2018年04月01日

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号

写真展 “オードリー・ヘプバーン 〜今よみがえる、永遠の妖精〜” の予定です。

大丸京都店 <ファッション編120点のみ>(終了)
大丸心斎橋店 <映画編120点のみ>(終了)
松坂屋名古屋店 <240点の中から抜粋>(終了)
日本橋三越本店 <240点が一挙に展示>(終了)
大丸札幌店 <約150点>(終了)
・大丸神戸店<約150点>(開催中)
 期間:2018年3月21日(水)~ 4月3日(火)
 場所:9階大丸ミュージアム
・そごう横浜店<約150点?>(まもなく終了)
 期間:2018年3月23日(金)~ 4月2日(月)

 公式サイトはこちら

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号 今回は雑誌“女性自身” 1963年8月26日号の紹介です。

 これは別に表紙はオードリーではないんですが、カラーグラビアにオードリーが載っています。

 “理性と情熱と/ヘップバーンとリズにみる二つの女性像” という題名でオードリーとエリザベス・テイラーのカラーグラビアがあるのですが、最初のページからしてオードリーとリズの扱いの差がありますよね。

 次のページをめくるとさらに扱いの差が歴然!2ページ目の写真は全部オードリーじゃないですよ。右ページ下の小さなのがリズ。残りは全部オードリー。

 これ、次のページにリズがあるんじゃないの?って思いますが、これで終了。
 じゃあリズはいらなかったんじゃあ…と思います。

 この時オードリーには「パリで一緒に」、リズには「予期せぬ出来事」が待機中。
 この2作の共通点は、どちらも主演女優の衣装がジバンシィということ。

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号 「パリで一緒に」のオードリーの衣装が爽やかで若々しいのに比べて、エリザベス・テイラーが着るとこんなに貫禄が出るんですね。
 ええっと、確か本当はエリザベス・テイラーの方が3才年下のはずですが、全然そうは見えませんね。

 さて、映画というのは大体公開の1年前に撮影が行われているもの。
 この号で紹介されているように、「パリで一緒に」も前年の1962年夏に撮影が行われています。なので撮影時オードリーは33才です。

 こうして宣伝用のカラー画像が紹介されているように、パラマウント日本支社も「パリで一緒に」を1963年秋に公開する予定でした。
 この時期、雑誌“スクリーン”からも「パリで一緒に」とリバイバルの「ローマの休日」を合わせた特集号が出ていましたね。

 でも「パリで一緒に」は製作国のアメリカでの公開も1964年4月までずれ込み、アメリカで公開のめども立っていない「パリで一緒に」を日本で先行公開も出来ずで、結局日本公開は1964年5月にまで延びて、後で撮影した「シャレード」が1963年12月に先に公開されました。

 オードリーをよく知らない人が1964年公開ってとこだけ見て “「パリで一緒に」オードリー35才” なんて書いてますが、本当は33才のオードリーですからね。

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号 「パリで一緒に」は僕のすっごい好きな作品!作品の出来よりも、オードリーの幸せオーラに圧倒されます。

 撮影当時、オードリーの息子ショーンは1〜2才。かわいい盛りで、旦那メル・ファーラーとも幸せいっぱいの時期。
 恐らくオードリーがメル・ファーラーと一番幸せだったのはここじゃないかと!

 オードリー自身が「パリで一緒に」の撮影は楽しかった!とショーンに述べていましたし、「パリで一緒に」のオードリーは美の頂点を極めています。

 初公開時、「パリで一緒に」も大ヒット!初公開時の配給収入は「ティファニーで朝食を」を上回っています。

 記事では “1位・ヘップバーン、2位・テーラー、編集部のおこなった外国女優の人気調査の結果。このふたりは、圧倒的に他を引き離していた。” と書かれています。

 映画雑誌での人気投票だけではなく、一般誌の人気調査でもオードリーの人気は凄かったんですね。
 オードリーはこの後も延々と人気が続くのですが、リズの方は女性としての成熟を見せて以降人気は下降線。ここら辺が映画雑誌でもベストテンに入った最後でした。

 他には「バターフィールド8」と「ティファニーで朝食を」でそれぞれコールガールを演じているのに、リズは生々しい迫力、オードリーは大人の童話にしてしまう、リズは悪女の魅力、オードリーは妖精の魅力。と書かれています。

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号 それと、この号の別のページで “パリコレ第1報” というページがあるのですが…

 左端の緑のスーツ!これって「パリで一緒に」のオードリーのパクリですよね!(→)
 髪型まで真似しています。

 これ、パリコレと銘打っていても、パリコレそのままじゃなくって、パリコレ風の衣装を自分で作りましょう!というもの。

 なので裁断用の製図なるものが書いてあります。
 この当時はまだ自分で衣装を作る人が多かったんですね。

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号 で、問題の緑のスーツですけど、ジャケットがダブルにはなっていますが、帽子といい、受ける印象は「パリで一緒に」のオードリーそのもの!

