2016年10月18日

「ロビンとマリアン」公開40周年記念!宣伝写真(キャビネ&六切)

 「ティファニーで朝食を」公開55周年の今年、「ティファニー ニューヨーク五番街の秘密」というティファニーに関するドキュメンタリー映画が公開されます。
 しかも公開日は「ティファニーで朝食を」日本初公開日の11/4に合わせたような11/5から日本全国で!

 ポスターの上部や予告編にもオードリーが使われていますので、公式サイトでご覧になってみてください。

 また、「おしゃれ泥棒 オードリー・ヘップバーン!」の方にも「89.オードリー・ヘップバーンの画像を無料でブログに使用する方法」という記事をアップしましたので、そちらも読んでいただくと嬉しいです。













 今年は僕がこのブログを始めてからもうすぐ丸10年になるんですが、オードリー的にも「おしゃれ泥棒」公開50周年、「戦争と平和」公開60周年、「いつも2人で」撮影50周年、「パリの恋人」と「昼下りの情事」撮影60周年、さらには「ロビンとマリアン」公開40周年などなど、いろんなメモリアルイヤーでもあります。

 今回はその40周年記念の「ロビンとマリアン」の宣伝用スチール(宣伝写真)の紹介。
 「ロビンとマリアン」としては↑右上の2枚目のものが特に有名です。

 昔の映画館は今のシネコンとは違って、1館で1作品をずっと上映していました(二番館や地方では2〜3本立ての場合もあり)。そのため、上映中の作品を強力にプッシュしていたわけですよね。
 なんせその1本にお客さんが入らないと映画館の死活問題ですから。













 で、今の若い方は知らないでしょうが、その映画館では上映中の作品のいろんな宣材が映画館の内外に展示してあるわけです。
 映画館の外には上部や柱に絵師さんが描いた大看板。館内には普通のポスターを上下に繋げたサイズの立看やB1やB2のポスター、強力な作品には2シートと呼ばれる超巨大ポスターなどが飾ってありました。

 ここで紹介する宣伝写真は、映画館の外やロビーに木枠とガラスで囲われたような展示場所があって、そこに飾られていたもの。
 上映中の映画の写真をちょろっと見せて興味を惹こうというものでした。

 普通は画鋲で四隅を留められていたので、使用済みのものは角に画鋲の跡があります。僕のものは未使用品。

 そこで展示出来る枚数は映画館によって違うのでしょうが、映画会社側では作品の規模や期待度によってキャビネ版は最大150枚ほど準備されていたようです。六切は30〜50枚ほどなのかなー、こちらはあまりよく知らないのですが…。


 (↑上の画像は、尼僧たちが乗った馬車をオードリー扮するマリアンが手綱を引いているのですが、誤って川に入って行ってその後転倒するシーンです。オードリーがインタビューで “これは台本には無かったのですが、レスター監督がこれは使える!ということでそのまま撮影したのです。私たちはパニックだったというのに。” と笑って答えていました。)

 今回のこれは確か中学時代に手に入れたものでした。
 僕の持っているのはキャビネサイズ(180×130)と六切サイズ(254×203)がありますが、貧乏な学生では小さくて安いキャビネがメイン。

 先にキャビネのものを手に入れて、六切にしか無いオードリーの画像のものをその後で手に入れてます。

 アメリカ版の「ロビンとマリアン」プレスシートに付いてきた宣伝写真ではオードリーの写真は9枚中たった2枚でしたが、こちらの日本版はさすがに引退同然の当時でもオードリーがトップクラスの人気なだけに、オードリー中心の写真ばかり。

 なお、アメリカの宣伝写真は印刷でしたが、日本のものは本当に印画紙を使用した写真になっています。

 今でこそオードリーは全世界的に圧倒的な人気を誇りますが、「ロビンとマリアン」公開当時の1976年では欧米ではオードリーの復帰はちょっと話題になった程度。過去の大スター的な扱いでしたね。

 昔の人がオードリーの人気は日本だけ、なんて未だに書いてることがありますが、これはこの時期のオードリーのことですね。

 実際にはオードリーは1987年頃に欧米でも再評価が始まって、そこからは全世界で大人気になっていきます。

 日本ではというと、1968年に「暗くなるまで待って」が公開されたのを最後に旧作のリバイバルのみでしたがそれでも人気は衰えず、とうとうオードリーが1971年に「エクスラン・ヴァリーエ」のCMで日本のためだけに出演してくれてますよね。

 1982年の「銀座リザ」と合わせて、日本はオードリーが生涯で唯一テレビコマーシャルに出演した国です。

 雑誌「スクリーン」の人気投票でも前年何のリバイバルも無かった1976年5月発表の人気投票でも3位を維持。

 ランキングが偏り過ぎて当時の映画ファンの物差しにはちょっと使えない「ロードショー」のランキングでも10位圏内にいた頃。

 なので、「ロビンとマリアン」は撮影中から「スクリーン」「ロードショー」とも大々的にページを割いてオードリーを載っけてくれてたものです。

 「ロビンとマリアン」公開翌年1977年の人気投票では「ロードショー」ですら4位、「スクリーン」では堂々の第2位!1位のテータム・オニールとたった55票差でした。

 これって2誌の読者層が主に中学生〜高校生の雑誌だということを考えると凄いことですよね。

 当時はまだオードリーが伝説化されてない時代ですから、過去の若いオードリーを評価してではなく、「ロビンとマリアン」で40代のオードリーを見てランキングを上げてるんですからね。

 外国の時代劇の中年ロマンスという内容だからか大ヒットこそしなかったものの、それだけ「ロビンとマリアン」は観客に受け入れられたということですよね。

 前半は「尼僧物語」以来の尼僧姿ですが、オードリーは最初はちょっとイヤだったとか。“だって尼さんの格好ばかりしてると思われたくないんですもの。” とこれまたインタビューで笑いながら言ってたそうです。

 「ロビンとマリアン」の脚本は脚本家や監督(最初の時点ではジョン・フランケンハイマー)の強い希望でオードリーの許に1972年頃に送られてきて、オードリー自身も出演したいと思っていたにもかかわらず、エージェントのせいでオードリーの意思が制作者側に伝わらず、2年も放置状態になっていました。

 とうとうオードリーがしびれを切らして言ったのか、“オードリー・ヘプバーンが「ロビン・フッドの帰還」に出演したがっている” という情報が出たのが74年。
 そこからはとんとん拍子に話が進み、75年夏に撮影、76年に公開の運びとなったものです。

 制作者側もオードリーを望み、オードリーも脚本を読んで出演したいと思った「ロビンとマリアン」。
 その後の押し切られたり共演者のためだけに出た作品を考えると、やはりこの自ら選んだ「ロビンとマリアン」が内容的にもオードリー最後の代表作なんだなーと思います。
 特にラストのオードリーのセリフと目の演技は素晴らしいと思います!




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