2021年04月02日

えーーーーっ!って僕なら買わない洋書。

 今回は新しい本の紹介、ではなくって、えーーーーっ、嘘やろ!??こんなのよう出すなーっていう批判です。

 本はこれ。「Audrey Hepburn Trivia Book」ってやつ。

 下の画像はクリックするとアマゾンに飛びます。



 こんなの絶対買わない。中身見る前から何がトリビアや!って怒鳴りたくなります。

 だってねー、この表紙の写真、オードリーですらないやん。
 オードリーに似せたメイクと髪型をした誰か。

 こんなオードリーと他の誰かも区別できない人が書いた“トリビア”なんて本なんか絶対に当てにならん。
 一体誰が買うの?こんなん。

 著者は…タンジ・ヨシトキ…日本人?日系人?オードリー関連で聞いたこともない名前。

 うわー、ホンマやめて欲しい。
 オードリーの名を堂々と冠して、オードリーの写真ですらないものを表紙で使うとかあり得へん。
 …てことはショーンやルカの許可すら取ってないんですかね。

 ネットとか見てると、オードリーの画像じゃ無いものをオードリーだと言って売ってるTシャツとか缶バッチとかスマホケースとか明らかに著作権者に許可を取ってないものを売ってるのを見かけますが、そういう店やネットで買うようないかがわしいものではなくて、本として出版社を通すものに、こんなオードリーでも無いものが表紙を飾っているなんて今まではあり得なかったことです。

 オードリー本の表紙が誰か知らない別人だなんて、見ているこっちが恥ずかしくなってしまう醜態。
 よく映画専門のサイトが「いつも2人で」の6つの時間軸の時代を間違ってたりして載せてたりするのと同じで、本人が大真面目なだけに余計に恥ずかしい、というのとおんなじですね。

 オードリーに似せるために画像の修正も行なっているみたいですよね。鼻、ですかね。
 だから鼻だけ見るとオードリーみたい。
 もしかしたらオードリーそのものの鼻を持ってきているのかもですね。
 鼻の加工感がすごいですよね。

 耳も怪しげですよね。これもオードリー本人から持ってきてるかもしれないです。
 輪郭だっていじってそうです。最近はデジタルでなんでも出来てしまうので、他人の顔でも本人みたいに出来てしまいますよね。

 「ローマの休日」に似せているようですが、「ローマの休日」のオードリーはだいたい目の下にこんなに黒いアイライン引きません。時代的にも違いますしね。
 オードリーが目の下にも濃いアイラインを入れるようになったのは60年代に入ってから。

 それにアイシャドウも濃く入れすぎですね。「ローマの休日」のオードリーはもっとナチュラル。

 そして1950年代当時って、カラーが高額のためモノクロの宣伝写真が多いのですが、モノクロ画像にはモノクロなりの女性のポートレートの撮り方、というものが存在します。

 それは赤いフィルターをレンズの前にかぶせて、肌の赤みを白く写るようにし、肌をつるんと白く撮って女優の毛穴やシワが見えないようにするのがプロの仕事です。

 で、この写真はどうですか?そういうセオリーを全然知らない撮り方ですよね。顔の陰影もありますし、シワ(ほうれい線)も肌の凸凹まで写ってしまっています。
 往年の女優のモノクロ画像の撮り方を知らない今のカメラマンが撮るとこういう仕上がりになります。あるいはカラー写真をモノクロ化して処理しないとこんな感じ。

 こんなにアップで女優さんを撮るのに、こんな肌で写るような写し方、本当の当時のカメラマンさんなら即刻クビですね。
 明らかに「今」の撮り方のセオリーに則ったものであって、オードリーが活躍した50年代のものとは全然違う。

 昔は “いかに女優さんを綺麗に撮るか”ってのが大前提としてあって、何でもかんでもリアルに高精細に撮ればいいってもんじゃなかったんです。

 他にも前髪が本当のオードリーじゃ無いし、作り物っぽい髪質ですよね。カツラでしょうか。
 髪の毛を手で隠して見てみると、だいぶオードリーじゃ無いのがバレますね。

オススメ度:ナシ。買いません。オードリーじゃ無い画像を堂々と使ってる段階でマイナス500点。  
タグ :トンデモ本


2020年07月20日

ムック本「僕らを育てた声 池田昌子編」

 前回の「ゴールデン洋画劇場」の切り抜きの記事で、もう一つ見つけましたので、写真と文章を追加しています。

 これはムック本「僕らを育てた声」の “声のオードリー” 池田昌子さんバージョンのものです。
 他には中村正さん、増山江威子さん、小林清志さんなどがある(あった)ようです。
 アンド・ナウの会と言うところが発行しているようです。

 人によってページ数が全然違うようで、それによって値段も全然違います。
 池田昌子さんはかなり少ない方で、表紙周りを入れて64ページしかありません。
 内容は、各声優さんへのインタビューとその注釈のようです。

 以前から気になっていたので、思い切って買ってみましたが、買って良かったかと言うと残念ながら…。

 でもこれは池田昌子さんが悪いんじゃないです。インタビューの内容が悪すぎます!

 まずムック本を買おうという池田昌子さん、あるいは声優さんのファンという方なら、池田昌子さんのある程度の略歴とかはご存知のはずだと思うんです。

 例えば池田昌子さんの最初のオードリー作品が何で、「ローマの休日」とか「噂の二人」のエピソードとかは僕でも知ってました。
 それを僕の知っている事よりもさらに薄いことしか載ってないムック本って…。

 あと、オードリーに対してのインタビューでも、昔からオードリーに関して調べていない雑誌社とかテレビ局の質問で、「自分の出た作品で一番お好きな映画はなんですか?」という愚かな質問があるんですけど、それとおんなじことをやってしまってるんですよね。

 オードリーとか池田昌子さんとかはとてもお優しい方なので、一緒に作品を作り上げてきた他のスタッフやキャストのことを考えてどれが1番、という言い方は決してしないんですよね。

 なのでオードリーは「印象深いのは」って答え方だし、池田昌子さんはここで「一番と言われると困っちゃうんですけど…」とおっしゃってる。

 なので結局今までどこかで読んできたような内容になってしまってるんですよね。
 僕なら「各作品の思い出をお話ししてください」という訊き方で、全作品のことを聞いちゃうかなー。

 2役や時代の変わる「パリで一緒に」や「いつも2人で」のこと、歳をとってからの「ロビンとマリアン」「華麗なる相続人」のこと、テレビでは別の人がオードリーを当てている「パリの恋人」がやっとDVDの時代で回ってきたときのこと、未だ吹替していない「緑の館」「初恋」などをやりたいかどうかなど、そういうことを掘り下げて聞いてみたいです。

 もちろん詳しくない他の池田昌子さんの代表作、メーテルやお蝶夫人のことを読めるのは新鮮でしたが、オードリーのことでこれくらいのことしかないなら、他の部分も池田昌子さんに詳しい方なら不完全燃焼じゃないかと思ってしまいます。

 まあお蝶夫人では洋画の吹替の池田昌子さんがアニメはむしろ苦手で教えてもらっていたというのは意外でしたが。
 ちなみに、オードリーのことは6ページ(実質4ページ分無いくらい)しかないです。

 わざわざペラッペラなムック本まで買おうという人はどういう人なのかをしっかり掴まず、話も練らずにインタビューしたらこんな安易な出来になってしまった、という感じの本。
 一体これは誰に訴求するつもりで作っているんでしょうか。

 もし内容を知った状態で買う前に戻れたら、決して買わなかっただろうなーというものでした。他の人のバージョンもこんな内容なのでしょうか。

オススメ度:なし(これを誰に勧めていいのかわかりません。でも池田昌子さんは悪くないです!インタビュアーが悪いだけ。)


  

Posted by みつお at 21:00Comments(2)批評・評論など

2018年02月21日

ベスト・オブ・キネマ旬報 下巻 1967-1993

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” に横浜そごうの予定が加わりました!

