2024年04月26日
「ローマの休日」日本公開70周年記念、「映画の友」1954年5月号の紹介
1954年4月21日は「ローマの休日」が佐世保の富士映画劇場で日本で最初に初公開されてちょうど70年になります。
その後23日には名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と次々に地方から公開。
そして27日にはいよいよ東京の東宝チェーンマスター館の日比谷映画劇場で封切り!
同じ27日には甲府の電気館、浜松の松菱劇場でも同時公開。
4月中には28日に宇都宮の電気館・香川の高松大劇・愛媛の松山有楽座・高知のモデル劇場、29日に札幌の松竹座、30日には福岡東宝劇場、5月1日には函館・大阪梅田・大阪難波・京都・神戸と続々と全国公開していきます。
この当時、まずは東京で封切って、その後京阪神から名古屋、福岡、札幌と “ロードショー”していくのが普通で、東京や大都市の反応を見てから地方へ、という流れが当たり前だったのですが、この「ローマの休日」に関しては東京の反応を待たずに地方公開が始まっていますね。
「ローマの休日」に関しては今までの「月刊パラマウント」などでも紹介済みのように、アメリカから聞こえてきた作品の出来の良さと話題の新星オードリー・ヘプバーンが大きく取り上げられていました。
54年には「麗しのサブリナ」も撮影済みになっていたため(「麗しのサブリナ」撮影は1953年9月から12月)、「ローマの休日」共々その髪型やファッションが雑誌や新聞に載っていました。
日本のスターも真似して。何か月も前から女性の熱狂的なブームを巻き起こしていたことなどでオードリーの認知度が既に全国区であったことで、地方で公開しても大丈夫だと思われたのではないでしょうか。
それに公開前からオードリーの髪型コンテストや日本のオードリーコンテストなども始まっており、3月にアカデミー賞の発表があってオードリーが主演女優賞を獲ると、ますますブームが加熱、前売り券の売り上げも上々だったのではないでしょうか。
今と違って、個人がそれぞれの個性で、という時代ではなく、全国で同じ流行だった時代なので、日本全国がオードリー!って大興奮状態だったわけですよね。
結果的には1954年はもちろん、「風と共に去りぬ」を抜いてそれまでの洋画での配給収入の日本新記録を叩き出していますね。「風と共に去りぬ」は1952年に東京では108日間の上映でしたけど、「ローマの休日」は東京で38日間でひっくり返してしまったわけですね。
当時は一部の高額な指定席を除いてほとんど自由席でしたから、どれだけ劇場に人が入ったか想像すると席取り合戦が怖いですよね。
日本のテレビ放送は始まったばかりで、まだ受像機自体がほとんどなく、娯楽の主役は映画だった時代。
「ローマの休日」はその製作費の1/3を日本で回収したと言われるほど。
「キネマ旬報」だったかの対談で、(戦後で)貧乏な日本からそんなに持っていかないで欲しいねと冗談を言われていました。
さて、前置きが長くなってしまいましたが今日の紹介は雑誌「映画の友」の1954年5月号。
5月号と言っても発売は3月21日なので、「ローマの休日」は公開前で、アカデミー賞の発表もまだですが、この号では「ローマの休日」関連の大特集が組まれるほど。
それだけ世間では「ローマの休日」とオードリーに対する期待が高まっていたんですね。表紙もオードリー。
この号は、目次も「麗しのサブリナ」のオードリーが載ってる。
新作映画紹介にもグラビアで2ページぶん「ローマの休日」があります。
もうこの段階では既に試写は終わっており、映画評論家の人たちは「ローマの休日」を見た後。
なので映画評論家の清水俊二さんの解説と評価が載ってるし、同じページにウィリアム・ワイラー監督との問答もあります。
これが4ページ分。
さらに “オードリイ・ヘップバーン特集”というのが本文とグラビアで12ページも使ってあるし、裏表紙も「ローマの休日」の(当時は貴重なカラーの)宣伝。
全体では22ページも費やして「ローマの休日」とオードリー関連のページがあります。初公開当時は今ではほぼ見ないレアな画像も多く使っているし、文章は濃いしで、読み応えも見応えも充分!
青っぽいグラビアの新作映画紹介のページですが、撮影中の王女の衣装を着た写真以外はレアな画像ばかりの撮影スナップでまとめられています。
横向きの画像は、今となっては考えられませんが、これよりちょっと前の号の「スクリーン」だったか「映画の友」だったかで載ってた時は、端っこのオードリーの顔の部分が削られていました。
ワイラー監督と踊る後ろ姿のオードリーの画像も珍しいですね。
清水俊二さんの文章では、やはりワイラー監督の腕が冴え渡っていることが書かれており、「ローマの休日」のロケーション・マネージャーが53年年末〜54年正月に日本に滞在していたことで話を聞くことができ、ワイラー監督が心から演出を楽しんでいたことが書かれています。
また、「映画の友」がウィリアム・ワイラー監督との問答を試みていて、それが載っているのですが、グレゴリー・ペックの喜劇出演はこれが初めてだったと書いてあってちょっとビックリしました。そう言われてペックの出演作を見てみると、確かにコメディってほとんどない!これは新しい発見ですね。
“オードリイ・ヘップバーン特集”では「ローマの休日」でたちまち2つの賞を獲得したことが書かれていますが、アカデミー賞の発表は3月25日なので、この号発売の3月21日の段階ではフィルム・デイリー誌の最優秀主演女優賞とニューヨーク批評家協会賞の女優賞をもらったことが書かれています。
次の見開きでは上段に当時の皇太子殿下(現:上皇陛下)がニューヨークで「ローマの休日」をご覧になったことが書かれています。殿下や随員御一行の席は王女が謁見する場面や王女がヒステリーを起こす場面で常にクスクスと笑いが起きていたこと、映画が終わると皇太子さまは「こう警備が厳重だと、僕は抜け出せないね」と語って周りが大笑いしていたことが書かれています。
でももしこれが戦前だったら、この映画を皇太子殿下にはお見せしなかったであろうし、日本へは輸入禁止になっていただろうと書かれています。
下段ではオードリーに対するインタビューがありますが、割と今では知られていることばかりなので、特にここで書くことは何もないかも。
珍しくジェームス・ハンスンとの別れのことがオードリー本人の口から語られています。
続いては茶色のグラビア4ページ分を使ってオードリーの写真が載っています。最初は「麗しのサブリナ」の宣伝写真。次はオードリーのスナップ集ですが、「ジジ」以降のものが多いため、珍しい画像は3点ほど。その次は「ローマの休日」撮影中のものになっています。
最初の謁見のシーンで着る金色のドレスの場面ではグレゴリー・ペックの出演シーンは無いのですが、ここでのスナップでは楽しそうに談笑していますね。
撮影は始めの方だったでしょうし、ペックがオードリーと親しくなっておこうとわざわざ顔合わせに来てくれたんでしょうね。
その次の本文ページでは演技について淀川長治氏が、個性については山本恭子さんが、そして岡俊雄さんはスバリ “オードリー”ということで文章を書いています。
後年、オードリーに対して辛辣な淀川長治氏ですが、ここでは“見るまでは個性八分、演技二分だと思っていたが、個性と演技が五分五分だ”と書いています。“ヴィヴィアン・リーの再来か…と言ったら大げさな、とどこからか声が入りそうではあるが、若いくせに早くも演技を楽しんでいる”と書いています。
岡俊雄さんのページに載っているセシル・B・デミル監督と同席しているオードリーの写真が、めっちゃ可愛く写っています。
そういえば、裏表紙のパラマウントの宣伝ですが、ここでは “オードリイ・ヘップバーン”表記ですね。
初公開時のパラマウントでの表記は “オードリイ・ヘップバーン”と“オードリー・ヘップバーン”が混在しているのですが、“オードリイ”の方が優勢。
次の「麗しのサブリナ」から「パリの恋人」は“オードリー・ヘップバーン”で統一。
ところが1961年の「ティファニーで朝食を」以降はリバイバルも含めてパラマウントでは “オードリー・ヘプバーン”で統一となり、2003年の「ローマの休日」のリバイバルも、現在発売されているDVDやブルーレイも “オードリー・ヘプバーン”です。
でもなぜだか1980年に公開された「華麗なる相続人」だけはまた “オードリー・ヘップバーン”表記に一瞬戻っているんですよね。
その後23日には名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と次々に地方から公開。
そして27日にはいよいよ東京の東宝チェーンマスター館の日比谷映画劇場で封切り!
同じ27日には甲府の電気館、浜松の松菱劇場でも同時公開。
4月中には28日に宇都宮の電気館・香川の高松大劇・愛媛の松山有楽座・高知のモデル劇場、29日に札幌の松竹座、30日には福岡東宝劇場、5月1日には函館・大阪梅田・大阪難波・京都・神戸と続々と全国公開していきます。
この当時、まずは東京で封切って、その後京阪神から名古屋、福岡、札幌と “ロードショー”していくのが普通で、東京や大都市の反応を見てから地方へ、という流れが当たり前だったのですが、この「ローマの休日」に関しては東京の反応を待たずに地方公開が始まっていますね。
「ローマの休日」に関しては今までの「月刊パラマウント」などでも紹介済みのように、アメリカから聞こえてきた作品の出来の良さと話題の新星オードリー・ヘプバーンが大きく取り上げられていました。
54年には「麗しのサブリナ」も撮影済みになっていたため(「麗しのサブリナ」撮影は1953年9月から12月)、「ローマの休日」共々その髪型やファッションが雑誌や新聞に載っていました。
日本のスターも真似して。何か月も前から女性の熱狂的なブームを巻き起こしていたことなどでオードリーの認知度が既に全国区であったことで、地方で公開しても大丈夫だと思われたのではないでしょうか。
それに公開前からオードリーの髪型コンテストや日本のオードリーコンテストなども始まっており、3月にアカデミー賞の発表があってオードリーが主演女優賞を獲ると、ますますブームが加熱、前売り券の売り上げも上々だったのではないでしょうか。
今と違って、個人がそれぞれの個性で、という時代ではなく、全国で同じ流行だった時代なので、日本全国がオードリー!って大興奮状態だったわけですよね。
結果的には1954年はもちろん、「風と共に去りぬ」を抜いてそれまでの洋画での配給収入の日本新記録を叩き出していますね。「風と共に去りぬ」は1952年に東京では108日間の上映でしたけど、「ローマの休日」は東京で38日間でひっくり返してしまったわけですね。
当時は一部の高額な指定席を除いてほとんど自由席でしたから、どれだけ劇場に人が入ったか想像すると席取り合戦が怖いですよね。
日本のテレビ放送は始まったばかりで、まだ受像機自体がほとんどなく、娯楽の主役は映画だった時代。
「ローマの休日」はその製作費の1/3を日本で回収したと言われるほど。
「キネマ旬報」だったかの対談で、(戦後で)貧乏な日本からそんなに持っていかないで欲しいねと冗談を言われていました。
さて、前置きが長くなってしまいましたが今日の紹介は雑誌「映画の友」の1954年5月号。
5月号と言っても発売は3月21日なので、「ローマの休日」は公開前で、アカデミー賞の発表もまだですが、この号では「ローマの休日」関連の大特集が組まれるほど。
それだけ世間では「ローマの休日」とオードリーに対する期待が高まっていたんですね。表紙もオードリー。
この号は、目次も「麗しのサブリナ」のオードリーが載ってる。
新作映画紹介にもグラビアで2ページぶん「ローマの休日」があります。
もうこの段階では既に試写は終わっており、映画評論家の人たちは「ローマの休日」を見た後。
なので映画評論家の清水俊二さんの解説と評価が載ってるし、同じページにウィリアム・ワイラー監督との問答もあります。
これが4ページ分。
さらに “オードリイ・ヘップバーン特集”というのが本文とグラビアで12ページも使ってあるし、裏表紙も「ローマの休日」の(当時は貴重なカラーの)宣伝。
全体では22ページも費やして「ローマの休日」とオードリー関連のページがあります。初公開当時は今ではほぼ見ないレアな画像も多く使っているし、文章は濃いしで、読み応えも見応えも充分!
