2021年03月27日

「映画の友」1964年2月号

 遅れましたが今年の「SCREEN」の人気投票、オードリーは9位でした。パチパチパチ。昨年は16位でしたからだいぶ上がりましたね。
 って投票数もびっくりするくらい少ないんですが…。

 でも「SCREEN」はまたページが減ってるし、せっかくの読者が投票してくれた結果も小さな画像だけだし、その上よく見る平凡画像。相も変わらず内容もネットの方がまだマシなような薄いムック本形態だし、好調な日本映画に媚を売っててこんなの買う気になりません。
 今の「SCREEN」編集部は売ろうという気はあるんでしょうかね。今や廃刊前の「ロードショー」よりヒドくなって来ました。

「映画の友」1964年2月号 今日は1968年まで存在していた洋画雑誌「映画の友」1964年2月号の紹介です。

 まず2月号ということは実際には1963年12月に発売されています。ちょうど「シャレード」が初公開されたときですね。

 「シャレード」は1964年のお正月映画としてぶつけられていますね。公開は松竹系の劇場で。
 東京の劇場は松竹ではこの当時1番格上の丸の内ピカデリーだったので、この年の松竹としては1番期待されていた映画だとわかります。

 そして期待に違わぬ大ヒットだったのは、以前紹介した雑誌「ヤングレディ」の時に書いた通り。
 公開後1ヶ月以上経った平日の昼間でも丸の内ピカデリーにはチケットを買うお客さんで大行列だったようですね。

「映画の友」1964年2月号 そんな混み混みの状態では、当時は一部を除いて自由席の劇場で席取りも大変だろうし、あんまり行きたくないけど、それでも1500席以上の巨大劇場でオードリー作品がそういう大ヒットの感覚は味わってみたいですね!

 さてこの号の表紙はクラウディア・カルディナーレ。
 僕がオードリーのファンになった70年代後半にはもう表立っては残っていない縁遠い女優さんでした。

 この号ではまず目次のところにオードリーのイラストがあって、巻頭カラーはオードリーからスタート。

 画像は先ほどの「ヤングレディ」で使われた写真の別ショット。
 別のものが見られるのが嬉しいですね!それでもオードリーはやっぱり左側を見せています。
 僕のこの画像の右側にシワが入っているのは、製本する際に付いたみたいです。

「映画の友」1964年2月号 次のオードリーはこの本の編集の際はまだ撮影中だったであろう「マイ・フェア・レディ」のモノクログラビア。
 本当に「シャレード」「マイ・フェア・レディ」が同じ本に新作として同居してるなんて、僕からしたらなんて贅沢な!って思ってしまいます。

 今は撮影中の作品って情報が漏れないようにってしてて、何撮ってるか全くわかりませんが、昔はこうして撮影中から宣伝を兼ねてバンバン画像や情報を流してたんですよね。僕は唐突に映画公開しまーす!って出てくるより、こうしてあらかじめファンの期待を膨らませて、見たい気持ちを公開まで持って行くほうがいいと思うんだけどなー。

 ここでのモノクロは「スペインの雨」とアスコット競馬場のものなので、撮影がどこまで進んでいるかが一目瞭然ですね。
 オードリー作品はロケを除いて、だいたい時間の流れに沿って撮影されることがほとんどですからね。

「映画の友」1964年2月号

 ここでのキャプションはケネディ大統領の悲報にオードリーは泣き崩れ、その日は撮影できなかった「マイ・フェア・レディ」と書かれています。

 そういえば、セシル・ビートンの「マイ・フェア・レディ日記」に書いてありましたが、ドケチなジャック・ワーナーは後から撮り直しが出来ないよう、アスコット競馬場のセットを撮影後、早々に壊してしまったそうです。

「映画の友」1964年2月号 途中僕の好きなヴィヴィアン・リーの「風と共に去りぬ」とヴィスコンティの「山猫」との比較のグラビアもありましたが、この号で目立っているのはエリザベス・テイラーの「クレオパトラ」とかアラン・ドロンのページの多さ。

 アラン・ドロンは本格的に若い女性の人気を掴んできているようですね。「危険がいっぱい」や「黒いチューリップ」が載っています。
 まだアンソニー・パーキンスも人気が高いようですが、そろそろ世代交代といった感じが漂っています。

 同じようにスティーブ・マックィーンもカラーのとじ込みがあったりモノクログラビアがあったりと、70年代まで続いていくスターが台頭してきています。

 この号では他に王貞治選手・長嶋茂雄選手と対談する淀川長治さんの記事もあります。

 次のオードリーは、「スターのぷらすあるふぁー」という記事で、最初のページに1番デカく登場。今度は「パリで一緒に」の画像ですね。ホント贅沢!