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
・大丸札幌店 <約150点>
 期間:2018年3月7日(水)~ 3月19日(月)
 場所:7階ホール
・大丸神戸店<約150点>
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>←NEW!
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)

 公式サイトはこちら

 前回上巻を紹介した“ベスト・オブ・キネマ旬報” の今度は下巻 1967-1993。

 上巻が16年のことだったのに対して、こちらは26年間の記事の抜粋。
 ずいぶん収録している期間の幅が違いますよね。

 確かに日本でも1958年に映画人口のピークを迎え、1961年に映画館数のピークを迎え、その後はテレビの台頭によって坂道を転がるように数年で映画人口も映画館の数も半分以下に減ってしまった時代では映画の占める大きさというものが必然的に変わってしまいますよね。

 オードリーも67年初頭の「暗くなるまで待って」撮影から〜75年夏の「ロビンとマリアン」撮影まで半引退状態だったこともあり、下巻ではあまり出番がありません。

 最初に登場するのは67年10月上旬号。
 “女優結婚論” というテーマで、“オードリー、お前もか” という小見出しでかなりの文字数を費やしてオードリーの離婚のことが書かれています。

 オードリー側にはもちろんメル・ファーラーとの離婚には色々と事情があったのでしょうが、ファンからすると離婚とは縁の無さそうなオードリーが離婚してしまった!というのはかなりなショックだったらしく、当時は女性週刊誌などでも取り上げられています。

 この段階では「暗くなるまで待って」はまだ日本未公開。最新公開作は「いつも2人で」ということになります。

 文章の十返千鶴子さんによると、

 オードリーは全く世帯臭さがない。
 「いつも2人で」も“お嬢さん奥さん” としか印象付けられない。むしろ娘時代の方が生き生きしている。
 13年もの長い結婚生活が芸の上でのプラスになってない
 根が聡明なオードリーだから、離婚をきっかけに大きなジャンプを見せることだろう。

 となっています。

 が、オードリーの一生を考えたときに、結局スクリーンのオードリーには世帯臭じみたものは一切出なかったし、離婚を機に女優としてジャンプするのではなく、妻として母として家庭に入ることを選んでいます。

 ここで著者が語り、著者の頭の中で作り上げたオードリーへの願望はオードリー自身の望む方向とは全く違うということですね。

 オードリーは “貞淑なプライベートを持つ大女優” ではなく、“良き妻であり母である一般の主婦” を目指していたわけです。
 “離婚をするなんてオードリーもスキャンダラスな女優なんだ!” とファンが考えるより、もっとずっとフツーで真面目だったわけですよね。

 そしてオードリーは晩年にユニセフという、これこそが今まで女優をして来たご褒美だったんだ!という活動に自分を投じるわけですよね。
 なのでオードリーは普通を目指しながら、もっとずっとファンが考えるよりも高みに昇っていた(しかも自分では無意識に)ということだったんですよね。

 次は1972年3月下旬号に芳賀書店のシネアルバム「オードリー・ヘプバーン きらめく真珠のように夢みる白鳥のように」が映画の本の新刊として紹介されています。

 ファンになった初期にとてもお世話になったシネアルバムの最初の刊行がここで行われていたんだなぁ〜と感慨ひとしおでした。

 その次は1976年6月上旬号。
 「ロビンとマリアン」…のことではなく、来日した映画音楽家ニーノ・ロータへのインタビューです。

 ここでインタビューアーが「戦争と平和」で作曲した縁でオードリー・ヘプバーンのことを振ったところ、

 友人のひとりだ。「戦争と平和」のセットで初めて紹介されたとき、輝くばかりに美しかった。
 感じがよく、スターぶらず、繊細で真面目で規則正しい女性だ。
 「戦争と平和」では歌を歌うので、曲を練習するのに作曲者の私自身から教わりたいと言ってきた。
 映画がアメリカで成功したとき、オードリーは私の音楽がとても素晴らしかったと電報を打ってきた。女優からこんな電報をもらったのはオードリーが最初で最後だ。

ということを語っています。

 そして次はだいぶ飛んで1993年3月上旬号。
 そう、オードリーが亡くなったことへの追悼記事です。

 次の3月下旬号ではオードリーの大特集になるのですが、この下巻で載っているのは上旬号の淀川長治さんの記事のみ。

 淀川長治さん…正直、オードリーのファンには受けが良くないです。
 確かに映画評論家としては一般には一番有名な方なのですが、映画の評論よりもスターの解説がヒドイです。

 ご自分の想像で作り上げたスターを、さもそれが実像かのように語ってしまうのがどうにもいけません。

 ここでもオードリーが不幸だったと断言。“女優というよりも美しい人、その美しい人を映画が無理に女優にした。この女優生涯の苦しみを背負ってオードリーは死んだ。” と妄想炸裂!の文章で締めくくっています。

 オードリー、不幸じゃないです、きっと!
 確かに幼い頃から夢見て一生続くと思っていた結婚は2度も破局を迎えたし、スターになってからはパパラッチに追われる毎日だったでしょう。63年という生涯もかなり短いと考えてもいいでしょう。

 でもとても欲しかった子供は2人も息子に恵まれたし、最後にはロバート・ウォルターズというパートナーにも出会えた。
 ドリス・ブリンナーやコニー・ウォルドやビリー&オードリー・ワイルダー夫妻といった親友もいたし、ジバンシィのようなオードリーと持ちつ持たれつの関係の兄弟のような心の友もいた。

 晩年は戦争後に自分の受けた恩をユニセフで返すことも出来たし、スイスのラ・ペジブルでは花や草木の手入れをするのが幸福だった。
 最期にはジバンシィの手配でアメリカからラ・ペジブルに帰ってこれて、大好きな家族たちに看取られて逝くことができた。

 これのいったいどこが不幸だと言うのでしょうね?
 女優としての“オードリー・ヘプバーン” など、オードリー自身にとって占める割合は微々たるものだったと思いますよ。

 オードリー自身が言ってたように、オードリーは今と前を見て生きていきたい!という人ですし、自分の映画なんてプレミアが終わった後は晩年になるまで全く見なかったほど。

 そして淀川長治氏の悪いところは作品の評価にも…。

 淀川長治さん、一度書いたことを平気で翻すのがお得意で、読んでる僕らがウンザリしてしまいます。

 それでも「パリで一緒に」のパンフレットで褒めて書いているのを、ここでは“最低”などと二枚舌なのはその作品のパンフレットではけなすことも出来ないかもしれないのでまあ仕方ないと100歩譲りましょう。

 が、映画雑誌同士で過去にオードリーのベストの1本に挙げていた「昼下りの情事」をここでは “悪魔っ子アリアーヌはとてもオードリーの柄じゃない” と記述。

 「尼僧物語」がある限り、オードリーの(女優)生命は長く強く健全だと信じる。と以前書いていたのに、こちらでは 修道院の苦しみはオードリーからは響いてはこなかった、となってます。

 公開当時の「映画の友」誌でベタ褒めだった「いつも2人で」もこちらでは反応うすっ!

 おそらく淀川長治さんは仕事柄次々と新しい作品を見るので、1度見た作品は2度と見ないということが多かったでしょうから、これらの変節については自分の記憶にあるそれらの作品の印象が薄れてしまって、お得意の妄想で脳内補完していったからだと思われます。

 次号のオードリー特集では吉村英夫氏にオードリーのことを書かせているし、自分とは合わないけれども見方は間違っていないのだろうと思っていた「キネマ旬報」に対する信頼が一気に失墜したのがこの時だったのを覚えています。

 全体の印象として映画産業が活気付いていた上巻の時代と比べ、下巻の映画界全体(特に邦画)が低迷している感が凄いです。オードリーの資料的にも上巻の方が役立ちます。これはセットで入手しましたが、上巻だけでも充分かと思われます。
  

Posted by みつお at 21:00Comments(0)批評・評論など

2018年02月17日

ベスト・オブ・キネマ旬報 上巻 1950-1966

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” に横浜そごうの予定が加わりました!

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
・大丸札幌店 <約150点>
 期間:2018年3月7日(水)~ 3月19日(月)
 場所:7階ホール
・大丸神戸店<約150点>
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>←NEW!
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)

 公式サイトはこちら

 オードリーの物を買う場合、2つの理由があります。

 1つはもちろんオードリーを見るためのもの。写真集やポスターなどがこれに当たります。

 僕の場合は “オードリーを見る” のが大きな目的なので、写真ではなくイラストにすぎない海外版のポスターなどは価値が有ろうが無かろうが全く興味をそそられません。オードリーに似てないことの方が多いし。

 もう1つはオードリーを知るためのもの。伝記や評論などがこちら。
 どちらにも当てはまるものもあります。公開当時の雑誌やパンフレットなど。

 今回はオードリーを知る為に大きく振っている本の紹介です。オードリーの写真などはほとんどありません。
 1994年12月キネマ旬報社発行、“ベスト・オブ・キネマ旬報”の上巻です。

 これはキネマ旬報創刊75周年、戦後50年ということで発行されたキネマ旬報の過去の記事から抜粋して再録したもの。
 誤植などもそのままで掲載されているそうです。

 上巻は1950(キネマ旬報戦後の再刊の年)-1966まで。
 オードリーが活躍していたのは主にこちらの方ですね。

 オードリーがこの本で最初に出てくるのは1954年1月下旬号。“海外大監督の芸術と技術”というテーマでの映画評論家たちの座談会。
 清水千代太氏、清水俊二氏、双葉十三郎氏など当時の錚々たるメンバー6人での対談になっています。

