2018年08月08日

「暗くなるまで待って」1968年初公開時“スクリーン”誌紹介記事

 もうひとつのブログ “おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!”の方に “96.日本に住んでいたのはオードリーの長兄か次兄か” と言う記事をアップしています。もしよろしければそちらもご覧ください。

「暗くなるまで待って」1968年初公開時“スクリーン”誌紹介記事 さて、今日はずっと何を紹介しようか迷っていた今年日本公開50周年の「暗くなるまで待って」に関するもの。
 雑誌“スクリーン”の1968年初公開時の紹介記事の切り抜きです。

 本当は雑誌ごと紹介出来たらいいのですが、これは中学時代に古本で手に入れたもので、雑誌はオードリー関連のページを切り抜いた後、廃棄して残っていません。

 なので、これが何月号に掲載されていたのかもよくわかりませんが、日本初公開が1968年5月1日だったことから、おそらく1968年5月号(3月21日発売)か遅くとも6月号(4月21日発売)だと思われます。
 (あいかわらずウィキペディアは初公開が5月8日とか間違いがずっと載ってます)

 1960年代〜80年代の“スクリーン”を買ってらした方ならご存知だと思いますが、新作紹介は期待の作品がグラビア見開き2ページで紹介。
 それほど…っていう作品は片側1ページだけ、始めからマイナーなのは1/2ページ、もっとマイナーな物やポルノ映画などは1/3や1/4ページってのもありました。

 カラーページが豊富になってきた1970年代後半からは超期待の新作はカラーページで紹介、というのもありましたが、この「暗くなるまで待って」紹介の60年代後半は、50年代よりは増えているとはいえ、カラーページはまだそんなに多くない時代です。

 その中での超期待の新作である「暗くなるまで待って」には1色刷りのグラビアがなんと3ページに渡って紹介!
 いかに期待されているかがわかりますよね。

 実際この年も「暗くなるまで待って」は洋画の配給収入の第6位に!そしてオードリーは日本でのマネー・メイキング・スターの第1位に、前年までに引き続き11年連続で選ばれたと思いますよ。

「暗くなるまで待って」1968年初公開時“スクリーン”誌紹介記事


 さて、「暗くなるまで待って」といえば伏線が張られまくりなのが有名ですよね。
 ここからはパンフレット「オードリー・ヘプバーン ワン・ウーマン・ショー」や、公開当時の記事や自分で気付いた伏線をみてみます。

 まずマイクとカルリーノがオードリーの住んでいるアパートにやって来るシーン。

 このアパートの造りは半地下と1〜3階の4階分で1ユニット(棟)として横にいくつかのユニットで引っ付いている形。
 半地下の住人は地下への階段、1〜3階の住人は上への階段を上っていくようになっています。

 半地下と同じ棟の1〜3階とは内部の廊下や階段で行き来が出来ますが、左右の棟とは連絡口がありません。
 「ティファニーで朝食を」のホリーの住居もこんな感じなので、アメリカでは一般的な作りかと思われます。

 オードリーの住居は半地下なのですが、その上の1階には特に翻訳されていないのですが、“貸室(APARTMENT FOR RENT)”の札が見えます。
 ということは空き部屋。

「暗くなるまで待って」1968年初公開時“スクリーン”誌紹介記事


「暗くなるまで待って」1968年初公開時“スクリーン”誌紹介記事 2階は少女グローリアが住んでいますが、オードリー演じるスージーが夫サム(エフレム・ジンバリスト・ジュニア)の写真の現像を手伝いながらの会話で、グローリアの父は帰ってこず、母も娘を置いて毎晩遊び歩いてることが語られます。

 最上階の3階にはシャトナーという若い男の子が住んでいますが、週末スキーに行くために車で出かけてしまいます。
 また、大家さんも不調の冷蔵庫の修理をしたくないので、逃げ回っているとスージーとシャトナーの会話でわかります。

 それ以外にも最初に3人の悪党(ロート、マイク、カルリーノ)の会話で死体を運び出そうとする時に “裏口は無い” と言ってます。

 これらのことでわかるのは、後半見張りを立てられてスージーが逃げ出せなくなった時に、裏からは逃げられない、助けを求めようにも上の階に人は居ない、ということ。スージーが自力でなんとかしなくてはいけないのです。

