというか大らかさというかを感じますね。
さて、今回はそんな1973年リバイバル時の「ローマの休日」を紹介している1973年4月号の“スクリーン”の紹介。
この時期って、オードリーは何にも活動していませんよね。
「エクスラン・ヴァリーエ」のCMも終わっているし、「ロビンとマリアン」の台本はもう送られてきていたかもしれませんけど、まだ動いてません。
すっかり家庭の主婦でルカの子育てをしていた頃のオードリー。
でもこの号ではそこそこオードリー関連のことが載っています。さすがオードリー!
前年まで放送されていた「エクスラン・ヴァリーエ」のCMで、まだまだ若くて素敵なことが日本のファンにも知れ渡って人気は落ちていません。
次の5月号でもまたまた人気投票で1位を獲得します。
この号での最初のオードリーは、折り込みのカラーピンナップ。「おしゃれ泥棒」のオードリーです。
このころの映画雑誌って、どのオードリーが出てくるか予想が立たないのが良いです!
全オードリーが愛されていた時代だったので、若い頃もあるし、60年代もあるし、現在のオードリーもあるって感じです。
なので、この時代はどんなレアなオードリーの画像を見せてくれるのか?ってのがファン心理をくすぐる要素になっていたようですね。
“スクリーン”も“ロードショー”もこの時期はレア画像を載せることで競っていましたね。
僕もこの時代にもし映画雑誌を買っていたら、本をめくるまでワクワクしていただろうなーと思います。
今みたいな “あ、またこれ”ってガッカリ感はないですよね。
その上、今はオードリーをリアルタイムで知る編集者もいないし、詳しく調べようともしていないので、書いてある文章の内容も誰でも書けるようなうっすーいものだったり、間違いだったりってことがほとんどで、買うこともまれなのですけど、この当時はグラビアなんかはずっと前の過去の号とも被らないようにしてくれていますよね。
この「おしゃれ泥棒」のオードリー、デジタルなんかない昔なので、ほっぺたの毛穴なんかはそのまんまです。
目の下には黒いクマがあったのかシワが目立ったのか、これだけは当時のポジ(何世代目かは不明)の段階で削ったかのような不自然に白い部分があります。
昔って修正できてもせいぜいこれくらいだったんですよね。
今みたいにシワも毛穴も消して…ってことは出来ない。
でも僕はそんな修正のないオードリーのシワも毛穴も小学生の時からずっと見てましたけど、それも含めてオードリーが大好きです!
でもね、今不思議なのは、割とみんな画像の加工とかしてるじゃないですか。
なのに加工された画像が見分けられないのが不思議〜って思っちゃうんですよね。
「ローマの休日」の街着のスカート、青い着色とかめっちゃ不自然なのに、着色が見分けられなくて、まだネットを見ると青だと思ってる人がいるとか、海外のサイトでも英語で “青なのか、ベージュなのかイディス・ヘッドしかわからない”などと書いてるところを見つけちゃいまして、ホンッと見分けつかない人いるんやねーと思います。
ちなみに「ローマの休日」の青いスカートのイメージを最初につけてしまったのは2000年ごろの午後の紅茶のCMでの着色カラーだと思っています。
「ローマの休日」は日本以外ではそこまで人気作品ではありませんでしたから(海外ではオードリーでは「ティファニーで朝食を」が絶対)、海外でオードリー人気が出てから再評価された時にYouTubeであったのがキリンの午後の紅茶CMだったというわけですね。
まさか当時ここまでこんな(悪い)影響力があるとは思ってもみませんでした。本当にいい迷惑です。
次のオードリーは72〜73年の現在のオードリー。これらはパパラッチに撮られたものだろうと思うのですが、オードリーは日本の映画雑誌では人気があるので、よくこういうのも載っていましたね。
でもホッとするのは当時の雑誌では、キャプションは温かいものだったこと。
来日時の女性週刊誌や写真週刊誌の見出しは本当に酷かったですからねー。当時はバブル前夜で、日本も驕っていたんでしょうね。
ここでのオードリーの髪型は、「暗くなるまで待って」の頃の髪型が崩れて、「ロビンとマリアン」への髪型の過渡期的なものになっています。
でも似合っているかというと微妙かなー。
次は「どこで だれが いつ」っていうブルーのページで、「ちょっとお耳を…」ってコーナーの部分。
エリザベス・テイラーが1月20日の雑誌の対談で「私は未だかつて自分を美人と思ったことはない」と言ったそうで、「本当の美人とはエヴァ・ガードナー、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレン、ブリジット・バルドー、ラクエル・ウェルチ」だと言ったということが書かれています。
これ、オードリーの伝記で、オードリーは「本当の美人はエリザベス・テイラー、エヴァ・ガードナー…」と言ったことが書かれており、エリザベス・テイラーは「エヴァ・ガードナー、オードリー・ヘプバーン…」と言ったことが書かれていましたが、これだったのですね!