 ここではウィリアム・ワイラー監督のことで最新作「ローマの休日」が少し語られるのですが、載ってる写真はオードリーの顔が見切れているもの。
 今なら絶対に有り得ない写真の選択ですね。でもこれが見たことない写真で有難い。

 当時「ローマの休日」の一般公開はまだでしたが、すでに批評家は試写会で見ていたようです。

 以下、一部抜粋です。

 清水俊二:「ローマの休日」は意欲が感じられないね。
 双葉十三郎:材料が材料だからね。その代わりうまさの点では大変だ。
 清水千代太:かつぎ込んでから、酔っぱらってるオードリイ、あそこはうまい。
 清水千代太:ハリウッド映画の作り方そのままでいて、フレッシュなものがあると言うことね。
 清水俊二:「ローマの休日」を見たときに、その昼間「素晴らしきかな人生」を見た。これはキャプラの名作ではないが、あとでワイラーを見ると、キャプラが実にチープに感じられる。ああいうことはやはり風格なんだね。

 次は1954年5月上旬号。
 “現代が求める新しいタイプと演技” ということで “全く新しい個性の魅力オードリイ・ヘップバーン” としてトップで登場。
 他にはシモーヌ・シニョレとマリリン・モンローがあります。

 記事の入稿期限から考えて、これは「ローマの休日」初公開直前の記事。
 公開前からオードリーは一大ブームになっていたらしいので、すでにこの時は巷ではオードリーを真似する若い女性が街にあふれていたでしょうが、「ローマの休日」の出来の良さ、オードリーの新しさでこうしてお堅い雑誌の「キネマ旬報」までオードリーを持ち上げる記事を書いていたんだなーって。

 また「ローマの休日」が前評判を上回る出来だったので、見た人もますますオードリーブームに拍車をかけたことでしょう。

 次が1954年6月下旬号。
 “オードリー旋風・二億三千万円 -「ローマの休日」空前の記録を作る-” という記事で登場。

 こちらは公開後の記事。ここでは日本公開の洋画歴代トップの配給収入(現在のランキングの興行収入ではなく、この当時は映画館の取り分や広告費を省いた純粋な配給会社の取り分でランキングが付けられていた)を叩き出した「ローマの休日」の記事。

 日比谷映画劇場の「ローマの休日」での大行列の写真も載っています。貴重!

 ここでは東宝チェーンマスターの日比谷映画劇場の劇場支配人、パラマウント社宣伝部長、パラマウント社営業部長、毎日新聞び記事、の4つの文章が掲載されています。

 日比谷映画劇場などのAクラスの劇場では従業員1人当たりの稼ぎ高が当時20万円くらいのところ、「ローマの休日」は1人100万円以上の稼ぎ高だったそうです。
 ちなみに1954年当時の大卒初任給が8700円、映画が130円の時代なので、100万円というのがいかに凄いかがわかりますよね。

 パラマウント社の営業部長さんは日本で公開を先行したのは4月21日の佐世保富士映画劇場であると書いてます。
 続いて公開した名古屋ミリオン座(23日公開)ではシネマスコープの第1弾「聖衣」を軽く抑えて名古屋地区洋画興行始まって以来の記録を作り、前年作られた「地上最大のショウ」の記録を抜いたとのこと。

 さらに途中からオードリーの人気が高くなり、宣伝の主力がオードリーにかけられていったことが書かれていました。

 その次にこの本で出てくるのは1957年10月上旬号。“女性観客層の研究”という記事。

 ここでは同じビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」(松竹セントラル)と「翼よ!あれが巴里の灯だ」(有楽座)が同時日本公開(1957/8/15)され、どちらも非常にいい出来だったためその興行成績が注目されたのですが、「翼よ!あれが巴里の灯だ」ももちろんヒットだったけれども、女性に支持された「昼下りの情事」の方が圧倒的な記録破りの成績だったことが実証された、と書かれています。

 この記事では他に観客層のことが書かれているのですが、観客は圧倒的に女性で、それも10代20代が多いとのこと。女性同士のグループが多く、アベック(カップル)の若い人たちも多いそうです。

 劇場ではたえず笑い声やざわめきが起き、映画と一緒にその時を楽しんでいるのである、と書かれています。

 こういう初公開時の様子がわかるのも嬉しいですね!

 次は1957年11月下旬号。この号ではミュージカル映画についての特集だったようで、何人もの人がミュージカルについて書いているのですが、二人の人が最新作の「パリの恋人」に言及。その評価が対照的で面白いです。

 鳥海一郎という人は「パリの恋人」について、一応見せる。しかしパリを美しく撮し込んでヘップバーンにファションショウもさせようという欲張りかたに無理がある。教会の場面など、ソフトフォーカスを使って気取りすぎ、印象が散漫になった。と僕の嫌いな吉村英夫氏的論調。てか、吉村英夫氏は全く同じことを書いてたなあ…それってこれが元ネタ?みたいな。

 もう一人の森満二郎という人は「パリの恋人」を、ドーネン監督らは舞台的ではなく純粋に映画感覚でミュージカルを推進していこうとしている。「パリの恋人」もこうした傾向のすぐれた試作である。この映画では極度に色彩効果とスタイルに神経を働かせてるのが大きな特徴になっている。エッフェル塔でのシーンも快適なリズムをはずませていく演出などはこの監督の身についたミュージカル映画の本当の味が自然ににじみ出ている。これは映画だけが表現できるリズムである。と書いてます。

 鳥海氏は「パリの恋人」を今までのミュージカル映画と比較してその枠からはみ出た部分を認めていないのに対して、森氏は全く新しいミュージカルを「パリの恋人」に見ている。

 「パリの恋人」がその後の欧米のグラフィック・デザイナーや写真家やファッション・デザイナー、プロデューサーやディレクターに与えた影響を考えると、そして「パリの恋人」の現在の評価をみると森氏の見方がより多かったのかと。

 次は1958年1月下旬号で “わたしたちの生活と仕事” として岡田茉莉子・南田洋子・香川京子・有馬稲子・久保菜穂子という女優さんの対談で「昼下りの情事」のことが出てきます。

 オードリーとは関係ないのですが、南田洋子さんが「昼下りの情事」でアリアーヌの父がクーパーの所へ行って “あれは私の娘だ” というところが何にも芝居をしないのにそれがすごくいい、日本だと相当な芝居をしなければ批評家もお客さんも承知しない。あれが映画の演技なのに…ということを述べて、岡田茉莉子さんもそれに同調しています。

 確かに昔の日本映画はちょっとわざとらしいクサイ演技が多いですもんね。でもそれを演じていた女優さんたちはそれを実は不満に思っていた、と。

 次はちょっと飛んで1965年正月特別号(1/15発売)。
 ここでは岡俊雄・南部圭之介・双葉十三郎・草壁久四郎という4人の映画評論家が “世界市場の看板スター10人” という名目で、なぜか日本市場での興行価値のあるスター10人を選んで対談しています。

 まず文句なく1位に出てきたのがもちろんオードリー・ヘップバーン!これは誰も異論がありませんでした。
 当時の日本のマネーメイキングスターのトップは圧倒的にオードリー!でした。

 2番目はジョン・ウェインということですが、岡氏がこのごろ少し落ちてない?と言ってます。
 今となってはええっ?ジョン・ウェインが2位!?って感覚ですが、当時はそうだったのでしょう。確かに昔チラシの人気はジョン・ウェインがすごく高かったそうですからね。きっとこの時代に青春だった人が集めていたのでしょう。今ではずっと価値は落ちているでしょうけど…。

 3番目はエルビス・プレスリー。これも今では意外!
 4番エリザベス・テーラー、5番スティーブ・マックィーン、6番ジャン・ポール・ベルモント、7番アラン・ドロン、8番クラウディア・カルディナーレ、9番チャールトン・ヘストン、10番ブリジット・バルドーということでひとりひとり語られて行きます。

 オードリーに関しては、

 この人はずいぶん長い。「緑の館」でダメかと思ったけど。
 「ローマの休日」の次が「昼下りの情事」。
 「ローマの休日」の後ファッションの「麗しのサブリナ」。
 「尼僧物語」で彼女のいちばん良いきわめつけみたいな役で、「許されざる者」がまたよくて、「ティファニーで朝食を」という大変洗練されたコメディが来て、「噂の二人」。
 最近はファッション要素が強い。それが非常な強み。
 「マイ・フェア・レディ」でまた客層を広げて難攻不落。
 十年に一人の人。
 オードリーに匹敵するのはガルボだけど、観客層のスケールはオードリーの方が倍くらい大きい。
 人気は長いのに年は取らない。妖精だ。
 ここのところすごくバラエティに富んだ役をやって、みんな完全に自分のものにしている。
 個性はガルボの方が強いが、演技力はオードリー。キャサリン・ヘプバーンも名女優だけれども、持っているものは古い。
 彼女のベビー・フェイスが不安。年齢の限界がどの辺で来るか。
 ソフィスティケートされた役が多いから年をとっても大丈夫。
 1年か2年で1本しか作らなくても人気を保てている。