 この冷蔵庫が不調、っていうのは後々重大なことになってきますよね。制作の1967年当時でも旧型の冷蔵庫。どんどん庫内の霜が侵食して来るので、サムはスージーにコンセントを抜いて霜取りをするように言って出かけます。

 そのあとで目の見えないスージーが霜取りをグローリアに頼みますが、それでグローリアがキレてしまいます。
 その時にグローリアが投げつけた割れない台所用品をスージーが拾ってとりあえずシンクに置いておきますが(一部は洗ったのか水切りに…)、これも後半に大きく関わってきます。

 結局コンセントを抜くことは立て続けに起こるその後の騒動ですっかり忘れ去られてしまいます。

 “私を盲目のチャンピオンに!?” と夫と言い争いになりそうだった言葉は後にも活きてきますし、盲目のために “私を見てる?” と夫との挨拶で使う言葉は、後半ではスージーの反撃の狼煙(のろし)として使われます。

 その反撃で使うのが、カメラマンの夫が印画紙にプリントするために使う定着液(ハイポ)であり、目に入れば化学反応で失明するかもしれない、という(今となっては解りにくいですが)劇薬の原液が家に普通にある、という設定になっています。
 ただし悲しいかな盲目のスージーにはロートがサングラスをかけてることはわからない…。

 後半にグローリアが傘で柵をガランガラン言わせながら出て行くのは、もちろんスージーにうまく脱出できたと伝えるためでもありますが、すぐ後にスージーが絶望の声を上げる階段の柵にも対応しています。

 それに台所用品だけでは無く、家の中にあるゴミ箱、洗濯機、ブラインド、階段や階段下の物置スペース、椅子、電話機、照明、古新聞、部屋の隅のパイプやスージーが使う杖にいたるまで、無駄にあるものはほとんど無く、全てが何かに使われるというまさに練りに練った脚本になっています。

 あとは台詞だけだとスージーの発する“ノー、バットマン!”と後半でマイクが発する “オーケイ、バッドマン!”なんかもありますよね。これも対応してると思うんですが…。

 ちなみに最初に出て来る麻薬を仕込むルイというおじいさん役の俳優さんですが、調べると「パリの恋人」にもヘアアーティスト役としてポール・デュバルのファッションショーのシーンのチョイ役で出てるようです。

 なお、この「暗くなるまで待って」はオードリーが最初に出て来るのが映画開始後22分ほど経ってからです。
 「パリの恋人」(10分)、「マイヤーリング」(15分)、「緑の館」(26分)、「ロビンとマリアン」(30分)、「華麗なる相続人」(15分)などと並んで、オードリーの出番が遅い主演作品になっています。

 「暗くなるまで待って」、また劇場で観たいなー!“午前十時の映画祭”で来年やってくれないかなー…。

 でも「ローマの休日」制作50周年でリバイバルがあった2003年から、もう15年経ってしまったんですね!
 2003年からオードリーの全盛期分また1周回ったのかと思うと本当に月日が流れるのって早いな〜と思います。



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この記事へのコメント
こんにちは
ああ、この1色刷りグラビアのレトロ感、たまりませんなあ(笑)。
この時代の洋画雑誌(「映画の友」「スクリーン」等)を、集めたくなってしまいます。
 「スクリーン」という雑誌は、時々原題をそのままカタカナにして、新作を紹介する事がありましたね。「華麗なる相続人」も、最初は「ブラッドライン」という題名で、誌面で紹介されてましたよね。
この「暗くなるまでまって」という作品、今観ると登場人物が「バットマン」の話をしたり、画面に映る家具の1つ1つが「20世紀博物館」の展示物という感じ
だったりする点が、私のような懐古趣味な人間にはたまらない魅力なんですよね。
 スージーの夫に麻薬入りの人形を預ける役を演じた女優さんの髪型をみるたびに、「ああ、そういえばあの時代、こういうヘアスタイルのお姉さんが結構いたなあ」などと、郷愁をかきたてられてしまいます(笑)。
 「グローリアを演じた子役さんも、生きていたらもう60すぎのお婆さんなんだよなあ。」などと、つい考えてしまいます(笑)。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2018年08月11日 03:04
ヴェロニカ・ハメルさん、こんにちは!o(*⌒―⌒*)o