そして自分の老後に関しては、「豚肉の桶のようにブクブクと太り、髪は真っ白。でも誰にでも親しまれる人の良いお婆さんになるでしょう。」と答えていて、美人よりも人の良いお婆さんになりたがっていることがわかります。
エリザベス・テイラーって、あまりにも美人扱いされて崇められてただろうと思うので、本人的にはイヤだったんじゃないかと。
8回も結婚・離婚を繰り返してますけど、それもどうやら好きになったら結婚という古風な形をとらないとイヤだという真面目な性格だったと書かれているものもありましたしね。
それに晩年は友人の罹ったHIV撲滅の為やチャリティーに貢献したりとしていたようなので、手が届かなくて冷たそうに見えるリズですけど、実体は人の良いおばさんの方にあったのではないかと。
次のページでは72年度ヒットと歴代十傑というヒット作品が載っていて、有名なヴァラエティー誌による北米の歴代の配給収入では第10位に「マイ・フェア・レディ」が入っています。「ベン・ハー」の次だなんて凄い!
次のオードリーは、小森のおばチャマこと小森和子さんの寄稿で、「画面で見られないスターたちのくせ」ってところで、メル・ファーラー、「緑の館」セットでのアンソニー・パーキンス、などと共に、「暗くなるまで待って」でのオードリーとの2ショットが載っています。
オードリーに関しては、「カタログ オードリー・ヘプバーン」に載っていたこととも違う、ここだけの話が読めます。
それによるとオードリーはいろんな香料を入れたお風呂に入るのが大好きだとのことです。
戦時中、なかなかお風呂に入れなかった時に、バレエでソロを踊るオードリーのためにみんながお湯を沸かしてバスタブに運んでくれたということ。
その親切にオードリーは疲れも吹き飛び、生きる楽しさと勇気が湧き上がってきたそうです。
それ以来、オードリーはバスに入ると疲れも取れるし最高の気分転換にもなるため、香料を変えて1日数回も入ることがあるんだとか。
お風呂に入らずにシャワーだけで済ませる外国の人も多いのに、オードリーはお風呂好きだなんて、なんか嬉しいですね!
次がいよいよ「ローマの休日」の紹介です。
緑色のグラビアページで、これは昔“スクリーン”を買っていた人からすると、とても懐かしい感じを持つだろうと思います。
この号の最初の紹介作品は「ポセイドン・アドベンチャー」で、それは大ヒットしましたが、そのあとは「美しく青きドナウ」とか「シシリアン・マフィア」とか現在では忘れ去られた映画が続き、そのあとが「ローマの休日」登場となります。4番目の登場ですね。
そしてその後には「しのび逢い」「シェーン」というリバイバルが続きますので、リバイバルではトップの扱いですね。
その後には今となっては完全に忘れ去られている新作7つとポルノ映画2つが続きます。
画像は残念ながら取り立てて珍しいものは無し。解説で原作はイーアン・マクレラン・ハンターと書かれてるのが時代を感じます。
原題は「古代ローマ人風の休日」と訳されています。
それとここはグラビアページなので画像を見せるだけで解説にとどめ、文字だらけのストーリーは後ろの方の黄色の上質紙のページでまとめられています。これも懐かしいですね。
今の“SCREEN”は文字も画像も一緒くたでごちゃごちゃしてて、画像は小指ほど、みたいなことになっていますからね。
しかも文字は配給会社から与えられたものそのままだったりして、読むところも見るところもありません。
その次は映画評論家:筈見有弘さんによる“いい映画と面白い映画”という連載の4で再度 “ヴァラエティー”誌の歴代10作品が取り上げられています。もちろんここは「マイ・フェア・レディ」。
途中洋書を扱っている会社の広告があって、今でこそ洋書はアマゾンなどで簡単に買えますけど、僕も中学時代、洋書って洋書を扱っている特別な本屋さんに行って、そこで探すというなんか特別感があって、ちょっとほわわーんとしてた気持ちを思い出しました。
次には僕も中学時代お世話になっていたFOXスクリーンフレンドさんやクリエイト鷹さんの広告があって、そこに映画カラーパネルでオードリーの写真がありました。そうそう、僕が持ってたこれと同じ「パリで一緒に」のが載ってる!
