2022年11月18日
「週刊女性」1993年2月9日号 哀惜“ヘプバーンさん逝く”
オードリー没後30年に向けての追悼記事第2弾は、女性誌「週刊女性」1993年2月9日号です。
こないだ紹介した「女性自身」でも書きましたが、この号では皇太子殿下と小和田雅子さま(現在の天皇陛下と皇后陛下)の婚約が決まったというのと、オードリーが亡くなったというのが2大ニュースでした。
「女性自身」ではオードリーが表紙でしたが、こちらでは皇太子殿下と小和田雅子さまが表紙です。
表紙では右端に “哀惜 スクリーンの妖精ヘプバーンさん逝く 私生活 明と暗” と書いてます。
こちらは2色刷りのグラビア3ページ、本文2ページが割かれています。
「女性自身」がグラビアでは大きな(そして平凡な)画像が大きく3つでしたが、こちらは小さな写真をいっぱい載せています。
こちらには貴重な83年来日時の画像が2枚も載っているし晩年の珍しい画像も2点あるしで、個人的にはグラビアの画像の選択はこちらの方が好み。
若い時のグラビアで “ファンの祈りも空しく、奇跡はついに起こらなかった──。”、3ページめの晩年の大きな画像のキャプションで “昨年11月のガン告知から2か月半。ついに力尽きたオードリー。” と書いてあるのが悲しい…。
30年前のオードリーは今まさにガンと闘ってたわけですよね。
そしてオードリーは手術後 “余命3か月”と言われたはずなのですが、3か月すらもたなかったわけですよね。
本文ページでは “最期はロバート・ウォルダーズ氏が手を握り、ショーン、ルカの2人の息子が看取った。”と書かれてるのですが、こういうのはまだはっきり明らかになる前はなんか美談的なもので記事が書かれますよね。
逆に嫌われてる人だと、わざと印象悪くなるように書いたり。
のちにショーンやルカの伝記でわかりましたが、最期はショーンは上から突然呼ばれたと書いてましたし、ルカはショーンに映画にでも行ってくるように言われてて、オードリーの訃報を聞いたのは映画館でだったとか。
他には “〈妻〉として〈母〉としての幸せは薄かった。”とわざわざ太字で書かれているのがまた悲しい。
でも〈妻〉としてはともかく、〈母〉としてはオードリーは幸せだったはずですよね。
まあショーンが生まれた頃はまだ女優業は現役でしたから、撮影の間はなかなか会えないのが母としてはちょっと悲しかったかもしれませんが。
でもベッタリ子供のそばにいる今の日本と比べると、テレビドラマの「奥さまは魔女」とかをみると、アメリカのお母さんとかはわりとすぐに伯母さんとかいとこに赤ちゃんを預けて、しょっちゅう出歩いてますね。
だいたい欧米って寝るときは赤ちゃんは1人で子供部屋ってのが日本では考えられないですね。
何かあったらどうするの!?って思っちゃいます。
でも生きている時の母としてのオードリーは幸せだったでしょうが、むしろオードリーの遺産で兄弟で裁判沙汰になっている今の息子たちの方がオードリーの母としての幸せが薄いですよね。
オードリー、草葉の陰で泣いてるよ…。
それと、本文ではウォルダーズのことは“結婚しない大人の関係”として夫とずっと書いてるのですが、小見出しでは “愛人”と書いちゃってるのがなんとも…。
この当時はまだ “パートナー”って言い方がなかったですもんね。
大見出しでは “マイ・フェア・レディ オードリー・ヘプバーンさんガン死” そして “淑女”と「マイ・フェア・レディ」を全面に押し出してますね。
確かにオードリーが亡くなった時の見出しでは “フェア・レディ”とされていた記事も多かった気がします。今なら「ローマの休日」一辺倒でしょうけどね。
こないだ紹介した「女性自身」でも書きましたが、この号では皇太子殿下と小和田雅子さま(現在の天皇陛下と皇后陛下)の婚約が決まったというのと、オードリーが亡くなったというのが2大ニュースでした。
「女性自身」ではオードリーが表紙でしたが、こちらでは皇太子殿下と小和田雅子さまが表紙です。
表紙では右端に “哀惜 スクリーンの妖精ヘプバーンさん逝く 私生活 明と暗” と書いてます。
こちらは2色刷りのグラビア3ページ、本文2ページが割かれています。
「女性自身」がグラビアでは大きな(そして平凡な)画像が大きく3つでしたが、こちらは小さな写真をいっぱい載せています。
こちらには貴重な83年来日時の画像が2枚も載っているし晩年の珍しい画像も2点あるしで、個人的にはグラビアの画像の選択はこちらの方が好み。
若い時のグラビアで “ファンの祈りも空しく、奇跡はついに起こらなかった──。”、3ページめの晩年の大きな画像のキャプションで “昨年11月のガン告知から2か月半。ついに力尽きたオードリー。” と書いてあるのが悲しい…。
30年前のオードリーは今まさにガンと闘ってたわけですよね。
そしてオードリーは手術後 “余命3か月”と言われたはずなのですが、3か月すらもたなかったわけですよね。
本文ページでは “最期はロバート・ウォルダーズ氏が手を握り、ショーン、ルカの2人の息子が看取った。”と書かれてるのですが、こういうのはまだはっきり明らかになる前はなんか美談的なもので記事が書かれますよね。
逆に嫌われてる人だと、わざと印象悪くなるように書いたり。
のちにショーンやルカの伝記でわかりましたが、最期はショーンは上から突然呼ばれたと書いてましたし、ルカはショーンに映画にでも行ってくるように言われてて、オードリーの訃報を聞いたのは映画館でだったとか。
他には “〈妻〉として〈母〉としての幸せは薄かった。”とわざわざ太字で書かれているのがまた悲しい。
でも〈妻〉としてはともかく、〈母〉としてはオードリーは幸せだったはずですよね。
まあショーンが生まれた頃はまだ女優業は現役でしたから、撮影の間はなかなか会えないのが母としてはちょっと悲しかったかもしれませんが。
でもベッタリ子供のそばにいる今の日本と比べると、テレビドラマの「奥さまは魔女」とかをみると、アメリカのお母さんとかはわりとすぐに伯母さんとかいとこに赤ちゃんを預けて、しょっちゅう出歩いてますね。
だいたい欧米って寝るときは赤ちゃんは1人で子供部屋ってのが日本では考えられないですね。
何かあったらどうするの!?って思っちゃいます。
でも生きている時の母としてのオードリーは幸せだったでしょうが、むしろオードリーの遺産で兄弟で裁判沙汰になっている今の息子たちの方がオードリーの母としての幸せが薄いですよね。
オードリー、草葉の陰で泣いてるよ…。
それと、本文ではウォルダーズのことは“結婚しない大人の関係”として夫とずっと書いてるのですが、小見出しでは “愛人”と書いちゃってるのがなんとも…。
この当時はまだ “パートナー”って言い方がなかったですもんね。
大見出しでは “マイ・フェア・レディ オードリー・ヘプバーンさんガン死” そして “淑女”と「マイ・フェア・レディ」を全面に押し出してますね。
確かにオードリーが亡くなった時の見出しでは “フェア・レディ”とされていた記事も多かった気がします。今なら「ローマの休日」一辺倒でしょうけどね。
Posted by みつお at 20:00│Comments(0)
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