青っぽいグラビアの新作映画紹介のページですが、撮影中の王女の衣装を着た写真以外はレアな画像ばかりの撮影スナップでまとめられています。
横向きの画像は、今となっては考えられませんが、これよりちょっと前の号の「スクリーン」だったか「映画の友」だったかで載ってた時は、端っこのオードリーの顔の部分が削られていました。
ワイラー監督と踊る後ろ姿のオードリーの画像も珍しいですね。
清水俊二さんの文章では、やはりワイラー監督の腕が冴え渡っていることが書かれており、「ローマの休日」のロケーション・マネージャーが53年年末〜54年正月に日本に滞在していたことで話を聞くことができ、ワイラー監督が心から演出を楽しんでいたことが書かれています。
また、「映画の友」がウィリアム・ワイラー監督との問答を試みていて、それが載っているのですが、グレゴリー・ペックの喜劇出演はこれが初めてだったと書いてあってちょっとビックリしました。そう言われてペックの出演作を見てみると、確かにコメディってほとんどない!これは新しい発見ですね。
“オードリイ・ヘップバーン特集”では「ローマの休日」でたちまち2つの賞を獲得したことが書かれていますが、アカデミー賞の発表は3月25日なので、この号発売の3月21日の段階ではフィルム・デイリー誌の最優秀主演女優賞とニューヨーク批評家協会賞の女優賞をもらったことが書かれています。
次の見開きでは上段に当時の皇太子殿下(現:上皇陛下)がニューヨークで「ローマの休日」をご覧になったことが書かれています。殿下や随員御一行の席は王女が謁見する場面や王女がヒステリーを起こす場面で常にクスクスと笑いが起きていたこと、映画が終わると皇太子さまは「こう警備が厳重だと、僕は抜け出せないね」と語って周りが大笑いしていたことが書かれています。
でももしこれが戦前だったら、この映画を皇太子殿下にはお見せしなかったであろうし、日本へは輸入禁止になっていただろうと書かれています。
下段ではオードリーに対するインタビューがありますが、割と今では知られていることばかりなので、特にここで書くことは何もないかも。
珍しくジェームス・ハンスンとの別れのことがオードリー本人の口から語られています。
続いては茶色のグラビア4ページ分を使ってオードリーの写真が載っています。最初は「麗しのサブリナ」の宣伝写真。次はオードリーのスナップ集ですが、「ジジ」以降のものが多いため、珍しい画像は3点ほど。その次は「ローマの休日」撮影中のものになっています。
最初の謁見のシーンで着る金色のドレスの場面ではグレゴリー・ペックの出演シーンは無いのですが、ここでのスナップでは楽しそうに談笑していますね。
撮影は始めの方だったでしょうし、ペックがオードリーと親しくなっておこうとわざわざ顔合わせに来てくれたんでしょうね。
その次の本文ページでは演技について淀川長治氏が、個性については山本恭子さんが、そして岡俊雄さんはスバリ “オードリー”ということで文章を書いています。
後年、オードリーに対して辛辣な淀川長治氏ですが、ここでは“見るまでは個性八分、演技二分だと思っていたが、個性と演技が五分五分だ”と書いています。“ヴィヴィアン・リーの再来か…と言ったら大げさな、とどこからか声が入りそうではあるが、若いくせに早くも演技を楽しんでいる”と書いています。
岡俊雄さんのページに載っているセシル・B・デミル監督と同席しているオードリーの写真が、めっちゃ可愛く写っています。
そういえば、裏表紙のパラマウントの宣伝ですが、ここでは “オードリイ・ヘップバーン”表記ですね。
初公開時のパラマウントでの表記は “オードリイ・ヘップバーン”と“オードリー・ヘップバーン”が混在しているのですが、“オードリイ”の方が優勢。
次の「麗しのサブリナ」から「パリの恋人」は“オードリー・ヘップバーン”で統一。
ところが1961年の「ティファニーで朝食を」以降はリバイバルも含めてパラマウントでは “オードリー・ヘプバーン”で統一となり、2003年の「ローマの休日」のリバイバルも、現在発売されているDVDやブルーレイも “オードリー・ヘプバーン”です。
でもなぜだか1980年に公開された「華麗なる相続人」だけはまた “オードリー・ヘップバーン”表記に一瞬戻っているんですよね。
2024年02月09日
「ローマの休日」公開前夜 月刊「パラマウント」1954年3月号
今回は日本初公開70周年を迎える「ローマの休日」「麗しのサブリナ」を記念して、パラマウント友の会発行の月刊「パラマウント」1954年3月号の紹介。
表紙はジャネット・リー。僕はこの人の作品を有名な「サイコ」も含めて1本も見たことないです。
初期の3号や5号の頃は15日発行だったのですが、1954年からは1日発行に切り替わっています。
3月号の頃にはアメリカではもうアカデミー賞のノミネートが発表されています。
そこでは「ローマの休日」が10部門もノミネートされて、さらに前評判を煽ることになっていますね。
この号でもアカデミー賞のことが載っているのですが、この年の有力候補は「シェーン」と「地上より永遠に」。それに「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」「ジュリアス・シーザー」「聖衣」「リリー」「モガンボ」が追っているという状況。
まあ「ジュリアス・シーザー」と「聖衣」は大作でおおっ!と言わせただけで、出来の方は “?”って感じだったようなので、やっぱり「シェーン」と「地上より永遠に」が本命だと見られていたようです。
それらの中で、「シェーン」「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」はパラマウント社の作品なので、うまくいけば主要な部門は全部パラマウントになるかも!と期待されていたようです。
ところが実際に発表されると、「地上より永遠に」が8部門を独占して、主要な賞でパラマウントが取れたのはオードリーの主演女優賞と、「第十七捕虜収容所」のウィリアム・ホールデンの主演男優賞のみでしたね。
本命とみられていた「シェーン」は撮影賞のみ、助演男優賞は「地上より永遠に」のフランク・シナトラ以外は全員パラマウント映画からだったので、“これでシナトラにさらわれたらよくよく運がないとみてよろしい” なんて書かれてましたが、見事シナトラに取られてしまっています。
それでも主演女優賞では “予断を許さないが、ヘップバーンとの声が高い” と書かれていて、やっぱりアメリカでもオードリーだと言われてたんやなーと、当時の様子が知れて興味深いです。
さて、先にアカデミー賞のことを書きましたが、まず最初に出てくるのは、グラビアページの「麗しのサブリナ」撮影中のビリー・ワイルダー監督とウィリアム・ホールデン。ここでは「サブリナ・フェア」と書かれています。完成後は「サブリナ」だけになってしまう原題ですが、まだ公開前の段階では戯曲と同じ「サブリナ・フェア」だったのですね。
そしてこの当時はウィリアム・ホールデンの全盛期でしたよね。日本の映画雑誌の人気投票でも1位あたりにいた時期ですし、この年のアカデミー主演男優賞も受賞します。
そんなダブル受賞となった人気絶頂のホールデンとオードリーの共演の「麗しのサブリナ」ですから、パラマウントはおいしかったでしょうねー。
鉄は熱いうちに打て!とばかりに当時は珍しかった日米同時公開に向けてパラマウント日本支社の人は奔走し、結局アメリカよりも先に日本で公開しました。
さて、まだ「ローマの休日」は公開してませんが、その前評判は凄く、ここでもグラビアページの次には牧和子さんという方の絵と、田中映一って人の文章が最初に載せられています。
イラストを描いた牧さんは、編集後記で“パラマウント宣伝部に来る度にオードリー・ヘップバーンの名前と写真を見ない日はない位、オードリー旋風が吹き巻くっている。私なんか夢に迄彼女の顔が浮かんでくる。早く実物を見ないと” と書いています。
もうすでに世の中はオードリーの大旋風が始まっていたんですね。
次のページはビリー・ワイルダー監督の作品目録となっているのですが、そこには (“サブリナ・フェア”のスナップより)ってオードリーとハンフリー・ボガートの写真が載っています。
でも、キャプションでは「サブリナ・フェア」でしたが、この目録の最新作のところでは「サブリナ祭」って書いてある!
“フェア”を“祭り”の意と訳したんですね。いや、本当は “麗しの”の意味の “フェア”だったんですけどね。
そのまま次にはさっきのアカデミー賞のことが書いてあるんですが、その次は「パラマウント・スタジオ・ニュース」ってページで、「ローマの休日」の公開が4月27日に日比谷映劇で公開されることが書かれています。
普通なら東京の銀座地区の日比谷映劇での公開が日本で最初の公開になって、次に大阪などの大都市、そして地方都市へと順繰りにロードショーするのでしょうが、この作品に関しては21日に佐世保富士劇場、23日に名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と東京よりも早く公開した劇場が5つもあって、日比谷映劇の公開日の27日には甲府と浜松でも公開されるなど、かなりイレギュラーな公開順となっています。
次のオードリーは、“明日のスター 昨日のスター”というコーナーで、2000万人のファンを持つというアメリカの映画批評家(今でいうインフルエンサーですね)によって “牝鹿の如き妖精 オードリー・ヘップバーン”ということで紹介されています。
そこでは「銀幕に未だ曽つてみなかった新しい魅力」「ヘップバーンを見た人はどんな素人でも彼女こそが生まれ乍らのスター、世にも稀な銀幕の奇跡だと気がつくに違いない。」「オードリー・ヘップバーンの如き女優は過去十年間その類をみない。」「全米の男性を魅了し、若い女性達は彼女の髪型を真似、眼の使い方を真似、子供達は童話の世界のヒロインを愛するようにヘップバーンを愛するであろう。」とベタ褒めです。
ここでは淀川長治氏がオードリーに比較できるような往年のサイレント映画の女優ということで、ルイズ・ブルックスという女優を挙げています。
ただ、近代的なオードリー、若々しいオードリーに比較できる無声映画のスタアは見当たらない、と述べています。それでもパラマウント映画登場の鮮やかさで今日のオードリーのそれと似ている、と書いています。
さらには公開直前の次号用に “「ローマの休日」に期待するもの”というテーマで文章の募集が呼びかけられていますし、裏表紙の裏(表3)ではオードリーのモノクロ写真が4枚組100円(送料込み)で頒布されています。
100円つっても、当時の物価を考えると今の2500円くらいなんですけどね。
他のパラマウントの新人女優さんが4人1組で写真頒布されているのに比べると、いかにオードリーが特別扱いかがわかりますよね。
とにかく、まだ「ローマの休日」公開には1か月以上あるにもかかわらず、当時の世の中がオードリーで盛り上がっているのが実感できます。
僕などはもう物心ついてオードリーを好きになったときには、すでに日本では大スターであることが当然でしたから、この新星を迎える日本のワクワク感が伝わってくるのが新鮮です。
表紙はジャネット・リー。僕はこの人の作品を有名な「サイコ」も含めて1本も見たことないです。
初期の3号や5号の頃は15日発行だったのですが、1954年からは1日発行に切り替わっています。
3月号の頃にはアメリカではもうアカデミー賞のノミネートが発表されています。
そこでは「ローマの休日」が10部門もノミネートされて、さらに前評判を煽ることになっていますね。
この号でもアカデミー賞のことが載っているのですが、この年の有力候補は「シェーン」と「地上より永遠に」。それに「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」「ジュリアス・シーザー」「聖衣」「リリー」「モガンボ」が追っているという状況。
まあ「ジュリアス・シーザー」と「聖衣」は大作でおおっ!と言わせただけで、出来の方は “?”って感じだったようなので、やっぱり「シェーン」と「地上より永遠に」が本命だと見られていたようです。
それらの中で、「シェーン」「ローマの休日」「第十七捕虜収容所」はパラマウント社の作品なので、うまくいけば主要な部門は全部パラマウントになるかも!と期待されていたようです。
ところが実際に発表されると、「地上より永遠に」が8部門を独占して、主要な賞でパラマウントが取れたのはオードリーの主演女優賞と、「第十七捕虜収容所」のウィリアム・ホールデンの主演男優賞のみでしたね。
本命とみられていた「シェーン」は撮影賞のみ、助演男優賞は「地上より永遠に」のフランク・シナトラ以外は全員パラマウント映画からだったので、“これでシナトラにさらわれたらよくよく運がないとみてよろしい” なんて書かれてましたが、見事シナトラに取られてしまっています。
それでも主演女優賞では “予断を許さないが、ヘップバーンとの声が高い” と書かれていて、やっぱりアメリカでもオードリーだと言われてたんやなーと、当時の様子が知れて興味深いです。
さて、先にアカデミー賞のことを書きましたが、まず最初に出てくるのは、グラビアページの「麗しのサブリナ」撮影中のビリー・ワイルダー監督とウィリアム・ホールデン。ここでは「サブリナ・フェア」と書かれています。完成後は「サブリナ」だけになってしまう原題ですが、まだ公開前の段階では戯曲と同じ「サブリナ・フェア」だったのですね。
そしてこの当時はウィリアム・ホールデンの全盛期でしたよね。日本の映画雑誌の人気投票でも1位あたりにいた時期ですし、この年のアカデミー主演男優賞も受賞します。
そんなダブル受賞となった人気絶頂のホールデンとオードリーの共演の「麗しのサブリナ」ですから、パラマウントはおいしかったでしょうねー。
鉄は熱いうちに打て!とばかりに当時は珍しかった日米同時公開に向けてパラマウント日本支社の人は奔走し、結局アメリカよりも先に日本で公開しました。
さて、まだ「ローマの休日」は公開してませんが、その前評判は凄く、ここでもグラビアページの次には牧和子さんという方の絵と、田中映一って人の文章が最初に載せられています。
イラストを描いた牧さんは、編集後記で“パラマウント宣伝部に来る度にオードリー・ヘップバーンの名前と写真を見ない日はない位、オードリー旋風が吹き巻くっている。私なんか夢に迄彼女の顔が浮かんでくる。早く実物を見ないと” と書いています。
もうすでに世の中はオードリーの大旋風が始まっていたんですね。
次のページはビリー・ワイルダー監督の作品目録となっているのですが、そこには (“サブリナ・フェア”のスナップより)ってオードリーとハンフリー・ボガートの写真が載っています。
でも、キャプションでは「サブリナ・フェア」でしたが、この目録の最新作のところでは「サブリナ祭」って書いてある!
“フェア”を“祭り”の意と訳したんですね。いや、本当は “麗しの”の意味の “フェア”だったんですけどね。
そのまま次にはさっきのアカデミー賞のことが書いてあるんですが、その次は「パラマウント・スタジオ・ニュース」ってページで、「ローマの休日」の公開が4月27日に日比谷映劇で公開されることが書かれています。
普通なら東京の銀座地区の日比谷映劇での公開が日本で最初の公開になって、次に大阪などの大都市、そして地方都市へと順繰りにロードショーするのでしょうが、この作品に関しては21日に佐世保富士劇場、23日に名古屋ミリオン座と四日市の三重劇場、25日には新潟の大竹座、26日には広島宝塚劇場と東京よりも早く公開した劇場が5つもあって、日比谷映劇の公開日の27日には甲府と浜松でも公開されるなど、かなりイレギュラーな公開順となっています。
次のオードリーは、“明日のスター 昨日のスター”というコーナーで、2000万人のファンを持つというアメリカの映画批評家(今でいうインフルエンサーですね)によって “牝鹿の如き妖精 オードリー・ヘップバーン”ということで紹介されています。
そこでは「銀幕に未だ曽つてみなかった新しい魅力」「ヘップバーンを見た人はどんな素人でも彼女こそが生まれ乍らのスター、世にも稀な銀幕の奇跡だと気がつくに違いない。」「オードリー・ヘップバーンの如き女優は過去十年間その類をみない。」「全米の男性を魅了し、若い女性達は彼女の髪型を真似、眼の使い方を真似、子供達は童話の世界のヒロインを愛するようにヘップバーンを愛するであろう。」とベタ褒めです。
ここでは淀川長治氏がオードリーに比較できるような往年のサイレント映画の女優ということで、ルイズ・ブルックスという女優を挙げています。
ただ、近代的なオードリー、若々しいオードリーに比較できる無声映画のスタアは見当たらない、と述べています。それでもパラマウント映画登場の鮮やかさで今日のオードリーのそれと似ている、と書いています。
さらには公開直前の次号用に “「ローマの休日」に期待するもの”というテーマで文章の募集が呼びかけられていますし、裏表紙の裏(表3)ではオードリーのモノクロ写真が4枚組100円(送料込み)で頒布されています。
100円つっても、当時の物価を考えると今の2500円くらいなんですけどね。
他のパラマウントの新人女優さんが4人1組で写真頒布されているのに比べると、いかにオードリーが特別扱いかがわかりますよね。
とにかく、まだ「ローマの休日」公開には1か月以上あるにもかかわらず、当時の世の中がオードリーで盛り上がっているのが実感できます。
僕などはもう物心ついてオードリーを好きになったときには、すでに日本では大スターであることが当然でしたから、この新星を迎える日本のワクワク感が伝わってくるのが新鮮です。
2023年10月09日
1986年 “オードリー・フェスティバル”時 B2ポスター
今回は、年度は今年とは“何周年”とかの関係はありませんけど、上映されていた日付がちょうど今頃だった、1986年の“オードリー・フェスティバル”時のB2ポスターの紹介。
この時は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が上映されていますね。
でもこの時のメインは、画像でもわかるように「パリの恋人」!