ということが書いてあります。

 エリザベス・テーラーのところではリズが32才だということで、意外と老けたような感じを与えるようになった。オードリーとは格段の違い。ヘップバーンはハイティーンの役ができるからね。と比較されています。

 ブリジット・バルドーのところではオードリーの反対の意味でバルドーを嫌いな人は非常に多い、と書かれています。

 1965年2月下旬号なのか3月上旬号なのかはわかりませんが、「麗しのサブリナ」の1965年リバイバル時の広告もそのまま掲載。

 上巻での最後のオードリーに関するページは1965年8月下旬特別記念号の戦後二十年高配給収入映画ベスト100ということで東(日本映画)・西(外国映画)で50本ずつ配給収入とともに掲載されています。

 この段階での50本なので、「マイ・フェア・レディ」は公開中でまだ成績が出ていないのと、「ローマの休日」「戦争と平和」はリバイバルの分が入っていません。

 この時の「ローマの休日」が2億9618万8千円で19位、「戦争と平和」が2億9376万3千円で20位、「シャレード」が2億5668万8千円で24位となっています。

 この後、67年はじめ頃には「マイ・フェア・レディ」が7億8867万4千円の配給収入をあげて「ウエスト・サイド物語」や「アラビアのロレンス」を抑えて歴代第4位に食い込み、「ローマの休日」は63年リバイバル分が入ると4億7119万3千円となって13位に上がり、「戦争と平和」も64年リバイバル分で3億8656万7千円となり20位内をキープします。

 他にも「昼下りの情事」が65年リバイバル込みで2億2537万円、「おしゃれ泥棒」は2億4801万8千円と次々と上位に食い込んで来ます。

 サイズはキネマ旬報と同じB5ですが、総ページ数1688p!全盛期の電話帳2冊分くらいの分厚さがあります。
 濁ったオレンジ色の表紙カバーに帯が付いていますが、そこには「麗しのサブリナ」のオードリーも居ます。
  

Posted by みつお at 21:00Comments(2)批評・評論など

2016年04月08日

オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優100

 全国で “午前十時の映画祭7”が始まっています。「ティファニーで朝食を」が上映中です!

 ★「ティファニーで朝食を」
 2016/04/02(土)~2016/04/15(金):GROUP A
 2016/04/16(土)~2016/04/29(金):GROUP B

 ★「マイ・フェア・レディ」
 2016/05/14(土)~2016/05/27(金):GROUP A
 2016/05/28(土)~2016/06/10(金):GROUP B

 グループ分けなど詳しくはこちらの記事で。
 また、今回の映画祭ではオードリーに出演依頼がなされながらも諸事情で断った「ロシュフォールの恋人たち」「愛と哀しみの果て」もリバイバルされます。

 こないだの年末年始にイマジカBSで “オードリー・ヘプバーン総力特集” をやっていたのは以前記事にしていたとおりですが、その時に “オードリー検定” というのをやっていて、一応僕もやりました。

 で、こないだイマジカBSさんからなにか届いたんですよね。“おっ、オードリー検定でも当たった???” とか思いながら開けました。

 じゃじゃーん!それで出てきたのがこのキネマ旬報社の「オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優100」っていうムック本。
 同封の紙には “ご当選のお知らせ” というのがプリントしてありました。

 おお〜!オードリー検定が当たった!でも確かオードリーのボールペンとかあったけど、僕はこれを希望してたんかな?と思ってイマジカさんのサイトを見てみると、これはオードリー検定の当選品じゃなくてもうひとつの“外国映画・女優アンケート” のほうの賞品でした。

 ちなみに “オードリー検定” の方はエス・テー・デュポンのオードリーボールペン(1名)、ジバンシィのランテルディ(2名)、スクリーン誌の写真集「世界を魅了した20作ヒロイン集」(15名)でした。

 写真集は持ってるし、ランテルディはオードリーが使ってたのと配合が違う&いつでも買えるので、おそらく希望品はボールペンにしたんだと思うんですが、まあ1名じゃ当たらないですよね。(^^;A

 こちらの「オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優100」は当選者が20名なので、オードリー検定よりかは当たりやすいかと。
 でも、くじ運とかは全く無い僕が当たるなんて、よっぽど応募者が少なかったんでしょうか…。(^^;

 今回のこの本は、2014年に発行されたもの。
 186人の映画評論家・映画監督など映画関係者・文化人が男優・女優それぞれ5人ずつを選んで(順位無し)、入った票を1点と数えて集計したもの。

 表紙からわかるように、女優はオードリーが1位。
 うれしいなーと思って、点数を見ると27点。

 あれー意外と少ないんやね。2位のジーナ・ローランズで24点。あんまり差がないな〜。
 男優はと言うと、1位のクリント・イーストウッドが38点、2位のスティーヴ・マックィーンで19点やから、かなり票は分散しているみたい。

 もうね、かなり票数がダブってる俳優さんが多くて、TOP15は巻頭にグラビアがあるんですけど、女優さんは15位に3人いるからアンナ・カリーナだけが載っててジョアンナ・シムカスとナスターシャ・キンスキーはカット。

 まあこういう人気投票みたいなのって、投票した人の青春時代にリアルで見た映画での俳優さんになってしまうんだろうなーっていうのはわかります。
 なので、数十年後にはオードリーはトップじゃないかもねーとかって思ってました。

 まあもしかしたら今後CGの発達によってCG作品でオードリーが主演を張る日が来るかもしれませんが…。
 その時は、オードリーとかけ離れた映画に出演させないで欲しいと願うばかりです(駄作とかホラーとか官能映画とか)。

 投票者の名簿には、清藤秀人さんという心強い味方もいますし、小藤田千栄子さんや品田雄吉さんという懐かしい名前も…。
 そして3人ともオードリーに1票を投じてくださっています。めっちゃ嬉しい…。(T▽T

 吉村英夫さんがいたらヤだな〜と思っていたのですが、まあいたらいたで本当にオードリーに入れているか見てやろうと思ってましたが、残念なことに吉村英夫さんは見当たりませんでした(あ、なぜか高笑いが…)。

 オードリーに関連するのは、グラビア、投票結果、上位ランキング者プロフィール、これだけは観ておきたい作品での「ローマの休日」、そして1位の2人だけにある「オードリー・ヘップバーンの足跡」という6ページものオードリーのバイオグラフィー。

 「オードリー・ヘップバーンの足跡」は中西愛子さんという方が文章を書いてくださっています。内容はオードリーの人生の歩みなので誰が書いてもまあこんな感じだとは思いますが、嬉しいのは「パリで一緒に」もきちんと画像があったこと。
 でも「緑の館」「おしゃれ泥棒」「ロビンとマリアン」あたりの画像が無いのは残念!

 さて、この順位ですが、女優さんだけベスト10を書き出しておきます。

 1.オードリー・ヘップバーン
 2.ジーナ・ローランズ
 3.ジャンヌ・モロー
 4(同位).キャサリン・ヘップバーン
     ケイト・ブランシェット
 6.マリリン・モンロー
 7(同位).カトリーヌ・ドヌーヴ
     ジョディ・フォスター
 9.イザベル・アジャーニ
 10(同位).アヌーク・エーメ
      マレーネ・ディートリッヒ

 僕はヴィヴィアン・リーも好きなので、順位が気になります。今回は7人いる32位の中の1人でした。

 2000年実施の“20世紀の映画スター”での順位も載っています。
 こちらは今回の人気投票的なものではなく、“20世紀の映画史上重要な女優” という意味合いが強いですね。

 1.オードリー・ヘップバーン
 2.マリリン・モンロー
 3.イングリッド・バーグマン
 4.ヴィヴィアン・リー
 5.マレーネ・ディートリッヒ
 6.グレイス・ケリー
 7(同位).フランソワーズ・アルヌール
     ベティ・デイヴィス
     ジョディ・フォスター
     グレタ・ガルボ
     アンナ・カリーナ
     ジャンヌ・モロー
     ロミー・シュナイダー
     エリザベス・テイラー

 こちらでもオードリーは1位、ヴィヴィアン・リーも堂々の4位ですね。
 “なんと2000年実施のアンケートでもオードリー・ヘップバーンが1位でした。”って書いてます。

 1985年に実施されたオールタイムスターベストテンも載っていました。

 1.オードリー・ヘップバーン
 2.マリリン・モンロー
 3.イングリッド・バーグマン
 4.ヴィヴィアン・リー
 5.マレーネ・ディートリッヒ
 6.グレイス・ケリー
 8(同位).フランソワーズ・アルヌール
     ベティ・デイヴィス
 10.ジョディ・フォスター

 これまたオードリーは1位、ヴィヴィアン・リーは4位。
 “ここでもオードリーが1位。30年近くにわたって1位ということになる” って書いてあります。
 …って、あれ、13位にもヴィヴィアン・リーって書いてある!なんで???

