2008年03月22日

「マイ・フェア・レディ」1974・77年リバイバルパンフ

「マイ・フェア・レディ」1974・77年リバイバルパンフ「マイ・フェア・レディ」1974・77年リバイバルパンフ

「マイ・フェア・レディ」1974・77年リバイバルパンフ 今日紹介するのは1974年及び1977年リバイバル時の「マイ・フェア・レディ」パンフレットです。

 ただし、1977年リバイバルのものは、1974年リバイバルパンフと同じ印刷用の版を使って刷ったと思われるため、奥付はどちらも1974年になってしまってます。中身にも全く変更なしです。

 なので、館名の無い物はそれが74年のものか、77年のものかわかりにくいのですが、東京のスカラ座の館名の入った物は、ハッキリ区別することが出来ます。

 左上の画像を見てください。青い枠の上に“スカラ座”という館名が黒で印刷されてますよね。ちょっと見にくいです。これが1974年リバイバルでのパンフレット。

 この時に“見にくいな~”とスカラ座の人も思ったのか、右上のように画像の中に館名を刷り込む方法に変えたのが1977年リバイバルです。

 ただ、この2つをどちらも持っていると、印刷の違いがくっきり!
 74年版はカラー写真のオードリーの肌に階調がきちんとあるのですが、77年版は階調が飛んでしまい、粒子が荒れてしまってる!アスコット競馬でのオードリーの画像が一番よくわかりますね~。

 なので僕だったら、館名の無い一般館用のも、オードリーの肌を見れば74年のか77年のかがわかるんですが…。

 さて、この74年・77年リバイバルは配給が東宝東和に変わったので、64年69年とアメリカのスーベニア・ブックの翻訳だった物から脱却して、新しいパンフが作られたのがこれです。

 文章も画像も一新!中では田山力哉さんという映画評論家の文章が目を惹きます。
 なぜジュリー・アンドリュースではなく製作者はオードリーを選んだのか、この作品がいかにオードリーの美の頂点であったか、ということを解説してくださってます。

 大作の「マイ・フェア・レディ」なので、もうちょっとカラーページが多くても良かったのに(本文では4ページ)…とは思うのですが、当時のリバイバル作品としては力の入った上々の出来。
 これはこれでなかなか嬉しいパンフレットに仕上がっています。

 なお、1981年リバイバルもこのパンフが使われました。そのお話はまた今度。

レア度:なし





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