グラビアの感じ…懐かしいですよね!
最近の「SCREEN」はと言うと、期待作はカラーページでいっぱい載せて、普通作以下はモノクロの上質紙(ザラザラした紙)の1/2とか1/3とかでした…映画雑誌なのに…(  ̄- ̄)

それと、僕は「スクリーン」は直訳で、「ロードショー」がカタカナ読みのイメージがあります。
「華麗なる相続人」も僕の持ってる切り抜きでは「スクリーン」が「血族」、「ロードショー」が「ブラッドライン」になってます…。(^_^;)

「暗くなるまで待って」、今の若い方たちには写真の現像といい、冷蔵庫といい、電話ですらカルチャーショックでしょうね。
やがては照明とかも全然違うものになりそう…。

髪型の女性はリサですね!確かに典型的な60年代後半~70年代初頭の髪型ですよね!日本だと奥村チヨさんとか弘田三枝子さんとかのイメージ。

グローリアももうそんな年なんですね!確かに67年で10代でも、そこから50年経ってますから当然なんですけど…そんなこと考えもしなかったので、かなりビックリしました!
まだ存命なのかな…。

でもいつも不思議に思ってたのは、明らかにリサよりもグローリアの方が役が大きいんですけど、ビリングなどの扱いはいつもリサの方が上ですよね。
やっぱり子役っていうのは小さく扱われるもんなんでしょうかね。
Posted by みつおみつお at 2018年08月14日 11:54
こういう記事って懐かしいですね。
オンタイムでも古本屋で見つけても、好きな作品だと食い入るように見て読み込んでました。
だって他に情報源がないから、ちいさ~い画像でも自分の中で拡大解釈したりして貴重でしたね。
撮影時のスナップで、パンフにも載っていないような写真があると嬉しかったのですが、
オードリィとA・アーキンが仲良く並んでにっこりツーショットなんてのがあると興ざめしたり・・・(笑)
「暗くなるまで待って」は、確かに伏線が多く且つ回収や対応がきちんとなされた優等生サスペンスドラマでしたね。
当時は大評判でしたけれども、今ではオードリィ作品においても比較的知名度の低い作品扱いになってしまっているのが淋しくなります。

前にみつおさんとはアパートの2階が空き家になっていることや、様々な不備な点(スージーの勘違いや、ガソリンじゃなく灯油にしましょうとか)などについて、いろいろ話題にして、とにかくネタに事欠かない作品ですね。
僕は今でも「マイ・フェア・レディ」と並んで、10代後期に観た超忘れられない作品のトップクラスです。
ここまでくればもう出来不出来なんて無関係です。(あ、でもどちらも傑作の部類ですけどね)

セリフの伏線ですが、現在の字幕ではそれが生かされていないのが残念です。
昔ってなんか文字数多かったですよね、三行とかたまにありましたから。
で、いつ頃からなのか分かりませんが、横の文字数が少なくとも3個は減らすようになったそうです。
で、スージーの“私に盲人世界チャンピオンになれって言うの?”が、
NHK-BSプレミアムでは“何でもできなきゃ駄目?”に変ってしまって・・・そりゃないだろって思わず口にしてしまいました。
その点、吹き替えを先に観ていてよかったのかなと。
“スカーズデル”“アズベリィパーク”がそのまま話されるのに対して何のことか分からなかったのも懐かしいです。
劇場版では“ニュージャージー”に変えられていて、せめてもの配慮だったんでしょうね。
他にも“点字の本”(吹き替え)→オリジナル“ピーターラビット”などの発見もありました。
あとスージーがグロリアとの諍いの後で、いろんなやりたいことがあるひとつとして、スフレをサムのためにつくってあげたいと言うのも、
字幕だと、“料理をしたり・・・”や“なにか美味しいものを作ってあげたり”に変えられてしまうのは、スフレが一般的でなかったからかな?
ちなみに僕はスージーの作るスフレを、サブリナのそれ以上に食べてみたいです。

