2021年04月11日

1986年「ティファニーで朝食を」リバイバル時大阪チラシ

1986年「ティファニーで朝食を」リバイバル時大阪チラシ 今年のゴールデン・ウイークにいよいよ“午前十時の映画祭”で公開60周年の「ティファニーで朝食を」が再度リバイバルされます。上映期間は全国一斉4/30(金)〜5/13(木)。5月4日のオードリーの誕生日を挟んでますね。

 なのでリバイバル直前ということで今回は1986年に「ティファニーで朝食を」がリバイバルされた時の大阪のチラシを紹介。

 今からもう35年も前のものになりますね。僕はその頃のオードリー作品が続々映画館に来る頃の記憶って割と新しいもののように覚えてるんですけど、もう35年も経ってる!

 僕がオードリーファンになりたての70年代後半の頃の「ティファニーで朝食を」って、今から思うと初公開はたった15年前のことじゃないですか。
 それでもまだ少年だった僕は、1961年なんて生まれる前の遠い昔のことだと思ってました。

 でも怖いことに僕が劇場で見てた「ティファニーで朝食を」はもう今から35年も経ってるんですよね!それを考えるとゾッとしますね。

 さて、この「ティファニーで朝食を」のリバイバルも、日本ヘラルド映画さんのクラシック映画リバイバルの一環。

 ヘラルドさんはまず84年辺りにMGM/UA(MGM映画とユナイト映画)と交渉して許可が下りたので、オードリーではユナイトの「噂の二人」とかからリバイバルがスタートしたんですけど、その後にパラマウントとも契約が取れて、85年年末に「ローマの休日」「麗しのサブリナ」がリバイバルされました。

 パラマウントというと最もオードリー映画が多かった会社ですから、この「ティファニーで朝食を」とか「パリの恋人」とか「パリで一緒に」が続いたんですよね。

 77年の「ローマの休日」以降、全くオードリー作品をリバイバルしてこなかったパラマウントの配給権を持つ本家UIP映画も、日本ヘラルドさんの続々リバイバルの大ヒットでやっとその価値に気づいたのか、大慌てでオードリー作品を漁ったんでしょうが、その時には残っていたのは「戦争と平和」だったんでしょうね。
 なので87年に久しぶりに本家UIPから「戦争と平和」が大々的にリバイバルされています。

 でもまだ “クラシック映画のリバイバル” という枠組みでの上映なので、このチラシでわかるように、前後はパラマウントの別の映画が上映されており、まだオードリーだけでプログラムを組む、というところまでは至っていません。
 裏面にも小さな字で“PARAMOUNT CLASSICS”って書いてますしね。

1986年「ティファニーで朝食を」リバイバル時大阪チラシ ちなみに昔日本ヘラルドさん(だか、のちの角川映画さん)に直接電話して担当していた女性に伺いましたが、そうやって次々とメジャーな映画会社と契約してリバイバルしていったそうですが、20世紀フォックスが一番契約を取れるのが遅かったそうです。

 なので「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」の公開は1991年まで出来なかったんですよね。僕はここまでオードリー作品をリバイバルしてるのに、「いつも2人で」がリバイバルされないんじゃないかとハラハラしてました。
 でも作品の興行価値がどうこうじゃなくて、契約の問題だったわけですね。なのでとうとう「いつも2人で」が初リバイバルされた時はめっちゃ嬉しかったです!

 さて、このチラシでの「ティファニーで朝食を」の上映館は今は亡き梅田東映ホール。90年までには梅田東映パラス2と名称を変更しているようですので、梅田東映ホールとしてはかなり末期の上映のようです。

 「ティファニーで朝食を」の前は「泥棒成金」、後は「ペーパー・ムーン」の上映スケジュールですけど、見てわかるようにイチオシは「ティファニーで朝食を」。

 グレース・ケリーではなく、オードリーがデカデカと大きく載っています。もうこの頃にはブームが始まっていたんでしょうかね。

 チラシ表面の“宝石より愛が光っていた”は86年リバイバル時のキャッチコピー。なかなかシャレてますよね。
 ちなみにこの3作品は宝石つながりの上映のようで、「泥棒成金」は“宝石が大好きな猫がいた”、「ペーパー・ムーン」は“宝石の輝きは心のなかに”だそうです。

 裏面の文章を一部抜粋。

 “ティファニーといえば人ぞ知るニューヨーク5番街のゴージャスな宝石店。そんなところで朝食なんか食べられるわけがないじゃないの。でもそのウインドーをのぞきながらパンをかじるなんて、ちょっとクリスタルな気分じゃない?
 トルーマン・カポーティの原作小説は、都会志向の時代感覚にぴったりマッチして「ティファニーで朝食を」は日本でも流行語に。そして何よりも、当時の映画ファンは主役ホリーに扮したオードリー・ヘップバーンの人間ばなれした体つきと、そのファッションにうっとり。”