「映画の友」1964年2月号 ここではスターになる人は、美男美女ってだけではなく、演技が巧いだけでもなく、チャンスに恵まれていたからだけでもない、その他の+αが何か、ということについて書いてあるのですが、オードリーは “ムード” の筆頭として挙げられています。

 「彼女の名前を思い返しただけでも、スマートな映画をすぐ想像できます。彼女の上品でそのくせそこはかとなきお色気はちょっと他の追従を許しません。この人を見ていると、演技がどうのこうのというより、ただ心持ちがよく、うっとりして映画の楽しさを味わわせてくれる。こういう人はなかなかおりません。」と秦早穂子さんは書いています。

 次は久里洋二さんという方の僕の試写室というイラスト付きのページ。ここでは新作「シャレード」のことが取り上げられていますが、
 「なんとすばらしい映画が出現したのだろう。僕はこんなにいい映画ははじめて見たような気がする。ヘップバーンの素敵な気分がなんともいえない。女性必見。この「シャレード」を見ずして女性と言えようか。ステキ、ステキ、まったくボーッとして1週間くらいは話が尽きない映画です。」
と書いてあります。

 次に行く前に、「アメリカ女優変遷史2」という記事があるのですが、今からちょうど100年前!1921年のアメリカでの人気女優トップ15が載っています。

「映画の友」1964年2月号 その中ではノーマ・タルマッジ、メアリー・ピックフォード、ドロシー・ギッシュ、グロリア・スワンソン、メアリー・マイルズ・ミンター、パール・ホワイトといった今なら僕でもかろうじて名前だけはわかるサイレント女優さんもいますが、半数以上は今でも全く知らない女優さんたち。

 僕がオードリーのファンになった頃は55年前のサイレント女優さんなんて全く知らない状態でしたから、今の55年前というと1966年になるので、ちょうどこの「映画の友」辺りの俳優さんたちになるんですよね。

 となると、ここに載っている人たちほぼ全員、今の若い方達には知らない遠い世代の人たち、ということになってしまうんでしょうかね。
 アラン・ドロン、スティーブ・マックィーン、ソフィア・ローレンも、下手するとオードリーだって知らない!って言われそうですよね。

 その次のページには「ハリウッド上流社会の内幕」という記事があって、これが興味深かったです。

 ここではハリウッドの俳優たちには3つのエリート・グループがあるそうで、第1グループはカーク・ダグラス夫人など、4人の名流婦人で牛耳られている第1級のハイ・ソサエティ、第2グループは第1級のスターでありながら、招待に参加せず、距離を置いているグループ、第3グループは第1グループにやがて受け入れられるであろう予備軍、みたいな感じだそうです。

「映画の友」1964年2月号 第2グループにはグレゴリー・ペック、バート・ランカスター、エフレム・ジンバリスト・Jrなどがいるそうで、招待状を送っても丁寧な断り状が届くのがほとんどだそう。

 ここではグレン・フォードという男優が、ハリウッドに邸宅を建て、社交界入りを企ててパーティーを催したそうですが、ハイ・ソサエティの第1グループの人に相談せず、二流の人たちを招いてしまい、大失敗に終わったそう。これはよほどの辛抱と時間をかけないと元には戻らないと言われています。

 50年代はゲイリー・クーパー夫人がハイ・ソサエティのトップであり、かつては300人という大パーティーがあったそうです。
 でもそれも年月と共にトップ・ホステスが入れ替わっていったそうで、今では100人から最大150人のパーティーになったそうです。

 そこで登場するのがオードリーの名前。もしオードリーがハリウッドに定住すれば、本人の意志にかかわらずトップ・ホステスに祭り上げられるだろうとのこと。

 わかる〜!!オードリーなら誰にも不快な思いをさせずに、見事に務め上げそうだし!絶対素晴らしいハイ・ソサエティの頂点に立てそうですよね。
 でもオードリーの立場に立てば、絶対したくないだろうなーというのもこれまたわかる。そんなだからハリウッドに住みたくないんだ、みたいな。

「映画の友」1964年2月号 だって、ハイ・ソサエティって傍目にはなんかキラキラしてて憧れますけど、グレン・フォードの件でわかるようにひっくり返せば選民思想の典型じゃないですか。そういうドロドロしたものを抱えて成り立ってるものに、オードリーが絶対関わりたくない、と思うのはまあ当然ですよね。めっちゃストレス溜まりそうだし。オードリーはパーティーしてるくらいなら、むしろ家の庭で雑草抜きとかしてたいほうですからね。

