2019年05月29日

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」

 こないだここのコメント欄にオーストラリアのIPアドレスから、0.5ビットコイン(約40万円)を払え!さもなくば…っていうスパムコメが5つぐらい書かれてました。
 まあ貧乏でどうせ払えないので、さっさと削除しましたが、調べると最近はこういう詐欺メールとかがめっちゃ多いみたいですね。皆さんもお気をつけください。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 さて、これは出たばかりの河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」という特集号です。

 特集号っていうカテゴリー自体に書くのが本当に久しぶり!2009年の「別冊宝島 オードリー・シネマスタイル」以来10年ぶり!
 それまで全然こういうのは出てこなかった、というわけですね。

 最近のオードリーものとしては、文章がとんでもないのが付いている翻訳物の「永遠のオードリーファッション」とか、キャプションがいい加減なクレヴィス社の写真集だとか、あまりに酷すぎて未だにここで紹介していない同じくクレヴィス社のオードリーの伝記「オードリー・ヘプバーン 彼女の素顔がここに」とか、☆マークを全然多くはあげられないものばかりだったので、これは久しぶりに良いものに当たった!という感じです。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 この本は写真もあるのですが、基本は文章がメイン。紙質も写真むきではない上質紙系のもの。
 おや、これってオードリーが亡くなった時に出た読売新聞社の「一読三嘆!ヘプバーンへのレクイエム」を思い出す…と思ったら、判型も同じサイズでした。

 これ、出る前に不安だったので河出書房新社さんにどのような内容なのか、資料はどこから引いてくるのかを尋ねたら、編集者でありライターの佐野亨さんからわざわざお返事をいただきまして、1冊献本していただけることになりました!ので、発売日は5月28日ですけど、実は25日には到着していました。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 なんと、佐野さんにはこちらのサイトも見ていただいてるとのことでビックリ!
 でも献本をしていただいても、もしかしたらこき下ろすかもしれませんよ?と却って恐縮だったのですが、“いいですいいです。書いていただいて。”と言っていただいたので、一冊いただくことになりました。

 先に全部を読んで思ったことを書くと、日本が海外と違うのはオードリーをずっと愛してきたということ。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 欧米では正直60年代後期〜80年代まではほぼオードリーのことは忘れ去られていたに等しい扱いだった、というのがあります。
 “海外では日本ほどオードリーの人気がない”と言われていたのもこの辺の話ですよね。

 欧米でオードリーが復権したのは87年ごろのユニセフの活動が取り上げられてから。人格的に素晴らしい!ということで映画が後からついてきた。

 でも日本はそうじゃありませんよね。「暗くなるまで待って」までももちろんのこと、オードリーが半引退状態だった70年代も「エクスラン・ヴァリーエ」があったし、世界中のどこよりもオードリーを大事にしていた。日本からのファンレターは途切れることなく届いてたことはルカも証言してますしね。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 さすがに「華麗なる相続人」の後は日本でも人気が落ちて「ニューヨークの恋人たち」は未だに未公開のままだけど、82年には「銀座リザ」、83年にはオードリー初来日と途切れてたわけではなかった。そして85年の「噂の二人」から始まる日本ヘラルドのリバイバルでまたまた大ブームになった。

 なのでオードリーの人気というのは日本では1954年以来ずっと地続きなんですよね。だからオードリーのことをどの時代でも持ってこれる。

 欧米はそうじゃないからどうしても空白の部分があって、誰に聞いてもおそらくよくわからない。だから昔の雑誌などの資料に頼るか、87年以降のユニセフのことになるか。そして信頼性の低いものを含めた伝記に頼った借り物の言葉になってしまうんですよね。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 海外のオードリーの伝記も最初期のものはともかく、最近のはみんな自分の足で調べたものじゃなくって、過去の伝記からの寄せ集めの物ばかり。なのでホント玉石混淆。
 玉も石も見分ける力がなさそうな人が著したオードリー関連の物が本当に多いです。写真集も裏焼きばかりだしね。