僕は神戸そごうで買ったんですけど、そしたらこれもクリエイト鷹さんのものだったんかな?とか思ったりして。
一旦手放してしまった後、もう一度手に入れ直したお話はこちら。
でもこの広告だと、「昼下りの情事」のちょっと小さいサイズのもあったんですね!それも欲しいな〜。
クリエイト鷹さんって、後ろの黄色いページでも広告打ってるんです。えらく儲けてたんでしょうか。
FOXスクリーンフレンドさんでは「オードリーのすべて」などという大型写真集なるものがあったりして、でも僕は見たことないです。
どなたか持ってる方、見せてくださーい!
これってヴィヴィアン・リーのもあるみたいですね。
その次のページではブロマイド・サービス・センターさんというところの広告もあって、オードリーの写真が2点載っています。
でも思うんですけど、これらって元のスターの許可はもちろん、映画会社の許可すらも取ってるかどうか怪しげですよね。
僕が中学時代に買ったどこだったかのオードリーやヴィヴィアン・リーのカラー写真って、単に“スクリーン”や“ロードショー”のグラビアページを撮影しただけのものが売ってましたもんね。
買った当時は知らない画像だったしめっちゃありがたかったですけど、事情を知るとこれってどうなの?とか思ったりして。
そういうのがゆるーく見逃されてた時代だったんですね。
そして日野康一さんのページで、この当時手に入れることのできるサントラ盤の全リストが載っているのですが、オードリー関連では「ティファニーで朝食を」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」の30cmLPレコード、17cmEPレコード以外に、「いつも2人で」「暗くなるまで待って」のEPと、「おしゃれ泥棒」のアルバムがまだ手に入ったことが驚き!
僕がファンになった頃は、すでに「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「おしゃれ泥棒」は廃盤になっていました。
数年の違いで!残念やー!
あと、「風と共に去りぬ」のサントラが2種類ポリドールとRCAビクターから出ていたのは知っていました。中学の時、レコードの帯か何かで2種類出ていることを知って、なんでやろーと思っていました。多分選曲が微妙に違うんやろと思っていましたが、その通りだったようです。
テレビの映画劇場のページでは、テレビで放映時に改題されることがあって困り者だということが語られています。
最後のオードリーは「ローマの休日」のストーリーの載った黄色いページです。
そういえばいまだに「ローマの休日」が1953年製作って書いてあるもんだから、オードリー24才なんて書いてる人もいますが、撮影は1952年の夏ですから、オードリーって23才ですよね。
でも、そうなるとオードリーって、1954年3月のアカデミー賞ではもう2年も前の自分の演技でオスカーをもらったことになりますよね。
オードリーからすると、「ローマの休日」、「ジジ」地方公演、「麗しのサブリナ」、「オンディーヌ」と映画の撮影に舞台にと走り続けていることになるので、「ローマの休日」ってきっとだいぶ昔の感覚だったんじゃないかなーとかって思います。
この “スクリーン”ですが、70年代後半に映画を見始めた僕でも全く知らない俳優や作品がいっぱいで、70年代前半〜って感じですが、スティーブン・スピルバーグ監督の「激突!」が双葉十三郎さんの “ぼくの採点表”コーナーで☆☆☆☆(80点)で載ってたりして、70年代後半から80年代へ繋がる部分も見えているのが興味深いです。
この記事へのコメント
19521209生まれ
まさに70年
ローマの休日と
平行した人生
不思議な縁
オードリー狂い
65歳で心停止
生き延び5年
オードリー教の
インフルエンサーです
まさに70年
ローマの休日と
平行した人生
不思議な縁
オードリー狂い
65歳で心停止
生き延び5年
オードリー教の
インフルエンサーです
Posted by 明智常楽 at 2023年06月01日 12:46
あー、明智常楽さんって「ローマの休日」と共に生きて来られたって感じになるのですね!