 でもこのハリウッドのスタッフ・キャストたちのハイ・ソサエティも、かつては元からあった地主貴族たちのベル・エアのハイ・ソサエティーからは「犬と役者はお断り」なんて蔑まれてて、戦ってきた結果みたいです。
 この時代には富豪と名門だけのものであったベル・エアのハイ・ソサエティも、ハリウッドのトップ・エリートには開かれているそうです。

 ハリウッドのハイ・ソサエティにはお断りな人たちもいるそうで(向こうもですけど)、マーロン・ブランドやシャーリー・マクレーンなどが挙げられていますが、さもありなんって感じですよね。二人とも建前だけでも繕うのはイヤそうですもんね。

 次に1963年度の映画評論家のベスト10が載っています。この年の第1位は圧倒的な240点で「アラビアのロレンス」。他には2位「シベールの日曜日」、4位「鳥」などが入ってる中で、オードリーがオファーされていた「蜜の味」が8位に入っています。

「映画の友」1964年2月号 女優は圧倒的に「奇跡の人」のアン・バンクロフト、男優は同票で「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールと「イタリア式離婚狂想曲」のマルチェロ・マストロヤンニ。
 オードリーは女優では2票で第3位。同票にパティ・デュークとシャーリー・マクレーン。

 「シャレード」は35点で14位に選出されています。南部圭之助さんが9点、双葉十三郎さんと高季彦さんが7点、淀川長治さんが6点、オードリーファンでもある山本恭子さんが3点、品田雄吉さん・野口久光さん・深沢哲也さんがそれぞれ1点を入れてくださってます。

 意外なのはオードリー評論家でもある小森和子さん、南俊子さん、秦早穂子さんが1点も入れてくれてないこと。
 でも「シャレード」は時の流れを経ても見事生き残りましたよねー。ベスト10に入っているものでも、今生き残れてないのもザラですからね。

 まあ特に映画評論家さんのベスト10はマニアックなものが多いですからね。後年見ると、こんなの知らない!ってのが結構多いですから。
 「映画の友」の読者投票では「シャレード」は見事8位に入っています。

「映画の友」1964年2月号 その後には総決算として映画評論家4人による対談があるのですが(こういうの「スクリーン」では今は無くなりましたよねー。読むの楽しみだったのに…)、11月・12月のところで双葉十三郎さんが “さて終わりに近づいて僕は「シャレード」が一番いい。好きだな、こういうの。ウソばかり言うの。洒落っ気というやつだ。”と述べると、品田雄吉さんも“タイミングの良さ、ただいいセンスというだけじゃないようですね。”と褒めてくださり、それを受けて双葉さんが“ドーネン監督がミュージカルの呼吸でやってるんです。普通の監督がやったら重くてこれだけ調子良くいかない。とにかく楽しい、ということでは近来これほどのものはなかった。”とまたもベタ褒め。双葉先生、ありがとうございます!

 さらにその次は小森のオバチャマの文章で63年に活躍した126人のスターのことが述べられており、変わらぬ個性と演技の魅力No.1はオードリー。と書いてます。

 それと次には63年のヒット映画が別の方によって語られており(『シャレード』は封切り前なので書かれていない)、好調な年だったけれども、リバイバルでは「ローマの休日」以外はビッグ・ヒットがなかったと書かれて「ローマの休日」の画像が載っています。

 まただいぶ飛んで「クレオパトラ」「マイ・フェア・レディ」と大作に立て続けに出演しているレックス・ハリスンの記事が4pあり、そこで「マイ・フェア・レディ」の撮影現場のオードリーとの写真もあります。

「映画の友」1964年2月号 岡俊雄さんの批評のページの片隅にある12月→1月の封切りスケジュールでは公開中の作品のランク付けがなされており、“絶対にご覧ください”のAランクには「シャレード」はじめ「アラビアのロレンス」「天井桟敷の人々」「エデンの東(リバイバル)」「エレクトラ」が入っています。
 B以下はやっぱり今生き残っているのは少ないのですが、「クレオパトラ」がBになっています。

 おふざけページの「トモスコープ」でオードリーのイラストがあった後、だいぶ終わりの方のページで「スターのおうわさ」というところではオードリーのイラストと共に再度ケネディ大統領の暗殺のことで「マイ・フェア・レディ」の撮影が止まったことが書かれています。