と書いてあります。なんか “クリスタルな気分じゃない?”ってとこにめっちゃ時代を感じますねー。

 それと、1961年の初公開時にはまだまだあまりにも縁遠い宝石店「ティファニー」で、題名だけだと「ティファニー」をレストランだと思った人も居たそうですが、1986年といえばもうバブル前夜。もうすっかりオシャレな80年代の若者は「ティファニー」が何者かは浸透していたようですね。
 バブルになると、クリスマスはホテルを1年前から予約して、男性が女性にティファニーの宝石をプレゼント、みたいなのが当たり前みたいにあったそうですからね(僕は知りませんが)。

 みなさんもくれぐれもコロナに気をつけて、見にいってくださいねー。



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この記事へのコメント
またお邪魔します。繰り返しになりますが'71年に「おしゃれ泥棒」を観て、その年のうちに立て続けに名画座でオードリー作品に接してるのですが「ティファニー〜」も同様と記憶しています。また直ぐに新潮文庫版の原作も読み、あとがきで訳者の龍口直太郎氏がNYの本店でEVボーイに食堂の有無を訊ねて嘲笑われた件も。

その年末に「007/ダイヤモンドは永遠に」が封切られ、ボンドとダイヤ取引の仲介役ティファニー・ケイスとのやり取りで
「珍しいお名前ですね」
「母がそこで結婚指輪選んでて産気づいて、私が産まれたのよ」
「由緒正しいお産まれですな」
という字幕だったのですが、ボンドは
「ヴァン・クリーフ&アーペルズでなくて良かったですな」
と言っていたのに知名度と字数で割愛したのだろうと「スクリーン」の記事で推察してました。ということはその時点でティファニーの知名度は既に日本でも高かったと。日本橋三越本店に出店したのは翌'72年ですし、やはりオードリーの功績でしょうか。

また先の五輪翌年の'65年にわが国初の億ションとされるコープ・オリンピアが原宿駅前に出来たのですが、その一階にティファニーというフランス料理店が多分'80年代まで存在しました。まだ色々とユルい時代だったのでしょう。LVMH傘下に入った今では確実にアウトで。銀座にペリニィヨンというフレンチもあったのですが、昔許可を得たのに先年圧力で店名変更させられましたから。

あと'86年に「クリスタルな気分」というのも少々意外な感が。当時一橋大生で後に何処かの県知事をやった人物が、似たタイトルの小説もどきでとある文学賞にありついたのが'80年ですから、案外しぶとかったなと。

「ティファニー〜」原作の新訳を手がけた某作家が
「映画のスチールをカバーに使いたくなかった」
と言いながら、ティファニーブルーの装幀にしたのは理解に苦しむ所業です。まあ版元の要望かもでしょうが。オードリーから離れた内容ばかりで失礼しました…。
Posted by Edipo Re at 2021年04月12日 02:17
Edipo Re さん、こんばんは。

「007/ダイヤモンドは永遠に」ではそんな字幕の変更があったんですね。
でもそんなお話を伺うと、今のDVDなどでの字幕がどうなっているか知りたくなりますね。

昔友達との付き合いで見に行った「グッドモーニング、ベトナム」という映画で、途中字幕に「リカちゃん人形」ってのがあってビックリしました。だってアメリカでは絶対リカちゃん人形は無いし知られてないはずなので、これって本当は「バービー人形」だったのだろうか…とか色々考えてしまいました。
でもそのおかげで(?)他のシーンも内容も全く覚えていないのですが、そこだけ覚えています。

“ティファニー”が日本に出店したのは、もちろんオードリーでの功績も大きいでしょうが、やっぱり日本が高度成長時代に世界で無視できないほどの市場に発展してきたので出したんでしょうね。
昔は終身雇用の制度もありましたし、日本人も頑張っていましたが、派遣や子会社を使って雇用を安易に切り捨てる自分たちさえ良ければいいという会社のトップと、すぐにパワハラだといって努力もしない若者を見ると、どっちもどっちで今後の発展は見込めそうも無いですよね。

それと名称でもめると言えば、昔“ヒルトンホテル”の名称で裁判もありましたね。昔と違って色々と問題山積ですね。
今だとショーンの締め付けがすごくて、オードリーの写真集もなかなか出せない状況のようです。

「なんとなく、クリスタル」、田中康夫氏の本ですよね。
僕は読んだことありませんが、確かに80年から86年まで表現が生き残っているってのが長生きですね。もしかしたら86年ではもう既に寒い表現だったかもしれませんが笑。

「ティファニーで朝食を」の新版、村上春樹さんはカポーティと同じ作家として改変された映画のイメージを避けたかったんでしょうね。
でもその新訳を読んで、実は僕がイメージしたのはむしろマリリンではなくて余計にオードリーになってしまったのは以前の記事で書いた通りなんですが、それも皮肉ですよね。

それと、「ティファニーで朝食を」をまだ69年時のフィルムで映画館で見れたっていうのは羨ましいです。
当時は「パリの恋人」や「昼下りの情事」のリバイバルの権利も残っていて、日本のどこかでは見れたようです。70年代前半だと、他にも「いつも2人で」などもまだ上映されてたでしょうねー。
Posted by みつおみつお at 2021年04月12日 21:44
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