リサの髪型を見ると、時代だなーって思います。これって作る(盛る)の大変そう。
サマンサ・ジョーンズって当時すごいトップモデルだったそうですね。
でも何気なく地味に見えるスージーのほうも負けていません。
このショートヘアスタイルは、「おしゃれ泥棒」の頃から続くアレクサンドルの傑作アレンジですが、
とにかくメンテナンスが大変だったそうです。
でカットごとに、微妙に分け方が変わるのがご愛嬌(^^;)
終盤の乱れ具合がまたGOOD!
別のあるサイトで〈どんなに危険な目に遭っても決して髪型が乱れない、いかにもオードリーの映画だ〉というようなことが書かれていたけれども、
乱れないのは髪型ではありません、しっかり乱れています(まァかっこよくですが)、乱れないのはメイクです。

以前、みつおさんにメイクのことは言っちゃ駄目ッって釘を刺されたけれども、
最近凄いなと思うのは、高画質になったせいで、オードリィの比較的地味な役柄がそれまでほぼ素顔かかなりのナチュラルメイクで、
スター女優なのにエライなぁなんて子供心に思っていたのが・・・
どの作品も結構、メイク(場合によってはどメイク)していますよね、特に目元。
していないのは、変身前のイライザ(おはじき飲み込むシーン参照)と「尼僧物語」かなぁ(あ、どちらもワーナー映画だ)
ただし「尼僧物語」は眉毛が気になります。あとポスターやスチールではかなりの厚化粧ですよね~(ナゼナゼ?)
でスージーに話を戻すと、唇が淡いリップなのがセンスいいというか、新鮮でした。
目元にメイクを主眼を置く場合(特に60年代)、オードリィはリップは目立たせないんですよね。
(昔って女性の化粧ってイコール口紅のようなところがあったので)

配役のビリングについてですが、子役って重要な役を演じていても大抵は後に回されますよね。
でも紹介されるだけいいほうです。
シャトナーなんてノンクレジットですから。
まぁどうでもいいような役ではありますが。
例えば他のワーナーにおけるオードリィの作品なんてもっと無情ですよね。
「尼僧物語」なんてあんなに多彩な登場人物なのに、クレジットされるのは一部だけ。
シスタールークと一緒に青空市場(?)を散歩する現地の成年なんて、ノンクレジットですからね。
でも、もっとヒドイのは「マイ・フェア・レディ」
クレジット少なすぎます。
ヒギンズ邸の使用人なんてピアス婦人だけ?
アルフレッドの仲間たちは?
アスコットで出会う上流の方は、フレディとその母だけ?
昔の映画ってそういうの多いけど、よく怒らなかったなぁと(言わせなかったんでしょうけど)
こういうのって今の映画なら考えられないことですね。
とはいえやたらに長いエンドクレジットもあまり好きではありませんが・・・
ああ話が脱線していくぅ・・・
今回はこのへんで!
Posted by まる at 2018年08月16日 23:46
まるさん、こんにちは!

なんか懐かしいですよね!今はもうこういう紹介の仕方ではないので、「SCREEN」とか見ると違和感ありありです。
映画雑誌なのに映画全体の紹介は少しで、ごく一部の映画を集中的に紹介してるだけなので、その映画に興味ないと全く買う気が起きないです。
それとカラーページに文字だらけなのももったいないです。
文字はモノクロページに集中させて、もっと画像を大きくしたらいいのに…。
60年代の編集者が見たら、このカラーの無駄遣いにびっくりしそうですよね。
これじゃ「SCREEN」は衰退する一方だと思います。

「暗くなるまで待って」、今じゃオードリーのマイナーな方ですか!
なんかショックですけど、確かにそうかも…。
若いオードリー至上主義になってしまってから、大事な60年代作品がないがしろにされてしまってますよね。

「暗くなるまで待って」はまだ見たことない人が劇場で観たときの反応が楽しみです!本当に“午前十時の映画祭”でやってくれたらいいのに…。

字幕は確かに昔は縦の右に3行とかありましたよね。
それがいつの間にか下の横書きになって…。「オールウェイズ」からだったかな?
文字数も減らして漢字も減らして…だったら圧倒的に不利ですよね。
これじゃあ吹替の方が流行ってくるわけです。

それにしても、まるさんにおっしゃっていただいたスフレとか初耳ですー!そうだったんですか!
目の見えないスージーに作ってもらうのは気の毒な気もしますけど、確かにサブリナよりも美味しそうかも!