 さらに次のページでは “やっときれいな顔になったオードリイ・ヘップバーン”という項目があり、そこではキューカー監督が「一番難しいアスコット競馬場のシーンも撮り終えたし、クリスマスまでにはアップするでしょう」と語ったそうです。

 でも、ここでもっと重要なのはオードリーの発言。舞踏服を着ていたオードリーは(ということは大使館での舞踏会のシーンの撮影中)

「やっと顔がきれいになりました。歌のナンバーは私も全部録音しましたが、別にソプラノ歌手のマーニ・ニクソンが吹き込んであるのです。どちらを使うかは会社が決めるでしょう。とにかく歌と人物がピッタリ一致するようにと願っています。歌手でない私にとって“一晩中踊っていたい”などの歌はとても難しくて大変でしたが、自分ではベストを尽くしたつもりです。クリスマスまでには終わるそうですから、スイスの家に帰り、メルや坊やと一緒に過ごす休日が楽しみですわ。」

「映画の友」1964年2月号 と言ったそう。最後の最後の方までオードリーはほぼ吹き替えられるって聞いていなかったんですね。ほとんどマーニ・ニクソンだと聞いたときは本当にショックだったでしょうね。

 でももっと残念なのは、オードリーの歌の完成版があったはずなのに、どうやらどれも現存してなさそうなところ。
 今特典やYouTubeで見られるオードリーの声はピアノ伴奏やオードリーの声の入った練習版ですもんね。

 経緯に関しては「マイ・フェア・レディ」の副音声で語られていますが、1970年だか1971年だかに権利がワーナーからCBSに移った時に、音源や素材のフィルムなども全てCBSに運ばれたそうですが、テレビ会社のCBSはその価値に気付かず、ほとんど捨ててしまったとか…。

 なのでフィルムの修復の際に元の花だけのフィルムが無くて苦労したそうですが、オードリーファンからすると花のフィルム素材よりもオードリーの完成版の歌が失われたであろうことの方がもっと重大!オードリー、必死で練習してたのに!
 めっちゃ大きな損失ですよ!これは!!

 今聞ける「素敵じゃない?」などのオードリーの歌はワーナーの倉庫から出てきたらしいですし、明らかに練習版だったんですよね。だから「スペインの雨」だけが残ってない。それさえあれば全編オードリーの声で「マイ・フェア・レディ」が出来たのに…と思うと本当に残念です。

「映画の友」1964年2月号 発掘された「素敵じゃない?」とか「証拠を見せて」を聞いて、オードリーの声はダメだ、なんていう人がいますが、つい最近まで「今に見てろ」なんかもオードリーの声じゃないと思ってて、“全部吹き替えられた”なんて言ってる人がめっちゃ多かったですしね(今でもまだいるし)。

 そしたら完成版だともっと上手に歌ってたと思うんですよね。聞いてみたかったー!ホントにもったいない!

  さらに後のページの「ハリウッド通信」ってところではウィリアム・ワイラーが監督するはずであった20世紀フォックス映画「音楽の響き」はワイラーが「集金人」(のちの「コレクター」のこと)を先に開始したい関係で製作を2ヶ月延ばしたいと申し入れたが、フォックスが1964年クリスマス封切りを譲らないため監督を辞退した。フォックスは「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズを起用し、製作開始を64年3月15日に繰り上げることになった。と書いてあります。

 これってもちろん「サウンド・オブ・ミュージック」のことですよね。
 「サウンド・オブ・ミュージック」って最初にオードリーにオファーが行ったらしいですけど、監督がウィリアム・ワイラーならオードリーがまず第1候補にあったとしても不思議じゃないですよね。

「映画の友」1964年2月号 結局「サウンド・オブ・ミュージック」は65年に公開されていますし、延びるんだったらワイラー監督でもよかったような気もしますけどね。

 でももしワイラー監督のままでオードリーが主演だったら…。
 63年はオードリーが「ハワイ」(フレッド・ジンネマン監督バージョン)と「卑怯者の勲章」を撮って、64年には「サウンド・オブ・ミュージック」、
 ジュリー・アンドリュースは「マイ・フェア・レディ」だったらどうなっていたんでしょうね。

 オードリーは撮影時期からも「マイ・フェア・レディ」と「サウンド・オブ・ミュージック」両方撮れた可能性がありますが、ジュリーは「メリー・ポピンズ」と「マイ・フェア・レディ」はどちらか1本だけ。
 やはりこれも運命だと感じざるをえません。

「映画の友」1964年2月号 ラジオの「映画音楽への招待ベスト10」では“ムーン・リヴァー”が公開からもう2年経っているのに、まだ9位に入っているのが凄いですね〜。

 あとはもう記事は無くって、日本通信販売センター芸能部ってとこのオードリーのプロマイドの宣伝。
 「シャレード」と「ティファニーで朝食を」のものですけど、この「シャレード」の画像、なんか貴重やん!