今年はもう一度大々的に「ローマの休日」が見られるので、ぜひ!ご覧になってくださいね!
でも「ロードショー」創刊の頃に取材を受けていた明智常楽さんはまだ10代だったのですよね!
10代でもうオードリーの第一人者だと思われていたって凄いことですね!
今年はもう一度大々的に「ローマの休日」が見られるので、ぜひ!ご覧になってくださいね!
でも「ロードショー」創刊の頃に取材を受けていた明智常楽さんはまだ10代だったのですよね!
10代でもうオードリーの第一人者だと思われていたって凄いことですね!
Posted by みつお at 2023年06月01日 21:28
オードリーの肌の毛穴ってこんなにハッキリ見えるんですね
今のようにきれいに修正されて人工的な感じのするものもあるので
逆に新鮮で自然な感じがします。
オードリーのファンになったばかりの頃
「ローマの休日は」24歳の時って書いてある雑誌がありました
私も最初はそう思っていたのですが撮影は1年前なんですよね
記録的な猛暑だったと書いてあったと思います。
「風と共に去りぬ」はいつ頃撮影したかは分かりませんが
ヴィヴィアン・リーもが26歳って書いてありますが
それは公開した時の年齢なんですよね
映画の公開日は書いてあっても撮影時期ってなかなか書いていなくて
撮影した時期も知りたいなって思っています。
今のようにきれいに修正されて人工的な感じのするものもあるので
逆に新鮮で自然な感じがします。
オードリーのファンになったばかりの頃
「ローマの休日は」24歳の時って書いてある雑誌がありました
私も最初はそう思っていたのですが撮影は1年前なんですよね
記録的な猛暑だったと書いてあったと思います。
「風と共に去りぬ」はいつ頃撮影したかは分かりませんが
ヴィヴィアン・リーもが26歳って書いてありますが
それは公開した時の年齢なんですよね
映画の公開日は書いてあっても撮影時期ってなかなか書いていなくて
撮影した時期も知りたいなって思っています。
Posted by りりあ at 2023年06月03日 21:01
りりあさん、こんばんは!
そうなんです!オードリーの毛穴は「おしゃれ泥棒」以降はかなりハッキリ見えます。
やっぱり「マイ・フェア・レディ」でのバッシングのせいで一気にやつれたんかなーと思いますが、僕は小学生の頃からオードリーの毛穴は見慣れているもんで、いまの修正しまくりのオードリーの方が不自然でイヤです。
でもそうしないと息子ショーンの許可がおりないことがあるそうで、自然体の好きだったオードリーなのに、息子さんは修正にこだわるんやなーと思います。
オードリーの映画ってだいたい公開の1年前に撮影されてますよね。
昔は全てが手作業でしたから、撮影が終わっても編集で膨大な撮影フィルムから使えそうなフィルムは現像して、さらにその中でシーンを探して選んで、フィルムを切って貼って…などという気の遠くなるような作業が必要だったから、時間がかかるのもわかりますよね。
それに昔は手作業で特殊効果を付けてましたから、絵を描いたり、合成したりという過程もあったそうです。
さらに完成フィルムを見ながら今度は音楽の作曲・練習・演奏・録音。それに昔は全部フィルムですから、全世界で必要な数だけマスターフィルムから映画館に行き渡るようにコピーを作らなければいけないし、各国でポスターを製作して、宣伝して、映画館に貼ってもらうためのスチール写真も全国分作って…となると1年かかっても仕方ないですね。
それでも昔ですから、日本だけではなく、当時はアメリカでも残業や徹夜も当たり前のようにあったことでしょうね。
「風と共に去りぬ」は全体が突貫作業で作られていますので、なんと1939年1月26日から撮影が始まって、39年年末に公開されてますから、11月5日生まれのヴィヴィアン・リーは本当に26才だったようです。
