2024年02月04日
MBSテレビ “知っとこ!”2012年5月5日放送「世界の朝ごはん〜スイス レマン湖地方」
(今回もゲッティイメージズ さんの、無料でブログに埋め込める画像を2点お借りしました。)
今から55年前の1969年1月18日、オードリーはアンドレア・ドッティと2度目の結婚をしました。
前夫メル・ファーラーと1967年8月に別居、68年12月に正式に離婚してからすぐのことでした。
別居中の1968年6月に傷心のオードリーを見かねた友人のお誘いの旅行でアンドレア・ドッティと知り合い、急速に接近。結婚に至ったようです。
前の夫のメル・ファーラーは、まるで初期のオードリー映画の相手役のようにずっと年上であったことから、父の愛に飢えていたオードリーは庇護される自分というものを求め、それが嬉しかったのだと思うのですが、だんだん独善的で高圧的なメル・ファーラーとのズレが生じて離婚に至ります。
メル・ファーラーの浮気も大きいと離婚当時は書かれていましたが、実は海外の伝記ではあまりメル・ファーラー側の浮気というのには触れられていないので、そこは本当かどうかはわかりません。
年上の夫に守ってもらって、一生愛し合って過ごす、という幻想が崩れたオードリーが次に選んだ夫は逆の年下の夫でした。
実は相手が年下というのはオードリーの年齢が上がるとともに映画でも増えており、第4期作品の「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」は設定こそオードリーが年下でしたけど、実際にはオードリーの方が年上でした。
特に「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」の相手役のピーター・オトゥールとアルバート・フィニーとはウマが合ったこともあり、年下に惹かれたのかもしれません。
でもオードリーの母エッラや、友人にはドッティとの結婚はめっちゃ反対されたそうですね。
せっかくメルと別れられたのに、また同じ間違いをしようとしている!と思われていたそうですが、オードリーは突っ走ってしまいます。
結婚してからもドッティは浮気三昧で、結婚の翌年にはもう浮気がバレています。その時には謝り倒してオードリーと和解しますが、1976年にはルカがモントリオールオリンピックを見ている時に、ドッティは “もしパパとママが別れたらどうする?”と訊いて、幼かったルカを泣かせていますし、すでに離婚の話し合いは始まっていたのでしょうね。
結局1982年に離婚していますが、実質1976年にはもう2人の関係は終わっていたのでしょう。
離婚後、メル・ファーラーとは極力会わなかったオードリーですけど、ドッティとは何度も会ってルカのことで話し合っていたそうですから、既に夫と結婚に対してオードリーが持っていた理想は崩れてしまっており、傷も深くなかったのでしょう。
さて、前置きが長くなりましたが、今回はそんなドッティと結婚当時の逸話が聞ける2012年5月5日放映と、もう12年も経った関西のMBSテレビの“知っとこ!”の紹介。
この番組は関西の製作ですけど、TBS系列で全国放送されていました。
このときのMCは柳原可奈子さん、松嶋尚美さん、富岡佳子さんでした。
オードリーが登場するのは「世界の朝ごはん」というコーナー。
毎週ロケで世界を回って朝ごはんを紹介するなんて、なんてお金がかかってるんだろう!とも思いますね。予算が潤沢だったのでしょうか?
普段は本当に各国の朝ごはんを紹介する内容だったらしいのですが、この週はスイスのレマン湖地方ということで、モルジュの町からオードリーのことが紹介されています。
なので、朝ごはんはあまり関係ありません。
まずはモルジュの朝市を歩いていると、2013年に没後20年を迎えるオードリーの展示を期間限定でやっている店に当たり、そこを取材。
80年代以降の日本みたいに、初期のオードリーばっかりの展示ではなく、60年代やユニセフでの写真も同等に展示してあるのが、いろんなオードリーを見れて嬉しい!
一番奥に大きく幕を張って展示してるのは「パリで一緒に」の撮影スナップではありませんか!
この年はモルジュではオードリー関連の行事が行われているとのことで、他の美術館でもオードリーの展示をやっているのを紹介。
こちらでは「ローマの休日」でのベスパ(映画で実際に使われたのとは違う)も展示していたみたいですね。
期間限定での展示会だったので、当時はめっちゃ行きたかったものです。
それと、街中では割と年齢の高めの人たちにインタビューをして、実際に生きていた当時のオードリーの様子を聞いています。
そこでは、「オードリーはよく散歩に来ていた」「愛想が良くてナチュラルだった」「歳をとってからも美しかった」と語られています。
さらにオードリーがよく行った食料品店としてドゥマという店が紹介されているのですが(ここはオードリーゆかりの店として他の番組でも頻繁に取り上げられる)、そこではオードリーの逸話を聞くことができます。
オードリーはトワイニングのアールグレイがお気に入りだった、息子(この段階ではおそらく長男ショーン)が好きだったのでクランベリーのジュースを取り寄せてもらっていた、そして結婚式の日、オードリーはパパラッチに追われており、助けを求めて来たから、裏口から逃がしてあげたこと、その2日後にはお礼を言いにわざわざ店にきてくれたこと。
パパラッチの件は、ゲッティイメージズ さんの画像を見ればわかるように、いっぱい芸能カメラマンみたいな人がいますが、まあ結婚式が終わっても追いかけてきてたら、オードリーとドッティも逃げたくなりますよね。
そしてオードリーが結婚式を挙げた市庁舎の外観と内部が紹介されるのですが、実はここは今は内部は公開していないと別の番組で紹介されていました。
内装は当時とは変わっているにしても、貴重な映像ですね。
さらにはモルジュのお土産として、オードリーの顔(2種類あって、どちらも見ると「パリの恋人」のもの)が印刷された箱に入った“Audrey”と金箔で名が入ったチョコレートが紹介されています。
ここではそのパティシエさんが、子供の頃にオードリーに頭を撫でてもらったという思い出も語ります。
さて、ここで思い出すのは以前オードリーツアーを考えていた知り合いの旅行社の方の話。
この方と2018年に喋っている時に、“僕も行けるならここでお土産にチョコレート欲しいんですよ!”って言ってたら、そのチョコレート店もう無いんちゃうかな?って言われてしまって、ええ〜〜〜!!って言ってたんですよね。
本当にお店は無くなってしまったんでしょうかね?
これは未だに未解決のままです。僕はまだあると思うんですけどね、どなたかご存知ですか?
それと、ここで今見ると愕然とするのがこのチョコレートの値段。
この放送当時は当然その時の物価なので、なんとも思わなかったんですが、この当時24個入りは17スイスフラン で約1500円、と紹介されています。
お土産には手頃な値段ですよね?会社や学校で配っても良さげな値段。
でも今の為替レートで考えるといくらやねん?と計算すると、いまは1スイスフラン≒171円。
171円×17フランで約3000円!うおおお、2012年の倍になってるやん!!
しかもスイスでは普通に物価に合わせて価格が上昇してたとすると、今やこのオードリーチョコレートは4000円〜5000円ほどするのではないかと…。
今や他の国から取り残されつつあり、超円安になってしまったのが悲しくなってしまいますね。
この番組放送当時は1スイスフラン は85円〜90円ほどだったということですよね。ショック!
そして次にはオードリーの友人だったクリスタ・ロットさんが紹介されます。
ユニセフで働いていた縁でオードリーと知り合った方ですね。オードリー担当の方でした。
そのロットさんからは、オードリーが笑顔を絶やさずいつも自然体だった、またオードリーはスイスで安らぎを求めていた、と語られます。
次にオードリーの愛した家、ラ・ペジブルが紹介され、トロシュナの共同墓地でのオードリーのお墓も紹介されます。
90分枠の中の25分ほどの単なるコーナーの間に、この内容の濃さ!
さすがオードリーを愛した日本ならではの番組!
海外だとなかなかこんな濃い内容は無くて、せっかくオードリーだけで番組を作ってもわりと上滑り気味なんですけど(「マジック・オブ・オードリー」とか2022年に劇場公開された映画「オードリー・ヘプバーン」など)、こんな時は日本人で良かったなーと思います。
2012年〜2013年はオードリーの没後20年でいろんな局でオードリーが多く取り上げられました。
他にもWOWOWの「ノンフィクションW ヘプバーンが本当に伝えたかったこと」、NHK「松下奈緒 永遠のオードリー前後編」、TBS「世界ふしぎ発見!」などと優秀なオードリーの番組がいくつも日本で放映されました。
オススメ度:★★★★(この短い時間でこの内容をありがとうございます!)