 「映画の友」誌の販売するキャビネ版写真もあります。最新作「シャレード」のものですけど、ブロマイドでは63年にリバイバルのあった「ローマの休日」と2枚ずつですね。これまた左端の「シャレード」の画像が珍しいやん!

 裏表紙はワーナーの広告ですが、“大作主義に徹したワーナーの豪華ラインナップ”と書かれている割には小粒なのが多く、残ったと言えるのは「マイ・フェア・レディ」と「アメリカ、アメリカ」くらいでしょうか。まあ「アメリカ、アメリカ」も今となっては微妙なところですが。


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この記事へのコメント
読み応えのある記事ありがとうございます。力作ですね。
この頃の映画雑誌の記事って面白いですね。
ハリウッドセレブの当時の様相が興味深いです。
日本でも俳優って河原乞食みたいに言われていて長く世間的な地位がすごく低かった話を聞きますが、ハリウッドでも元来そうだったんですねぇ。
グレン・フォードはそのあとどうしたんでしょう。確かに主演クラスで何本も映画があって大活躍なんですが、いまひとつ大スターになれなかったような・・・
僕なんかだと角川映画「復活の日」での米大統領役でもお馴染みです。
トップグループにカーク・ダグラスがいて、B・ランカスターはそういうのから距離をおくというのも意外でした。この二人は大親友で一緒にアカデミー賞授賞式でアトラクションをオリジナルで披露するほどの仲だったようなので・・・
そんなハイソな社会にオードリィが進んで入っていくわけがなく、
貴族の称号を忌々しく感じていて、母親が亡くなった後に葬ったくらいですから、実質的でないものを好ましく思わなかったでしょうね。

マイ・フェア・レディ
年々この作品の肝はオードリィだなという思いを強くしています。
ハリソンやハロウェイが当時すごく高く評価されて、ワーナー自身もこの二人と仕事できて光栄ですとまで言わしめたほどですが、
僕はこの二人がこの映画で”長さ”を感じさせる原因だと思っています。
特にアルフレッドの”時間通りに教会へ”のあたりになると疲れてきますね。
あとヒギンス教授の”歌(しゃべくり)”は同じような趣向のが4曲もあって飽きてきます。最後の曲”女というものは”なんて不要ではないかと。
作品を輝かせているのはオードリィですよ。
舞踏会から戻ったばかりの落胆・苦悩するシーンのすばらしさ
うなじでも演技してますもんね、もう全身イライザになりきっているのでは。
それほど素晴らしいのにいまだに吹き替えの件で過小評価気味なのは本当に残念です。
吹き替えなんて当時いっぱいいたのに、結構当たり前でもあったのに、
なんで彼女ばかり言われるのでしょうか?
たぶんそれだけ大物でたぐいまれなる個性があって、作品自体も空前絶後の注目作だったせいもあるのでしょう。ハードルがすごく高くなってしまって観客が見過ごせない違和感があるんでしょうね。