というのも、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」は既に1985年の年末に上映されているので。
その時の詳しいお話は、“ゴールデンシアター” チラシの記事で。
80年代後半〜90年代初期のオードリーの大ブーム時には“オードリー・シアター”と呼ばれていたらしいというほど、オードリーの映画をよく掛けてくれていた銀座文化劇場では、85年11月30日「麗しのサブリナ」から始まって、86年1月16日で「ローマの休日」の上映が終わったのに、8か月でまた「ローマの休日」から上映していることになります。
この85年の「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」で手応えがあったのか、86年からは日本ヘラルド配給による怒涛のオードリー作品リバイバルが始まります。
そのリバイバルされたオードリー作品全ての好調っぷりを見て、慌てて本家の配給会社も追随してまだ残っている作品をリバイバルするという過熱っぷり。
それまで、70年代後半から80年代前半のオードリー作品の粗末な扱われ方を知っていた僕なんかは本当にビックリしました。
“オードリー作品ではもうお客を呼べない”なんて言われていましたが、そうではなくて、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりバカのひとつ覚えみたいに数年ごとにリバイバルしてちゃ、そりゃお客さんも飽きて動員数も減ります。
オードリーのファンが望んでいたのは、「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」だけではなく、全部の作品だったことがこの時に証明されたんですよね。
85年には「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」
86年に「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」
87年に「シャレード」「暗くなるまで待って」(ワーナー配給)「戦争と平和」(UIP配給)
88年に「パリで一緒に」「緑の館」
89年に「昼下りの情事」「戦争と平和」(日本ヘラルド配給)
90年には「オールウェイズ」初公開
91年に「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」(日本ヘラルド配給)
と、14作品で16回のリバイバル、新作1本、が来てますし、さらには「おしゃれ泥棒2」と「ニューヨークの恋人たち」もこの時期にVHSビデオで発売(日本初紹介)されています。
日本ヘラルドも、最初は各製作会社別に買い付けて、MGM/UA、パラマウント、などと他の往年の映画とともにテーマを決めて他作品とオードリー作品を混ぜて公開していたようなのですが、あまりにも突出してオードリー作品の興行成績がよかったんでしょうね、段々オードリー作品のみの買い付け&オードリー作品だけをまとめた上映になっていきます。
さて、ここでの「パリの恋人」のリバイバルは、1966年以来実に20年ぶりの上映になります。
「パリの恋人」が上映される!ってんで、舞い上がった僕は高校時代の先輩後輩に連絡をして、10人くらいで梅田に観に行きました。
大阪は87年になってからの上映でした。(大阪版のチラシの記事はこちら)
というのも、86年当時はまだ今のようなデジタルではなく、フィルムでの上映。
全国一斉に上映する新作ではなく、リバイバルの場合、フィルムをそんな何十本も取り寄せないんですよね。
なので、全国分でも数本しか準備されていなかったと思います。
このポスターで見ると、銀座文化と自由が丘武蔵野館で同じ作品が被っている期間がありますので、2本はある事になりますね。
さらに予備などであと数本はあるでしょうけど、全国別の場所でそんなたくさん上映できるほどのフィルムは無かったと思われるんですよね。
何かあった時用に予備は必ず準備しておかなければならないでしょうし、あるだけ全部使うわけにはいかないんですよね。
なので、昔のロードショー方式のように、全国を順々に回していったと思われます。
(こちらの画像はゲッティイメージズ さんの無料でブログに埋め込み可の画像をお借りしました)
さて、「パリの恋人」がリバイバルで見られる!ってだけでも嬉しかった僕ですが、劇場に行って驚愕! ロビーには既に予告としてこの「暗くなるまで待って」のポスターが貼ってありました!
「暗くなるまで待って」のリバイバルを知らなかった僕は、えーーっ!!こんな連続してオードリー作品がリバイバルされるん!?って思ったのを覚えています。
当時はまだ社会人じゃないし、貧乏な僕には、嬉しいけれどお金が心配になりました。
それと、また一緒に行くメンバーを集めないといけないなーと思ってました。
その時に劇場に貼ってあったこの “オードリー・フェスティバル”のポスター!
当時はこの「パリの恋人」のオペラ座の画像はレアでしたし、なんとキラキラ輝いていたことか!
僕は喉から手が出るほど欲しかったのを覚えています。
今はこうして(大阪のじゃないけど)手元にある“オードリー・フェスティバル”のポスターですが、これを見ると当時の思い出が甦ります。
初公開時の物でも66年リバイバルの物でもないし、「パリの恋人」だけのポスターでもないので、価値はそれほど高くないかとは思いますが、僕にとっては思い出のいっぱい詰まったポスターになります。
さらに横には「暗くなるまで待って」のポスターも貼ってあったんですから、70年代後半から80年代前半にかけてオードリー作品のリバイバルに飢えていた僕にはいかに壮観で、ポスターだけでもう圧倒されていたのかがわかっていただけるかと思います。
この時、短期間でこんなにオードリー作品が続々とリバイバルされるなんて、何かただならぬことが起こっている気配を感じたのでした。
実はこの時に全国的にオードリーのブームは起き始めていて、1987年5月号の雑誌“スクリーン”の人気投票では6年ぶりにベスト10圏内(第7位)にオードリーは返り咲くんですよね。
この時は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が上映されていますね。
でもこの時のメインは、画像でもわかるように「パリの恋人」!
というのも、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」は既に1985年の年末に上映されているので。
その時の詳しいお話は、“ゴールデンシアター” チラシの記事で。
80年代後半〜90年代初期のオードリーの大ブーム時には“オードリー・シアター”と呼ばれていたらしいというほど、オードリーの映画をよく掛けてくれていた銀座文化劇場では、85年11月30日「麗しのサブリナ」から始まって、86年1月16日で「ローマの休日」の上映が終わったのに、8か月でまた「ローマの休日」から上映していることになります。
この85年の「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」で手応えがあったのか、86年からは日本ヘラルド配給による怒涛のオードリー作品リバイバルが始まります。
そのリバイバルされたオードリー作品全ての好調っぷりを見て、慌てて本家の配給会社も追随してまだ残っている作品をリバイバルするという過熱っぷり。
それまで、70年代後半から80年代前半のオードリー作品の粗末な扱われ方を知っていた僕なんかは本当にビックリしました。
“オードリー作品ではもうお客を呼べない”なんて言われていましたが、そうではなくて、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりバカのひとつ覚えみたいに数年ごとにリバイバルしてちゃ、そりゃお客さんも飽きて動員数も減ります。
オードリーのファンが望んでいたのは、「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」だけではなく、全部の作品だったことがこの時に証明されたんですよね。
85年には「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」
86年に「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」
87年に「シャレード」「暗くなるまで待って」(ワーナー配給)「戦争と平和」(UIP配給)
88年に「パリで一緒に」「緑の館」
89年に「昼下りの情事」「戦争と平和」(日本ヘラルド配給)
90年には「オールウェイズ」初公開
91年に「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」(日本ヘラルド配給)
と、14作品で16回のリバイバル、新作1本、が来てますし、さらには「おしゃれ泥棒2」と「ニューヨークの恋人たち」もこの時期にVHSビデオで発売(日本初紹介)されています。
日本ヘラルドも、最初は各製作会社別に買い付けて、MGM/UA、パラマウント、などと他の往年の映画とともにテーマを決めて他作品とオードリー作品を混ぜて公開していたようなのですが、あまりにも突出してオードリー作品の興行成績がよかったんでしょうね、段々オードリー作品のみの買い付け&オードリー作品だけをまとめた上映になっていきます。
さて、ここでの「パリの恋人」のリバイバルは、1966年以来実に20年ぶりの上映になります。
「パリの恋人」が上映される!ってんで、舞い上がった僕は高校時代の先輩後輩に連絡をして、10人くらいで梅田に観に行きました。
大阪は87年になってからの上映でした。(大阪版のチラシの記事はこちら)
というのも、86年当時はまだ今のようなデジタルではなく、フィルムでの上映。
全国一斉に上映する新作ではなく、リバイバルの場合、フィルムをそんな何十本も取り寄せないんですよね。
なので、全国分でも数本しか準備されていなかったと思います。
このポスターで見ると、銀座文化と自由が丘武蔵野館で同じ作品が被っている期間がありますので、2本はある事になりますね。
さらに予備などであと数本はあるでしょうけど、全国別の場所でそんなたくさん上映できるほどのフィルムは無かったと思われるんですよね。
何かあった時用に予備は必ず準備しておかなければならないでしょうし、あるだけ全部使うわけにはいかないんですよね。
なので、昔のロードショー方式のように、全国を順々に回していったと思われます。
(こちらの画像はゲッティイメージズ さんの無料でブログに埋め込み可の画像をお借りしました)
さて、「パリの恋人」がリバイバルで見られる!ってだけでも嬉しかった僕ですが、劇場に行って驚愕! ロビーには既に予告としてこの「暗くなるまで待って」のポスターが貼ってありました!
「暗くなるまで待って」のリバイバルを知らなかった僕は、えーーっ!!こんな連続してオードリー作品がリバイバルされるん!?って思ったのを覚えています。
当時はまだ社会人じゃないし、貧乏な僕には、嬉しいけれどお金が心配になりました。
それと、また一緒に行くメンバーを集めないといけないなーと思ってました。
その時に劇場に貼ってあったこの “オードリー・フェスティバル”のポスター!
当時はこの「パリの恋人」のオペラ座の画像はレアでしたし、なんとキラキラ輝いていたことか!
僕は喉から手が出るほど欲しかったのを覚えています。
今はこうして(大阪のじゃないけど)手元にある“オードリー・フェスティバル”のポスターですが、これを見ると当時の思い出が甦ります。
初公開時の物でも66年リバイバルの物でもないし、「パリの恋人」だけのポスターでもないので、価値はそれほど高くないかとは思いますが、僕にとっては思い出のいっぱい詰まったポスターになります。
さらに横には「暗くなるまで待って」のポスターも貼ってあったんですから、70年代後半から80年代前半にかけてオードリー作品のリバイバルに飢えていた僕にはいかに壮観で、ポスターだけでもう圧倒されていたのかがわかっていただけるかと思います。
この時、短期間でこんなにオードリー作品が続々とリバイバルされるなんて、何かただならぬことが起こっている気配を感じたのでした。
実はこの時に全国的にオードリーのブームは起き始めていて、1987年5月号の雑誌“スクリーン”の人気投票では6年ぶりにベスト10圏内(第7位)にオードリーは返り咲くんですよね。
2022年02月18日
「オードリー・スペシャル '92」チラシ
今回は「オードリー・スペシャル ’92」のチラシの紹介。
これ、1991年に「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」の配給権を、日本ヘラルド(現、KADOKAWA)が手に入れた時の上映のチラシです。
日本ヘラルドって、メジャーな映画会社が “もう観客動員は見込めないだろう”と放置してきた昔の名作を、1984年から続々とリバイバルしたんですよね。
そしたらこれがめっちゃ当たって、続々と旧作がリバイバルされて行ったんですよね。
ヘラルドさんは映画会社ごとに契約をしてて、最初はMGM/UAだったので、ヴィヴィアン・リーの「哀愁」とか、オードリーだと「噂の二人」なんかが上映されたんですよね。次はパラマウントで、「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」などがリバイバル。
そんな旧作の中でも特にオードリーの映画がヒットしたので、だんだん日本ヘラルドさんもオードリー作品に集中していくようになってました。
上記の他に、「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」「シャレード」が86年・87年にリバイバル。それらのリバイバルのおかげで、87年5月号の「スクリーン」の人気投票では、とうとう第7位に入るという、ベスト10にも5年ぶりに復活。
でも82年5月号での「スクリーン」で人気投票第8位は、マニアックな人の支持で8位というか、落日の8位という感があったのですが、この1987年の第7位は全く別。
この85年「噂の二人」からのオードリー作品のリバイバルは、往年のファンだけじゃなく、“リアルタイムでオードリー・ファンだったお母さんに連れていかれた娘さん”って若い層にもオードリー・ブームに火がついたんですよね。
1987年7月号のアサヒグラフにはオードリーの特集が組まれるほど、社会現象になっていくんですよね。
この日本ヘラルドの好調ぶりを見た本家の映画会社も手元に残っていた「暗くなるまで待って」(ワーナー)、「戦争と平和」(UIP=パラマウント)を87年にリバイバルするという、87年までの3年で9本もの作品がリバイバルされたんですよね。
だからその後も日本ヘラルドさんによって88年「パリで一緒に」「緑の館」、89年「昼下りの情事」と続々とリバイバルがありました。
…でも、僕としてはとっても気になる作品がまだリバイバルされてなかったんですよね。「噂の二人」や「パリで一緒に」までリバイバルされているのに、僕の1番好きなオードリー作品の「いつも2人で」がまだ来てない!