タグ :テレビ
2023年11月24日
1970年12月22日 CBSテレビの 「愛の世界」で歌うオードリー
今回は資料は少ないのですが、クリスマスも近くなってきたのでテレビ番組「愛の世界」について。
「愛の世界」はオードリーが「暗くなるまで待って」(1967年)と「ロビンとマリアン」(撮影1975年)の間の、半引退状態の時に出演したテレビ番組です。
放送は1970年12月22日。
68年メル・ファーラーと離婚、その後アンドレア・ドッティと結婚して家庭に入って、70年2月8日にはルカを出産。すっかり家庭の奥様になったオードリーを引っ張り出すのに成功したのがこの「愛の世界」。
なぜこの「愛の世界」にオードリーが出演したのかと言うと、きっとユニセフの主催だったからでしょう。
つい最近紹介した「映画の友」1967年5月号に載っていたインタビューでも、最も心を痛めることは?という質問に「貧しい不幸な子供たち」と答えていたオードリー。
そんな思いのオードリーに、このユニセフの趣旨はピッタリ合ったのでしょう。「暗くなるまで待って」でアカデミー主演女優賞ノミネートを受けたためと、友人エリザベス・テイラーの代わりに主演男優賞のプレゼンターを務めるために出演した1968年4月10日の第40回アカデミー賞授賞式以来、約2年と8か月ぶりの公の場への出演となりました。
↑1968年のアカデミー賞の主演男優賞発表の様子。オードリーがプレゼンターを務めてます。
↑こちらはアカデミー賞の主演女優賞発表。オードリーが席に座ってなくて舞台そでみたいな場所にいるのは、ついさっきまで主演男優賞の発表で舞台に居たからですね。オードリー、緊張しているように見えます。
そしてこれがオードリーのユニセフへの最初の活動になりましたね。
「愛の世界」の資料は大変少ないのですが、ルカの本ではジュリー・アンドリュースが司会を務める、と書かれています。
バリー・パリスの伝記では、ビル・コスビーって人と、シャーリー・マクレーンが司会って書かれてますが、71年のクリスマスになってて、年度が間違ってますね。
そこでは各国の代表として、オードリーはイタリアを、リチャード・バートンとジュリー・アンドリュースはイギリスを、バーブラ・ストライサンドがカリフォルニアの、ハリー・ベラフォンテがフロリダの代表だったそうです。
イアン・ウッドワードの伝記でも1971年と間違っているのですが、製作はアレクサンダー・コーエン、監督クラーク・ジョーンズ、となっています。
普段全く見ないDavid Hofstede の “AUDREY HEPBURN : A Bio-Bibliography”って本では、CBSテレビ、90分、カラー。放送は1970年12月22日と、正しい日付になってます。(でもIMDbの「愛の世界」の宣伝資料によると、放送時間は夜の8時半から60分だったようです)
こちらでは司会はビル・コスビーとシャーリー・マクレーン。出演者ではパリスの伝記に加えてフローレンス・ヘンダーソンが載っています。さらに製作・監督と脚本としてヒルディ・パークスって人が載っています。
この番組では各国のクリスマスの伝統にして説明していて、オードリーはイタリアだけに伝わる「ラ・ベファーナ」の伝説について説明しているとのこと。
「ラ・ベファーナ」って全く知らなかったので、いったいそれはなんぞや?とググってみました。ベファーナって、働き者の老婆の魔女さんだそうで、途中は省きますが、そのベファーナが子供達にお菓子を配っている、というもの。
ほーって思いますね。
さて、そんな「愛の世界」の映像の一部がYouTubeにあります。
「ラ・ベファーナ」の伝説についての部分はカットされていますが、オードリーが「きよしこの夜」を歌うシーンがありますね。
「マイ・フェア・レディ」以来の歌でしょうか?いや、その後に「いつも2人で」でハチさん、ハチさん、の歌も歌っていましたね。
でもその時よりも低くかすれ気味になっているオードリーの声。女優業をやめているので、発声する訓練をしていないからでしょうかね。そして加齢とタバコのせいもあるかもしれません。
実はこの段階でももう夫のアンドレア・ドッティの女性遊びはオードリーにバレていたそう。
オードリーは出ていく、と言ったそうですが、ドッティはもう2度としないから、と謝って元の鞘に収まったそう。
でもそれは結局守られることなく、オードリーと結婚している間に、200人もの女性と遊んでいたと、昨年劇場で公開された映画「オードリー・ヘプバーン」で語られていましたね。
「愛の世界」は1970年12月ですが、このあと5か月もしないうちに今度は「エクスラン・ヴァリーエ」の撮影が始まりますね。
日本では「愛の世界」は見れませんでしたが、「エクスラン・ヴァリーエ」は日本だけが見れたんですよね。
「愛の世界」はオードリーが「暗くなるまで待って」(1967年)と「ロビンとマリアン」(撮影1975年)の間の、半引退状態の時に出演したテレビ番組です。
放送は1970年12月22日。
68年メル・ファーラーと離婚、その後アンドレア・ドッティと結婚して家庭に入って、70年2月8日にはルカを出産。すっかり家庭の奥様になったオードリーを引っ張り出すのに成功したのがこの「愛の世界」。
なぜこの「愛の世界」にオードリーが出演したのかと言うと、きっとユニセフの主催だったからでしょう。
つい最近紹介した「映画の友」1967年5月号に載っていたインタビューでも、最も心を痛めることは?という質問に「貧しい不幸な子供たち」と答えていたオードリー。
そんな思いのオードリーに、このユニセフの趣旨はピッタリ合ったのでしょう。「暗くなるまで待って」でアカデミー主演女優賞ノミネートを受けたためと、友人エリザベス・テイラーの代わりに主演男優賞のプレゼンターを務めるために出演した1968年4月10日の第40回アカデミー賞授賞式以来、約2年と8か月ぶりの公の場への出演となりました。
↑1968年のアカデミー賞の主演男優賞発表の様子。オードリーがプレゼンターを務めてます。
↑こちらはアカデミー賞の主演女優賞発表。オードリーが席に座ってなくて舞台そでみたいな場所にいるのは、ついさっきまで主演男優賞の発表で舞台に居たからですね。オードリー、緊張しているように見えます。
そしてこれがオードリーのユニセフへの最初の活動になりましたね。
「愛の世界」の資料は大変少ないのですが、ルカの本ではジュリー・アンドリュースが司会を務める、と書かれています。
バリー・パリスの伝記では、ビル・コスビーって人と、シャーリー・マクレーンが司会って書かれてますが、71年のクリスマスになってて、年度が間違ってますね。
そこでは各国の代表として、オードリーはイタリアを、リチャード・バートンとジュリー・アンドリュースはイギリスを、バーブラ・ストライサンドがカリフォルニアの、ハリー・ベラフォンテがフロリダの代表だったそうです。
イアン・ウッドワードの伝記でも1971年と間違っているのですが、製作はアレクサンダー・コーエン、監督クラーク・ジョーンズ、となっています。
普段全く見ないDavid Hofstede の “AUDREY HEPBURN : A Bio-Bibliography”って本では、CBSテレビ、90分、カラー。放送は1970年12月22日と、正しい日付になってます。(でもIMDbの「愛の世界」の宣伝資料によると、放送時間は夜の8時半から60分だったようです)
こちらでは司会はビル・コスビーとシャーリー・マクレーン。出演者ではパリスの伝記に加えてフローレンス・ヘンダーソンが載っています。さらに製作・監督と脚本としてヒルディ・パークスって人が載っています。
この番組では各国のクリスマスの伝統にして説明していて、オードリーはイタリアだけに伝わる「ラ・ベファーナ」の伝説について説明しているとのこと。
「ラ・ベファーナ」って全く知らなかったので、いったいそれはなんぞや?とググってみました。ベファーナって、働き者の老婆の魔女さんだそうで、途中は省きますが、そのベファーナが子供達にお菓子を配っている、というもの。
ほーって思いますね。
さて、そんな「愛の世界」の映像の一部がYouTubeにあります。
「ラ・ベファーナ」の伝説についての部分はカットされていますが、オードリーが「きよしこの夜」を歌うシーンがありますね。
「マイ・フェア・レディ」以来の歌でしょうか?いや、その後に「いつも2人で」でハチさん、ハチさん、の歌も歌っていましたね。
でもその時よりも低くかすれ気味になっているオードリーの声。女優業をやめているので、発声する訓練をしていないからでしょうかね。そして加齢とタバコのせいもあるかもしれません。
実はこの段階でももう夫のアンドレア・ドッティの女性遊びはオードリーにバレていたそう。
オードリーは出ていく、と言ったそうですが、ドッティはもう2度としないから、と謝って元の鞘に収まったそう。
でもそれは結局守られることなく、オードリーと結婚している間に、200人もの女性と遊んでいたと、昨年劇場で公開された映画「オードリー・ヘプバーン」で語られていましたね。
「愛の世界」は1970年12月ですが、このあと5か月もしないうちに今度は「エクスラン・ヴァリーエ」の撮影が始まりますね。
日本では「愛の世界」は見れませんでしたが、「エクスラン・ヴァリーエ」は日本だけが見れたんですよね。
2022年10月11日
1992年8月12日 最後に出演したオードリーの舞台
ただいま入院中です。こちらは書き溜めておいたものになります。
今回はオードリーの死後、1993年4月12日にNHKのBS衛星第2で放送された、「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」の紹介。
オードリーが亡くなった時に放送された、オードリー追悼番組の一環で、NHKアーカイブスの「番組タイムマシーン」ってサイトでは、前日の4月11日の19:30には「オードリー・ヘプバーン 〜その魅力のすべて」という1時間半番組をやっていて追悼特集がスタート、22時からは「緑の館」、そして翌日の12日が20時から岡部まりさんの解説のあと、20:04から「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」が始まっています。
1時間40分の番組が21:45に終わった後、22時からは「おしゃれ泥棒」、4月13日は「ロビンとマリアン」、14日は「許されざる者」、15日は「いつも2人で」、16日は「昼下りの情事」、17日は「マイ・フェア・レディ」と1週間オードリーの追悼特集をやってくれていました。
僕はこれはもらいものなのですが、20時からの岡部まりさんの解説によると、この「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」がオードリーが公に姿を現した最後のものだそうです。
オードリーの故郷、オランダのハーグで1992年8月14日に開かれています。
なぜかこの番組のことはIMDbでも書かれておらず、幻となってますね。前年の1991年のことは載っているのですが、ここでのメンバーと違いますし、NHKが間違えた、ということも無さそうです。
これ以降も「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」やユニセフの「Audrey Hepburn: In Her Own Words」がありますが、「庭園紀行」は90年に撮影されたもの、「Audrey Hepburn: In Her Own Words」は過去のインタビューを写してるだけです。