 日本でも最近ではそういう海外の伝記に頼らないといけない部分もあって、“こうです!”って言いきれていないのはこの本でも感じるんですが、日本だけが本当のオードリーを見分けられる力を唯一持っているんだろうなーと思います。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 そういう意味でも、この本がこれだけオードリーに関する文章を揃えられたっていうのは日本だから、だと感じます。
 (もっとも、日本でも最近のクレヴィス社の展示会やら本やらは海外並みに知らない人が作ったエセ臭がプンプンしますけどね)

 まず写真は少ないです。でもチョイスはなかなか!「許されざる者」とかおんなじのばっかりしか最近は出てこない作品とかも珍しいのを使ってくださってるし(↓最後の写真)、ヴォーグやグラマーといった雑誌から載せているオードリーの写真は可愛くて珍しいものがあったりします!

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 ただ…写真についてる年度がめっちゃ間違い多いです。これは大幅減点。早速河出書房新社さんには伝えておきましたが、もし再版することがあれば訂正が入るそうです。

 まず表紙。髪型もコートも「麗しのサブリナ」のものですが、1957年になってます。メイクも全然違いますよね。

 総扉(2つ目の写真左)、1955年になってますけど、これは「ローマの休日」撮影後の1952年〜53年のポートレート。

 表3(裏表紙のめくった前のページ)の晩年のポートレートが1990年になってますけど(写真未掲載です。スミマセン)、そのちょっと前、p173で同じ衣装(3つ目の写真)、同じポーズ、同じ椅子に座っているものが1992年になってます。どっちか違いますよね。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 表4(裏表紙。4つ目の写真)も“「ティファニーで朝食を」撮影現場にて”ってなってますけど、これ明らかに「噂の二人」の髪型で、オードリーとシャーリー・マクレーンが洗い物とかしているシーンの衣装だし…。

 本文でもかなりの間違いが…。まずアルバムのページの最初(5つ目の写真右)は明らかに「昼下りの情事」後(1957年)の髪型とメイクなのに1951年。
 その横(5つ目の写真左)の歯の矯正をしていない若いオードリーが1953年。これは1950年か51年ですね。少なくとも「ローマの休日」よりは前です。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 さらにめくって「昼下りの情事」(撮影なら1956年or公開なら57年)の衣装で橋の欄干にもたれるオードリー(6つ目の写真)が1953年。これ、p119にも全く同じ衣装と髪型で出てて(7つ目の写真)、そっちはちゃんと「昼下りの情事」になってるのにね。

 p11の明らかに「ローマの休日」以前のイギリス時代のオードリーの画像(8つ目の写真)が1955年。なのに同じ衣装を着ているp19では「モンテカルロへ行こう」の1952年になってます(9つ目の写真)。だいたいこれが「モンテカルロへ行こう」なのかという問題もありますが、まあその時期の撮影ではありますよね。

 フィルモグラフィーに入っても「若気のいたり」として載ってる画像は「素晴らしき遺産」のシガレットガールだし、その下の「素晴らしき遺産」に載ってる方は「初恋」のオードリー(10個目の写真)。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 飛んで、後半のアルバムでも、p168の1968年、「暗くなるまで待って」のアカデミー賞授賞式でのオードリーが1975年になってます(←の写真右)。
 このページは横の「ロビンとマリアン」用の宣伝写真が美しいですね!

 これらのポートレートの画像に関しては、年の表記はない方が良かったかも…と思ってしまいます。
 こういうのは言ってくださったらタダでもいいので校正するのにー!