やっぱりこの作品はオードリー作品では毛色が違うからリバイバルしてくれないのかなーとかヤキモキしてました。
よく考えれば「おしゃれ泥棒」もまだやんか、ってわかるんですけど、なんせ1967年の初公開時の興行成績はそこそこ良かったのに、まだ1度もリバイバルしていない「いつも2人で」ですから、当時の僕は不安で不安でたまらないわけですね。
それがやっとやっとということで待ちに待った「いつも2人で」と「おしゃれ泥棒」、そして87年にワーナーがリバイバルしたものの、権利を取り直して日本ヘラルドから再度「暗くなるまで待って」の3本が「オードリー・スペシャル '91」としてリバイバルされたのが1991年になります。
もうもうめっちゃ嬉しかったです!それが全国で上映されるにつれ、年を超えてしまったのが「オードリー・スペシャル '92」になってるこれです。
オードリーのブームも落ち着いた後、1990年代後半か2000年代初頭に日本ヘラルドさんに直接電話して伺いましたけど、「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」のリバイバルが遅れたのは、別にこの2作をリバイバルする気がなかったからではなく、20世紀フォックスとの契約が取れたのがやっとそこになってからだったそうです。
じゃあ20世紀フォックスの多いマリリン・モンロー作品もここらに多く出たんでしょうかね。
20世紀フォックスさん、なかなかしぶとかったんですね。でもそれなら本家で先に「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」を上映してくれても良かったのに…。
でも、20世紀フォックスさん、ディズニーに吸収合併されしまって、今は20世紀スタジオと名乗ってるんですね。別部門だったらそのままの名前でいいのに…って思います。
ソニーは自分のところの傘下に置いてもコロンビア ピクチャーズって昔の名前そのままでやっているのに、合併した途端往年のメジャー会社の社名をわざわざなくしてしまうなんて、なんか最近のディズニーって僕の中では悪徳商人みたいにイメージ悪いんですよね。
さて、このチラシは東京にあった自由ガ丘武蔵野館っていう映画館での上映のもの。
「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」がリバイバル初上映のチラシなのに、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間の宣伝写真がメインビジュアルってのが、モノクロ50年代ばっかり推しになってしまった闇を感じますね。
なお91年の大阪では、87年にもリバイバルしたばっかりのため外されていた「暗くなるまで待って」が、こちらでは入っていますね。
過去に東京でリバイバルした「麗しのサブリナ」と「パリの恋人」を含めて日本ヘラルドの新しく権利を取った「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」の計5作品で、各作品上映期間は10日ずつ、「いつも2人で」だけ11日の計51日で組まれています。
映画館からしたら51日もオードリー作品だけで上映し続けるって、大変なことですよ。普通の作品ならとてもリスキーですけど、オードリーだから信頼されていたんでしょうね。
上映時期は1月15日から3月6日まで。ちょうど30年前の今頃、自由が丘で上映してたんですね!
いやいや、僕も30年も経ったかと思うとすごいなーと思いますね。「オードリー・スペシャル」まで生きていた人生よりも、その後の30年の方が長くなってしまいましたもんねー!
今回は何を書こうかなーと、大阪の「オードリー・スペシャル'91」のチラシを6年前に紹介した自分の記事を読んでいたら、自分でもびっくりするくらい良く書けてあったので、自画自賛でそちらを読んでいただくとして。
この日本ヘラルドの往年の作品のリバイバルって、ある意味小さな映画館にとっては救いだったんじゃないかなーとも思えるんですよね。
昔の映画館のシステムの話を高校生の親戚にしていたら、ビックリしてました。昔は映画館って1館で1つしかシアター(スクリーン)は無かったんだよー、1日中同じ映画を何回も掛けてたんだよー、今みたいに全国一斉じゃなくて、まず東京の銀座界隈にある最も格の高いチェーンマスターと呼ばれる映画館で上映してから、大都市、2番館→地方都市→名画座って流れていったんだよー、昔は1500人以上も入れる巨大な映画館が存在したんだよー、って言ったんですが、本当に今のシネコンしか行ったことの無い若い人は全く知らないのでしょうね。
ちょっと脱線しましたが、昔の小さな映画館って、大きな封切館で上映したものがだいぶ遅れてやっと上映の権利が回ってくるんですよね。
二番館、三番館、名画座とかって格も決められてたんですよね。
しかも名画座とか地方の映画館だと2本とか3本の同時上映は当たり前。1つのスクリーンで各作品交互に上映してやりくりしていたんですよね。
昔映画グッズのお店だったチネアルテさんに教えてもらったのは、「オードリー・ヘプバーン ワンウーマンショー」は「華麗なる相続人」が名画座で上映できるようになったから他の当時まだ権利の残っていたオードリー作品とともに上映した、とのこと。
いつから上映できるか、とかも厳格に決められていたんですね。
あと、昔の映画雑誌に、動員数で書けないのは、名画座とかは映画1本いくらで買い切りみたいなシステムだから、動員数がわからないということが書いてました。
どうりで、日本では歴代の調整ができないわけですよね。
でもどう考えても、ほとんどの人が月に何回も映画に行くという映画が娯楽の王様だった時代に社会現象になった映画と、今の大ヒットじゃ、本当は昔の映画の方が動員数もインフレ調整したら収入も圧倒的にすごいだろうなーというのはわかりますよね。
そうそう、今度僕のもうひとつのブログ「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」で、“もしインフレ調整したら、オードリー作品は今どれぐらいの興行収入になっていたのか”というのを書こうと思っています。
…とまたまためっちゃ脱線しましたけど、そういう小さな映画館だったところは、安い値段設定で大劇場の出がらしみたいな作品を周回遅れで上映しなければならなかったわけですね。
でも日本ヘラルドさんが往年の名画のリバイバルをしてくれたおかげで、大規模なチェーンマスターの映画館では掛けるほどじゃ無いけど、宣伝をしなくてもある程度の集客は見込めるという、リバイバル作品の封切館という受け皿になって行ったと。
そうするとあまり高い権利金を払わずに、大規模映画館と同じだけの鑑賞料が取れるという、小さな映画館にとっては願ったり叶ったりのことになったわけですね。
なのでこの時代から昔の安い・2本立てという名画座は急激に数を減らして行くんですよね。二番館、三番館、名画座という格付けが崩壊して、街の代表的な映画館は新作の超話題作、少し小さい映画館が新作の2番手作品、小さな映画館はアート作品やリバイバル作品、という風に往年の上下の関係じゃなく、棲み分けのできた並列の関係になって行くんですよね。
でもこれもリバイバルが底をつき、さらに映画人口が減っていき、シネコンというものが郊外から出来始めるとさらに崩壊して行くんですけどね。
80年代後半〜90年代に小さな映画館を支えた日本ヘラルドのオードリーリバイバルでもあったわけですね。
でも悔しいのは、「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」がメインのはずなのに、モノクロの50年代オードリー信仰がもう始まっていて、メインで使われていないこと!
よく見る画像を使ったため、このビジュアルで受ける印象は「平凡」。せめて鉄兜オードリーをメインにして欲しかったです。
なお、裏面には「パリで一緒に」のことも文章では書いてあるんですが、表面・裏面ともに「パリで一緒に」の画像は一切無し。
なんでしょうね。企画の段階では上映の予定があったので「パリで一緒に」のことも書いてもらったけれども、「パリで一緒に」は外されてしまったんでしょうかね。
「パリの恋人」のことも書いてあるので、よくありがちな「パリの恋人」と「パリで一緒に」を混同した、ということでもなさそうです。
1992年の今の時期というと、オードリーはもう余命1年もありませんよね。それでもまだオードリー自身ももちろん僕らも、誰一人そんなことは思いもよらなかった時期。
でもオードリーが亡くなった時に、すぐに追悼上映ができたのは、当時日本ヘラルドさんで働いていて、オードリー作品をいっぱい買い付けてくださった社員さんのおかげです!
これ、1991年に「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」の配給権を、日本ヘラルド(現、KADOKAWA)が手に入れた時の上映のチラシです。
日本ヘラルドって、メジャーな映画会社が “もう観客動員は見込めないだろう”と放置してきた昔の名作を、1984年から続々とリバイバルしたんですよね。
そしたらこれがめっちゃ当たって、続々と旧作がリバイバルされて行ったんですよね。
ヘラルドさんは映画会社ごとに契約をしてて、最初はMGM/UAだったので、ヴィヴィアン・リーの「哀愁」とか、オードリーだと「噂の二人」なんかが上映されたんですよね。次はパラマウントで、「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」などがリバイバル。
そんな旧作の中でも特にオードリーの映画がヒットしたので、だんだん日本ヘラルドさんもオードリー作品に集中していくようになってました。
上記の他に、「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」「シャレード」が86年・87年にリバイバル。それらのリバイバルのおかげで、87年5月号の「スクリーン」の人気投票では、とうとう第7位に入るという、ベスト10にも5年ぶりに復活。
でも82年5月号での「スクリーン」で人気投票第8位は、マニアックな人の支持で8位というか、落日の8位という感があったのですが、この1987年の第7位は全く別。
この85年「噂の二人」からのオードリー作品のリバイバルは、往年のファンだけじゃなく、“リアルタイムでオードリー・ファンだったお母さんに連れていかれた娘さん”って若い層にもオードリー・ブームに火がついたんですよね。
1987年7月号のアサヒグラフにはオードリーの特集が組まれるほど、社会現象になっていくんですよね。
この日本ヘラルドの好調ぶりを見た本家の映画会社も手元に残っていた「暗くなるまで待って」(ワーナー)、「戦争と平和」(UIP=パラマウント)を87年にリバイバルするという、87年までの3年で9本もの作品がリバイバルされたんですよね。
だからその後も日本ヘラルドさんによって88年「パリで一緒に」「緑の館」、89年「昼下りの情事」と続々とリバイバルがありました。
…でも、僕としてはとっても気になる作品がまだリバイバルされてなかったんですよね。「噂の二人」や「パリで一緒に」までリバイバルされているのに、僕の1番好きなオードリー作品の「いつも2人で」がまだ来てない!
やっぱりこの作品はオードリー作品では毛色が違うからリバイバルしてくれないのかなーとかヤキモキしてました。
よく考えれば「おしゃれ泥棒」もまだやんか、ってわかるんですけど、なんせ1967年の初公開時の興行成績はそこそこ良かったのに、まだ1度もリバイバルしていない「いつも2人で」ですから、当時の僕は不安で不安でたまらないわけですね。
それがやっとやっとということで待ちに待った「いつも2人で」と「おしゃれ泥棒」、そして87年にワーナーがリバイバルしたものの、権利を取り直して日本ヘラルドから再度「暗くなるまで待って」の3本が「オードリー・スペシャル '91」としてリバイバルされたのが1991年になります。
もうもうめっちゃ嬉しかったです!それが全国で上映されるにつれ、年を超えてしまったのが「オードリー・スペシャル '92」になってるこれです。
オードリーのブームも落ち着いた後、1990年代後半か2000年代初頭に日本ヘラルドさんに直接電話して伺いましたけど、「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」のリバイバルが遅れたのは、別にこの2作をリバイバルする気がなかったからではなく、20世紀フォックスとの契約が取れたのがやっとそこになってからだったそうです。
じゃあ20世紀フォックスの多いマリリン・モンロー作品もここらに多く出たんでしょうかね。
20世紀フォックスさん、なかなかしぶとかったんですね。でもそれなら本家で先に「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」を上映してくれても良かったのに…。
でも、20世紀フォックスさん、ディズニーに吸収合併されしまって、今は20世紀スタジオと名乗ってるんですね。別部門だったらそのままの名前でいいのに…って思います。
ソニーは自分のところの傘下に置いてもコロンビア ピクチャーズって昔の名前そのままでやっているのに、合併した途端往年のメジャー会社の社名をわざわざなくしてしまうなんて、なんか最近のディズニーって僕の中では悪徳商人みたいにイメージ悪いんですよね。
さて、このチラシは東京にあった自由ガ丘武蔵野館っていう映画館での上映のもの。
「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」がリバイバル初上映のチラシなのに、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間の宣伝写真がメインビジュアルってのが、モノクロ50年代ばっかり推しになってしまった闇を感じますね。
なお91年の大阪では、87年にもリバイバルしたばっかりのため外されていた「暗くなるまで待って」が、こちらでは入っていますね。
過去に東京でリバイバルした「麗しのサブリナ」と「パリの恋人」を含めて日本ヘラルドの新しく権利を取った「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」の計5作品で、各作品上映期間は10日ずつ、「いつも2人で」だけ11日の計51日で組まれています。
映画館からしたら51日もオードリー作品だけで上映し続けるって、大変なことですよ。普通の作品ならとてもリスキーですけど、オードリーだから信頼されていたんでしょうね。
上映時期は1月15日から3月6日まで。ちょうど30年前の今頃、自由が丘で上映してたんですね!
いやいや、僕も30年も経ったかと思うとすごいなーと思いますね。「オードリー・スペシャル」まで生きていた人生よりも、その後の30年の方が長くなってしまいましたもんねー!