 キネマ旬報社に問い合わせたところ、
 なんと1985年の順位として載せているベスト10は、2000年のもの!
 11位以下は合っているそうです。
 確かによく見ると2000年と順位一緒!しかも7位が無くて、全部で9人しか載ってないやん!

 本当の1985年の順位を教えていただきました。

 1.イングリッド・バーグマン
 2.マリリン・モンロー
 3.キャサリン・ヘップバーン
 4.オードリー・ヘップバーン
 5.マレーネ・ディートリッヒ
 6.ジェーン・フォンダ
 7.グレタ・ガルボ
 8(同位).カトリーヌ・ドヌーヴ
     エリザベス・テイラー
 10.グレース・ケリー

 だそうです。
 じゃあ、じゃあ “オードリーが1位。30年近くにわたって” って書いた人は誤った順位を見て感想を書いてるんですね。

 1985年というとまだオードリーが現役だしオードリーの再ブーム前。ユニセフもまだ関わりが深くない頃だし伝説化されてない状態で4位は立派です。
 お堅い映画評論家の1985年時順位では妥当。というか凄すぎるくらい。

 他にもこの本にはトミー・リー・ジョーンズの略歴が丸々ヴィゴ・モーテンセンのものになってて正誤表が挟まれているし、女優第6位のマリリン・モンローのグラビアページのキャプションには “うしても外せない” と脱字がわかる間違いが。

 一番面白かったのが、第14位のダニエル・デイ=ルイスのグラビアページのキャプション。
  “イーストウッドは監督としての評価もすごいが、R・レッドフォードと共に私が映画を見はじめた70年21世紀映画において「リンカーン」をはじめ圧倒的な存在感を放っているのがダニエル・デイ=ルイスであることは否定しがたい。”
 意味わかりませーん!(笑)

 これは “70年” まではイーストウッド用のキャプションなんですよね。
 おそらくとりあえずコピペでレイアウトしておいて、後でデイ=ルイスのものに書き換えようと思っていてそのままになったパターンですね。

 パラパラ見ただけでこの誤字・脱字量ですから、全部見たらもっともっとあるんじゃないかと思います。
 きちんと文字校しないとダメですよ〜。

 でもこういう誤字・脱字って結構好きです。
 本人たちが真面目なら真面目なだけ誤字が可笑しいんですよね。
 宝島社の“VOW”ってシリーズでも誤字を集めたページで大爆笑してました。

 もうだいぶ昔の話ですけど、仕事でどこかの会社の会社案内パンフレットの色校正を見たんですけど、“それが当社のテーマです。”ってなってないといけない所が、“それが当社のデマです。” になってて社内で大笑いしたことがあります。
 いいことがいっぱい書いてあって、最後にデマ宣言じゃアカンやろーっ!って。

オススメ度:特に無し


  

2016年02月16日

ピーター・ボグダノヴィッチ著「私のハリウッド交友録」

 「オードリー・ヘプバーン記録室」のブログで、「映画の友」でのランキングの記事をアップしてあります。興味のある方はそちらもどうぞ。

 今回紹介するのは、ピーター・ボグダノヴィッチ監督 著の「私のハリウッド交友録」です。
 奥付は2008年7月31日になっていますので、実際はもう少し早く店頭に並んでいたことと思います。

 ピーター・ボグダノヴィッチは、オードリーの後期の作品「ニューヨークの恋人たち」の監督です。
 主な代表作は「ラスト・ショー」(1971)「おかしなおかしな大追跡」(1972)「ペーパー・ムーン」(1973)。

 というか、僕はピーター・ボグダノヴィッチ監督に関してよく知らないものですから、イメージはほぼその3本しか作品は無いと言ってもいい監督さん。
 あとは後年作る作品はどれも凡作・駄作のオンパレード的な、日本で公開すらされない、監督としては三流だったようなイメージがあります。

 代表作3本でも、「ラスト・ショー」と「ペーパー・ムーン」は双葉十三郎さんの採点で80点という高得点ですが、「おかしなおかしな大追跡」はアメリカでヒットはしたものの(日本ではヒットしてないと思う)双葉さんの採点は70点と、見ておいていい作品の上くらい。
 テイタム・オニール全盛期なのに「ニッケル・オデオン」がすぐに公開されなかった、というイメージも強いです(6年後にやっと公開。採点は75点)。

 「ニューヨークの恋人たち」は、撮影中は実は全然知らなかったです。僕の興味が他に逸れていた時期というのもありますが、オードリー暗黒期に入ってましたし、「華麗なる相続人」がコケたので、とうとう“スクリーン”や“ロードショー”でもほとんど取り上げなくなっていたのではないでしょうか。

 「ニューヨークの恋人たち」がある事を知ったのは、「いつも2人で」の個人的な自主上映が出来ないかとレンタルフィルムのカタログを取り寄せて見ていたところ、その中に“They All Laughed”というオードリー作品があることを見たからです。

 新作のオードリー。見たい!と思いましたが、それ以前にとうとうオードリー主演作品に未公開作品が出来てしまった!とガッカリしました。
 それまではオードリーの主演作は1本も未公開がない!というのがオードリーの偉大さを表していると個人的に思っていましたし、本当に残念でした。

 で、一生見ることは叶わないかも…と思っていましたが、やがてビデオデッキが家庭に普及するようになり、17800円前後と高額ながらセルビデオも登場。さらにレンタルビデオ店が出来るようになると、「ニューヨークの恋人たち」もそういうレンタルビデオ屋で借りてとうとう見れることに!

 …でも、見てめっちゃガッカリしました。失望度は「華麗なる相続人」以上!
 オードリーがオードリーらしくない行動をする、音楽がカントリー中心で僕と(そしてオードリーと)全く合わない!オードリーが序列はともかく、実際はただの脇役!内容も全然良くない!
 これは日本未公開でも仕方ないかなーと思ったものです。文句なく僕にとってのオードリーのワースト1!

 後に「おしゃれ泥棒2」でもがっかりしたので、ワースト2位になりましたが、「おしゃれ泥棒2」は再度見直して評価が少しだけ上がり、今はまためでたく(?)オードリーワースト1に返り咲いています。大好きなオードリーの出演なのに、見直すのが大変苦痛な作品です。

 と、めっちゃ前置きが長くなりましたが、「ニューヨークの恋人たち」について語る場が全然無いので、ここで一気に吐き出してしまいました。

 この本は824ページもあって、めっちゃ分厚いです。大阪梅田の本屋さんで見つけたのが最初でしたが、高い(4300円+税金)上にオードリーの章はたった20ページ。買うのはすっごいためらわれました。で、ずっと購入を見送ってたのですが、数ヶ月ごとに何度か見に行っても、全然売れていませんでした。

 というか、ピーター・ボグダノヴィッチって決して日本でそんなに人気のある監督でもないのに、よくこれが翻訳出版されたな〜と。絶対売れないと思ったし。
 分厚い背表紙と表紙にもオードリーが装丁であしらわれていて、これはオードリーで売る気やなーと思ってました。
 結局中古でネットで出るまで待ってやっと買いましたが、それでも3000円くらいと内容に比して高かったです。

 買うのにも時間がかかりましたが、こうしてブログにアップするにも時間がかかりました。買ってから5年ぐらい放置状態でしたかね〜。

 内容はボグダノヴィッチ監督と交流のあった人(と一部交流のなかったマリリン・モンローなど)25人のことが書かれています。

 読んでみると、こういう内容になるからオードリーって自伝を書かなかったんだよなーって思いました。どうしても暴露本みたいになるじゃないですか。
 ましてやこれは自伝でもなく、単に他の人のことを書いているというもの。僕がオードリーなら、こんなことが書かれてたらとってもイヤ〜〜〜な気分になると思います。

 ボグダノヴィッチ監督はオードリーのことをめっちゃリスペクトして書いてるんです。
 たとえば「ニューヨークの恋人たち」撮影中にオードリーが脚本のセリフと変えて喋ってしまっても、そちらの方がずっと作品にふさわしかったとか。

 でも、ベン・ギャザラがオードリーとの関係をベラベラ喋ってたとか、まだアンドレア・ドッティと結婚中の「ニューヨークの恋人たち」撮影中に、こっそりロバート・ウォルダーズとデートしていた、みたいなことを友人だと思っていた人に書かれたと知ったら、オードリーは決して良い気がしないと思います。
 というか、オードリーはサーッとカーテンを引いて、ボグダノヴィッチとの友人関係を絶つでしょうね。