何年か前にWOWOWでマーニー・ニクソンの自伝番組が放映されました。
90年代のVHSレストア時の特典映像の嫌ァな内容を覚えているので躊躇しましたが、いざ見てみると予想を大きく裏切り、マーニーはオードリィに対してとても好意的だったのです。
「彼女は全力投球していて自分でやりたかったけど、それが無理だと分かると気持ちを切り替えて協力してくれました。プロ意識のある方です。それに毎日リムジンで迎えに来てくれたんです。あんな寛大な方って他にいないわ」
意趣返しが以前のインタヴューが不評でお叱りを受けたせいなのかどうかわかりませんが、今回のがお世辞のようにも見えなかったので、ひょっとしたら制作者の演出も関係していたのかもしれません。
またマーニーは映画スターになりたくて、断然オードリィのファンで彼女が目標だったとか。
ゴーストシンガーは自分の名前が出せないし評価もされないのですごく辛かったそうですが、秘密を公言してはならない鉄の掟があって(今なら考えられませんよね)、マフィアみたいな怖い方々に死ぬほど脅かされていたそうです。それでもバレたのは、デボラ・カーの”好意”だったそうで、「王様と私」での吹き替えぶりがあまりにも素晴らしかったので心からよかれと思って暴露したとのこと。
確かに「王様と私」のデボラとマーニー全く違和感なしですもんね。
吹き替えるときは、相手の出自(アクセントに影響)声質、役柄の特徴などを研究して合わせていくそうで、デボラとマーニーは相似性があってやりやすかったそうです。ウエストサイドのナタリーも(後述する理由で全く協力が得られなかったが)結果的にはなんとかなった。オードリィの吹き替えは本当に難しく、取り組んだ仕事のなかでも一番困難だった。(オードリィが協力してくれなかったわけでは断じてなく、あくまで声質や話し方など違い過ぎていた)
なので他と比べても完全にうまくいったとはいえないかもとも言ってました。
どうしても吹き替えだなと分かってしまい、当時の地声を知る観客は興ざめしてしまうのもあったんでしょうね。
ラブリーやショウ・ミーは乗れるんですが、スペインの雨あたりだとセリフと歌声で変わり過ぎてビミョーではあります。あなたなしでも・・・でも同様かな。
そこらへんは観るたびにいろいろ考えますね。こーしたらあーしたらどうだったんだろうと。
今に見てろのようにオードリィがほとんど地声で歌っていて他とのつながりとも完全になじんでいるのもあるので、うまくいっている箇所もあるのですが、踊り明かそうではリップシンクしてない箇所もありますね。
それでもナタリーよりはマシだったかもしれません。ナタリーとマーニーは声が結構似ているので自然なんですが、問題は最後まで本人に吹き替えすることを伏せていて、プレミアで初めてスクリーンで見て知ることになったということです。これってひどくないですか?サイテーですよね。ナタリーは激怒して途中で帰ったそうですが当然だと思います。
ちなみに堂々と歌ったよう見えるリタ・モレノも2曲ほど二人の歌手の吹き替えだそうです。もうなにがなんだか分かりません。
でそのうちの一人がマーニーで、マリアとの掛け合いはマーニーが一人二役で歌っているという、すごい実力だなぁ。

で話を戻すと、なぜオードリィの吹き替えばかりがいまだに但し書きのように注目されてしまうのか理不尽だなぁと
どうしても違和感がつきまとうのですかねぇ。もはや宿命なのか・・・
オードリィの本気声のトラックを廃棄してしまったCBSは救いのない大間抜け(怒)そりゃぁアーカイヴの保管は確かに大変かもしれませんが、それともわかっててやったのでしょうか・・・(怒)
ワーナーブラザーズの保管の杜撰さも有名で、ジュディ・ガーランド主演で同じJ・キューカー監督の「スタア誕生」なんて結構な長さで欠落していて行方不明になっていて復元は絶望的だそうです。
それに比べたら「マイ・フェア・レディ」はまだ幸運なのかもしれませんね。
Posted by まる at 2021年03月30日 00:12
まるさん、お誉めいただいてありがとうございます。
本当にこのころの記事はネットなんかが無いので、実際に現地に行って取ってきたとか現地特派員の話ってのが充実してますよね。

セレブのハイソサエティーの話はまるさんにも興味深いと言っていただけて嬉しいです。確かにこんなのはドロドロしてて面白いですよね。
省略したんですが、トニー・カーティスとクリスティーネ・カウフマンはすんなり入っていけたとかも書いてましたよ。
あと、婚約破棄になったナタリー・ウッドとウォーレン・ビーティは両方同時には呼べないとかってことも書いてました。

グレン・フォードはどうしたんでしょうね。僕は元々名前も知らない男優さんなんですけど…。なので確かにスターとして名を残した、とは言い難い感じですね。これ!っていう代表作もよくわからないですし。
そんな感じだとハイソサエティーからは脱落したまんまだったんじゃな
いでしょうか。

カーク・ダグラスとバート・ランカスターですが、ハイソサエティを牛耳っているのは夫人の方ですから、カーク・ダグラスも義務的な部分もあったんじゃないでしょうか。
オードリーを祭り上げる話もメルの方はかなーり刺身のつま状態ですからねー。本当にオードリーありきの夫婦だったんですね。

そういえばショーンの本ではオードリーは両親のナチ信奉を本当にイヤだと思ってたそうですよね。ファン・ヘームストラの姓もラストンの姓も両方捨てたみたいですね。となると、オードリーの正式な本名はオードリー・キャスリーン・ヘプバーン、ということになるんですかね?