 まあこれらの画像はいろんな所からのレンタルなので、その元々の会社がこれらのいい加減な年度でレンタルしてるのかもしれませんけどね(なんせ権利元になってる海外の人がオードリーのことなんてよく知らないみたいですしね。というか、本当にそれらが権利者なのか、というおおもとのところも疑問。なんで「スクリーン」誌を持って写っている「スクリーン」用に撮った写真とかが海外の誰かが権利元でレンタルしてるわけ??ありえないでしょー!)。

 でもこの本のウリはそれらの画像にあるのではなく、やっぱり文章の数々にありますよね。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 まずは声のオードリー、池田昌子さん(→右の写真)の最新インタビュー!今年の4月に収録されているそうです。

 軽く池田昌子さんの経歴から始まって、オードリーをアテる時の池田昌子さんの心情などが興味深いです。
 何度もオードリーを吹き替えるにつれて、「私はとてもこんな風に演じられない!」と押しつぶされそうだったという池田昌子さんが意外でした。

 オードリーの演技として、素直に自分の感情を出しているだけだと思うので、その演じているオードリーよりもどんどん池田昌子さんの方が年齢が上になっていったであろうのに、それでもプレッシャーだったのかー!みたいな。

 それに、池田昌子さんのもう一つの代表作「銀河鉄道999」のメーテルもプロデューサーに「メーテルはオードリーですね」と言われたとか。

 ナレーションなどでも「オードリーのようなしゃべり方で」とお願いされることもあるのだとか。でもそれはどうすればいいかわからない、とおっしゃってます。でも「マイヤーリング」の予告編だとか、10年ほど前?だったかな、オードリーを使った化粧品の映画館での宣伝でも池田昌子さんがナレーションでしたから、明らかにそれはオードリーを求められたでしょうねー、って思いました。

 最後に特に印象深いオードリー作品は?という質問がありますが、ここでの池田昌子さんの答えが“やはり最初に吹き替えた「許されざる者」が映画自体もとても好きな作品でしたし、印象に残っています。”というのが嬉しい!
 「許されざる者」なんて、おそらく1回しか吹き替えをしてないと思うんですけど、それでも挙げてくださるんですね。

 それ以外には定番の「ローマの休日」、それと何度も涙で先を進められなかった逸話のある「噂の二人」を挙げてらっしゃいますが、“どれか好きな作品を1本選んで欲しいと言われても難しい”とおっしゃってます。

 こういう質問でもったいないのは、僕が質問するなら(オードリー本人にも)、“どの作品が好きですか?”ではなく、“それぞれの作品の思い出を教えてください。”になるだろうなーと。
 きっと各作品で思い出があるだろうし、その時の池田昌子さん(あるいはオードリー)の心情が聞けたら嬉しいなあ〜と思うのですよね。

 オードリーもそうですけど、「ローマの休日」みたいに“ローマです!”ってきっぱり言い切るんっじゃなくって、“それぞれどの作品にもいいところが…”っていうのは最初のアン王女みたいに“言わされてる”という形じゃなく、自分の意思で言ってますよね。

 だから“どの作品が?”ではなく、“各作品で”って質問にしたいんです。今では全然放送されない「いつも2人で」とかの思い出を聞いて見たいんですよね。

 でも本当に池田昌子さんの「緑の館」「初恋」「マイヤーリング」「ニューヨークの恋人たち」「おしゃれ泥棒2」は急いで欲しい!
 SEがなくて、別の音楽を使用してしまった「暗くなるまで待って」「いつも2人で」も新録音が欲しいし、テレビサイズのため欠落部分がある「おしゃれ泥棒」「噂の二人」「華麗なる相続人」なども全部吹き替えてほしいです!