 こういう無神経さがボグダノヴィッチにはあるのかなーと思います。
 「ニューヨークの恋人たち」はベン・ギャザラに聞いたオードリーのイメージそのままに映像化したらしいのですが、本当にオードリーの表層だけで、この作品を見ても、そこに真のオードリーがいるようには感じません。

 むしろウィリアム・ワイラー監督の「噂の二人」の方が、オードリーとはかけ離れた状況下でのお話なのに、よっぽどオードリーの本当の姿を捉えているように思います。
 「ニューヨークの恋人たち」でのオードリーは、ただそこにいるだけの富豪夫人、ってだけです。

 だいたい、夫以外の男性と一夜を共にした翌朝に、その男を好きだという他の女性と仲良く会話してるなど、どういう神経やねん!と見ていて思います。オードリーらしさなんて皆無。これが素のオードリーをイメージした役ですか??第一、ベッドシーンも不要だし。

 「ニューヨークの恋人たち」撮影後、何度かボグダノヴィッチはオードリーに一緒に映画や舞台をやらないかと持ちかけていたようです。
 が、どれも実現しなかったのはご存知の通り。むしろ僕は実現しなくて良かった!とさえ思います。どうせボグダノヴィッチでは一般公開さえ危ういような駄作や失敗作がまた作られただけでしょうし。

 興味深いのはそうした実現しなかった作品の中で、「陽気な幽霊」のリメイクの話があったようなのですが、オードリーが演じたいと言ったのは主役の幽霊妻ではなく、45年の映画版でマーガレット・ラザフォードが演じたエキセントリックな占い師という脇役だったらしいこと。
 「陽気な幽霊」を見たことがないので、何とも言えないのですが、オードリーが演じたいと言ったものはことごとく成功しているので、いったいどのような役なのか興味があります。

 そして「カーテンコール/ただいま舞台は戦闘状態」という、またまた取るに足りない作品に仕上がる喜劇で、ボグダノヴィッチがオードリーに依頼したのは若手男優と関係を持ち、愛情を独占しようとする女優の役。

 脚本を読んだ後でオードリーが疑わしげに “なぜこの役を私に?” と電話してきたそうですが、本当にボグダノビッチってダメ!
 オードリーは、“自分がこの役を演じている姿などまったく想像もつかない。” と丁重に断ったそうです。

 “思うに私が役を依頼した動機をまだ疑いながら” とその後に書いてあるのですが、オードリーの気持ちはそうじゃないのじゃないかなーと。
 オードリーからしたら、友人だと思っていたボグダノヴィッチ監督からそんな依頼を受けて、“結局あなたも私のことを見てくれていなかったのね…。” って本当にガッカリしたんじゃないかなー。

 ルキノ・ヴィスコンティも「家族の肖像」でオードリーに若いツバメのいる役を依頼して断られてましたが、なぜ同じ間違いまたする??って感じですね。
 オードリーに明らかに不向きな役を依頼しても、出演作を絞っているオードリーが演じるわけないじゃん!みたいな。

 オードリーがいまさら今までのイメージを破壊するような役を演じて、誰が得します?オードリー??そんなことないですよね。
 “あのオードリー・ヘプバーンにそんな役を演じさせた!” って評価されるのは監督のみですよね。逆にオードリーは “結局後年こういう役を演じましたか…”って失望されるだけ。
 そんな依頼を信頼していた人から受けたら、そりゃガッカリして傷つきますよ。

 オードリーは後年は演じることにがむしゃらじゃないですよね。冒険して演技派として名を残したいわけでもない。お金ももう充分にあって、特に必要としていない。
 そんなオードリーを引っ張り出すには、オードリー自身がどうしても演じたいプラスαが無いとダメですよね。

 「ニューヨークの恋人たち」出演もオードリー自身はずっと興味がなさそうで、それが一転出演に到ったのは息子のショーンをボグダノヴィッチのアシスタント兼出演者の1人として採用したから、ということが書いてありました。
 遺作「オールウェイズ」での出演を決めたのも、オードリーと同じく夢を作るスティーブン・スピルバーグという一流監督の作品だからですよね(作品の出来は良くなかったけど)。

 そういうことを考えると、やっぱり当時のオードリーを担ぎ出すためには、愛に溢れた夢のある第1級の脚本が必要だったのではないかなーと思うんですよね。
 
 こういうオードリーの本質を最後まで捉えられなかったボグダノヴィッチの「ニューヨークの恋人たち」でオードリーの才能が浪費されてしまったのは本当にもったいない!
 途中で「パリで一緒に」と「おしゃれ泥棒」のことを “少々失敗気味のロマンティック・コメディ” と書いてるんですけど、「ニューヨークの恋人たち」程度のものしか作れんかったお前が言うな!って読みながら突っ込んでました。遥かにその2作の方が上出来。

 オードリーとオードリーのファンにとって本当に残念だったのは、このどうしようもない作品がオードリーの主演としての最後の映画になってしまったということ。
 結局復帰してからの作品で内容も良かったのは「ロビンとマリアン」だけに終わってしまいましたね。オードリーがオファーを受けながら様々な理由で出演しなかった「愛と喝采の日々」か「愛と哀しみの果て」に出て後期の代表作を残して欲しかった!「ニューヨークの恋人たち」はオードリーの幕引きにはあまりにもあんまりな出来で、悲しくなります。

 この本では、他にオードリーと関連する俳優でベン・ギャザラも1章あります。
 そこではオードリーに夢中になって、オードリーとの関係を喋っているベン・ギャザラの様子や、「華麗なる相続人」の次にギャザラが出演した大作&大コケ作品の「インチョン!」(ラズベリー賞の最低作品賞を受賞)で別の女優さんに乗り換えたことが書かれています。

 もうね、人のデリケートな部分のプライベートを喋るギャザラもイヤだし、それを本にするボグダノヴィッチもイヤ!
 同じく自分で本を書いた名匠フレッドジンネマン監督のと比べても、本の内容も監督としての才能も雲泥の差。こういうところにも人柄って出るんだねーって。

 結局、僕は友人のオードリーをリスペクトして書いてるよーってボグダノヴィッチ本人は思ってるんでしょうが、人に知られたくないようなプライベートなことを相手の死後に書くような人って友人って呼べるの?って思います。

 お仲間のベン・ギャザラも後年自伝を発表しますけど、もちろん日本ではベン・ギャザラなんて誰も知らない俳優の本は翻訳されませんでした。きっとそこでもオードリーの暴露的なことが書いてあるんでしょうねー。

 それと「ニューヨークの恋人たち」って画像があんまりないんですが、この本でもおなじみの画像が1枚載っているだけです。画像の資料としての価値も無し。

 他にもオードリーとゆかりのあるアンソニー・パーキンスやリリアン・ギッシュ、ケイリー・グラント、マレーネ・ディートリッヒ、ハンフリー・ボガード、ヘンリー・フォンダの章もありますが、オードリーのことはほとんど出てきません。

 むしろ、オードリーと共演したことがなかったジェイムズ・スチュアートの章とオードリーの章で、ショーンの最初の結婚式でこの偉大な2人の俳優が踊ったことが2度出てきます。
 ジェイムス・スチュアートは共演はなかったものの、オードリーとは旧友だったそうで(だからショーンの結婚式にも来てるんだろうけど。でもオードリーのお葬式には来てないね…)、その心を打つ踊る2人に、作られることのなかったオードリー映画の象徴を見て章を締めているのが良かったです。

オススメ度:なし(わざわざ買って読むほどのことはない!と思います)


  


Posted by みつお at 09:00Comments(0)批評・評論など

2014年08月20日

買って失敗した!と思ったもの その2


★いよいよ今週末からです!「シャレード」 第二回・新午前十時の映画祭
 GROUP Aにて8/23(土)~9/05(金)

★こちらも来週の月曜から始まります!上映期間が短いので、お見逃し無く!!
 「いつも2人で」 イオンシネマ“シネパス”
 (「いつも2人で」を初めてご覧になる方は、僕のもう1つのブログで先に“「いつも2人で」オードリーの髪型による旅の順番の見分け方”を読んでいただくと、時系列が混乱しないかと思います。)
 グループ3 8/25(月)~8/29(金)
 千葉  イオンシネマユーカリが丘・イオンシネマ市川妙典・イオンシネマ千葉ニュータウン・イオンシネマ幕張新都心
 神奈川 イオンシネマ海老名・イオンシネマみなとみらい・イオンシネマつきみ野・イオンシネマ港北ニュータウン
 愛知  イオンシネマ豊川・イオンシネマ大高・イオンシネマ名古屋茶屋・イオンシネマワンダー・イオンシネマ岡崎

 今日も引き続き、買って失敗した本の紹介。
 それは“AUDREY HEPBURN : A Bio-Bibliography”というもの。
 「オードリー・ヘプバーンの略伝と作品」って感じでしょうか。

 これ、表紙からしてオードリーの写真は全く無さそうな、いかにもハードカバーの本!って感じですよね。
 だいぶ前から知ってはいたものの、全然買う気が起きず、かなり長期間買わずに放置してました。

 しかもなんでだかこれが高いんです!2010年5月に買ってたんですけど、当時の円高の時でも5000円越えしてました!
 今アメリカのアマゾンに見に行ったら、新品はもっと値上がりしてた!今の円安水準だと、送料込みで最安でも8000円くらいする!