IMDbでは9月29日になにやら出演があったように書いてますけど、それも録画や過去のアーカイブだったらそっちの方が過去になりますしね。
本当に「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」が(ユニセフのインタビューでテレビに出たとかを除くと)最後の出演なのかもしれません。NHKが間違うわけも無いしね。
ちなみに途中でこの「ダニー・ケイ メモリアル・コンサート」は第5回だと発言されているので、毎年やっているものなんですね。
その後も続いたのかどうかはわかりません。
8月の出演だと、入院まであと2か月ちょいしかないですね。9月にはユニセフでソマリアへ行ってますから、本当に最後の華やかな場でのオードリーだったのでしょうね。
余命はもう5か月ほどしかありません。
ここでのオードリーは同じくユニセフの親善大使をしているロジャー・ムーアと司会をやっていますね。メインの司会はロジャー・ムーアで、紹介されてジバンシィを着たオードリーが登場。
昔のビデオテープでのダビング品をいただいてるので、色は滲んでるし、画質は本当に良くないのですが、それでも最後の舞台のオードリーを観れるのはありがたいことです。
ここでの衣装も日本で現物が見れました。2000年の「私のスタイル」展でもあったし、「timeless audrey」展でもあったかと思います。
ドレスとしては最後に着ていたものだったので、ショーンの手元にも残っていたのでしょうね。
内容はユニセフ主催で、世界の子供達の歌やダンスや演奏などのパフォーマンスを見せて最優秀賞を決めるというもの。日本からも出ていました。
子供達の合間にプロの歌や踊りも挟まれます。有名どころではフリオ・イグレシアスとかも出ていました。
合間にユニセフの活動も挟まれたりして、その時の世界のユニセフ親善大使も紹介されます。
日本はもちろん黒柳徹子さんですね。
まあオードリーはパフォーマーをロジャー・ムーアと交代で紹介するだけで、メインは子供達のパフォーマンスですから、何度も見ようと思うものでもないのですが、最後の華やかな場でのオードリーを見れることが嬉しいですよね。
ロジャー・ムーアがオードリーに言う「あなたの隣に立つのにふさわしい男であるよう 努力しているんですよ」は、まさしく名言。
「男」って部分を「人間」と置き換えて、男女問わずオードリーのファンは心しておいて欲しいもの。
じゃあ僕はできているかと言われると “全然”なもんで、アカンな〜と思うのですけどね。
他にもフリオ・イグレシアスもダニー・ケイの娘さんなどもみんなオードリーに感謝してるんで、本当にオードリーって凄いなあ〜と思いますね。
ちなみにこの年の優勝者はラトビアの女の子でした。
オードリーが最初に言ってましたが、世界各国から子供達がオランダのハーグに集まって、そこで予選があり、勝ち残れた組だけがこの本選の舞台に立てるそうです。
でも、ユニセフの番組なのに、優勝者を子供達で競わせるんや〜と思いました。
ただのパフォーマンスを見せるだけだとあかんの?みたいな。
まあ優勝賞金もあったみたいですし、あげるにはやっぱり競わないとあかんのかなーと。
僕なんかは元々人前だとめっちゃ緊張しいなので、もう舞台に立つだけで緊張しまくりですけどね。
あ、そうそう、最初の協力のところにKLMオランダ航空の名前が載ってました。
世界のスターとしては「ローマの休日」の原案ダルトン・トランボに始まり、「オールウェイズ」の元になった原案もダルトン・トランボの「ジョーと呼ばれた男」でしたが、本当のキャリアの最初としては「オランダの7つの教訓」でのKLMの客室乗務員役に始まって、最後の舞台がこのKLM協賛と言うのもまた感慨深いですよね。
もしオードリーが亡くなってなければ、放映されなかったんじゃないかなーと思います。
でもこれで今年は1952年「ジジ」、1962年「噂の二人」日本公開、1972年「パリで一緒に」リバイバル、1982年「銀座リザ」、1992年これ、という◯十周年の節目の年のこと全部と、さらに1957年「パリの恋人」「昼下りの情事」、1967年「いつも2人で」、1987年「おしゃれ泥棒2」という◯5周年の作品とが紹介できました!なんか凄くない??と自画自賛。
今回はオードリーの死後、1993年4月12日にNHKのBS衛星第2で放送された、「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」の紹介。
オードリーが亡くなった時に放送された、オードリー追悼番組の一環で、NHKアーカイブスの「番組タイムマシーン」ってサイトでは、前日の4月11日の19:30には「オードリー・ヘプバーン 〜その魅力のすべて」という1時間半番組をやっていて追悼特集がスタート、22時からは「緑の館」、そして翌日の12日が20時から岡部まりさんの解説のあと、20:04から「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」が始まっています。
1時間40分の番組が21:45に終わった後、22時からは「おしゃれ泥棒」、4月13日は「ロビンとマリアン」、14日は「許されざる者」、15日は「いつも2人で」、16日は「昼下りの情事」、17日は「マイ・フェア・レディ」と1週間オードリーの追悼特集をやってくれていました。
僕はこれはもらいものなのですが、20時からの岡部まりさんの解説によると、この「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」がオードリーが公に姿を現した最後のものだそうです。
オードリーの故郷、オランダのハーグで1992年8月14日に開かれています。
なぜかこの番組のことはIMDbでも書かれておらず、幻となってますね。前年の1991年のことは載っているのですが、ここでのメンバーと違いますし、NHKが間違えた、ということも無さそうです。
これ以降も「オードリー・ヘプバーンの庭園紀行」やユニセフの「Audrey Hepburn: In Her Own Words」がありますが、「庭園紀行」は90年に撮影されたもの、「Audrey Hepburn: In Her Own Words」は過去のインタビューを写してるだけです。
IMDbでは9月29日になにやら出演があったように書いてますけど、それも録画や過去のアーカイブだったらそっちの方が過去になりますしね。
本当に「ダニー・ケイ メモリアルコンサート'92」が(ユニセフのインタビューでテレビに出たとかを除くと)最後の出演なのかもしれません。NHKが間違うわけも無いしね。
ちなみに途中でこの「ダニー・ケイ メモリアル・コンサート」は第5回だと発言されているので、毎年やっているものなんですね。
その後も続いたのかどうかはわかりません。
8月の出演だと、入院まであと2か月ちょいしかないですね。9月にはユニセフでソマリアへ行ってますから、本当に最後の華やかな場でのオードリーだったのでしょうね。
余命はもう5か月ほどしかありません。
ここでのオードリーは同じくユニセフの親善大使をしているロジャー・ムーアと司会をやっていますね。メインの司会はロジャー・ムーアで、紹介されてジバンシィを着たオードリーが登場。
昔のビデオテープでのダビング品をいただいてるので、色は滲んでるし、画質は本当に良くないのですが、それでも最後の舞台のオードリーを観れるのはありがたいことです。
ここでの衣装も日本で現物が見れました。2000年の「私のスタイル」展でもあったし、「timeless audrey」展でもあったかと思います。
ドレスとしては最後に着ていたものだったので、ショーンの手元にも残っていたのでしょうね。
内容はユニセフ主催で、世界の子供達の歌やダンスや演奏などのパフォーマンスを見せて最優秀賞を決めるというもの。日本からも出ていました。
子供達の合間にプロの歌や踊りも挟まれます。有名どころではフリオ・イグレシアスとかも出ていました。
合間にユニセフの活動も挟まれたりして、その時の世界のユニセフ親善大使も紹介されます。
日本はもちろん黒柳徹子さんですね。
まあオードリーはパフォーマーをロジャー・ムーアと交代で紹介するだけで、メインは子供達のパフォーマンスですから、何度も見ようと思うものでもないのですが、最後の華やかな場でのオードリーを見れることが嬉しいですよね。
ロジャー・ムーアがオードリーに言う「あなたの隣に立つのにふさわしい男であるよう 努力しているんですよ」は、まさしく名言。
「男」って部分を「人間」と置き換えて、男女問わずオードリーのファンは心しておいて欲しいもの。
じゃあ僕はできているかと言われると “全然”なもんで、アカンな〜と思うのですけどね。
他にもフリオ・イグレシアスもダニー・ケイの娘さんなどもみんなオードリーに感謝してるんで、本当にオードリーって凄いなあ〜と思いますね。
ちなみにこの年の優勝者はラトビアの女の子でした。
オードリーが最初に言ってましたが、世界各国から子供達がオランダのハーグに集まって、そこで予選があり、勝ち残れた組だけがこの本選の舞台に立てるそうです。
でも、ユニセフの番組なのに、優勝者を子供達で競わせるんや〜と思いました。
ただのパフォーマンスを見せるだけだとあかんの?みたいな。
まあ優勝賞金もあったみたいですし、あげるにはやっぱり競わないとあかんのかなーと。
僕なんかは元々人前だとめっちゃ緊張しいなので、もう舞台に立つだけで緊張しまくりですけどね。
あ、そうそう、最初の協力のところにKLMオランダ航空の名前が載ってました。
世界のスターとしては「ローマの休日」の原案ダルトン・トランボに始まり、「オールウェイズ」の元になった原案もダルトン・トランボの「ジョーと呼ばれた男」でしたが、本当のキャリアの最初としては「オランダの7つの教訓」でのKLMの客室乗務員役に始まって、最後の舞台がこのKLM協賛と言うのもまた感慨深いですよね。
もしオードリーが亡くなってなければ、放映されなかったんじゃないかなーと思います。
でもこれで今年は1952年「ジジ」、1962年「噂の二人」日本公開、1972年「パリで一緒に」リバイバル、1982年「銀座リザ」、1992年これ、という◯十周年の節目の年のこと全部と、さらに1957年「パリの恋人」「昼下りの情事」、1967年「いつも2人で」、1987年「おしゃれ泥棒2」という◯5周年の作品とが紹介できました!なんか凄くない??と自画自賛。
2022年08月31日
BSテレ東「ファッション通信」ジバンシィ
今回は2020年8月15日にBSテレ東で放送された、「ファッション通信」の紹介。
この回は“ブランド ヒストリー スペシャル”ということでジバンシィが取り上げられています。
ここで言うジバンシィはブランドとしてのジバンシィで、前半はユベール・ド・ジバンシィの歴史ですが、後半はユベール引退後の歴代のジバンシィブランドのデザイナーが紹介されています。
もちろんジバンシィというと絶対に外せないオードリーですから、この回もまず「ティファニーで朝食を」のオープニング・シーンから始まります。タクシーで五番街のティファニー本店に乗り付けるホリーですね。
他にも本編では「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が出てくるのですが、ファンならDVDやブルーレイや配信でいつでも見ることが出来る映像は置いておいて、この番組の見所は、何と言っても1992年1月13日の「ファッション通信」で放送されたというジバンシィ創作40周年記念展のパーティーの映像!