 でも不思議なことに他の衣装が今見るととっても時代を感じるオバちゃんぽいのですが、この緑のスーツだけは若々しく見えます。

 オードリーとジバンシィの効果、恐るべし!ですね。パクリにしてもこれだけ若々しく見えるとは!

 ちなみにこの時代はまだ若者向けのananなどはなかった時代。この女性自身も購買層・読者層は20代の人たちも多くいたはずです。
 ということで、ここでの洋服は働く若者向けでもある!ということになります。今はそうは見えませんけど。

「パリで一緒に」宣伝写真 女性自身1963年8月26日号 なので「シャレード」のオードリーの衣装を“マダム風”と表現するのは間違いですね。あれが当時の20代の人たちの洋服でもあった、ということです。

 他には吉永小百合さんがモノクログラビアに登場しているのですが、若い!この当時18才だそうです。

 でも日本の俳優さんって、この当時1年に10本以上出演なんて当たり前だったんですね。どんな短期間に撮ってるんだよ!と思いますね。今のテレビドラマ並みの制作期間。
 ちょっと粗製乱造な感じがしますね。60年代後半から邦画が斜陽になるのが理解できる感じ…。

 映画雑誌でも、オードリーの1年に1〜2本というのと違って、日本の俳優はかわいそうだとよく比較されています。



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この記事へのコメント
超久しぶりです。
むらさきいも
心臓にバイパス4本できました。
入院中、パリで一緒に。
ナースには、オードリーの宣教師。
Posted by 明智常楽 at 2018年04月02日 13:10
あ、これ欲しい~(笑)
上のほうの左側の画像、好きです。
そもそもこのグリーンのスーツ姿、
彼女の数あるスクリーンモードのなかでもお気に入りですもんね。
でも、実はウィロビー撮影作品だったりして・・・
この頃って著作権いいかげんでしたからね。
もしそうだとすると・・・やっぱりお蔵入りお宝画像まだいっぱいあるやんか(怒)

全体を通して独特の総天然色な色使いですね、貴重だ。

オードリィは年2本のときなんて、過労のため大変だったような記事を読んだことありますが、
日本の当時の人気女優にしてみれば、甘えるなボケってなもんでしょうね。
でも逆らえば、五社協定やらなんやらで干されるかつぶされるかだったろうし・・・
本当に日本の映画会社はトンデモブラック企業だったんでしょうね。
Posted by まる at 2018年04月02日 19:37
>明智常楽さん

おおっ!明智常楽さん!メチャクチャお久しぶりです!
そして大変な手術をなさってたんですね!
それでもご無事で何よりです!
明智常楽さんのTwitterなども更新されてなかったので心配しておりました。

さらに入院中でもオードリーを広めてらっしゃるとは、さすが明智常楽さんです!
またお元気な声を聞かせてくださいねー(´▽`)
Posted by みつおみつお at 2018年04月03日 06:27
>まるさん

まるさんならわかってくださると思ってました!(*´ω`*)
「パリで一緒に」だと普通はオレンジのワンピースがイメージ強いですが、映画で見ると意外としっくりこないんですよねー。
その点このグリーンのスーツはホンとにオードリーにピッタリ!ですよね~ヽ(´▽`)/

撮影者は考えもしませんでしたが、そういえばボブ・ウィロビーかもしれませんよね!?
「パリで一緒に」撮影前の湖と木の写真でも写真集未収録のスゴイ美しいカラーのがたくさんありますし、まだまだ隠し玉持ってると思います。

総天然色な感じは確かにそうですね。
この頃は印刷の精度が甘い分、色目のパッキリ感でカバーしようとしてたのかもてすね。
これらもちょっとピントは甘めです。

オードリー映画の撮影期間は3か月~6か月ですから、1本あたりでは拘束期間は長いですけど、オードリーは数ヶ月あいだに休み入れてましたもんね。
同時期の1961年に吉永小百合さんは年間16本撮影したとマツコ・デラックスさんの番組で言ってました。
しかも吉永小百合さんはすべて主演でしょうから、休み無しで働いても12か月で16本とは…( ; ゜Д゜)
娯楽が映画だった時代とはいえ、やっぱりブラック臭がただよいますよね。

五社協議!確かに当時は東宝・日活・松竹・大映・東映と映画を作る会社があったんですよね~(*´ω`*)
Posted by みつおみつお at 2018年04月03日 07:20
こんにちわ
ジバンシー、亡くなったんですよね。もうデザイナーとしてはとうの昔に現役を退いてたらしいですけど、やっぱり寂しいですね。
ご冥福をお祈りいたします。
Posted by ヴェロニカ・ハメル at 2018年04月07日 06:42
ヴェロニカ・ハメルさん、今晩は!

ジバンシィ3/10に亡くなってたんですね…全く知らなかった…(´;ω;`)

このブログではこの記事が追悼になってしまってた訳ですね…

ジバンシィ、95年に退いていましたよね。その後もオードリーのドキュメンタリーでインタビューに答えてたんですけど、これでまたオードリー本人を知る人が居なくなってしまいましたね。

ホンと悲しいてす。・(つд`。)・。 合掌
Posted by みつおみつお at 2018年04月08日 00:57
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