 きっと刷った部数が極端に少ないんでしょうね。
 ま、いいか、と思って結局買ったんですけど、届いたら案の定思ってた通りの文字だらけの本でした。
 写真は全部で7点ほど。うち珍しいのは2点だけでした。

 期待もしてなかったので、ガッカリもしませんでしたが、“買わなきゃ良かった!”とは思いました(笑)。

 伝記の後、オードリーがやり遂げて来た作品欄では“舞台”“映画”“テレビ”“ディスコグラフィー”などと章が分けられているのですが、価値があるのはテレビの欄でしょうか。

 初期のオードリーのテレビ出演って、あんまり知られてないですよね。まあ1957年の「マイヤーリング」でさえ保存はキネコでしたから、それ以前のテレビ黎明期なんて現存すらしてなさそうなので、全容を知るのはほぼ不可能かと…。

 そんな中、数行の短文でもオードリーがどのような事をしていたのかがわかるって言うのはほんのちょっと嬉しいです。
 たとえば、エド・サリヴァンの1時間番組“Toast of the Town”では1回目の出演では「九日間の女王」のジェーン・グレイを演じたそうですし、2回目の出演でレックス・ハリスンと「1000日のアン」でアン・ブーリンを演じたそうです。

 どちらも若くして斬首される役ですね…。(^^;A
 初期のオードリーはまだ“ジジ”での舞台俳優だと見なされていたでしょうから、役柄の方向も決まっていなくて、オードリーらしいロマンティック・コメディではなく、こういうドラマティックな役があてがわれてたりしてたんですね。

 ちなみにレックス・ハリスンはブロードウェイで1948年に「1000日のアン」を既に演じてるんですね!それでキャスティングされたのかと。今回調べていて初めて知りました。

 このレックス・ハリスンは、もちろん「マイ・フェア・レディ」(今年製作50周年!)で後にオードリーともう一度共演する事になります。
 主演俳優で、他に2回オードリーと共演したのは、「麗しのサブリナ」「パリで一緒に」のウィリアム・ホールデンと「華麗なる相続人」「ニューヨークの恋人たち」のベン・ギャザラだけですよね。

 そういえば、もうすぐオードリーとホールデンの恋愛のことを書いたらしき洋書が出版されるみたいです。
 ほんわかした内容だといいんですが、ゴシップ的な、本当かどうかわからないあんまり赤裸々なのだと困りますよね。ま、と言っても「パリで一緒に」の時はもうオードリーはホールデンの事はアウトオブ眼中でしたでしょうけど。

 それと、30分番組「Rainy Day in paradise Junction」ではCarmen Matthews と Paul Langton と並んでのスター扱いだったそう。
 2人を知らなかったので一応調べましたが、Carmen Matthews はおばさま女優、 Paul Langton はバート・ランカスターとフレッド・アステアを混ぜて、フランク・シナトラとウィリアム・ホールデンを振りかけた感じでした。

 この「Rainy Day in paradise Junction」は未だ見れないオードリーの演じた作品ですけど…きっと残ってないのでしょうね。

 オードリーのテレビドラマ出演ってのは、ごく最初期と「マイヤーリング」「おしゃれ泥棒2」に限られているので、後半はアカデミー賞に出席したとか、ユニセフのインタビューを受けた、とかのテレビ番組しか載ってないんですよね。あとユニセフの「愛の世界」とかビリー・ワイルダーを讃える「ビリー・ワイルダーに乾杯!」(これは日本でも放送されました)などの、他の人の何かの記念パーティーの様子とか。

 「エクスラン・ヴァリーエ」に関しても載っているのですが、「銀座リザ」のことは全然無し。
 「銀座リザ」って本当に海外では知られてないですよね。
 
 他にも英国時代にテレビ出演したというBBCの「The Silent Village」のこととかもないので、装丁はしっかりしていますが、必ずしも完璧ではなさそうです。

オススメ度:無し


  

Posted by みつお at 12:00Comments(5)批評・評論など

2013年11月01日

Vogue on Hubert De Givenchy

 「マイヤーリング」の前売りが始まっています。今ならポストカード付きですよっ!ネットで買うと、全国どこでも「マイヤーリング」上映館で見ることが出来るのがあります。

 これは“Vogue on Hubert De Givenchy ”というハードカバーの本です。Vogue on Designers というシリーズの1冊で、他にオードリーと関連するデザイナーとしてはラルフ・ローレンやクリスチャン・ディオールなどがあります。

 本にはオードリーととても親交の厚かったユベール・ド・ジバンシィの歴史や評価みたいなことが書いています(たぶん)。
 決してオードリーの写真集でもなんでもないんですが、ジバンシィの歴史を語るにはオードリーを外すわけには絶対にいかないし、表紙もオードリー。中身にも間違いなくオードリーがあるだろうと踏んで買ってみました。

 中身にはオードリーの写真が11点、プラス「ティファニーで朝食を」イラストポスターが1つ。うち珍しめの画像は3点でした。カラーの発色は悪くて、肌も服の色も汚いです(ファッション誌の名を冠してるのにね)。

 オードリーは“THE IMAGE MAKER”ということで、章1つ当てられています。それだけジバンシィにとってオードリーの存在は大きかったということですよね。
 実際、他の画像を見ても、“これ、オードリーが着たら似合うだろうなー。”ってのが見受けられますし。

 さて、ジバンシィですが、僕は以前は“ジヴァンシー”って書いてたんですけど、現在ジバンシィが傘下に入っているLVMH社での正式表記が“ジバンシィ”なので、それに倣いました。
 でもパルファム・ジバンシイのHPへ行くと“ジバンシイ”で、最後の「イ」がデカいんですよね。同じ会社で表記の統一がとれてないなんて…。

 本人のユベールは身長が高いので有名。170cmのオードリーと並んでも頭一つ高い!190cm以上(2m近く?)あるそうです。
 若い頃のユベールなんて、ホントかっこいい!オートクチュールの顧客の人も、服を作りに行ったら、ユベールの威風堂々っぷりに圧倒されたでしょうね。

 そういえば、ジバンシィが83年に来日したとき、ホテルで一番大きなベッドでも小さくて、ベッドを2つ並べたという逸話があるみたいですね。オードリーと同じヒルトンホテルだったのでしょうか。

 今では日本人にも背の高い人が増えてきて、180cm越えなんて人はざらにいますから、おそらく高級ホテルのベッドも2mくらいの人には対応出来るようになってるでしょうけど。

 さて、この本の中の写真で僕が一番“おっ!”って思ったのは、1971年の写真。
 71年というと、オードリーが日本のために「エクスラン・ヴァリーエ」に出演した年でもあります。

 日本が女優オードリーの延長線上でヴァレンティノ・ガラヴァーニの衣装で「ヴァリーエ」を作ったのとは対照的に、ファッション誌のヴォーグは家庭のオードリーっていうコンセプトで写真を撮ってるんですよね。

 昨年2012年7月号の「ヴォーグ ジャパン」の画像もそうでしたけど、こういうオードリーの日常っぽい感じで見せてくれるのもいいなあ〜って感じですよね。(ヤギと一緒のオードリーなんて、実際はオードリーの日常じゃないでしょうけど)

 あー、本当に雑誌ごとのオードリー写真集を出して欲しいなー…。

お気に入り度:★★(画像も少ないし、誰にでもは勧められないけど、珍しい画像は嬉しい!)