 次は瀬川裕司さんによる“終戦までのオードリー”。ここでは9冊の伝記をチェックしてみて、“内容が凄まじく異なっていることに驚いた。”となってます。
 確かに!本人が書いたわけでもないし、オードリーと同じ時代を歩んだ人が書いたわけでもないので、異なるのは仕方ないですよね。信頼性が極めて低いのも有るし。

 そんな中で、オードリーに関する戦争のことも書き方が揺れています。“という説もある”というのが非常に多いんですよね。これが今のオードリーに関する書き方になってしまうかなーと思いますね。

 書き方が揺れるのは次の“乙女と寝台”を書いた大久保清朗さんも同じ。吉村英夫氏が自分の妄想とダイアナ・メイチックのデタラメ本から勝手にオードリーを作り上げた時代とは違うんですね。

 大久保さんの文章で“おおっ!”と思ったのは、引き合いに出されている山田宏一さんのオードリー評、“最高にパジャマが似合う女優”。
 確かにオードリー映画にはパジャマやネグリジェが多い!いや、もしかしたら他の女優さんにも有るのかもだけど、オードリーはガウンを含めるとほとんどの作品で出てくる!

 シャツをパジャマにしている「ティファニーで朝食を」とか「いつも2人で」とかは最高にカッコいいし、「パリで一緒に」のネグリジェはもうお姫様ですよね!

 「パリの恋人」「シャレード」というスタンリー・ドーネン監督作品に対する「すでにある誰かの反復」という扱いは大久保さんに同意しかねるものの(僕はドーネン監督はオードリーでなくてもいい作品で、最もオードリーらしさを引き出した監督だと思っているので)、「いつも2人で」を過去のオードリーのイメージを更新した傑作だと褒めてもらってるので、読後感は悪くはないです。

 次からは再録のエッセイが入ります。
 中野翠さん、イッセー尾形さん。どちらも面白くて、つい“ふふっ”てなってしまう内容。そしてどちらも1992年のまだオードリーが存命の頃のもの。

 次も再録だけど、これはよーく知っている双葉十三郎さんの「カタログ オードリー・ヘプバーン」からのもの。
 双葉さんの文章は、ここでは共演者全員を書かないといけないので、さらっと流れてしまいますけど、「パリの恋人」や「許されざる者」などを気に入っている双葉さんが見えます。

 そしてここで選ばれている「昼下りの情事」「尼僧物語」「いつも2人で」の画像は珍しいもの。「昼下りの情事」はオードリーがいない写真なので、まあ珍しいのは当然ですけど笑、なんか嬉しい。
 「許されざる者」も知ってるけど、これ最近では採用率低いですよね。「ティファニーで朝食を」はこの足まで写ってるのはあったっけ?

 その次は“ミュージカル映画のオードリー”ということで篠儀直子さんという方の文章。
 この方はフレッド・アステアの自伝も翻訳されているようで、そのため前半の「マイ・フェア・レディ」よりも後半の「パリの恋人」の方が詳しく述べられています。

 そしてここで思うのはこの方のスタンリー・ドーネン論。先に書いた大久保清朗さんの文章がとても「キネマ旬報」っぽい(作品からオードリーを捉える)と思うのに比して、篠儀さんの文章は往年の林冬子さん、南俊子さん、小藤田千恵子さんに連なるような“オードリー評論家”(オードリーに焦点を当てる)としての捉え方。

 オードリーファンとしては篠儀さんの「パリの恋人」「シャレード」「いつも2人で」の掴み方の方がしっくりきます。そしてオードリーが歌ったのに歌えなかった「マイ・フェア・レディ」にも優しい視線を感じます。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 この方の他のオードリー作品論も読んでみたい!そう思わせる内容でした。篠儀直子さん、覚えておきますね。
 ちなみにここでは「パリの恋人」のダンスレッスンをするオードリーとアステアの珍しい写真が見れます(→)。

 次は再録で2000年の鷺沢萌さんの文章。ここで面白かったのは、若い子たちが「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」を見て感想を言うのを聞いて、「オマエら他に見てねえだろ!」って言うところww。

 2000年の10年ほど前の話なので、おそらくオードリー大ブーム時の1990年頃の話なんでしょうけど、確かに80年代前半までの“どの時代のオードリーも好き。”というのからは軸足がずれてきてる頃の若い子たち。
 なんとなく若い頃のオードリーだけがもてはやされて来はじめた頃ですね。