今回は何を書こうかなーと、大阪の「オードリー・スペシャル'91」のチラシを6年前に紹介した自分の記事を読んでいたら、自分でもびっくりするくらい良く書けてあったので、自画自賛でそちらを読んでいただくとして。
この日本ヘラルドの往年の作品のリバイバルって、ある意味小さな映画館にとっては救いだったんじゃないかなーとも思えるんですよね。
昔の映画館のシステムの話を高校生の親戚にしていたら、ビックリしてました。昔は映画館って1館で1つしかシアター(スクリーン)は無かったんだよー、1日中同じ映画を何回も掛けてたんだよー、今みたいに全国一斉じゃなくて、まず東京の銀座界隈にある最も格の高いチェーンマスターと呼ばれる映画館で上映してから、大都市、2番館→地方都市→名画座って流れていったんだよー、昔は1500人以上も入れる巨大な映画館が存在したんだよー、って言ったんですが、本当に今のシネコンしか行ったことの無い若い人は全く知らないのでしょうね。
ちょっと脱線しましたが、昔の小さな映画館って、大きな封切館で上映したものがだいぶ遅れてやっと上映の権利が回ってくるんですよね。
二番館、三番館、名画座とかって格も決められてたんですよね。
しかも名画座とか地方の映画館だと2本とか3本の同時上映は当たり前。1つのスクリーンで各作品交互に上映してやりくりしていたんですよね。
昔映画グッズのお店だったチネアルテさんに教えてもらったのは、「オードリー・ヘプバーン ワンウーマンショー」は「華麗なる相続人」が名画座で上映できるようになったから他の当時まだ権利の残っていたオードリー作品とともに上映した、とのこと。
いつから上映できるか、とかも厳格に決められていたんですね。
あと、昔の映画雑誌に、動員数で書けないのは、名画座とかは映画1本いくらで買い切りみたいなシステムだから、動員数がわからないということが書いてました。
どうりで、日本では歴代の調整ができないわけですよね。
でもどう考えても、ほとんどの人が月に何回も映画に行くという映画が娯楽の王様だった時代に社会現象になった映画と、今の大ヒットじゃ、本当は昔の映画の方が動員数もインフレ調整したら収入も圧倒的にすごいだろうなーというのはわかりますよね。
そうそう、今度僕のもうひとつのブログ「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」で、“もしインフレ調整したら、オードリー作品は今どれぐらいの興行収入になっていたのか”というのを書こうと思っています。
…とまたまためっちゃ脱線しましたけど、そういう小さな映画館だったところは、安い値段設定で大劇場の出がらしみたいな作品を周回遅れで上映しなければならなかったわけですね。
でも日本ヘラルドさんが往年の名画のリバイバルをしてくれたおかげで、大規模なチェーンマスターの映画館では掛けるほどじゃ無いけど、宣伝をしなくてもある程度の集客は見込めるという、リバイバル作品の封切館という受け皿になって行ったと。
そうするとあまり高い権利金を払わずに、大規模映画館と同じだけの鑑賞料が取れるという、小さな映画館にとっては願ったり叶ったりのことになったわけですね。
なのでこの時代から昔の安い・2本立てという名画座は急激に数を減らして行くんですよね。二番館、三番館、名画座という格付けが崩壊して、街の代表的な映画館は新作の超話題作、少し小さい映画館が新作の2番手作品、小さな映画館はアート作品やリバイバル作品、という風に往年の上下の関係じゃなく、棲み分けのできた並列の関係になって行くんですよね。
でもこれもリバイバルが底をつき、さらに映画人口が減っていき、シネコンというものが郊外から出来始めるとさらに崩壊して行くんですけどね。
80年代後半〜90年代に小さな映画館を支えた日本ヘラルドのオードリーリバイバルでもあったわけですね。
でも悔しいのは、「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」がメインのはずなのに、モノクロの50年代オードリー信仰がもう始まっていて、メインで使われていないこと!
よく見る画像を使ったため、このビジュアルで受ける印象は「平凡」。せめて鉄兜オードリーをメインにして欲しかったです。
なお、裏面には「パリで一緒に」のことも文章では書いてあるんですが、表面・裏面ともに「パリで一緒に」の画像は一切無し。
なんでしょうね。企画の段階では上映の予定があったので「パリで一緒に」のことも書いてもらったけれども、「パリで一緒に」は外されてしまったんでしょうかね。
「パリの恋人」のことも書いてあるので、よくありがちな「パリの恋人」と「パリで一緒に」を混同した、ということでもなさそうです。
1992年の今の時期というと、オードリーはもう余命1年もありませんよね。それでもまだオードリー自身ももちろん僕らも、誰一人そんなことは思いもよらなかった時期。
でもオードリーが亡くなった時に、すぐに追悼上映ができたのは、当時日本ヘラルドさんで働いていて、オードリー作品をいっぱい買い付けてくださった社員さんのおかげです!
2021年07月21日
「麗しのサブリナ」日本語吹替版VHSジャケット
「パリの恋人」もかなり紹介してなかったのですが、見てみるとそれ以上に「麗しのサブリナ」を紹介してませんでした。
2019年の他の作品と一緒くたの“オードリー映画祭”のパンフレット以前は、4年も前の2017年10月まで戻らないといけなかったので、今回は「麗しのサブリナ」にします。
今回の「麗しのサブリナ」はVHSビデオの日本語吹替版のジャケット紹介。
ちなみにテープ本体はもう観ないと判断して捨てています。残しているのはこれらだけ。
VHSテープって、ハイティーンとかの人はそろそろ見たことないって人が多くなってくるんじゃないでしょうか。
DVDの前にスタンダードだった録画&映像機器。
テープ式なもんで、一旦進んでしまうと戻すときはテープをキュルキュル!って巻き戻さないといけないんです。
DVDみたいなチャプターとかもないんで、ちょっと前が見たいってなっても、戻し過ぎてしまったりしてなかなか希望のとこにはたどり着けなかったり。
映像を見ながら巻き戻す、ってことも出来るようになってましたが、それだとテープと読み取るヘッドが接触してるので、テープは伸びてだんだんと劣化して映像も音声も悪くなってくる、みたいな。
それに水平解像度っていう画質の指標みたいなのが、VHSだと250本くらいなんですよね。しかもそれのインターレース方式。
インターレースってのは、250本の映像の半分の125本ずつをものすごく速く交代で映して見た目で250本に見せているというもの。今から考えるとめちゃくちゃ画質悪い。
当時のブラウン管テレビのアナログ放送では350本のインターレース方式でしたから、それより劣るということですね。
それがDVDで500本のプログレッシブ(一斉に500本を映す方式)になって、フルハイビジョンやブルーレイでは1920本、4Kでは3840本にもなっていますので、若い方でもどれだけ画質が悪かったかお分かりかと思います。
2000年にPS2が出て、一気にDVDが普及するので、こういう市販のビデオでもVHSで新作が出たのは2003年の「ローマの休日」デジタル・ニューマスター版が最後あたりだったかと…。
それ以降は過去にも出ていた「パリで一緒に」とかが数量限定で復刻発売されるくらいでしたかね。
この「麗しのサブリナ」VHSも書いてあるコピーライトを見ると1997年になってます。
さて、当時「麗しのサブリナ」自体はもうLD(水平解像度400本のインターレース)で持っていたのですが、なぜこんな画質で劣るVHSなんかを買ったかというと、何と言っても池田昌子さんの吹替版で観れるから!
VHSって、音声を複数収録することが出来なかったんですよね。なので字幕版は字幕版のみしか収録されていませんでした。
それでこういう吹替版だけのものが発売されたんですよね。
対してLD(レーザーディスク)は複数チャンネルを収録可能だったんですが、初期の頃の発売のものには付いていませんでした。
しかもLDって録画はできないので、VHSよりも普及が進んでおらず、1度プレスしたらなかなか再プレスって無かったんですよね。
しかも再プレスしても前の仕様のままなので、結局吹替は付かないまま。
数が出ないので、LDでの吹替版は無いだろうと思って買ったのがこのVHSでした。
でも吹替って70年代〜90年代の映画のテレビでの放送が全盛だったので、昔の作品の方がテレビで吹替版で馴染んでる人が多かったんですよねー。
00年代とかはBS放送などでの字幕の方が普通になるみたいですけど。
でも昔は市販のテープの発売を想定されずにテレビ用の吹替が作られていますから、契約上ビデオやLDで収録するのはなかなか至難の技みたいなんですよね。
今でも吹替版が収録されないオードリー作品が多いのはそういう事情によるものが多いみたいなんです。あと現存しないとか(「昼下りの情事」の黒沢良さんのバージョン)、「暗くなるまで待って」みたいに別の音楽を使ってるとか、別の問題がある作品もありますけどね。
今は映画の公開時でも吹替版が上映されたり、DVDやブルーレイに収録されるのを前提で吹替も録られていますし、契約もそうなっているのでしょうから入ってますけどね。
この「麗しのサブリナ」に関してはテレビ版とは違うみたいなので、このVHS発売に合わせて新たに録音されたのでしょうか?
でもやっぱりオードリーは池田昌子さん!
ネットでいろんな吹替版の「ローマの休日」を聞きましたが、やっぱり池田昌子さんの品の良さと甘さが両立しているというのは別格!
池田昌子さんの場合、叫ぶシーンでもやっぱり品が崩れたりしないのが流石です!そこで声がかすれたり品が無くなったりと地が出てしまうと、“これは声優さん”というのを強く意識してしまうのですが、池田昌子さんにはそういう破綻がないのですよね。そこが凄いし、だからこそ安心して見ていられます。
表のジャケットのデザインは字幕版とは違う、日本の1965年リバイバル時のポスターを元にしたもの。
1960年代後半〜70年代前半の日本のオードリーのポスターってビックリするくらいレベルが高かったですから、ビデオ時代にはよくビデオジャケットにも採用されてましたよね。
他には「ローマの休日」「戦争と平和」「パリで一緒に」「おしゃれ泥棒」「暗くなるまで待って」でも日本版ポスターを使ってました。
でも「麗しのサブリナ」って宣伝用のデザインでこれ!っていうものがないですよね。ここでのデザインもベストだとは思っていませんが、各国のポスターを見てもやっぱりこれ!っていうのは無い。
むしろ「麗しのサブリナ」は写真1枚で完成しているものが多いですよね。このジャケットにも乗っているジャンパースカートで寝そべっているもの、やはり同じくこのビデオの解説に付いているサブリナ・パンツの一連の写真たち、など。
なので字幕版のVHSなんかもジャケットは鎧戸の所に佇むオードリーだけの写真になってました。
さて今のブルーレイやDVDって特別版みたいなのじゃ無いと解説の紙すら入ってなくて、ジャケットの裏にちょこちょこっと短文が書いてあるだけですけど、この時代ってVHSにも解説が別に中に入っているという時代。
このビデオでも三つ折りの解説が入ってます。めっちゃ小さい字で作品解説、主演3人と監督のプロフィール、それとスタッフ・キャスト、アカデミー賞の受賞・ノミネートまでぎっしり載ってます。文章は映画評論家の日野康一氏。
テニスコートが屋外と屋内に2面ずつあるのはパラマウントの社長の自宅…ではなく、別宅!!!なんだそうです!めっちゃリッチですよねー。
こういう現実を知ると、映画スターも売れたらお金持ちになれるけど、やっぱりそれを吸い上げる経営者の方がさらに上を行くんだー!と貧乏人としては思いますよね。
あと、この作品から名付けられた“サブリナ・パンツ”ですが、当時の短足の日本人には似合わなかったそうです。まあ丈の短いパンツって、ますます足が短く見えますもんね。僕もパンツ(ズボン)の裾を切るときはなるべく長めに切ってもらってます。
今の若い方達はだいぶ西洋風になってきてるので、男女とも本当に足が長いですよね。街中でもたまにビックリします。
今の人たちはサブリナ・パンツも楽々着こなせるでしょうね。
あと、オードリーの作品リストの表組みで、「ローマの休日」から載っているのですが、「ニューヨークの恋人たち」だけ書かれていないのが可哀想…。
2列組なので、スペースは後1つ空いてるのに…。
それと、同じく作品リストで共演者も乗っているのですが、「華麗なる相続人」はオマー・シャリフになってます。
まあベン・ギャザラよりは有名だから…でしょうか?
こういう解説って、LDにも初期の頃は入ってましたけど、やがて封入されなくなり、DVDにも付かなくなり、今は無いことの方が当たり前ですよね。
昔「パリで一緒に」のLDが初めて発売されてめっちゃ嬉しくて初日に買ったんですけど、家に帰るまで我慢できなくて解説が読みたくて開けたんです。でも当時の廉価盤LD(3800円)ではない高い7800円だったのに、解説が封入されてなかった時にはめっちゃがっかりしました。当時は廉価盤でなければ解説が入ってるのが普通だったので、読むのも楽しみだったのにね。言ってくれたら僕が書くのに〜!とか思ってました。
ちなみに、着色か本物かわからない方のために書いておきますが、このジャケットの画像は先ほども言ったように日本で1965年にリバイバルした時のポスター用の着色カラーです。この当時は日本の職人さんが手描きで着色していたんですよね。大きなポスターで見ても崩れないほどって、どれだけ大きく描いてたんでしょうね。すごい技術ですよね。
本当のカラー写真を「Audrey: The 50s」の表紙で見ると、ドレスの刺繍は黒で、犬についているヒモも黒1色です。
こういう、「わけあってVHS買いました」ってのは他にもあるんで、またおいおい紹介していきます。
2019年06月25日
スター・チャンネル オードリー・ヘプバーン映画祭パンフレット
今日は、行けなかった僕の代わりに行ってくれた友達が送ってくれた“スター・チャンネル”主催の“オードリー・ヘプバーン映画祭”のパンフレットの紹介。
まあ売っていたのではなく、無料で置いてあったものなのでプログラム、というのが正しいかもしれませんが。
この映画祭でパンフレットを売る、というのは“オードリー・ヘプバーン映画祭”の公式サイトに書いてあったんですが、それは問い合わせをしたところ新たに作るものではなく、過去の映画パンフレットを売るだけとのこと。
新しいパンフレットは作らない、ということだったのですが、無料で配布する冊子は作るとのことだったので、めっちゃ気になってました。
実際届いてみると全20ページで、しっかりオードリーや作品の解説が載っており、中身はもう完全に映画パンフレット!これを無料で配るとは!