「マイ・フェア・レディ」はまるさんのおっしゃる通りですね!
ヒギンズ教授とアルフレッド・ドゥーリトルの部分が見ててダレますよね。“時間通りに教会へ”と“女というものは”が特に蛇足的なのは僕も重そう思います!家で見るときなんか、そこは飛ばしてしまいますからね。特に“女というものは”は楽曲も大したことないのに何度もヒギンズが出てくるのでウザいです。
むしろその時間をイライザのアスコットから大使館までのイライザの再特訓を見せてもらえた方よかったです。と言ってもそれも繰り返しになるので、やっぱり冗長かも…。

未だオードリーが過小評価気味なのは本当に腹立たしいですよね。公開当時の日本ではほとんど言われなかったことなのに、今頃になって過小評価の人が増えるなんて…。
それらの人は「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」「ウエスト・サイド物語」「王様と私」にも同じことを言うんでしょうかね?きっと「マイ・フェア・レディ」だけあれこれ言うんですよね。

マーニ・ニクソンは確かに製作30周年のメイキングと、その後では変わりましたよね。WOWOWのでしょうか?マーニ・ニクソンのドキュメンタリー、家にありました。僕もまるさんに書いていただいたマーニの発言、覚えてます。

「ウエスト・サイド」のナタリーは完成版で初めて知ったと言うのはほぼ騙しですよね。そりゃナタリーも怒るなー…。
でも2人の歌の両方がマーニ・ニクソンだとか、もうカオスですよね。

それにつけてもCBSのアホたんは…。
今オードリーの完成版が残っていれば、「特別版」とか銘打ってサントラと2枚組にしてオードリーのバージョンも全部入れてCDとか出すことによって儲けられたのに!バカだなーと思いますね。
似たようなので気になるのはフランス語版と英語版が作られた「ロシュフォールの恋人たち」の2枚組サントラなんですけど、英語版の方での歌も収録されているとか。
そしたらフランス語版で吹き替えられてしまったジョージ・チャキリスとかジーン・ケリーの本当の声も入っているんでしょうかね?
(今、念のため楽天で調べてきたら、英語版で入っているのは1曲だけでした…。うーん、失われたジーン・ケリー!)

「スタア誕生」が欠落しているのは本編ですか!?それはヒドイ!
有名な作品だし、全編残っていると思っていました。ん?それとも試写にはあったけど、本公開でカットされたシーンとか?
色々バージョンがあるものは復元も大変ですね。「クレオパトラ」とか「アラビアのロレンス」も試写の時のバージョンに復元されてましたよね?
Posted by みつおみつお at 2021年03月31日 00:02
みつお様、記事を拝読してだいぶお元気になられたようで安心しました。陽気も良くなって来ましたから、お互いガンバりましょう。

さて「SCREEN」、何ともはやの有り様なのですね。定期購読していたのは半世紀も前ですし、十年ほど前までは行きつけの美容院で時々目を通していましたが…。先年版元が変わったそうですが、もはや寿命なのでしょうか。

また今現在、映画評論家と名乗れる御仁が果たして何人いらっしゃるのでしょう。映画ライターとかコメンテーターなどと軽い名前はしばしば見かけますが、双葉、淀川、津村、荻、深澤氏などはその方の評価でこちらも観るか否かを決めたりしたものですが。まあ'80年代のキネ旬あたりでもヒドいものでしたが。芸能レポーターがベストテン選考委員だったり。

「アラビアのロレンス」は、レストアに当たりスコセッシ、ルーカス、スピルバーグらのビッグネームが全面協力し、監督のデイヴィッド・リーンやピーター・オトゥールも健在だったからあれほどの作業が可能だったようで、また公開時あれだけドルを稼ぎましたから。「クレオパトラ」は会社傾けましたのでなかなか。

先月の入院中、担当に双子の妹さんも別の病院に勤務しているナースがいて、「雨に唄えば」や「踊る大紐育」が好きとのことなので「ロシュフォールの恋人たち」の「双子姉妹の歌」をスマホで観せました。気に入ってレンタルで観ますと言ってましたが。

未だリハビリで通院中です。陽気と共に少しずつ動くようになっては来ましたが。またよろしくお願いいたします…。
Posted by Edipo Re at 2021年03月31日 09:25
Edipo Reさん、こんばんは!
リハビリ頑張ってくださいね!僕も明日リハビリです。
体調は良くなってきてると思っていたのですが、昨日は少し動いただけでしんどく、今日の昼間は寝込んでいました。