他にも昔だから字幕が変更されていたり、現在だから逆に使うのを避けられたり…。“盲目”も最近では避けられるようですね。

「暗くなるまで待って」のオードリーの髪型ですが、確かにショートヘアなのにトップにボリュームって大変そうですよね。
普通にしてたらペッタンコになりそうなのに、ずっと盛り上げるためにはヘアメイクさんが付きっ切りでないと…。
「おしゃれ泥棒」の時期のオードリーでもプライベートだとちょっとボリュームが少ない時がありますね。
簡単なのは逆毛を立てる方法ですが、カーラーで巻く方法もありそうだし、どうしていたのでしょうね。
リサの髪型も典型的な60年代後半の髪型なので、やっぱり逆毛かカーラーか入れ込み毛を使っているか…ですね。

でも僕も「暗くなるまで待って」はオードリーの最初の出番のおでこが見える物よりも、後半の乱れて前髪が降りてきてる方が好きです!
見る度に早く前髪降りてきて〜!って思ってます。
でも“崩れないのはメイクです”に笑ってしまいますww

目のメイクはオードリーには必須だったみたいですよね。
後のスクエアの逸話でもわかるように、世界で一番美しい目のメイクですもんね。
「尼僧物語」でも眉毛はしっかり描いてますし、つけまつげもバッチリですよね。
まあ映画では抑えめですけど、やっぱりポートレートとなるとそうはいかなかったんでしょうねー。

50年代は眉毛が主張してましたけど、60年代は眉毛じゃなくて目に重点が置かれてますよね。
60年代初期には目の下の目尻側だけでしたけど、ご存知「おしゃれ泥棒」では全体にクッキリ。

「尼僧物語」とか「緑の館」とか「暗くなるまで待って」などの本来はメイクが不自然な役柄でもしっかりメイクされてますけど、よく考えると「戦争と平和」とかも本当は時期的・地理的にもあんなメイクじゃないでしょうし、「麗しのサブリナ」や「パリの恋人」も変身前からしっかりメイクされてますよね。
「いつも2人で」はどの年代のも66年クレオパトラメイクだし…。
まあやっぱりメイクのことは突っ込んじゃダメってことで。(^_^;)

口紅の色は70年代初期はもっと薄くなりますよね。なんか時代の流行なんでしょうね。

クレジットは昔の映画って本当に少ないですよね。
今みたいに映画に携わった人全員、なんてとんでもないことで、本当に主要スタッフ&キャストのみでしたよね。
ああいう全員登場みたいなのはやっぱり「スター・ウォーズ」辺りからなんでしょうか?
シャトナーなんかは本当に“上の住人がいなくなる”っていう状況を見せるためだけの役なので、まあ仕方ないと思いますけど、ほぼそれと同等のリサがグローリアより上、っていうのが昔は納得行きませんでした。

でも今風に延々とエンドクレジットをして欲しかったのはなんといっても「いつも2人で」です!
もし延々クレジットが続いてたらヘンリー・マンシーニのあのテーマ曲のエンドタイトルがもっとたくさん聴けたでしょうし、モーリス・ビンダーのエンドタイトルももっと堪能できたのに!って思います。

それと「尼僧物語」の青空市場ってイルンガですか?彼もノンクレジット!?それはむごい!

「マイ・フェア・レディ」も超大作なのにエンドクレジット無いですよね。
今なら8分くらいエンドクレジット続きそう…。
まあ94年のリマスターで、リマスタースタッフのエンドクレジットが(休憩用の音楽を使って)1分ちょっと作られましたけど。
確かに「マイ・フェア・レディ」だとヒギンズ家の執事2人とかメイドさんとか、アルフレッドの仲間とか入れてあげないとダメですよね。

でも最近の映画のエンドクレジットってほとんど黒バックなのがどうにもイケてません。
もっとNG集とか、「シャレード」や「いつも2人で」ならモーリス・ビンダーのものとか、「マイ・フェア・レディ」なら花バックとか、それぞれの映画にふさわしいタイトルバックを用意して欲しいです。
黒くなると一気に見てて面白くなくなります。
Posted by みつおみつお at 2018年08月19日 02:43
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