まあこれを映画パンフレットとして売ると、売上を各オードリー作品の映画会社に分配しないといけないので、却って赤字になるからかもしれませんが。
なので建前上は“無料で配る映画祭の宣伝の為の販促物”なのかもしれませんが、これは新しいオードリー・ヘプバーン映画のパンフレット!と言っていいと思います。それくらいの内容。
iTSCOM STUDIO & HALL 二子玉川ライズでのパネル展で置いてあったのは最初の↑の画像のような感じだそうです。
“えっ!4種類も!?”と思いますが、友人が“4種類に見えるけど、2種類やでー”と言ってました。
表と裏と両方をそれぞれ見せているだけで、実際は2種類しかないとのこと。
表紙がブルーの「ティファニーで朝食を」版(裏表紙はピンクの「昼下りの情事」)と、グレーの“自称”「麗しのサブリナ」版(裏表紙黄土色の「ローマの休日」)。
でもこの自称:「麗しのサブリナ」っていう画像、「麗しのサブリナ」じゃないですよね。
メイクも髪型も全然違うし、これは「ローマの休日」撮影後で「麗しのサブリナ」撮影前の間に撮影されたオードリー本人の宣伝写真。
むしろ「ローマの休日」寄り。この撮影の時に「ローマの休日」のネグリジェの衣装で宣伝写真を撮っているのがボブ・ウィロビーの写真とかで残ってますよね。
著作権者はパラマウントになってますけど、まあパラマウントは過去にニコスカードの提携で明らかに「パリの恋人」の画像も「麗しのサブリナ」ということにしてましたし、「パリの恋人」DVDで「麗しのサブリナ」画像を使ってジャケットを製作したりしてましたから、権利者でも実は写真の扱いはちょっといい加減。
さて最初のページを開いてみると “あれっっ??”…。
ティファニー版の表2(表紙の裏側にあたるページ)は自称「麗しのサブリナ」版の表4(裏表紙)だった「ローマの休日」。
もしかして…と思って表3(裏表紙の裏にあたるページ)を見ると、そこには“自称”「麗しのサブリナ」が!
“自称”「麗しのサブリナ」版の方も確かめると、表2が「昼下りの情事」、表3が「ティファニーで朝食を」!
ということは結局表紙だけ裏表を替えて2種作っただけで、実際の中身は1種類だけ、ということになりますね。
さて、本文の1ページめに当たるところはこの映画祭で上映する作品の画像集になってますね。え?なんでこんなに見え難いのか?ですか?
これ、実際にこんな薄い感じなんです。モノクロ写真を特色グレー(あるいはシルバー)と色の掛け合わせで載せてるので、元々がグレーなので薄いんですよね。
紙は表紙も本文も同じです。上質系の紙で、お安いけど写真には向いてない。表紙も元々モノクロ画像の「ローマの休日」・自称「麗しのサブリナ」・「昼下りの情事」とかは大丈夫だけど、スター・チャンネルが手に入れたのがカラーかモノクロかは知りませんが、本来カラーだったはずの「ティファニーで朝食を」は肌に陰影があるぶん紙目が見えて汚くなってますもん。
2ページ目はオードリー生誕90年の序文と映画上映のスケジュール。
以前のチラシの紹介でスケジュールは載せたので、ここでは割愛。
3ページ目からは上映作品のストーリーと解説が始まります。上映順でもなく、制作順でもないこの並び方はどういう基準?
まさかとは思いますけど、「初恋」「若妻物語」「ラベンダー・ヒル・モブ」の順に並んでるこれを制作順だと思ったんじゃないでしょうね?
「パリの恋人」と「昼下りの情事」も順番が逆ですけど…。
「初恋」の解説はバレエのことに焦点を当てて書いてますね。「若妻物語」は劇場初上映とのこと。まあ日本初上映ですよね。
次のページの「ラベンダー・ヒル・モブ」も劇場初上映ってなってますけど、日本初上映ではないですよね。東京のフィルムセンターで既に上映済み。
それと「麗しのサブリナ」の紹介。
次は「昼下りの情事」「パリの恋人」、その次は「ティファニーで朝食を」と「噂の二人」、さらにその次は「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」です。
うーんと「いつも2人で」の解説ですけど、“バーバリーのトレンチコートなどを披露”って書いてますけど、映画の中で披露してましたっけ?撮影スナップでは確かに着てましたけど、1回目の旅の衣装の上から羽織ってたんですが、1回目の旅だとバーバリーなんて絶対買えませんよね?
その次は「女優として、そして一人の女性としてのオードリーをさらに知るためのトピックスをご紹介します」とのことですが、ここも割と知ってる事のみで構成されているので割愛。
ちなみにオードリーが楽屋のナンバー55を所望、というのは一体どこから出てきた話なんですか?なんか最近当たり前のように話されるんですが、出典を見つけることが出来ません。
だいたいトレーラーを使うことの多いスターが、楽屋って使うのかな…。しかも55ってどこにでもあるものなのかな?あったとしても、主演女優の使う物としてどこでも十分な広さがあるものなのかな?
などとかなり眉唾モノじゃないかと疑ってるんですが…。もしwikiやそれを元にした話以外の出典をご存知でしたら、教えてください。m(_ _)m
次のページからは今回の映画祭で上映されない残りの作品に触れています。が、「オランダの7つの教訓」「若気のいたり」「ニューヨークの恋人たち」は載っていません(英語版「モンテカルロ・ベイビー」も)。これはスター・チャンネルで放送されないものは全て省かれた、ということですね。
p14には「オールウェイズ」と共に、ショーンが語るオードリーの思い出とユニセフのことが載っています。
p15はオードリー映画祭の案内。パネル展やトークショー、ミニコンサートなどの案内。
p16は二子玉川エクセルホテル東急でのコラボメニューと清藤秀人さんの紹介。書いてないのでわかりませんが、このパンフレットの文章は清藤さんが書いたのかな?
内容的には可も無く不可も無くなんですが、こうして新しいパンフレットが作られたことが嬉しい!
オススメ度:★★★
なお、映画祭では他にも色々とチラシがあったみたいなので、それらを次々と紹介して行きますね。
タグ :パンフレット
Posted by みつお at
20:00
│Comments(4)
│麗しのサブリナ│パリの恋人│昼下りの情事│ティファニーで朝食を│噂の二人│おしゃれ泥棒│いつも2人で│初恋│その他のパンフ・ポスター・チラシ│ラベンダー・ヒル・モブ
2017年10月15日
オリジナル・サウンドトラック「麗しのサブリナ/許されざる者」
写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜”
※寝ても覚めても。さんの情報で、東京でも開催される事がわかりました。
・大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
・大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
・松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(間もなく開始!)
期間:2017年10月18日(水)~11月6日(月)
場所:南館8階マツザカヤホール
・日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>
期間:2018年1月10日(水)~1月22日(月)
場所:新館7階催物会場
・大丸札幌店 <240点の中から抜粋>
期間:2018年3月 ※開催日未定
場所:7階ホール
長い間ほったらかしですみません。m(_ _;)m
この間に“午前十時の映画祭8”で「おしゃれ泥棒」を2回観てきましたし、オードリーの写真展で京都大丸と心斎橋大丸にも行ってきました。
「おしゃれ泥棒」は凄かったですねー!2回見に行ったどちらもでお客さんはいっぱい入ってました!
こんなにもオードリーが未だに愛されている事に感激!です。
どちらも面白いシーンでは笑い声が起こって、“映画館で観てる!”と嬉しくなりました!
大丸京都店でオードリーの写真展&エマ・ファーラーのトークショーに行った件は、もうひとつのブログ“おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!”の方で書きましたので、そちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。
さらにその間にも写真展で手に入れた新しい写真集や、新しいサントラCDが連続で3枚届きましたので、まずはサントラからパパパッと届いた順に紹介していきたいと思います。
今回は最初に届いたこちら。「麗しのサブリナ/許されざる者」ボーナストラック「ローマの休日」というものですが…
これはアカンやつ!!!
色々とアカンところがあるのですが…。
まず、各音源の出元がはっきりしないこと!発売前からとっても怪しかったのですが、届いてさらにハッキリ。
まず “ラ・ヴィアン・ローズ” のオードリーの歌う物が収録されているのですが、これがハンフリー・ボガートのセリフも車の雑音も入っているという映画そのままの音。
パラマウントの許可は取れているのでしょうか?
そして最後に「ローマの休日」のテーマのボーナス・トラックが収録されているのですが、これは完全に英国のロイヤル・フィルハーモニーが演奏した2013年の物。
もちろん著作権も切れていませんが、これが明らかに許可を取っていません。
というのも、クレジットを見ると、作曲家のジョルジュ・オーリックが指揮をした1953年のものだといういい加減な表記で載っているから。
これでもう完全にアウト!ですね。
これがハッキリロイヤル・フィルの演奏だとわかるのは、「ローマの休日」オープニングそのままではなくロイヤル・フィルでアレンジされているから。
そのアレンジがあるのに、“1953年の演奏です” は通用しませんぜ。明らかにパクり。
これ、日本のキングレコードが輸入・販売しようとしていたので、発売前に著作権について問い合わせてみました。
そしたら丁寧にキング・レコードさんから返事が届きましたが、おおもとのサウンドトラックファクトリーという所に直接キング・レコードさんから著作権と権利元に関して問い合わせてくださったみたいなのですが、なんと!返事が来なかったそうです。
というわけで明らかにこれはわかってやってるというクロですね。
権利元がハッキリしないため、キング・レコードさんはこのCDに関して輸入・販売を見送りました。
今回の発売元がサウンドトラックファクトリーで、itunesやアマゾンでこれらの権利元に許可を取っているのかわからないものが出ていますが、それらの発売元はJBプロダクション。調べるとドイツの会社になってますが、アマゾンでの「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」の“ラ・ヴィアン・ローズ” にはJB プロダクション CHという表記がありますから、思いっきり中国が絡んでますね。
こうなると、もう「麗しのサブリナ」も「許されざる者」も本当の権利元はどこやねん!という話になってきますね。
何もかもが信用出来なくなってきます。
結局「麗しのサブリナ」はこちら、「許されざる者」はこちらのパクリでしかないのではないか?という疑問が起こります。
16ページのライナーノートというのも楽しみでしたが、これも届いてみるとどうってことのない画像が適当に載っているだけで、ここで紹介したい物は何もありません。
というわけで、このCDに関しては全く、全然、ちっともオススメできません!
ほぼ100%著作権侵害CD。
…ただ、「麗しのサブリナ」や「許されざる者」のCDを買い逃した方にはこれしかないかも…。
オススメ度:なし!最悪。
ついでに言わせてもらうと、「麗しのサブリナ」のイメージカラーは赤じゃありませんよ!
金儲けだけのために作られた、オードリーに対して愛などまるで無いCD。.
↓パクリもの
↓本物
※寝ても覚めても。さんの情報で、東京でも開催される事がわかりました。
・松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(間もなく開始!)
期間:2017年10月18日(水)~11月6日(月)
場所:南館8階マツザカヤホール
・日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>
期間:2018年1月10日(水)~1月22日(月)
場所:新館7階催物会場
・大丸札幌店 <240点の中から抜粋>
期間:2018年3月 ※開催日未定
場所:7階ホール
長い間ほったらかしですみません。m(_ _;)m
この間に“午前十時の映画祭8”で「おしゃれ泥棒」を2回観てきましたし、オードリーの写真展で京都大丸と心斎橋大丸にも行ってきました。
「おしゃれ泥棒」は凄かったですねー!2回見に行ったどちらもでお客さんはいっぱい入ってました!
こんなにもオードリーが未だに愛されている事に感激!です。
どちらも面白いシーンでは笑い声が起こって、“映画館で観てる!”と嬉しくなりました!
大丸京都店でオードリーの写真展&エマ・ファーラーのトークショーに行った件は、もうひとつのブログ“おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!”の方で書きましたので、そちらも併せて読んでいただけると嬉しいです。
さらにその間にも写真展で手に入れた新しい写真集や、新しいサントラCDが連続で3枚届きましたので、まずはサントラからパパパッと届いた順に紹介していきたいと思います。
今回は最初に届いたこちら。「麗しのサブリナ/許されざる者」ボーナストラック「ローマの休日」というものですが…
これはアカンやつ!!!
色々とアカンところがあるのですが…。
まず、各音源の出元がはっきりしないこと!発売前からとっても怪しかったのですが、届いてさらにハッキリ。
まず “ラ・ヴィアン・ローズ” のオードリーの歌う物が収録されているのですが、これがハンフリー・ボガートのセリフも車の雑音も入っているという映画そのままの音。
パラマウントの許可は取れているのでしょうか?
そして最後に「ローマの休日」のテーマのボーナス・トラックが収録されているのですが、これは完全に英国のロイヤル・フィルハーモニーが演奏した2013年の物。
もちろん著作権も切れていませんが、これが明らかに許可を取っていません。
というのも、クレジットを見ると、作曲家のジョルジュ・オーリックが指揮をした1953年のものだといういい加減な表記で載っているから。
これでもう完全にアウト!ですね。
これがハッキリロイヤル・フィルの演奏だとわかるのは、「ローマの休日」オープニングそのままではなくロイヤル・フィルでアレンジされているから。
そのアレンジがあるのに、“1953年の演奏です” は通用しませんぜ。明らかにパクり。
これ、日本のキングレコードが輸入・販売しようとしていたので、発売前に著作権について問い合わせてみました。
そしたら丁寧にキング・レコードさんから返事が届きましたが、おおもとのサウンドトラックファクトリーという所に直接キング・レコードさんから著作権と権利元に関して問い合わせてくださったみたいなのですが、なんと!返事が来なかったそうです。
というわけで明らかにこれはわかってやってるというクロですね。
権利元がハッキリしないため、キング・レコードさんはこのCDに関して輸入・販売を見送りました。
今回の発売元がサウンドトラックファクトリーで、itunesやアマゾンでこれらの権利元に許可を取っているのかわからないものが出ていますが、それらの発売元はJBプロダクション。調べるとドイツの会社になってますが、アマゾンでの「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」の“ラ・ヴィアン・ローズ” にはJB プロダクション CHという表記がありますから、思いっきり中国が絡んでますね。
こうなると、もう「麗しのサブリナ」も「許されざる者」も本当の権利元はどこやねん!という話になってきますね。
何もかもが信用出来なくなってきます。
結局「麗しのサブリナ」はこちら、「許されざる者」はこちらのパクリでしかないのではないか?という疑問が起こります。
16ページのライナーノートというのも楽しみでしたが、これも届いてみるとどうってことのない画像が適当に載っているだけで、ここで紹介したい物は何もありません。
というわけで、このCDに関しては全く、全然、ちっともオススメできません!