 と言ってもその時代はまだどの作品もリバイバルされてたけど、今はもっと50年代のオードリー偏重になってますよね。さらに正確に言うと「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」だけのオードリー。あとは「ティファニーで朝食を」。

 この鷺沢萌さんの第1位は文句なく「暗くなるまで待って」とのこと。第2位は「シャレード」ですと。いやー、シンパシー感じるなー。
 そして池田昌子さん以外がオードリーの声を演じることを、“あたくし許さなくってよ”と池田昌子さんの「エースをねらえ!」のお蝶夫人の口調で言うところとか、僕も頭の中でお蝶夫人で再生されましたがな笑。

 次は雑誌の表紙が並ぶのですがl、ここは本当はカラーで欲しかったところ。67年8月号の籐椅子の「いつも2人で」は本物が欲しいなあー。

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 その後には海外のフォッション雑誌で掲載されたオードリーの写真。これまたカラーで見たいところですけど、最初のグラマーとヴォーグの画像のオードリーがめっちゃ可愛い!!(←左の写真)
 「マイ・フェア・レディ」でのバッシングが無ければ、もう少しオードリーは若々しかった時代が続いたろうに…と思います。

 その次の「マイ・フェア・レディ」のエキストラの衣装を着るオードリーの左の写真も珍しい!

 次は再び再掲もので女性誌「SPUR」がオードリーの死後に発行した「永遠のオードリー・ヘップバーン」から長沢節さんのバレンシアガのサロンで会ったオードリーの文章。

 これは長沢節さんの文章より、本誌「SPUR」では物凄く優れた特集だったのに、追悼としてまとめるとなんでこうなるかな〜…と言うガッカリ度が物凄く高かった印象の本。珍しく美しかったカラーの写真は全部省かれて、モノクロの単調な出来になってしまってました。
 それでも最近の国内外の本と比べると、ずっとずっと優れた日本ならではの写真集でしたね。

 次の山崎まどかさんの文章はほぼ諸手を挙げて賛成!特に黒柳徹子さんの玉ねぎ頭が実は60年代後半のオードリー(と言うか、「暗くなるまで待って」のオードリー)を意識したのでは?と言うところ、僕もずっとそう思ってました!ついでにいうと小森のオバチャマもね。

 でも「ローマの休日」ってアメリカの興行収入で10位内入りましたっけ?そして50年代には他には「戦争と平和」だけと。
 確かオードリー作品で50年代にベスト10に入ったのは「戦争と平和」と「尼僧物語」だけのはず…。

 昔は「スクリーン」がアメリカのそれぞれの年のベスト10を集めた写真集を出してましたけど、今はネットを見ても正確なベスト10を載せてるところが無いような…。
 オードリー作品でアメリカのその年のベスト10に入れたのは、「戦争と平和」「尼僧物語」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」だけだったと思います。

 そしてアメリカでは“青春”を演じられる女優がいなかった…これはそうなんでしょうねー。だからこそコレットが青春を生きるジジでオードリーを欲しがった、と。

 そして異端だったから色褪せなかった、と言うのは僕も前から書いていることで、それは「ティファニーで朝食を」のパーティーシーンが顕著ですよね。
 他のモブ俳優さんが全て時代を感じる古めかしさなのに、オードリーだけが時代を超越しているという。

 だからこそオードリーの代表作で、原作者になんと言われようともオードリーがホリーで正解だったということですよね。マリリン・モンローではこういう時代の超越はできなくて、おそらく1960年らしい作品になってしまっていたと思います。
 これは「マイ・フェア・レディ」のアスコット、「麗しのサブリナ」のパーティーシーンでもはっきりしますよね。

 そしてオードリーを称える言葉やオードリーの各国のポスターの後で、懐かしい!「虹のヲルゴオル」の橋本治さんの文章が再録されています。

 久々に読んでみると、橋本治さん、「いつも2人で」を5回の旅と思ってるし、3回目の旅を見事に新婚旅行だと思ってる。まるで昔のWikipediaを見てるよう…。

 でもそんなことがこの橋本治さんの言いたいことではなくって、旅の順番も回数も間違っていても、それでもオードリーの紐解き方が凄いんですよね!
 この橋本治さんの文章はとても好きです!