あの映画をそんな短期間で仕上げたっていうのが恐ろしいですよね。途中で逃げ帰った脚本家、1日1日は長時間労働でもいいから日程的にはさっさと撮影を終わらせてローレンス・オリヴィエの所に行きたいヴィヴィアン・リー、、息も絶え絶えな体に覚醒剤(当時は合法)を打ち続けながら撮影に臨んでいた監督、病院で“あなたはもう死んでいる”と言われたフィルム編集者など、セルズニックの意向でみんなが無茶していたんですね。
各映画の撮影時期って本当に知りたいですよね。それでも昔は(いまのようにネットで広がるってことがないので)宣伝を兼ねてクランク・インから記者たちに公開していたようですけど、今はもう完全に撮影から秘密主義ですよね。
情報の解禁日や時間まで厳密に決められているので、演者といえども情報を漏らすことができず、SMAPの中居くんも映画のために髪を丸刈りにしていたんですが、それを隠すためにカツラをかぶっていたなんてこともありました。
僕は昔のように、撮影開始日を記者たちに来てもらって宣伝すればいいのにね、と思いますが、変なストーカーみたいな人も最近はいて問題になってますし、事前にロケ地などがバレると危ないのでそうもいかないんでしょうね。
そうなんです!オードリーの毛穴は「おしゃれ泥棒」以降はかなりハッキリ見えます。
やっぱり「マイ・フェア・レディ」でのバッシングのせいで一気にやつれたんかなーと思いますが、僕は小学生の頃からオードリーの毛穴は見慣れているもんで、いまの修正しまくりのオードリーの方が不自然でイヤです。
でもそうしないと息子ショーンの許可がおりないことがあるそうで、自然体の好きだったオードリーなのに、息子さんは修正にこだわるんやなーと思います。
オードリーの映画ってだいたい公開の1年前に撮影されてますよね。
昔は全てが手作業でしたから、撮影が終わっても編集で膨大な撮影フィルムから使えそうなフィルムは現像して、さらにその中でシーンを探して選んで、フィルムを切って貼って…などという気の遠くなるような作業が必要だったから、時間がかかるのもわかりますよね。
それに昔は手作業で特殊効果を付けてましたから、絵を描いたり、合成したりという過程もあったそうです。
さらに完成フィルムを見ながら今度は音楽の作曲・練習・演奏・録音。それに昔は全部フィルムですから、全世界で必要な数だけマスターフィルムから映画館に行き渡るようにコピーを作らなければいけないし、各国でポスターを製作して、宣伝して、映画館に貼ってもらうためのスチール写真も全国分作って…となると1年かかっても仕方ないですね。
それでも昔ですから、日本だけではなく、当時はアメリカでも残業や徹夜も当たり前のようにあったことでしょうね。
「風と共に去りぬ」は全体が突貫作業で作られていますので、なんと1939年1月26日から撮影が始まって、39年年末に公開されてますから、11月5日生まれのヴィヴィアン・リーは本当に26才だったようです。
あの映画をそんな短期間で仕上げたっていうのが恐ろしいですよね。途中で逃げ帰った脚本家、1日1日は長時間労働でもいいから日程的にはさっさと撮影を終わらせてローレンス・オリヴィエの所に行きたいヴィヴィアン・リー、、息も絶え絶えな体に覚醒剤(当時は合法)を打ち続けながら撮影に臨んでいた監督、病院で“あなたはもう死んでいる”と言われたフィルム編集者など、セルズニックの意向でみんなが無茶していたんですね。
各映画の撮影時期って本当に知りたいですよね。それでも昔は(いまのようにネットで広がるってことがないので)宣伝を兼ねてクランク・インから記者たちに公開していたようですけど、今はもう完全に撮影から秘密主義ですよね。
情報の解禁日や時間まで厳密に決められているので、演者といえども情報を漏らすことができず、SMAPの中居くんも映画のために髪を丸刈りにしていたんですが、それを隠すためにカツラをかぶっていたなんてこともありました。
僕は昔のように、撮影開始日を記者たちに来てもらって宣伝すればいいのにね、と思いますが、変なストーカーみたいな人も最近はいて問題になってますし、事前にロケ地などがバレると危ないのでそうもいかないんでしょうね。
Posted by みつお at 2023年06月05日 01:15