これって1991年10月21日にガリエラ宮モード美術館で1991年に開催されたってやつですよね。
そこでのオードリーとジバンシィの映像が何度か挟まれるのですが、僕は92年のテレ東の放送を見ていなかったので、全部初見映像!おおお!嬉しい!!
映像が古くて保管があまり良くなかったのか、ちょっと黄色味の強い映像。
色褪せた映像を無理に色出ししたせいか、オードリーもジバンシィもお顔のシミが悪目立ちしています。
最初の画像の上下の色滲みは「ファッション通信」によるわざとの映像処理です。滲んでいるわけではありません。
本編ではまず「ティファニーで朝食を」の冒頭のシーンが映し出され、その瞬間オードリーは永遠のファッション・アイコンになったと語られます。
僕なんかだと、“それって後付け?そんな一瞬で…”とかって思いますけど、ファッション関係者ならその感性で初公開当時からそのジバンシィとオードリーに歴史に残るスタイルを見抜いたのかもな〜と思います。
「パリの恋人」のマギーのモデルになった「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バサー」のダイアナ・ヴリーランドなんかも、オードリーの衣装とかは常にチェックしてたようですしね。
2012年12月22日に「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」という映画が公開されたんですけど、その写真で、ヴリーランドの編集長室には「パリで一緒に」のオードリーの画像が大きく目立つように貼られていました。
ファッション誌としてもオードリーが何を着るかというのは絶対外せない、最優先事項だったんでしょうねー。
それだけオードリーはファッション界に多大な影響を与えていた、ということになりますね。
この番組では40周年にパーティーに「エビさん象さん」こと、イヴ・サンローランや、クリスティアン・ラクロワも来ていたことがわかる映像が挟まれます。
オードリーはインタビューに答えて、ジバンシィのことを話していますね。「40年ですからね。一言で語るのはとても難しいわ。」と言ってるのですが、そういえばオードリーとジバンシィの出会いは「麗しのサブリナ」の衣装を選びに行った1953年ですから、ジバンシィのサロンの超初期からの顧客になりますよね。
それに続けてオードリーは「今まで出会った友人の中でも、大親友であることには間違いないです。」と答えています。
確かに!オードリーの傍らにいた男性の中で、3人のパートナーたちよりも、息子たちよりも、そして父親よりも長い年月続いて来たわけですもんね。
この40周年の時のジバンシィ単独のインタビューのシーンの後ろにブルーのドレスが写ってますが、これはオードリーが晩年に着ていたもの(一番下の画像)。
僕はこのドレスを見ると、静岡で売られていた「週刊オードリー・ヘプバーン」を思い出します。
「週刊オードリー・ヘプバーン」って、いったい誰が執筆していたのか知りませんが、全然オードリーに詳しくない人が執筆してるので、内容がボロボロだったんですよね。
毎号とんでもない記事がいくつもいくつも載ってて、なんじゃこりゃ〜!!状態だったんですけど、第8号でもこのブルーのドレスのスケッチを載せて、白と黒の衣装のスケッチなんて書いてたんです!
これらのトンデモ記事が全国版になる時には修正されることを願っていたのですが、第9号で廃刊となってしまい、全国版になることはありませんでした。
後半はジバンシィブランドを引き継いだデザイナーとその作品が紹介されるのですが、これまでのジバンシィのオートクチュールの感じを引き継いでいないものなど、“これってジバンシィブランドで出す必要なくない?”って思うものもありましたねー。オードリー、絶対これは全部着ない!みたいな。
それにどのデザイナーも数年で変わっていくので、顧客からしてもガラッと雰囲気が変わられたらついていけなくなったりしますよね。せっかくこういうのがいい!と思ってても、それが2年とかで全く違うものになるんですからね。
それじゃあジバンシィとオードリーみたいな強力な関係が築けるわけもないと思います。
どんどん有名なデザイナーが引き継いでたりするんですけど、でもそれなら自分たちの名前でオートクチュールをやったらいいと思うんですけどね。
まあ今は “ジバンシィ”というデザインではなく、 “ジバンシィ”という名のサロンのお針子さん軍団を使ったオートクチュール、という感覚なんでしょうか。
オートクチュールの意味合いも変わってしまっているのかもしれないなーと思います。
でもこの時のオードリーって、もうあと1年とちょっとしか余命がないんですよね…この時はオードリー自身も予想すらしてなかったでしょうが、それがとても残念です。
この回は、その後何度か再放送されていましたので、ご覧になった方もいるのでは?
内容の充実度:★★★
この回は“ブランド ヒストリー スペシャル”ということでジバンシィが取り上げられています。
ここで言うジバンシィはブランドとしてのジバンシィで、前半はユベール・ド・ジバンシィの歴史ですが、後半はユベール引退後の歴代のジバンシィブランドのデザイナーが紹介されています。
もちろんジバンシィというと絶対に外せないオードリーですから、この回もまず「ティファニーで朝食を」のオープニング・シーンから始まります。タクシーで五番街のティファニー本店に乗り付けるホリーですね。
他にも本編では「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が出てくるのですが、ファンならDVDやブルーレイや配信でいつでも見ることが出来る映像は置いておいて、この番組の見所は、何と言っても1992年1月13日の「ファッション通信」で放送されたというジバンシィ創作40周年記念展のパーティーの映像!
これって1991年10月21日にガリエラ宮モード美術館で1991年に開催されたってやつですよね。
そこでのオードリーとジバンシィの映像が何度か挟まれるのですが、僕は92年のテレ東の放送を見ていなかったので、全部初見映像!おおお!嬉しい!!
映像が古くて保管があまり良くなかったのか、ちょっと黄色味の強い映像。
色褪せた映像を無理に色出ししたせいか、オードリーもジバンシィもお顔のシミが悪目立ちしています。
最初の画像の上下の色滲みは「ファッション通信」によるわざとの映像処理です。滲んでいるわけではありません。
本編ではまず「ティファニーで朝食を」の冒頭のシーンが映し出され、その瞬間オードリーは永遠のファッション・アイコンになったと語られます。
僕なんかだと、“それって後付け?そんな一瞬で…”とかって思いますけど、ファッション関係者ならその感性で初公開当時からそのジバンシィとオードリーに歴史に残るスタイルを見抜いたのかもな〜と思います。
「パリの恋人」のマギーのモデルになった「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バサー」のダイアナ・ヴリーランドなんかも、オードリーの衣装とかは常にチェックしてたようですしね。
2012年12月22日に「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ」という映画が公開されたんですけど、その写真で、ヴリーランドの編集長室には「パリで一緒に」のオードリーの画像が大きく目立つように貼られていました。
ファッション誌としてもオードリーが何を着るかというのは絶対外せない、最優先事項だったんでしょうねー。
それだけオードリーはファッション界に多大な影響を与えていた、ということになりますね。
この番組では40周年にパーティーに「エビさん象さん」こと、イヴ・サンローランや、クリスティアン・ラクロワも来ていたことがわかる映像が挟まれます。
オードリーはインタビューに答えて、ジバンシィのことを話していますね。「40年ですからね。一言で語るのはとても難しいわ。」と言ってるのですが、そういえばオードリーとジバンシィの出会いは「麗しのサブリナ」の衣装を選びに行った1953年ですから、ジバンシィのサロンの超初期からの顧客になりますよね。
それに続けてオードリーは「今まで出会った友人の中でも、大親友であることには間違いないです。」と答えています。
確かに!オードリーの傍らにいた男性の中で、3人のパートナーたちよりも、息子たちよりも、そして父親よりも長い年月続いて来たわけですもんね。
この40周年の時のジバンシィ単独のインタビューのシーンの後ろにブルーのドレスが写ってますが、これはオードリーが晩年に着ていたもの(一番下の画像)。
僕はこのドレスを見ると、静岡で売られていた「週刊オードリー・ヘプバーン」を思い出します。
「週刊オードリー・ヘプバーン」って、いったい誰が執筆していたのか知りませんが、全然オードリーに詳しくない人が執筆してるので、内容がボロボロだったんですよね。
毎号とんでもない記事がいくつもいくつも載ってて、なんじゃこりゃ〜!!状態だったんですけど、第8号でもこのブルーのドレスのスケッチを載せて、白と黒の衣装のスケッチなんて書いてたんです!
これらのトンデモ記事が全国版になる時には修正されることを願っていたのですが、第9号で廃刊となってしまい、全国版になることはありませんでした。
後半はジバンシィブランドを引き継いだデザイナーとその作品が紹介されるのですが、これまでのジバンシィのオートクチュールの感じを引き継いでいないものなど、“これってジバンシィブランドで出す必要なくない?”って思うものもありましたねー。オードリー、絶対これは全部着ない!みたいな。
それにどのデザイナーも数年で変わっていくので、顧客からしてもガラッと雰囲気が変わられたらついていけなくなったりしますよね。せっかくこういうのがいい!と思ってても、それが2年とかで全く違うものになるんですからね。
それじゃあジバンシィとオードリーみたいな強力な関係が築けるわけもないと思います。
どんどん有名なデザイナーが引き継いでたりするんですけど、でもそれなら自分たちの名前でオートクチュールをやったらいいと思うんですけどね。
まあ今は “ジバンシィ”というデザインではなく、 “ジバンシィ”という名のサロンのお針子さん軍団を使ったオートクチュール、という感覚なんでしょうか。
オートクチュールの意味合いも変わってしまっているのかもしれないなーと思います。
でもこの時のオードリーって、もうあと1年とちょっとしか余命がないんですよね…この時はオードリー自身も予想すらしてなかったでしょうが、それがとても残念です。
この回は、その後何度か再放送されていましたので、ご覧になった方もいるのでは?