河出書房新社 文藝別冊「オードリー・ヘプバーン 妖精、そして女性として」 その後には森下くるみさんや菅野優香さんの文章が続きます。

 そして再度オードリーの写真が続き、最後には2019年4月時のオードリー作品のDVD&ブルーレイ商品紹介があるのですが、「ニューヨークの恋人たち」が未発売なのは悲しいですが、まあわかっていることなんですけど…「噂の二人」が廃盤ですと!?

 確かに20世紀フォックス(現在ユナイト作品の権利を持っているのはここ)のサイトを見に行っても「噂の二人」がヒットしないっ!!
 まだアマゾンには在庫があるようですが、いずれ無くなるのかな?それともまた廉価版が出てくるのか…。

 でもユナイトはMGMに吸収され、そのMGMは元々コロムビア映画だったソニー・ピクチャーズに配給権が移り、今は20世紀フォックス傘下が配給していて、その20世紀フォックスはこないだディズニー映画に吸収されてしまったという…。今は20世紀フォックスで大規模なリストラがあるとか、こないだニュースになってましたね。

 アメリカの大きな映画会社だったそれらの会社の実質的な実態が無くなっていくみたいなのはなんか悲しいですね。

 ディズニーが20世紀フォックスを買収したというのは、僕的にはあんまり嬉しくないですね。4000人リストラというのもですけど、日本のディズニーランドでもキャストに対するブラックな感じが、なんか “夢を売っているけど、でも…”みたいな部分が見え隠れするので。

 20世紀フォックスとディズニーはちょっと毛色も違う気がするので、ディズニー色に染められるのは不安です。
 ディズニーだったら「いつも2人で」は作れなかったのでは?…そう思うんですよね。

 後「モンテカルロへ行こう」がここでは廃盤になってますけど、アマゾンで見たら4Kレストア版でDVDとBlu-rayが出るみたいです。
 「いつも2人で」なんて未だにレターボックス収録DVDしかないのに、なんて贅沢な!

 それと、もう「緑の館」はオンデマンド版しか出ないんですかね…(ー△ー)
 「若気のいたり」と「オランダの7つの教訓」はとっとと出して欲しいです。

 編集後記は佐野亨さんが書いておられます。

 全体を通して、やっぱりこれは先に書きましたけど、日本ならではの読本だということですね。
 これは絶対に海外では出せないものです!空白期間なしにオードリーのファンだった日本だから書けた文章たち。

 再録があったのは、だんだん日本でも昔からのオードリーと断絶している世代が多くなってきてるから、まだ断絶してない世代の文章の方が的確かつ輝いているからだったりする、ということも関係してるのかな?とも思ったり。

 でも本当に久々にいいものを読ませていただいた!と感じました!僕的にはオススメ度が高いです!

オススメ度:★★★★(星1つ減点なのはポートレートの年度がむちゃくちゃだったからです。でも最近では星4つなんてめっちゃ久しぶりっ!!嬉しい!)




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この記事へのコメント
欲しいです。
妻の許可待ちですね。
Posted by 明智常楽 at 2019年05月30日 18:18
これは久々のオードリー論ですね!
僕もこういうのを待ってました!(*^▽^*)
Posted by みつおみつお at 2019年05月30日 20:53
間違い探しみたいになってしまいますが、大久保さんが書かれていた「イザベラ・ヘプバーンがオードリーの父の先妻」というのは残念ながら誤りだと思われます。(この人はオードリーの曽祖父の最初の妻だったはず)
Posted by take at 2019年05月31日 23:46
takeさん、こんにちは!