ほぼ100%著作権侵害CD。
…ただ、「麗しのサブリナ」や「許されざる者」のCDを買い逃した方にはこれしかないかも…。
オススメ度:なし!最悪。
ついでに言わせてもらうと、「麗しのサブリナ」のイメージカラーは赤じゃありませんよ!
金儲けだけのために作られた、オードリーに対して愛などまるで無いCD。.
↓パクリもの
↓本物
2017年08月17日
「麗しのサブリナ/許されざる者」新しいサントラが発売!ですが…
「午前十時の映画祭8」オードリー特集始まっています!全国同時公開中!「おしゃれ泥棒」が目玉作品です!
★上映期間
2017/08/05(土)~2017/08/11(金)1週上映「ローマの休日」(終了)
2017/08/12(土)~2017/08/18(金)1週上映「麗しのサブリナ」(明日最終日)
2017/08/19(土)~2017/08/25(金)1週上映「昼下りの情事」(明後日から)
2017/08/26(土)~2017/09/08(金)2週上映
「おしゃれ泥棒」
新情報です!
「麗しのサブリナ」と「許されざる者」がカップリングで新しいサントラが出るそうです!さらに「ローマの休日」のテーマ付き!
…と、これは全くの新盤か!?と喜んだのですが、どうやらそうではないみたい…。
今までの「麗しのサブリナ」と「許されざる者」のサントラをカップリングしただけのようです。
それプラス「麗しのサブリナ」の“バラ色の人生ヴォーカルbyオードリー・ヘプバーン”になってますけど、どゆこと?
販売元のサイトを見ると「バラ色の人生」のタイムは2:09になってますけど、オードリーが歌うシーンはそんなにない。
ただし、今アマゾンやitunesで売ってる「麗しのサブリナ」の映像からモロパクリしたデジタル・ミュージックは、ボガードとの歌う前の会話などを含めて2:09。
これって…。
さらに言うと「ローマの休日」も実際の映画では1分半くらいですが、ここに収録される予定のものは3:01。
これはリチャード・バーナス指揮、ロイヤルフィル演奏のものでは…!?
100歩譲って「麗しのサブリナ」や「許されざる者」は50年以上経っているので、国によっては著作権が切れているかもしれない。
でもロイヤルフィルの演奏は2013年発売のものだから、著作権切れてないと思いますけど〜!!
こんな著作権侵害CDみたいなものがあっていいのでしょうか?
元々「麗しのサブリナ」の“バラ色の人生”のデジタルミュージックや「ローマの休日」のロイヤルフィルのデジタルミュージックはどこかの国が無断でパクって出していたみたいですけど、天下のキングレコードさんが誤ってそちらから権利を買ってしまったのでしょうか!?
ムムム…。これは喜んでいいのかどうか微妙な発売ですね。
なんか16pブックレットがついてくるそうなので、そちらは期待していいのかな??
ちなみに詳細はこちら。
既にアマゾンでは取り扱いが始まっているようです。
キングレコードさん…大丈夫??
★上映期間
2017/08/12(土)~2017/08/18(金)1週上映「麗しのサブリナ」(明日最終日)
2017/08/19(土)~2017/08/25(金)1週上映「昼下りの情事」(明後日から)
2017/08/26(土)~2017/09/08(金)2週上映
「おしゃれ泥棒」
新情報です!
「麗しのサブリナ」と「許されざる者」がカップリングで新しいサントラが出るそうです!さらに「ローマの休日」のテーマ付き!
…と、これは全くの新盤か!?と喜んだのですが、どうやらそうではないみたい…。
今までの「麗しのサブリナ」と「許されざる者」のサントラをカップリングしただけのようです。
それプラス「麗しのサブリナ」の“バラ色の人生ヴォーカルbyオードリー・ヘプバーン”になってますけど、どゆこと?
販売元のサイトを見ると「バラ色の人生」のタイムは2:09になってますけど、オードリーが歌うシーンはそんなにない。
ただし、今アマゾンやitunesで売ってる「麗しのサブリナ」の映像からモロパクリしたデジタル・ミュージックは、ボガードとの歌う前の会話などを含めて2:09。
これって…。
さらに言うと「ローマの休日」も実際の映画では1分半くらいですが、ここに収録される予定のものは3:01。
これはリチャード・バーナス指揮、ロイヤルフィル演奏のものでは…!?
100歩譲って「麗しのサブリナ」や「許されざる者」は50年以上経っているので、国によっては著作権が切れているかもしれない。
でもロイヤルフィルの演奏は2013年発売のものだから、著作権切れてないと思いますけど〜!!
こんな著作権侵害CDみたいなものがあっていいのでしょうか?
元々「麗しのサブリナ」の“バラ色の人生”のデジタルミュージックや「ローマの休日」のロイヤルフィルのデジタルミュージックはどこかの国が無断でパクって出していたみたいですけど、天下のキングレコードさんが誤ってそちらから権利を買ってしまったのでしょうか!?
ムムム…。これは喜んでいいのかどうか微妙な発売ですね。
なんか16pブックレットがついてくるそうなので、そちらは期待していいのかな??
ちなみに詳細はこちら。
既にアマゾンでは取り扱いが始まっているようです。
キングレコードさん…大丈夫??
2017年07月25日
オードリー・ヘプバーンのジグソーパズル その6
8月に入るととうとう「午前十時の映画祭8」でオードリーの作品が4本連続で上映されます!全国同時公開!「おしゃれ泥棒」が目玉作品です!
さあみなさん、予定は立ててらっしゃいますか?
★上映期間
2017/08/05(土)~2017/08/11(金)1週上映「ローマの休日」
2017/08/12(土)~2017/08/18(金)1週上映「麗しのサブリナ」
2017/08/19(土)~2017/08/25(金)1週上映「昼下りの情事」
2017/08/26(土)~2017/09/08(金)2週上映
「おしゃれ泥棒」
劇場などはこちらの記事で
間が開いてしまって申し訳ありません。m(_ _;)m
オードリーのジグソーパズルの紹介を続けます。
今回は500ピースの「麗しのサブリナ」の有名なジバンシィのイブニングドレス&画像のオードリーです。
この衣装はこういう角度だととっても美しいのですが、映画を初めて観た時にそのシルエットにビックリしました!
正面から見ると、まるで蛾が留まっているような…そんなスカート!
オードリーの衣装の中でも特に有名なものの1つですが、僕の中ではこのドレスは “蛾のドレス” として深く刻まれてしまい、あまりいい印象がありません。(^^;;;
このドレス、映画で見るとよくわかりますが本体はタイトスカートで、その上からこのボリュームのあるスカート部分が腰の共布のベルトらしきもので留められてますよね。
このジバンシィのドレスは、オードリーとジバンシィが初めて手を組んだ3着の中の1つです。残りはパリ帰りのサブリナがグレンコーヴ駅で待っている時のスーツと、ライナスの社長室にいる時の肩紐のあるカクテルドレス。
オードリーの為に作られた物ではないのに、まるでオードリーに合わせてデザインされたかのようなピッタリ感が凄いです!
ちなみにジバンシィのコレクションからこの3着を選び出したのはオードリー自身。
この蛾のドレスはオードリーもとても気に入ったみたいで、後に買い取ったのかこの衣装でパーティーにも出席しています。
この衣装はモノクロの写真が多いですが、ありがたい事にカラー写真も現存しています。
それによるとこの刺繍部分は黒。モノクロ映画に最も映える色だった訳ですね。
なお、最近のデジタル技術の発達で元はモノクロの写真に色を付けたものがありますが、それは刺繍が紺色や青や金色だったりするものがあります。
青系など他の色で塗られているものは本物のカラー画像ではないので、注意してください。
さて、この衣装も1953年のコレクション(ということは1952年にジバンシィは作っていたのかも…)からはだいぶ年月が経っています。
2000年に日本でフェラガモ主催の最初の大規模なオードリー展(オードリー・ヘプバーン:私のスタイル展)が開かれた時には現存してないのか、レプリカが展示されており、きちんとレプリカである事が明記されていました。
ところが息子ショーンが主催した2004年の “timeless audrey” 展ではレプリカである事が書いてませんでした。
そのため、この展示会を取り上げたテレビ番組では “オードリーが「麗しのサブリナ」で着たドレスです!” と大嘘で紹介してました。
このショーンの “timeless audrey” 展は不正確な展示が多く、ドレスによっては前と後ろが逆に展示されていたりして、背中にあるタグが平然と前にあるままで展示されていたりしてました。オードリーが着ている写真が現存しているにもかかわらず、です。
当時のショーンは “母オードリー” はともかく、“女優オードリー” には非常に疎いのがよくわかってしまう展示でしたねー。
その時発売されたショーンが絡む図録ではどう見ても1954年〜1955年のメイクのオードリーを “1949年” と載せていたりと、間違いもかなり目につきました。後に別の写真集で1955年と訂正が入りましたが、それに気付く前の大丸がオードリーを宣伝で使った2007年の広告では堂々と1949年と間違いのままで使用されていました。
この “timeless audrey” 展で展示してあった衣装もよく見れば(いや、よく見なくても)本物ではないことがわかるはずです。
まず、このスカートは映画で見るともの凄くボリュームがあるのがわかります。オードリーがこの衣装を着て1人でテニスコートで踊るシーンを見れば、重たそうなのがわかります。
本当は重くはなく、芯地が入っているだけかもしれませんが、とても形がはっきりしています。
ところがレプリカはバックがペタンコ。ボリュームなんか全然ありません。いかにも軽そうなペラッペラなスカートが付いてます。
1999年頃のジバンシィのサロンの制作者は1952年頃のジバンシィのデザイン画や資料を元に作ったのでしょうが、やはり同じには出来なかったようです。
やはり最初に作ったお針子さんなんかももう入れ替わってたでしょうしね。
それにその段階でも既に約半世紀も経ってるので、生地の白が真っ白のままでいれるわけがありません。
実際その同じ展示会や後の展示会でも「マイ・フェア・レディ」のブラウスなどはすっかり色が変色して茶色くなってました。
でもこのレプリカはもちろんまだ真っ白のまま。誰も着たような形跡もありませんでした。
パズルとは何の関係もない話でしたが、このパズルには500ピースの他の商品の紹介チラシが入っています。
それによると他にもオードリーのものとしては前回紹介した「ローマの休日」の撮影風景の他にもグレゴリー・ペックとヴェスパに乗る「ローマの休日」の宣伝写真、「麗しのサブリナ」の冒頭のジャンパースカートを着るオードリーの物があったことがわかります。
残りの2つは買ってないですねー。あまりにもよく見る写真だったからでしょうか…。
もう既にこの頃にはモノクロの若いオードリーばっかりのジグソーパズルの存在に飽きてきてたからだろうと思います。
これが他の物が「緑の館」や「パリで一緒に」など他の作品のカラーのものだったら喜んで買ってたと思うんですけどね…。
別に一般の人もこんなに同じ作品ばかりじゃなくても、パズルで遊んで飾って見るだけならどの作品のオードリーでもいいと思うんですけどねー。
オードリー以外ではマリリン・モンロー1つ、イングリッド・バーグマンの「カサブランカ」2つ、ジェームス・ディーン1つになってます。
オードリーのものが4つもあるということは、やはり1990年前後の当時のオードリーブームというものが凄かったのをよく表していますね。
バブル期のワンレン・ボディコンの裏では、こういうレトロな映画も流行ってたんだよーって証明ですね。
さあみなさん、予定は立ててらっしゃいますか?
★上映期間
2017/08/05(土)~2017/08/11(金)1週上映「ローマの休日」
2017/08/12(土)~2017/08/18(金)1週上映「麗しのサブリナ」
2017/08/19(土)~2017/08/25(金)1週上映「昼下りの情事」
2017/08/26(土)~2017/09/08(金)2週上映
「おしゃれ泥棒」
劇場などはこちらの記事で
間が開いてしまって申し訳ありません。m(_ _;)m
オードリーのジグソーパズルの紹介を続けます。
今回は500ピースの「麗しのサブリナ」の有名なジバンシィのイブニングドレス&画像のオードリーです。
この衣装はこういう角度だととっても美しいのですが、映画を初めて観た時にそのシルエットにビックリしました!
正面から見ると、まるで蛾が留まっているような…そんなスカート!
オードリーの衣装の中でも特に有名なものの1つですが、僕の中ではこのドレスは “蛾のドレス” として深く刻まれてしまい、あまりいい印象がありません。(^^;;;
このドレス、映画で見るとよくわかりますが本体はタイトスカートで、その上からこのボリュームのあるスカート部分が腰の共布のベルトらしきもので留められてますよね。
このジバンシィのドレスは、オードリーとジバンシィが初めて手を組んだ3着の中の1つです。残りはパリ帰りのサブリナがグレンコーヴ駅で待っている時のスーツと、ライナスの社長室にいる時の肩紐のあるカクテルドレス。
オードリーの為に作られた物ではないのに、まるでオードリーに合わせてデザインされたかのようなピッタリ感が凄いです!