内容の充実度:★★★
2021年01月16日
「所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝」
みなさん、遅くなりましたが新年あけましておめでとうございます。
未だコロナは終息の気配がありませんが、どうか無事にお過ごしください。
今回はテレビ東京の番組、「所さん&おすぎのトホホ人物伝」の紹介。放送は2004年6月4日金曜日でした。
このオードリーの回は、当時tomoさんのオードリーのファンサイトでセンセーションを巻き起こしたものでした。
もうコアなオードリー・ファンの中では伝説の番組!
実はこの回では「エクスラン・ヴァリーエ」を32年ぶりにテレビで見ることが出来たんです!!!
今内容をもう一度見てみると、「エクスラン・ヴァリーエ」以外のところは50点くらいなんですけど、何と言っても幻の「エクスラン・ヴァリーエ」の放送ですから!
前にも「エクスラン・ヴァリーエ」のDVDジャケットのところで書きましたが、2002年ごろには僕はもうめっちゃ「エクスラン・ヴァリーエ」が見たかったんですよね。それまでも当時2つあったオードリーのファンサイトで何度か話題になってたし(って僕が話題にしてたんですが)、もう夢にまで出てくる始末。
その夢の中では、僕と、やはり「エクスラン・ヴァリーエ」を見たいと言っていた当時のオードリーサイトの管理人さんのMさんとが車でお寺みたいなところの庭に入って、そこでドライブインシアターのような、あるいはCMの中にいるような感覚で「エクスラン・ヴァリーエ」を見てました。
もうかなり重症ですよね笑。それくらい「エクスラン・ヴァリーエ」を見ることは悲願でした。
広告代理店に博報堂が絡んでいることはわかっていたので、博報堂にまで直接電話をして見ることが出来ないか尋ねたり(当然一般人は見れませんよね)、加藤タキさんとどうすれば連絡できるかを調べたりしましたがわからずじまいで、また2年ほど経ったんですが、ある時こちらにも来ていただいているカリンさんが青山音楽事務所(同名の今もあるところではなく、後の青山ミュージックアソシエイツ。今はサイトが見つかりませんので、どうなっているのか不明)のサイトを見つけてくれて、そこには「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーの写真も載ってました。
そこで僕はまたまた電話で尋ねたんですが、なんと!その時に電話に出てくれた方が、テレビ東京さんがついこの間コンタクトをしてきたとのことで、めっちゃ嬉しい新情報をいただいて、今度はテレビ東京に電話。
そしたら番組は「トホホ人物伝」で、2004年6月4日分。でも権利が複雑すぎて、実際に放送するかどうかわからないとの返答をいただきました!
もう必死でファンの夢なんです!お願いします!って頼み込みましたよね。
でも凄いですよね!「エクスラン・ヴァリーエ」が放送に向かって動いてるなんて!見れるかもしれない!というのはそりゃあファンの間ではセンセーションにもなりますよね。
青山音楽事務所さんにお礼を兼ねて再度電話をすると、もし放送するなら連絡いただけるとのことで、めっちゃ感謝感謝ですよね。
でも前々日まで連絡がなかったので、青山音楽事務所さんにもう一度連絡をすると、なんとか決まったとのことだったと思います。
2004年のことで、たまたま息子ショーンが“timeless audrey”展のために来日していたことも幸いして、ショーンには直接許可を取ったとのこと。
日本のファンの為なら、とOKしてくれたそうです。
僕はその録画のために、当時出たばかりのハイビジョン録画ができるDVDレコーダーを買いましたし、同時録画ができるのでハードとDVDのどっちも同じ番組を録画できるようにセットしたり、念のため持っていたビデオデッキや古いDVDレコーダーにも録画セットしていました。
直接番組を見たかったんですけど、当日は東京に行く予定があって、放送時間は新幹線の中でした。
で、その「トホホ人物伝」放送中にカリンさんから「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーの写メ(当時はまだガラケー)が送られてきた時はめっちゃアガりましたよね。周りに人がいなかったら、わー!!って叫んでたと思います。
こうして実際に放送されたことがわかり、家に帰った時には無事録画も出来ていたので、すっごい嬉しかったです!
まあその時買ったレコーダーはハイビジョンのままで取り出すためにはW-VHSというハイビジョン用のVHSの後継機器が必要で、W-VHSはすぐ廃れましたんで、結局DVD画質でないと取れなかったんですけどね。
さて、それ以外の部分の内容が50点、ってとこですけど、まあオードリーにもトホホなことがあったと番組にするために仕方ないっちゃあ仕方ないんでしょうけど、煽りが激しい!
まず「ローマの休日」以前に婚約してたジェームズ・ハンソンとのことを世紀の悲恋みたいにしてるし、オードリーがイギリスからアメリカに渡ったときは体重が増えてたのをすんごいおデブさんに仕立ててるし(本当のオードリーがどうだったかはこちら)、オードリーの演技が下手ってことでオードリーとは関係のないスペイン階段の時計のことやベスパのシーンが6日間とかを絡めるし、まー煽る煽る。
裏焼きが多くなってオードリーが右側から撮らせてるような写真が多くなったからか、あまり最近は言われなくなった左側からばかり撮らせる、というのを語っているのは褒めたいんですけど、正面からは手を添えたりして気にしてる、などと今でも言われているよく調べてない典型なのを露呈してますしね(この話に関してはこちら)。
オードリーは正面と左側はOKで、右側だけがNGだったんですけどね。
あと、「初恋」のことを「秘密の人々(未公開)」なんて紹介してるし、一体どんな資料を見て書いたんでしょうね。
加藤タキさんも出演してるんですけど、「エクスラン・ヴァリーエ」に関して当時別の会社がカトリーヌ・ドヌーブを使ってカツラのCMを作ってて、それをオードリーに持っていって、こういう風に日本のCMは凄く綺麗に撮るんだってことを見せて4パターン撮ったっていうエピソードを語っていました。
この番組で見れたのは「ブラック・ドレスバージョン」の1つだけ(15秒)でしたが、その後このバージョンのフル・バージョンは放送されておらず、2013年のWOWOWの番組でも72年のまとめたバージョンでしたし、横浜の放送ライブラリーで見れるものもまた別のまとめたバージョンだったので、今でもこの番組は貴重です。
ここでのブラック・ドレス・バージョンのCMでは由紀さおりさんの「ヴァリーエ」は使われておらず、ここで流れているのはカップリングの「陶酔のワルツ」のスキャット・バージョン(未だ未発売)です。
芸人のドランクドラゴンが出演して「ローマの休日」の二人の格好をしていますけど、塚地のオードリーの衣装のスカートがきちんと薄い茶色なのが本物の色に従っているのが好感度高かったです。
あと吉田照美さんやドランクドラゴンが、オードリーの元旦那2人に対して、「あんなに綺麗な人ですけど、旦那さんは僕らでも太刀打ちできそうな感じ」って発言してて加藤タキさんも大笑い、おすぎは手を横に振ってたのが可笑しかったです。
最後に当時開催中だった“timeless audrey”展の紹介もありましたし、来日してたショーンも出てましたね。Bunkamuraの展示会の入り口の様子や、内部の展示の一部が見られるのも今となっては嬉しいですよね。もう一度見たいなー…。
でも写ってる「麗しのサブリナ」のイブニングらしきものは “timeless audrey”展では書かれていませんでしたが明らかな複製品。だってどう見てもスカートのボリュームが映画のものと違いすぎでしょー!ペラッペラやん。
2000年の“私のスタイル”展ではちゃんと「複製」って書いてたのにね。
というわけで、「エクスラン・ヴァリーエ」を見ることが出来る数少ない、ファンにとっては貴重な貴重な体験の伝説の番組だったのでした。
内容の優秀度:★★★★★
未だコロナは終息の気配がありませんが、どうか無事にお過ごしください。
今回はテレビ東京の番組、「所さん&おすぎのトホホ人物伝」の紹介。放送は2004年6月4日金曜日でした。
このオードリーの回は、当時tomoさんのオードリーのファンサイトでセンセーションを巻き起こしたものでした。
もうコアなオードリー・ファンの中では伝説の番組!
実はこの回では「エクスラン・ヴァリーエ」を32年ぶりにテレビで見ることが出来たんです!!!
今内容をもう一度見てみると、「エクスラン・ヴァリーエ」以外のところは50点くらいなんですけど、何と言っても幻の「エクスラン・ヴァリーエ」の放送ですから!
前にも「エクスラン・ヴァリーエ」のDVDジャケットのところで書きましたが、2002年ごろには僕はもうめっちゃ「エクスラン・ヴァリーエ」が見たかったんですよね。それまでも当時2つあったオードリーのファンサイトで何度か話題になってたし(って僕が話題にしてたんですが)、もう夢にまで出てくる始末。
その夢の中では、僕と、やはり「エクスラン・ヴァリーエ」を見たいと言っていた当時のオードリーサイトの管理人さんのMさんとが車でお寺みたいなところの庭に入って、そこでドライブインシアターのような、あるいはCMの中にいるような感覚で「エクスラン・ヴァリーエ」を見てました。
もうかなり重症ですよね笑。それくらい「エクスラン・ヴァリーエ」を見ることは悲願でした。
広告代理店に博報堂が絡んでいることはわかっていたので、博報堂にまで直接電話をして見ることが出来ないか尋ねたり(当然一般人は見れませんよね)、加藤タキさんとどうすれば連絡できるかを調べたりしましたがわからずじまいで、また2年ほど経ったんですが、ある時こちらにも来ていただいているカリンさんが青山音楽事務所(同名の今もあるところではなく、後の青山ミュージックアソシエイツ。今はサイトが見つかりませんので、どうなっているのか不明)のサイトを見つけてくれて、そこには「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーの写真も載ってました。
そこで僕はまたまた電話で尋ねたんですが、なんと!その時に電話に出てくれた方が、テレビ東京さんがついこの間コンタクトをしてきたとのことで、めっちゃ嬉しい新情報をいただいて、今度はテレビ東京に電話。
そしたら番組は「トホホ人物伝」で、2004年6月4日分。でも権利が複雑すぎて、実際に放送するかどうかわからないとの返答をいただきました!