あまりオードリーの先祖とかに興味がないせいか、オードリーとヘプバーン家には繋がりがない、ということしか覚えてませんでしたが、確かに先祖に関して一番詳しいアレグザンダー・ウォーカーの伝記では曽祖父の最初の妻ですね。

ヘプバーン姓と関係がないとは書いていないバリー・パリスの伝記でも、やはり曽祖父の妻であって、オードリーの父の妻ではないですよね。

ん?大久保さんってどこからひいてきたんでしょうね。
もしかしたらオードリーの曽祖父もオードリーの父と同じジョゼフ・ラストンという名前なので斜め読みで混同したのか…と思いますよね。
Posted by みつおみつお at 2019年06月01日 08:52
これ、好著ですね!
僕も気に入っています。
読み物として面白いし、シンパシーを感じますね。
写真集として捉えると、キャプチャー間違いはショーン並にヒドイし、
印刷画質も良くないけど、結構珍しいものありますね。
53頁の「許されざる者」
額に線が引かれていて屋外だなんて、
完全にカットされているシーンですね。
83頁のドーネンとのショットは、たまに見かけますが、
こんなに大きく紙面で見れるのは嬉しい。
102頁のセシル撮影ポートは初めて見ます。
いったいどのくらい埋もれているのがあるのだろう。
でもでも、本作の真髄は文章でしょうね。
虹のヲルゴオルなんて懐かしいです。これ大好きでした。
(いつも間にか手元から行方不明になってしまった)
それに池田昌子さんのおっしゃる
“オードリィは役を生きている”というのも分かります。ああそうだな~
フレッド・アステアは年齢差とロマンスの信ぴょう性に危惧し、
現場で当たり散らしていたなんて知りませんでした。
ボギーやケイリーが過敏になっていたのは知っていましたが。
ドーネン映画の特にミュージカルにおいて印象的なのは、
その途切れることのない時間的な流れというのも共感覚えますね。
他にもいろいろありますが、
とにかく面白かったです。
Posted by まる at 2019年06月02日 10:41
まるさんも気に入っていただけましたか!(^-^
こういうオードリー論みたいなのって海外物には一切無いですよね。
少なくとも1冊も翻訳されてない。
常に海外のって作品の評価か伝記か伝記を元にしたエレガントの方法、みたいなものばかりで、まともなオードリー論に出会ったことないです。

“ショーン並みにヒドイ”笑。
画像は確かに珍しいのが多いですよね。作品別の所でも「パリで一緒に」とか「ニューヨークの恋人たち」とかも珍しいですよね。

「許されざる者」はこれはどんなシーンだったんでしょうかね。
ジョニー・ポーチュガルと逃げる案もあったというので、その場面かもですね。

83pのもあんまり見ないですし、102pのはオードリーがめっちゃ幼い感じですよね。髪型のせい?
この顔で花売り娘を演じていたら、誰も“オバさん”なんて言わなかったでしょうに。
花売り娘は最後に撮り直しとかあったみたいなので、オードリー疲れてたんでしょうか。

「虹のヲルゴオル」は、でもオードリーのとこだけだと完全版じゃない気がするんですよね。マリリン・モンローのところのオードリーとの対比、アメリカが「エヴァの匂い」をやったら「ティファニーで朝食を」になる、とか、他にもオードリーが色々語られてるので…。

アステアの当たり散らしていた、というのはちょっと眉唾だと思ってます。
本当にそんなに荒んだ現場だったら、オードリーがアステアの肩でメモを取るとかの雰囲気は絶対にできないだろうと…(アステアも笑ってる)。
暗室の踊りとか多少厳しくダンスの指導はしたかもしれませんが、当たり散らしていた、というのは違うと思いますよ〜。
「パリで一緒に」の現場が雰囲気悪かったというデマと同じで、こんなの聞いたことないですしね。
お互い共演を望んでただけあって、きっと現場も楽しかったと信じてます。(^-^)
Posted by みつおみつお at 2019年06月02日 21:29
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