  

Posted by みつお at 19:00Comments(8)批評・評論など

2011年12月03日

オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を

 2011年の今年は「ティファニーで朝食を」の製作から50周年なことは、今年の記事で何度か書いていましたが、10月26日に発売されたのがこれ、「オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を オードリーが創った、自由に生きる女性像」。
 著者はサム・ワッソン、翻訳は清水晶子氏。発行はマーブルブックスで、発売は中央公論新社です。

 この本は、「ティファニーで朝食を」の製作裏話的なものになっています。

 原書は英語だらけで、正直翻訳されなかったら、読まなかったであろうと思います。
 でも、ここでわかることは非常に興味あることばかりで、この本を翻訳してくれてありがとうございます!ってめっちゃ思いました。

 「ティファニーで朝食を」って僕はリアルで見たわけじゃないので、その時代とひっつけて考えたことはなかったのですが、この本でオードリーのホリーが、60年代初めの女性の価値観を変えていったと知ってビックリしました。

 50年代までの清潔で清純でなければいけない、という女性の置かれた状況が、清純の代表であるオードリーによって変革される端緒になったのかと思うと、面白いですね。

 まあ、オードリーだからこそ女性がすんなり入っていきやすかったのかもとも思いますけどね。これがマリリン・モンローみたいな肉体派の女優が演じていたら、女性は反発したかもしれませんしね。

 あと、色んな裏話が面白かったですね。オードリーが激怒して“ムーン・リヴァー”をカットをさせなかった、という有名なエピソードですが、ここで書かれている事実は、どうやらそれを行ったのはプロデューサーのリチャード・シェパードであったということ。

 確かにオードリーのエピソードとしては浮いてますよね。オードリーと激怒って、あんまり結びつきませんし。
 今までのオードリーの伝記では他の人から聞いた的な書き方なので、その場に居た、ヘンリー・マンシーニの自伝で書かれているような方が正しく、オードリーが激怒の方は伝記を面白くするために脚色されたものなんでしょうね。

 カポーティのお母さんの話が出てきた時、“これってホリーやん!”って即行思いましたけど、どうやらその考えは合っていたみたいで、母ともう一人ベイヴという女性(とカポーティ自身)がホリーなんやなってのがわかります。

 それと、原作者のカポーティも、監督のブレーク・エドワーズも嘘を平気でつけるってのが読んでてとても気になりました。

 カポーティがわざわざオードリーに宛てた手紙では、“大変嬉しく思っている、オードリーもホリーも素晴らしい女性だから、必ず良い作品になる”、
 当時のエドワーズ監督の妻のパトリシア・スネルには“君の旦那に監督してもらって、本当によかった。出来が素晴らしくて映画に満足。”だとか言っておきながら、別の所では“監督は無能、ひどいミスキャスト、吐きそう!” とかって言うって、人間としてどうなんやろ?って思ってしまいます。
 まあ、芸術家さんなので、そういうものなのかもしれないですけどね。

 あと、ジョージ・ペパードがいかに場に合ってなかったかとか。
 確かに映画を見てると、ポールって2E に囲われてる身なのに、ポールは2Eを全然好きそうに見えないんですよね。だから2人が別れる時にポールがめっちゃ決意したんや、って感じが皆無なんですよね。
 なので、ホリーの最後の決意に比べて、ポールの決意の浅さが気になります。

 ミスター・ユニヨシの件は、今でも色々言われてますけど、僕はあんまり何とも思ってないんですよね。
 当時の日本人の捉えられ方ってあんなんだったんかな、っていう程度で。
 今もそのまんまだったら怒るかもしれないですけど、渡辺謙の映画とか見ると、もうそうじゃないでしょ?

 ミスター・ユニヨシは、「ティファニーで朝食を」ではコメディ・リリーフだし、僕は“あっ!日本語喋ってる!”って嬉しかったり、とかね。
 まあ、もう50年も前の映画なんだからいいじゃん、みたいな。

 原作との相違(特に結末)ですけど、“ホリーは南米に行かなきゃ!”って意見をよく聞きますけど、僕はそこもそうは思わないんですよね。

 ホリーって、別に結婚しない女でもないじゃないですか。独身の金持ちリストも頭に入れてるし(ということは愛人はイヤってこと)、ホセと結婚する気満々でしたしね。
 だから、南米に行ってもいいし、映画みたいなのもありじゃないかなーって。

 むしろ、“南米に行かなきゃホリーじゃない!”って決め付ける方がよっぽどホリーと違うんちゃうかなー。それはホリーをあなたの鋳型に入れてるだけでしょ?とか。
 ホリーからしたら、自分のしたいようにするだけで、“南米に行くべきだ!”って言われたら、“そうね、シド。”とかって言って目の前でドア閉められるんちゃうやろか。そしてネズミ野郎の仲間入り、みたいな。

 ま、みんなの思ってるホリーはそれぞれ違うかもよ、みたいな可能性はあるわけで、“こうするべき”っていうのがそもそも違うんじゃないの?って感じるんですけどね。

 それ以外にも、この本で「ティファニーで朝食を」以降として「いつも2人で」だけが取り上げられていたり、ブレーク・エドワーズと脚本のジョージ・アクセルロッドとが不仲になったりとか、なぜ原作から改変されたのか、とかが色々わかって大変興味深い本に仕上がっていました。

オススメ度:★★★★


  

Posted by みつお at 09:00Comments(4)批評・評論など

2011年03月03日

中川右介:著「大女優物語 オードリー、マリリン、リズ」

 こういうのがあるのを見つけたので、アマゾンで安くなっている中古を買いました。
 中川右介って人の書いている「大女優物語 オードリー、マリリン、リズ」って本。

 こういうオードリーの評論ってのはあんまり調べもせずに書いた、適当な押し付け評論なんだろなと思って中古しか買わなかったんですが、まあそれで正解。

 オードリーとマリリン・モンローとエリザベス・テイラーを時間軸ごとに並べて書いているので、その時代の流れは掴めてそれなりに面白いんです。
 エリザベス・テイラーがこれこれこういうことをして、既にスターだった時に、マリリンとオードリーは何をしていたのか、とかってのが新しい観点で、新鮮です。

 マリリン・モンローなんて、リアルタイムで活躍してた時の日本では考えられないくらいアメリカでは人気があったじゃないですか、それが最後まで出演料10万ドルって…。

 エリザベス・テイラーが20世紀フォックスで「クレオパトラ」を100万ドルで契約して話題になってた時に、会社に莫大な富をもたらした20世紀フォックスお抱えのマリリン・モンローには10万ドルのギャラ…。これはマリリンじゃなくても凹みますよね。
 オードリーだって当時は既に30万ドルくらいはもらってます。やっぱこれはエージェントの違いなんですかね。
 なんかマリリンだけ常に空回りしてて、同情しちゃうような内容です。

 でもですね、この本でオードリーのことだけに目を向けたときは、ちょっと疑問なことが。
 参考資料にメイチックの伝記や吉村英夫氏の評論が入ってますしね。まあ本文ではそれらのトンデモ本の丸写し的なところはないのでまあいいんですが、問題はこの作者の感性で書いてるところですね。

 「ローマの休日」で、サンタンジェロの大騒ぎのあと、河を渡って逃げるアン王女とジョーですが、その後の空白の時間に二人が「寝た」のではないかと書いてるんです!

 もし誤解を与えたくないのなら、その後の二人のやりとりを描くべきだ!とも、その後自立したアン王女の理由付けとしても使用しています。
 この辺、ちょっと吉村英夫氏のような臭いがプンプンしますね。

 別に「寝」なくても、女性は自立できると思いますけど?ましてや、王女の自覚を持つのは自分の責任感を感じてじゃないですか。それはむしろ何も出来ない二人だからこそ余計に痛切に感じたんじゃないかと思うんですよね。

 作者も書いているようにその時のベッドは乱れてないですし、ジョーのそれまでの描かれ方からも、アン王女に迫ったとは考えにくく、著者の勝手な妄想に陥っていると思いますけどね。

 それに、映画で物事を描くかどうかは、そこにそういうシーンが必要かどうかで決まるもので、もうここのシーンはこれで完成してますよね。そこに「これを着て」「ありがとう」なんて著者が主張する“やりとりを描くべき”だなんて全然思いませんけど。

 最後の解説でも “「オードリーの映画ならなんでも好き」と答える人がいるが、それは名作を貶めることになる。” なんて自分の考えの押し付けが入ってますが、だって全部のオードリーを好きなのは仕方ないじゃないですか?実際そうなんだし。

 何も万人が名作だけを好きなわけじゃないし、人によって好きな作品も違う。僕もウィリアム・ワイラー監督では「ローマの休日」より「おしゃれ泥棒」の方が好きですよ。自分の思い入れのないどんな名作を見るより、僕はどんな評価でも「緑の館」や「華麗なる相続人」を見たいんです!

 ファンってそういうもんでしょ?そこへどこぞの社長さんで編集長さんだかが偏狭な考えを押し付けようったってそうはならないです、残念ですけど。

 あと、オードリー自身が“楽しかった”と述べた「パリで一緒に」の撮影現場を伝記を鵜呑みにして辛い現場にしてることや、「ティファニーで朝食を」を傑作でないとか「マイ・フェア・レディ」を最大の失敗作とか書いて決め付けてるのもどうも感性が僕とはあまりに合わなくて、まあちょっと面白い勝手な創作読み物程度の評価ですかね。

オススメ度:なし。吉村英夫氏ほどヒドくはないけれど、単なる自己満足本で、読む必要もない。


  

Posted by みつお at 17:30Comments(12)批評・評論など