もう必死でファンの夢なんです!お願いします!って頼み込みましたよね。
でも凄いですよね!「エクスラン・ヴァリーエ」が放送に向かって動いてるなんて!見れるかもしれない!というのはそりゃあファンの間ではセンセーションにもなりますよね。
青山音楽事務所さんにお礼を兼ねて再度電話をすると、もし放送するなら連絡いただけるとのことで、めっちゃ感謝感謝ですよね。
でも前々日まで連絡がなかったので、青山音楽事務所さんにもう一度連絡をすると、なんとか決まったとのことだったと思います。
2004年のことで、たまたま息子ショーンが“timeless audrey”展のために来日していたことも幸いして、ショーンには直接許可を取ったとのこと。
日本のファンの為なら、とOKしてくれたそうです。
僕はその録画のために、当時出たばかりのハイビジョン録画ができるDVDレコーダーを買いましたし、同時録画ができるのでハードとDVDのどっちも同じ番組を録画できるようにセットしたり、念のため持っていたビデオデッキや古いDVDレコーダーにも録画セットしていました。
直接番組を見たかったんですけど、当日は東京に行く予定があって、放送時間は新幹線の中でした。
で、その「トホホ人物伝」放送中にカリンさんから「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーの写メ(当時はまだガラケー)が送られてきた時はめっちゃアガりましたよね。周りに人がいなかったら、わー!!って叫んでたと思います。
こうして実際に放送されたことがわかり、家に帰った時には無事録画も出来ていたので、すっごい嬉しかったです!
まあその時買ったレコーダーはハイビジョンのままで取り出すためにはW-VHSというハイビジョン用のVHSの後継機器が必要で、W-VHSはすぐ廃れましたんで、結局DVD画質でないと取れなかったんですけどね。
さて、それ以外の部分の内容が50点、ってとこですけど、まあオードリーにもトホホなことがあったと番組にするために仕方ないっちゃあ仕方ないんでしょうけど、煽りが激しい!
まず「ローマの休日」以前に婚約してたジェームズ・ハンソンとのことを世紀の悲恋みたいにしてるし、オードリーがイギリスからアメリカに渡ったときは体重が増えてたのをすんごいおデブさんに仕立ててるし(本当のオードリーがどうだったかはこちら)、オードリーの演技が下手ってことでオードリーとは関係のないスペイン階段の時計のことやベスパのシーンが6日間とかを絡めるし、まー煽る煽る。
裏焼きが多くなってオードリーが右側から撮らせてるような写真が多くなったからか、あまり最近は言われなくなった左側からばかり撮らせる、というのを語っているのは褒めたいんですけど、正面からは手を添えたりして気にしてる、などと今でも言われているよく調べてない典型なのを露呈してますしね(この話に関してはこちら)。
オードリーは正面と左側はOKで、右側だけがNGだったんですけどね。
あと、「初恋」のことを「秘密の人々(未公開)」なんて紹介してるし、一体どんな資料を見て書いたんでしょうね。
加藤タキさんも出演してるんですけど、「エクスラン・ヴァリーエ」に関して当時別の会社がカトリーヌ・ドヌーブを使ってカツラのCMを作ってて、それをオードリーに持っていって、こういう風に日本のCMは凄く綺麗に撮るんだってことを見せて4パターン撮ったっていうエピソードを語っていました。
この番組で見れたのは「ブラック・ドレスバージョン」の1つだけ(15秒)でしたが、その後このバージョンのフル・バージョンは放送されておらず、2013年のWOWOWの番組でも72年のまとめたバージョンでしたし、横浜の放送ライブラリーで見れるものもまた別のまとめたバージョンだったので、今でもこの番組は貴重です。
ここでのブラック・ドレス・バージョンのCMでは由紀さおりさんの「ヴァリーエ」は使われておらず、ここで流れているのはカップリングの「陶酔のワルツ」のスキャット・バージョン(未だ未発売)です。
芸人のドランクドラゴンが出演して「ローマの休日」の二人の格好をしていますけど、塚地のオードリーの衣装のスカートがきちんと薄い茶色なのが本物の色に従っているのが好感度高かったです。
あと吉田照美さんやドランクドラゴンが、オードリーの元旦那2人に対して、「あんなに綺麗な人ですけど、旦那さんは僕らでも太刀打ちできそうな感じ」って発言してて加藤タキさんも大笑い、おすぎは手を横に振ってたのが可笑しかったです。
最後に当時開催中だった“timeless audrey”展の紹介もありましたし、来日してたショーンも出てましたね。Bunkamuraの展示会の入り口の様子や、内部の展示の一部が見られるのも今となっては嬉しいですよね。もう一度見たいなー…。
でも写ってる「麗しのサブリナ」のイブニングらしきものは “timeless audrey”展では書かれていませんでしたが明らかな複製品。だってどう見てもスカートのボリュームが映画のものと違いすぎでしょー!ペラッペラやん。
2000年の“私のスタイル”展ではちゃんと「複製」って書いてたのにね。
というわけで、「エクスラン・ヴァリーエ」を見ることが出来る数少ない、ファンにとっては貴重な貴重な体験の伝説の番組だったのでした。
内容の優秀度:★★★★★
タグ :エクスラン・ヴァリーエテレビ
2020年05月03日
テレビ番組「乾杯!ビリー・ワイルダー」
以前から日本で放送されたオードリー関連の番組も紹介しないとなーと思っていましたが、それに伴う処理と手間がなかなか面倒臭いので、ずっと後回しになっていました。今回初めて紹介します。
そしてなぜか以前から、もし紹介するならこれ!って決めていたのがこれです「乾杯!ビリー・ワイルダー」。
決してオードリーメインの番組ではないので、自分でもなんでこれ?と思っていましたが、その珍しさからもこれにしようとずっと何年も前から思っていました。
これは実は自分で録画したものではありません。こんな放送があったことすら知りませんでしたが、別のオードリーのファンの方から頂いたものです。
邦題が「乾杯!ビリー・ワイルダー」という名称に決められていますが、本来の題名は “The American Film Institute Salute to Billy Wilder”みたいですね。IMDbで調べるとアメリカでは1986年4月26日に放送されているようです。
最初に “新春洋画劇場”と出てきますので、1987年1月にでも放送されたんですかね。そしてその時代ですから録画はもちろんビデオ(VHS)です。
なので今見るととっても画質は悪いんですが、その当時だとこれが当たり前ですね。
さてこの「乾杯!ビリー・ワイルダー」はその功績を称えられてAFI(American Film Institute)から第14回功労賞を贈られた時の映像です。
この賞は他にはウィリアム・ワイラー、グレゴリー・ペック、エリザベス・テイラーなどが受賞しています。
もし後数年オードリーが生きていたら、オードリーにも当然贈られた賞だったと思います。
さて、映像はまず「新春洋画劇場 乾杯!ビリー・ワイルダー」という題字が出て、ワイルダー監督の作品のシーンが「お熱いのがお好き」から少しずつ色々と出てきます。この時に出てくるオードリーは「麗しのサブリナ」が一瞬だけ。
そして再度日本の題字が出た後でいよいよ本編へ。功労賞を受けたことがアナウンスされた後、ビリー・ワイルダーがたくさんの出席者の間を抜けて登場します。そしてその時に演奏されているのは「昼下りの情事」の魅惑のワルツ!その際にグレゴリー・ペックが拍手しているのも映ります。
そしてもちろんこの日の主役ですから、主賓席のような席に待っている夫人、オードリー・ワイルダーの元へ行くのですが、そこではオードリー・ヘプバーンも待っています。
オードリー・ワイルダー夫人とキスした後はオードリー・ヘプバーンともキス。そう、オードリーの席はビリー・ワイルダーの隣。
さすがオードリーとビリー・ワイルダー夫妻は仲がいいだけありますね。ちなみにオードリーの隣はウォルター・マッソーです。
そしてその後原題 “The American Film Institute Salute to Billy Wilder”が出ます。そしてAFIの事が紹介されて、いろんな出席スターが映像で紹介されます。シルベスター・スタローン、ジーン・ハックマン、トニー・カーティスなどなど。
オードリーももちろん紹介されるのですが、横にはロバート・ウォルダーズも映っていて、エスコートしているのが分かりますね、でも席はそばではなかったみたいです。
司会はジャック・レモン。ワイルダー作品には7本出演したそうです。最初に自分がワイルダー監督から出演依頼を受けた時のお話。「お熱いのがお好き」のことですね。笑いを交えた話ぶりで、それを聞いているオードリー(というか、本当はビリー・ワイルダーなんでしょうけど)が写ります。
“映画の85%は女装なんだけどやるかね?”と言われたので、“やる!やります!”と言ったとか。“なにしろワイルダー作品、女装くらい”と語っています。やはりそれだけビリー・ワイルダー監督の作品に出るということは名誉な事なんですね。はじめから一流作品であることは約束されていますからね。
“役者冥利に尽きる、一生の記念碑です”と語っていました。舞台側からの映像も挟まれます。
そして映画作品が流れます。まずは「ニノチカ」から何作品か。そしてどれかの出演者が出てきてビリー・ワイルダーへ賛辞。またいろんな作品の映像が流れて、「昼下りの情事」のリヨン駅での別れのシーンが長めに流れて、オードリーが舞台に登場。ほとんどの人がスタンディング・オベーション!