「SCREEN」、本当に末期症状な感じがします。
この内容の無さは一体誰に向けて発信しているのだろう…と思います。
読みやすさ(というか読むとこないという方が正しい)は若者向けな気がしますが、紙媒体をあまり買わない若者向け、というそのちぐはぐさがもう末期の「ロードショー」と同じですね。今洋画が衰退しており、人気のあるスターもいない、という最悪な状況にあることもあって、売り上げは地を這うような状況なんでしょうね。

映画評論家はいなくなりましたよねー。今なら町山智浩さんが有名ですが、「いつも2人で」を著作で5回の旅と判断しているようで、ちょっと僕の中での信頼度が…。
映画のサイトに書いてある他のライターさんの文章でも、僕がよくわかるオードリーのことだといい加減なことが多いですからねー。
あとはネットで“自分が正しい”と思っている素人のネットのレビュー。
本当に頼れる映画評論家がいなくなりましたね…。

「アラビアのロレンス」はそれだけのビッグネームの人にも大事に思われているんですね。それにそういう素材も現存しているということは、映画会社にもやっぱり最上級の財産だと思われているということですよね。
「クレオパトラ」というと、どなたかの映画評論家の“いつセットを壊すのかと思っていたら、1つも壊れなかった”というのを思い出します。
僕自身は「風と共に去りぬ」の最初の覆面試写会での4時間半バージョンを見てみたいですけど、さすがに1939年のものは残っていないでしょうねー。

「ロシュフォール」、2008年だかにリバイバルして見に行って以来、僕も気に入ってます!やっぱりカラフルで内容も明るくて、僕の好きなタイプにピッタリマッチしたんだと思います。どの時のパンフレットでブリジット・バルドーとオードリーが最初にオファーされていたというエピソードにはビックリしましたが。
Posted by みつおみつお at 2021年03月31日 22:57
「リハビリは嘘をつかない」を信じて、お互いやって行きましょう!

そう、町山氏はなかなか視点がユニークですよね。時々勇み足があるようですが、「いつも2人で」もそれかな?

'86年くらいか「〜ロレンス」のLD初出の時、即購入したのですが最初のガイドを伴ってのアラブ行のシーンで何か違和感が。不審に思ってたらオアシスで休憩の際にオトゥールが右手に時計をしているので気付きました。プリントが写真で云う裏焼きだったのですね。本来左から右の進行方向が数分間逆で。当時評論家では岡俊雄氏のみが指摘してました。

また'88年にその完全版がプレミア公開された時、この国では東京国際映画祭で上映されたのみで一般上映は無し。これまたLDの発売を待つしか無く、ほとほと情けない思いを抱きました。バブル期なのに、いやそれゆえに名作を文化遺産と考えてもいなかったということなのか…。

「ロシュフォール〜」のオードリーとBBの幻の共演、爆笑しました!今日の日付から”Poisson d'Avril(エイプリルフール)”かと。とてつもなく豪華なキャストが実現したのに!う〜ん、残念…。
Posted by Edipo Re at 2021年04月01日 01:47
オードリーとBBの共演、爆笑されていたとはビックリ!
エイプリルフールには1日早いですよー笑。
そうなんです。ドヌーブの役にはBB、ドルレアックの役にはオードリーだったんでしょうね。
あまりにも似てない双子になりますね。
でも1966年製作という時期では、「マイ・フェア・レディ」のバッシングを引きずっていたオードリーにはミュージカルは演じられなかったでしょうねー。またも吹き替えですし。

でも「アラビアのロレンス」のフィルムの裏焼きはえげつないですね!
誰も気づかなくて商品化するというのが信じられません。
衣装の前合わせは無かったんでしょうか?
オードリーの写真でも裏焼きだと、洋服の前合わせが逆になっているので、なんでこれで売ってたり公開してたりするんやろーと思います。
女性は男性と前合わせが逆ですもんね。

でも「アラビアのロレンス」ほどの作品でも一般上映が無かったとは。
映画って賞味期限みたいなのはあって、時代と合わなくなってきたとか主演スターが人気が落ちたとかネタがバレているとか色々あるんですが、「アラビアのロレンス」は88年だと全然現役なのになんででしょうね。88年というとヘラルドは過去の名作を続々と公開していた頃だし、需要はあったはずなんですが…。
でもヘラルドはその価値に気づいてリバイバルしていましたが、本来の映画会社は自分のとこの過去の名作はスルーしてたりしてましたからねー。
Posted by みつおみつお at 2021年04月01日 22:46
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