ちなみにジバンシィのコレクションからこの3着を選び出したのはオードリー自身。
この蛾のドレスはオードリーもとても気に入ったみたいで、後に買い取ったのかこの衣装でパーティーにも出席しています。
この衣装はモノクロの写真が多いですが、ありがたい事にカラー写真も現存しています。
それによるとこの刺繍部分は黒。モノクロ映画に最も映える色だった訳ですね。
なお、最近のデジタル技術の発達で元はモノクロの写真に色を付けたものがありますが、それは刺繍が紺色や青や金色だったりするものがあります。
青系など他の色で塗られているものは本物のカラー画像ではないので、注意してください。
さて、この衣装も1953年のコレクション(ということは1952年にジバンシィは作っていたのかも…)からはだいぶ年月が経っています。
2000年に日本でフェラガモ主催の最初の大規模なオードリー展(オードリー・ヘプバーン:私のスタイル展)が開かれた時には現存してないのか、レプリカが展示されており、きちんとレプリカである事が明記されていました。
ところが息子ショーンが主催した2004年の “timeless audrey” 展ではレプリカである事が書いてませんでした。
そのため、この展示会を取り上げたテレビ番組では “オードリーが「麗しのサブリナ」で着たドレスです!” と大嘘で紹介してました。
このショーンの “timeless audrey” 展は不正確な展示が多く、ドレスによっては前と後ろが逆に展示されていたりして、背中にあるタグが平然と前にあるままで展示されていたりしてました。オードリーが着ている写真が現存しているにもかかわらず、です。
当時のショーンは “母オードリー” はともかく、“女優オードリー” には非常に疎いのがよくわかってしまう展示でしたねー。
その時発売されたショーンが絡む図録ではどう見ても1954年〜1955年のメイクのオードリーを “1949年” と載せていたりと、間違いもかなり目につきました。後に別の写真集で1955年と訂正が入りましたが、それに気付く前の大丸がオードリーを宣伝で使った2007年の広告では堂々と1949年と間違いのままで使用されていました。
この “timeless audrey” 展で展示してあった衣装もよく見れば(いや、よく見なくても)本物ではないことがわかるはずです。
まず、このスカートは映画で見るともの凄くボリュームがあるのがわかります。オードリーがこの衣装を着て1人でテニスコートで踊るシーンを見れば、重たそうなのがわかります。
本当は重くはなく、芯地が入っているだけかもしれませんが、とても形がはっきりしています。
ところがレプリカはバックがペタンコ。ボリュームなんか全然ありません。いかにも軽そうなペラッペラなスカートが付いてます。
1999年頃のジバンシィのサロンの制作者は1952年頃のジバンシィのデザイン画や資料を元に作ったのでしょうが、やはり同じには出来なかったようです。
やはり最初に作ったお針子さんなんかももう入れ替わってたでしょうしね。
それにその段階でも既に約半世紀も経ってるので、生地の白が真っ白のままでいれるわけがありません。
実際その同じ展示会や後の展示会でも「マイ・フェア・レディ」のブラウスなどはすっかり色が変色して茶色くなってました。
でもこのレプリカはもちろんまだ真っ白のまま。誰も着たような形跡もありませんでした。
パズルとは何の関係もない話でしたが、このパズルには500ピースの他の商品の紹介チラシが入っています。
それによると他にもオードリーのものとしては前回紹介した「ローマの休日」の撮影風景の他にもグレゴリー・ペックとヴェスパに乗る「ローマの休日」の宣伝写真、「麗しのサブリナ」の冒頭のジャンパースカートを着るオードリーの物があったことがわかります。
残りの2つは買ってないですねー。あまりにもよく見る写真だったからでしょうか…。
もう既にこの頃にはモノクロの若いオードリーばっかりのジグソーパズルの存在に飽きてきてたからだろうと思います。
これが他の物が「緑の館」や「パリで一緒に」など他の作品のカラーのものだったら喜んで買ってたと思うんですけどね…。
別に一般の人もこんなに同じ作品ばかりじゃなくても、パズルで遊んで飾って見るだけならどの作品のオードリーでもいいと思うんですけどねー。
オードリー以外ではマリリン・モンロー1つ、イングリッド・バーグマンの「カサブランカ」2つ、ジェームス・ディーン1つになってます。
オードリーのものが4つもあるということは、やはり1990年前後の当時のオードリーブームというものが凄かったのをよく表していますね。
バブル期のワンレン・ボディコンの裏では、こういうレトロな映画も流行ってたんだよーって証明ですね。
タグ :ジグソーパズル
2016年12月10日
写真集「オードリーに魅せられて 〜サブリナの日々〜」
今回は、「Charmed by Audrey : Life on the set of Sabrina」の邦訳版である写真集、「オードリーに魅せられて 〜サブリナの日々〜」の紹介です。
内容的には英語版も日本語版も同じなので今までほったらかしにしてきましたが、ここできちんと日本語版の紹介を。
まず「Charmed by Audrey」は今までのオードリー写真集でもトップクラスの出来。2009年のオードリー・ヘプバーン大賞の大賞受賞でもあります。
この日本語版も同じ2009年には発行されています。10月13日発行になっていますので、9月くらいの発売?
発行はAC Booksさん。
後にこの「オードリーに魅せられて」と同じ判型で他社の「So Audrey」も訳出しています。
出た当時、こういう形態で全作品あるいはオードリーを撮った全カメラマンの写真集が出てくれたらな〜なんて思っていましたが、それは叶いませんでしたね。
もともともうこれ以上触りようのない完璧さだったので、日本語版でも大方同じ。
違いはごく一部に限られています。
日本の本というのは帯を巻くのが普通なので、原書では裏表紙の下部にあるバーコードが、裏表紙の本の上部に変更になっています。
その代わり原書ではあったこの本のオススメ文みたいなのが無くなっています。
で、原書ではバーコードだった部分は写真のまま。
でもこの写真は本文にも収録されているので、日本語版での写真の上部が見れない!ってことはないです。
あと、原書では表紙カバーは墨とパール・パーブルとパール・ブルーグレーの3色で刷られています。
そしてタイトル部分と背表紙の白文字、裏表紙の解説は厚塗りのニス引きがなされていて、触ると膨らんでいるのがわかります。
カバーの折り返しの画像部分もニス引きがなされています。
これ、パール色も高いし、ニス引きも別に加工料がかかります。経費かかってます。
対して日本版はお金のかかるパール色はやめて、原書のパール・パープル色に似た紫の特色、そしてブルーの特色と墨の3色で刷られています。
ニス引きも表紙のパープル部分のみ。
ブルーは原書とは似てない色になってます。
そのカバーを外すと、ハードカバーの本体が出てくるのですが、この厚みや紙の素材、色が違います。
原書は厚みが有り、本当の銀色です。日本版の方が少し薄く、色が青っぽく、ちょっと紙目が目立つ紙質。
あと、本文は同じコート紙ですが、日本版の方が少しツルツル度が高いです。厚みは同じくらい。
まあでも問題になるような違いはありません。カバーのパール色以外は、よーく比べると…という範囲内です。
日本版でも中身はパール色2色(+墨)で刷られており、豪華。原書と同等です。
写真のページはもうこの時代はPDF入稿だと思うので、寸分の狂い無し。
写真に付いている英語の文章を日本語に翻訳されているだけです。
この写真の文章はオードリー自身の言葉や、オードリーを讃える他の人の言葉が載っています。
本の最初には、この写真を撮ったマーク・ショウの一人息子の奥さんと、「麗しのサブリナ」の原作者の息子さんの前書きが載っていて興味深いです。
マーク・ショウの息子の奥さんは、50年以上不明だったこれらのネガがいかに発見されたか、ということや、この白黒写真の中で白のシャツと黒のカプリパンツ(サブリナパンツ)に見えるものは、実際はピンクのシャツと赤いパンツである事が当時の注釈で書かれている、と書いてます。
それ以上に興味深いのは、「麗しのサブリナ」の原作戯曲を書いたサミュエル・テイラーの息子、デヴィッド・テイラーの文章。
当時ハリウッドは、舞台の製作前からスカウトマンが映画化権を買い付けに来ていた事、原作の「麗しのサブリナ」もそういう経緯を辿って、舞台前からパラマウントが買った事が述べられていました。
やはりバリー・パリスの伝記や、「永遠のオードリー・ファッション」で書かれてた事(オードリーが舞台を見てパラマウントに買ってもらった)は誤りだとわかりますね。
既に1953年3月には契約も済んで、サミュエル・テイラーと監督ビリー・ワイルダーは脚本を書き始めています。
その段階でサブリナはオードリーが演じる事が決まっており、サミュエル・テイラーはオードリーをイメージして脚本を進めていった事も書かれていました。
舞台の稽古が始まるのは53年8月から。大幅に映画が先行しています。
この段階では舞台はまだ影も形もないですね。
サブリナの後、「オンディーヌ」の舞台でオードリーがニューヨークに来た際は、頻繁にサミュエル・テイラーの家に来ていたそうで、奥さんとも仲が良く、幼い息子のデヴィッド・テイラーと弟もオードリーとよく話したとか。
別の仕事でサミュエル・テイラーがハリウッドに行った際に、母とデヴィッドと弟は春休みにロサンゼルスへ行くと、なんとサミュエル・テイラーはオードリーのアパートを貸してもらっていたそうです。
さらにわかるのは、この写真集で載っている木戸や部屋(表紙でも採用)が、実はそのオードリーのロサンゼルスでのアパートだという事がわかります。
住所はウィルシャー大通り10368番。今でも現存しているのでしょうか?
部屋はチリ一つなく、清潔だったそうです。
日本語版でももちろんトップクラスの写真集であることは間違いなく、自信を持ってお勧め出来る1冊となっています。
帯には復活したランテルディを抽選で5名にプレゼント!というのが載っています。もちろん、とっくに期限は過ぎていて、2010年2月15日消印までです。
オススメ度:★★★★★(珍しく、美しい画像がいっぱい!オリジナルネガフィルムからの印刷なので、裏焼きは一切無し!)
内容的には英語版も日本語版も同じなので今までほったらかしにしてきましたが、ここできちんと日本語版の紹介を。
まず「Charmed by Audrey」は今までのオードリー写真集でもトップクラスの出来。2009年のオードリー・ヘプバーン大賞の大賞受賞でもあります。
この日本語版も同じ2009年には発行されています。10月13日発行になっていますので、9月くらいの発売?
発行はAC Booksさん。
後にこの「オードリーに魅せられて」と同じ判型で他社の「So Audrey」も訳出しています。
出た当時、こういう形態で全作品あるいはオードリーを撮った全カメラマンの写真集が出てくれたらな〜なんて思っていましたが、それは叶いませんでしたね。
もともともうこれ以上触りようのない完璧さだったので、日本語版でも大方同じ。
違いはごく一部に限られています。
日本の本というのは帯を巻くのが普通なので、原書では裏表紙の下部にあるバーコードが、裏表紙の本の上部に変更になっています。
その代わり原書ではあったこの本のオススメ文みたいなのが無くなっています。
で、原書ではバーコードだった部分は写真のまま。
でもこの写真は本文にも収録されているので、日本語版での写真の上部が見れない!ってことはないです。
あと、原書では表紙カバーは墨とパール・パーブルとパール・ブルーグレーの3色で刷られています。
そしてタイトル部分と背表紙の白文字、裏表紙の解説は厚塗りのニス引きがなされていて、触ると膨らんでいるのがわかります。
カバーの折り返しの画像部分もニス引きがなされています。
これ、パール色も高いし、ニス引きも別に加工料がかかります。経費かかってます。
対して日本版はお金のかかるパール色はやめて、原書のパール・パープル色に似た紫の特色、そしてブルーの特色と墨の3色で刷られています。
ニス引きも表紙のパープル部分のみ。
ブルーは原書とは似てない色になってます。
そのカバーを外すと、ハードカバーの本体が出てくるのですが、この厚みや紙の素材、色が違います。
原書は厚みが有り、本当の銀色です。日本版の方が少し薄く、色が青っぽく、ちょっと紙目が目立つ紙質。
あと、本文は同じコート紙ですが、日本版の方が少しツルツル度が高いです。厚みは同じくらい。
まあでも問題になるような違いはありません。カバーのパール色以外は、よーく比べると…という範囲内です。
日本版でも中身はパール色2色(+墨)で刷られており、豪華。原書と同等です。
写真のページはもうこの時代はPDF入稿だと思うので、寸分の狂い無し。
写真に付いている英語の文章を日本語に翻訳されているだけです。
この写真の文章はオードリー自身の言葉や、オードリーを讃える他の人の言葉が載っています。
本の最初には、この写真を撮ったマーク・ショウの一人息子の奥さんと、「麗しのサブリナ」の原作者の息子さんの前書きが載っていて興味深いです。
マーク・ショウの息子の奥さんは、50年以上不明だったこれらのネガがいかに発見されたか、ということや、この白黒写真の中で白のシャツと黒のカプリパンツ(サブリナパンツ)に見えるものは、実際はピンクのシャツと赤いパンツである事が当時の注釈で書かれている、と書いてます。
それ以上に興味深いのは、「麗しのサブリナ」の原作戯曲を書いたサミュエル・テイラーの息子、デヴィッド・テイラーの文章。
当時ハリウッドは、舞台の製作前からスカウトマンが映画化権を買い付けに来ていた事、原作の「麗しのサブリナ」もそういう経緯を辿って、舞台前からパラマウントが買った事が述べられていました。
やはりバリー・パリスの伝記や、「永遠のオードリー・ファッション」で書かれてた事(オードリーが舞台を見てパラマウントに買ってもらった)は誤りだとわかりますね。
既に1953年3月には契約も済んで、サミュエル・テイラーと監督ビリー・ワイルダーは脚本を書き始めています。
その段階でサブリナはオードリーが演じる事が決まっており、サミュエル・テイラーはオードリーをイメージして脚本を進めていった事も書かれていました。
舞台の稽古が始まるのは53年8月から。大幅に映画が先行しています。
この段階では舞台はまだ影も形もないですね。
サブリナの後、「オンディーヌ」の舞台でオードリーがニューヨークに来た際は、頻繁にサミュエル・テイラーの家に来ていたそうで、奥さんとも仲が良く、幼い息子のデヴィッド・テイラーと弟もオードリーとよく話したとか。
別の仕事でサミュエル・テイラーがハリウッドに行った際に、母とデヴィッドと弟は春休みにロサンゼルスへ行くと、なんとサミュエル・テイラーはオードリーのアパートを貸してもらっていたそうです。
さらにわかるのは、この写真集で載っている木戸や部屋(表紙でも採用)が、実はそのオードリーのロサンゼルスでのアパートだという事がわかります。
住所はウィルシャー大通り10368番。今でも現存しているのでしょうか?
部屋はチリ一つなく、清潔だったそうです。
日本語版でももちろんトップクラスの写真集であることは間違いなく、自信を持ってお勧め出来る1冊となっています。
帯には復活したランテルディを抽選で5名にプレゼント!というのが載っています。もちろん、とっくに期限は過ぎていて、2010年2月15日消印までです。
オススメ度:★★★★★(珍しく、美しい画像がいっぱい!オリジナルネガフィルムからの印刷なので、裏焼きは一切無し!)