86年だと、まだオードリーのアメリカでの人気は本格的には復活していないと思うのですが、それでも87年から始まるアメリカでのオードリーの復権の素地は出来上がっていた、ということなのでしょうね。
オードリーはスピーチ用の台の前へ行くと、一礼して話し始めます。ここに全文を掲載。
“今夜は禁句のアドバイスを山と受けました。褒めたりしたら、ビリーは退席すると。でもこんな素晴らしい機知に富んだ、優しくユニークな天才と仕事できれば感謝は当然。ビリー、「麗しのサブリナ」と「昼下りの情事」をありがとう”
“大スターと共演させていただいた事も。ボガート、ホールデン、それにクーパーと”
“私に幸せと成功を運んでくれた事も。そして何より楽しい時と笑いと友情をありがとう”
“オードリーのような美しい奥様がいた事も。”(と言うと、ビリー・ワイルダー夫人のオードリーにカメラが移動。夫人はもう一人の「オードリー」にも手で指します)
“退席なさる前に…愛してます。”
と言って最後に投げキッス。ワイルダーも投げキッス。
ジャック・レモンの司会を挟みながら、ウォルター・マッソー、ジェシカ・ラング、ウーピー・ゴールドバーグなどが次々とスピーチします。
トニー・カーティスやジャック・レモンらは歌も披露。
他にもチャールトン・ヘストン、アンジー・ディキンソン、リチャード・チェンバレンなどの顔も見えました。
最後にビリー・ワイルダー監督が功労賞の盾を受け取ってスピーチ。壇上に行く際にはオードリーもお見送り&拍手。
ここには居ない(亡くなった)エルンスト・ルビッチ、共同脚本家だったチャールズ・ブラケットらのスタッフ、ゲーリー・クーパー、ウィリアム・ホールデン、タイロン・パワー、グロリア・スワンソン、ハンフリー・ボガート、マリリン・モンロー、モーリス・シュバリエ、チャールズ・ロートンらの名前を次々挙げて、“天国で豪華版ができる”とジョークを。
“音楽ベートーヴェン、装置ミケランジェロ、追加台本シェークスピア。もちろん最後は方針変更でポシャる”
そして映画が何度か揺らいだ事、最初はサウンド、その後はテレビにカセット。そして将来はマイクロチップ。
ここで面白いのはその将来の話で、いまに映画館もスタジオも必要なくなると予見されているという話。
車のハンドルに取り付ける小スクリーン(いまのカーナビ?)や、だれかがボタンを押し、衛星に信号を送るだけで観れる映画など、今の状況を既に予告していた人がいる事。まだ1986年で今から34年も前なんですけどねー。
でもワイルダー監督は、でも誰がソフトを提供するのか?誰が脚本を書き、監督し、演技するのかとして、我々はまだ産業廃棄物にはならない、と述べています。この壇上から降りる際にも「昼下りの情事」の魅惑のワルツ。
最後に司会のジャック・レモンが締めてパーティーは終わります。
また最後に名場面(「昼下りの情事」含む)が流れて本編は終了。
日本語版は東北新社が作っていますね。そして担当という欄では KTVの文字が。これって関西テレビなの?
今はこういう番組は地上波では流れませんね。やるならせいぜいスター・チャンネルかWOWOWという有料のところでしょうか。
バブル前の、日本がお金を湯水のように使える、物凄いパワーがあった頃の放送作品ですね。
そしてオードリーは相変わらず美しいなあ〜。
内容の優秀度:★★★
そしてなぜか以前から、もし紹介するならこれ!って決めていたのがこれです「乾杯!ビリー・ワイルダー」。
決してオードリーメインの番組ではないので、自分でもなんでこれ?と思っていましたが、その珍しさからもこれにしようとずっと何年も前から思っていました。
これは実は自分で録画したものではありません。こんな放送があったことすら知りませんでしたが、別のオードリーのファンの方から頂いたものです。
邦題が「乾杯!ビリー・ワイルダー」という名称に決められていますが、本来の題名は “The American Film Institute Salute to Billy Wilder”みたいですね。IMDbで調べるとアメリカでは1986年4月26日に放送されているようです。
最初に “新春洋画劇場”と出てきますので、1987年1月にでも放送されたんですかね。そしてその時代ですから録画はもちろんビデオ(VHS)です。
なので今見るととっても画質は悪いんですが、その当時だとこれが当たり前ですね。
さてこの「乾杯!ビリー・ワイルダー」はその功績を称えられてAFI(American Film Institute)から第14回功労賞を贈られた時の映像です。
この賞は他にはウィリアム・ワイラー、グレゴリー・ペック、エリザベス・テイラーなどが受賞しています。
もし後数年オードリーが生きていたら、オードリーにも当然贈られた賞だったと思います。
さて、映像はまず「新春洋画劇場 乾杯!ビリー・ワイルダー」という題字が出て、ワイルダー監督の作品のシーンが「お熱いのがお好き」から少しずつ色々と出てきます。この時に出てくるオードリーは「麗しのサブリナ」が一瞬だけ。
そして再度日本の題字が出た後でいよいよ本編へ。功労賞を受けたことがアナウンスされた後、ビリー・ワイルダーがたくさんの出席者の間を抜けて登場します。そしてその時に演奏されているのは「昼下りの情事」の魅惑のワルツ!その際にグレゴリー・ペックが拍手しているのも映ります。
そしてもちろんこの日の主役ですから、主賓席のような席に待っている夫人、オードリー・ワイルダーの元へ行くのですが、そこではオードリー・ヘプバーンも待っています。
オードリー・ワイルダー夫人とキスした後はオードリー・ヘプバーンともキス。そう、オードリーの席はビリー・ワイルダーの隣。
さすがオードリーとビリー・ワイルダー夫妻は仲がいいだけありますね。ちなみにオードリーの隣はウォルター・マッソーです。
そしてその後原題 “The American Film Institute Salute to Billy Wilder”が出ます。そしてAFIの事が紹介されて、いろんな出席スターが映像で紹介されます。シルベスター・スタローン、ジーン・ハックマン、トニー・カーティスなどなど。
オードリーももちろん紹介されるのですが、横にはロバート・ウォルダーズも映っていて、エスコートしているのが分かりますね、でも席はそばではなかったみたいです。
司会はジャック・レモン。ワイルダー作品には7本出演したそうです。最初に自分がワイルダー監督から出演依頼を受けた時のお話。「お熱いのがお好き」のことですね。笑いを交えた話ぶりで、それを聞いているオードリー(というか、本当はビリー・ワイルダーなんでしょうけど)が写ります。
“映画の85%は女装なんだけどやるかね?”と言われたので、“やる!やります!”と言ったとか。“なにしろワイルダー作品、女装くらい”と語っています。やはりそれだけビリー・ワイルダー監督の作品に出るということは名誉な事なんですね。はじめから一流作品であることは約束されていますからね。
“役者冥利に尽きる、一生の記念碑です”と語っていました。舞台側からの映像も挟まれます。
そして映画作品が流れます。まずは「ニノチカ」から何作品か。そしてどれかの出演者が出てきてビリー・ワイルダーへ賛辞。またいろんな作品の映像が流れて、「昼下りの情事」のリヨン駅での別れのシーンが長めに流れて、オードリーが舞台に登場。ほとんどの人がスタンディング・オベーション!
86年だと、まだオードリーのアメリカでの人気は本格的には復活していないと思うのですが、それでも87年から始まるアメリカでのオードリーの復権の素地は出来上がっていた、ということなのでしょうね。
オードリーはスピーチ用の台の前へ行くと、一礼して話し始めます。ここに全文を掲載。
“今夜は禁句のアドバイスを山と受けました。褒めたりしたら、ビリーは退席すると。でもこんな素晴らしい機知に富んだ、優しくユニークな天才と仕事できれば感謝は当然。ビリー、「麗しのサブリナ」と「昼下りの情事」をありがとう”
“大スターと共演させていただいた事も。ボガート、ホールデン、それにクーパーと”
“私に幸せと成功を運んでくれた事も。そして何より楽しい時と笑いと友情をありがとう”
“オードリーのような美しい奥様がいた事も。”(と言うと、ビリー・ワイルダー夫人のオードリーにカメラが移動。夫人はもう一人の「オードリー」にも手で指します)
“退席なさる前に…愛してます。”
と言って最後に投げキッス。ワイルダーも投げキッス。
ジャック・レモンの司会を挟みながら、ウォルター・マッソー、ジェシカ・ラング、ウーピー・ゴールドバーグなどが次々とスピーチします。
トニー・カーティスやジャック・レモンらは歌も披露。
他にもチャールトン・ヘストン、アンジー・ディキンソン、リチャード・チェンバレンなどの顔も見えました。
最後にビリー・ワイルダー監督が功労賞の盾を受け取ってスピーチ。壇上に行く際にはオードリーもお見送り&拍手。
ここには居ない(亡くなった)エルンスト・ルビッチ、共同脚本家だったチャールズ・ブラケットらのスタッフ、ゲーリー・クーパー、ウィリアム・ホールデン、タイロン・パワー、グロリア・スワンソン、ハンフリー・ボガート、マリリン・モンロー、モーリス・シュバリエ、チャールズ・ロートンらの名前を次々挙げて、“天国で豪華版ができる”とジョークを。
“音楽ベートーヴェン、装置ミケランジェロ、追加台本シェークスピア。もちろん最後は方針変更でポシャる”
そして映画が何度か揺らいだ事、最初はサウンド、その後はテレビにカセット。そして将来はマイクロチップ。
ここで面白いのはその将来の話で、いまに映画館もスタジオも必要なくなると予見されているという話。
車のハンドルに取り付ける小スクリーン(いまのカーナビ?)や、だれかがボタンを押し、衛星に信号を送るだけで観れる映画など、今の状況を既に予告していた人がいる事。まだ1986年で今から34年も前なんですけどねー。
でもワイルダー監督は、でも誰がソフトを提供するのか?誰が脚本を書き、監督し、演技するのかとして、我々はまだ産業廃棄物にはならない、と述べています。この壇上から降りる際にも「昼下りの情事」の魅惑のワルツ。
最後に司会のジャック・レモンが締めてパーティーは終わります。
また最後に名場面(「昼下りの情事」含む)が流れて本編は終了。
日本語版は東北新社が作っていますね。そして担当という欄では KTVの文字が。これって関西テレビなの?
今はこういう番組は地上波では流れませんね。やるならせいぜいスター・チャンネルかWOWOWという有料のところでしょうか。
バブル前の、日本がお金を湯水のように使える、物凄いパワーがあった頃の放送作品ですね。
そしてオードリーは相変わらず美しいなあ〜。
内容の優秀度:★★★
タグ :テレビ
2013年02月10日
WOWOWの番組で凄いことが!!
どわあああーーーーーー!!!!
みなさん、大変なことが起こりました!!!びっくり、びっくり、びっくり!!!
凄いことが起こってしまったのは、こないだ記事で紹介した、WOWOW のオードリーの没後20年記念の番組、 “ノンフィクションW ヘプバーンが本当に伝えたかったこと ~妖精はなぜ銀幕を去ったのか~.” という番組です。
前の記事で、僕は“WOWOWはお金がかかるので、入るのは自己責任で。”と書きましたが、オードリーの大ファンでしたら、この番組を見るためだけでも、1回は契約した方がいいかと思います。
この番組は“晩年のオードリー”だけのドキュメンタリーだと思っていたので、てっきりユニセフの活動だけを紹介したものだと思っていたのですが、番組が始まってしばらくして、
“わーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっっっっっ”
…と声をあげてしまいました。
なんとそこで映っていたのは、「エクスラン・ヴァリーエ」の馬車編(くるくるヘア)のオードリー!!!
全部見ると、この番組中に、日本でもマボロシ化していた、「エクスラン・ヴァリーエ」と「銀座リザ」のCMの一部が映っていたのです!!!さらにさらになんとなんと、「エクスラン・ヴァリーエ」のメイキング映像まで!!!!!
あまりの予想外の出来事に「エクスラン・ヴァリーエ」の映像が出る度に“わーーー!!”とか“すげーーーっ!”とかずっと叫んでしまいました。
「エクスラン・ヴァリーエ」の方は、1971年当時4パターンあったという、“ブラックドレス編”“馬車編(くるくるカール編)”“金髪編”“お下げ編”を全部放送したわけではなかったのですが、“1972年放送”というテロップも出ていたように、1972年に総集編として最後にコンパクトにまとめて放送されたものだったのかもしれません。
ということで、“トホホ人物伝” はブラックドレス編が全部見れたけど他は放送されずじまいでしたが、今回は各パターンが少しずつながら、全部見れたのが凄かったです!!今回は由紀さおりさんの歌う「ヴァリーエ」付きでした。
(←画像の出典は「ロードショー」より)
それにメイキングなどという、1971年当時のテレビでも絶対に見れなかったであろう貴重な貴重なものまで!!他にも見たことのない「エクスラン・ヴァリーエ」の写真も何点もありました。
「銀座リザ」の方は小鳥のバージョンの方だけで、写真バージョンの方はなかったです。そして「エクスラン・ヴァリーエ」も「銀座リザ」もどちらも商品名は出ませんでした。
それ以外でも、「エクスラン・ヴァリーエ」「銀座リザ」に携わって、オードリーの友人でもあった加藤タキさん、オードリーの次男ルカ・ドッティ氏、オードリーの最後のパートナーのロバート・ウォルダーズ氏などオードリーに関係した人が登場して、オードリーのことを話してくれました。
最後には今年の1月20日の20年目の命日に加藤タキさんやルカやウォルダーズ氏たちでトロシュナのオードリーのお墓参りに行くという、感動的な終わり方まで準備してくれていました。
オードリーが抱くことのできなかった孫であるルカの息子(?ショーンの息子かも…)やみんなが泣いているので、こちらまでちょっとうるうる…。
とにかく、ユニセフの映像だけでまとめ上げたお手軽な番組ではなく、最初からきちんと構成されて作られ、生前のオードリーと最も近しかった人たちも登場する、とても質の高い番組でした。
50分番組の短いものでしたが、内容は大変に濃く、いくつもの権利が重なり放送が非常に難しい「エクスラン・ヴァリーエ」「銀座リザ」のクリアの件も相まって、早くも今年のオードリー・ヘプバーン大賞の最有力候補になったのは間違いありません!
もし未見で、見てみたい方は、あと15日、18日に再放送の予定があります。
ちなみに、契約にはB-CASカードが必要ですが、テレビから録画機に送り出せない機種の場合、視聴のみで録画が出来なくなるので、録画機のB-CASカードで契約する方がいいと思われます。
さらにコピー・ワンスですので、HDDからブルーレイなどに録画すると、HDDのデータは消えます(ムーブと言います)。ムーブに失敗すると、元のデータも失われますので、注意してください。
内容の充実度:★★★★★(凄い!!あとは「エクスラン・ヴァリーエ」の各編全部がいつか放送されるのを待ちましょう!)
<追記>こちらにお越しいただいている、時雄さんに教えていただきましたが、WOWOWには15日無料体験というのがあるそうです。この機会に、無料体験でこの番組を見る、というのはいかがでしょう?
みなさん、ぜひ「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーをご覧になってください!
みなさん、大変なことが起こりました!!!びっくり、びっくり、びっくり!!!
凄いことが起こってしまったのは、こないだ記事で紹介した、WOWOW のオードリーの没後20年記念の番組、 “ノンフィクションW ヘプバーンが本当に伝えたかったこと ~妖精はなぜ銀幕を去ったのか~.” という番組です。
前の記事で、僕は“WOWOWはお金がかかるので、入るのは自己責任で。”と書きましたが、オードリーの大ファンでしたら、この番組を見るためだけでも、1回は契約した方がいいかと思います。
この番組は“晩年のオードリー”だけのドキュメンタリーだと思っていたので、てっきりユニセフの活動だけを紹介したものだと思っていたのですが、番組が始まってしばらくして、
“わーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっっっっっ”
…と声をあげてしまいました。
なんとそこで映っていたのは、「エクスラン・ヴァリーエ」の馬車編(くるくるヘア)のオードリー!!!
全部見ると、この番組中に、日本でもマボロシ化していた、「エクスラン・ヴァリーエ」と「銀座リザ」のCMの一部が映っていたのです!!!さらにさらになんとなんと、「エクスラン・ヴァリーエ」のメイキング映像まで!!!!!
あまりの予想外の出来事に「エクスラン・ヴァリーエ」の映像が出る度に“わーーー!!”とか“すげーーーっ!”とかずっと叫んでしまいました。
「エクスラン・ヴァリーエ」の方は、1971年当時4パターンあったという、“ブラックドレス編”“馬車編(くるくるカール編)”“金髪編”“お下げ編”を全部放送したわけではなかったのですが、“1972年放送”というテロップも出ていたように、1972年に総集編として最後にコンパクトにまとめて放送されたものだったのかもしれません。
ということで、“トホホ人物伝” はブラックドレス編が全部見れたけど他は放送されずじまいでしたが、今回は各パターンが少しずつながら、全部見れたのが凄かったです!!今回は由紀さおりさんの歌う「ヴァリーエ」付きでした。
(←画像の出典は「ロードショー」より)
それにメイキングなどという、1971年当時のテレビでも絶対に見れなかったであろう貴重な貴重なものまで!!他にも見たことのない「エクスラン・ヴァリーエ」の写真も何点もありました。
「銀座リザ」の方は小鳥のバージョンの方だけで、写真バージョンの方はなかったです。そして「エクスラン・ヴァリーエ」も「銀座リザ」もどちらも商品名は出ませんでした。
それ以外でも、「エクスラン・ヴァリーエ」「銀座リザ」に携わって、オードリーの友人でもあった加藤タキさん、オードリーの次男ルカ・ドッティ氏、オードリーの最後のパートナーのロバート・ウォルダーズ氏などオードリーに関係した人が登場して、オードリーのことを話してくれました。
最後には今年の1月20日の20年目の命日に加藤タキさんやルカやウォルダーズ氏たちでトロシュナのオードリーのお墓参りに行くという、感動的な終わり方まで準備してくれていました。
オードリーが抱くことのできなかった孫であるルカの息子(?ショーンの息子かも…)やみんなが泣いているので、こちらまでちょっとうるうる…。
とにかく、ユニセフの映像だけでまとめ上げたお手軽な番組ではなく、最初からきちんと構成されて作られ、生前のオードリーと最も近しかった人たちも登場する、とても質の高い番組でした。
50分番組の短いものでしたが、内容は大変に濃く、いくつもの権利が重なり放送が非常に難しい「エクスラン・ヴァリーエ」「銀座リザ」のクリアの件も相まって、早くも今年のオードリー・ヘプバーン大賞の最有力候補になったのは間違いありません!
もし未見で、見てみたい方は、あと15日、18日に再放送の予定があります。
ちなみに、契約にはB-CASカードが必要ですが、テレビから録画機に送り出せない機種の場合、視聴のみで録画が出来なくなるので、録画機のB-CASカードで契約する方がいいと思われます。
さらにコピー・ワンスですので、HDDからブルーレイなどに録画すると、HDDのデータは消えます(ムーブと言います)。ムーブに失敗すると、元のデータも失われますので、注意してください。
内容の充実度:★★★★★(凄い!!あとは「エクスラン・ヴァリーエ」の各編全部がいつか放送されるのを待ちましょう!)
<追記>こちらにお越しいただいている、時雄さんに教えていただきましたが、WOWOWには15日無料体験というのがあるそうです。この機会に、無料体験でこの番組を見る、というのはいかがでしょう?
みなさん、ぜひ「エクスラン・ヴァリーエ」のオードリーをご覧になってください!
タグ :エクスラン・ヴァリーエ銀座リザ