2023年10月09日

1986年 “オードリー・フェスティバル”時 B2ポスター

 今回は、年度は今年とは“何周年”とかの関係はありませんけど、上映されていた日付がちょうど今頃だった、1986年の“オードリー・フェスティバル”時のB2ポスターの紹介。

 この時は「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「パリの恋人」が上映されていますね。
 でもこの時のメインは、画像でもわかるように「パリの恋人」!

 というのも、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」は既に1985年の年末に上映されているので。
 その時の詳しいお話は、“ゴールデンシアター” チラシの記事で。

 80年代後半〜90年代初期のオードリーの大ブーム時には“オードリー・シアター”と呼ばれていたらしいというほど、オードリーの映画をよく掛けてくれていた銀座文化劇場では、85年11月30日「麗しのサブリナ」から始まって、86年1月16日で「ローマの休日」の上映が終わったのに、8か月でまた「ローマの休日」から上映していることになります。

 この85年の「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」で手応えがあったのか、86年からは日本ヘラルド配給による怒涛のオードリー作品リバイバルが始まります。

 そのリバイバルされたオードリー作品全ての好調っぷりを見て、慌てて本家の配給会社も追随してまだ残っている作品をリバイバルするという過熱っぷり。

 それまで、70年代後半から80年代前半のオードリー作品の粗末な扱われ方を知っていた僕なんかは本当にビックリしました。

 “オードリー作品ではもうお客を呼べない”なんて言われていましたが、そうではなくて、「ローマの休日」と「マイ・フェア・レディ」ばっかりバカのひとつ覚えみたいに数年ごとにリバイバルしてちゃ、そりゃお客さんも飽きて動員数も減ります。

 オードリーのファンが望んでいたのは、「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」だけではなく、全部の作品だったことがこの時に証明されたんですよね。

 85年には「噂の二人」「麗しのサブリナ」「ローマの休日」
 86年に「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」
 87年に「シャレード」「暗くなるまで待って」(ワーナー配給)「戦争と平和」(UIP配給)
 88年に「パリで一緒に」「緑の館」
 89年に「昼下りの情事」「戦争と平和」(日本ヘラルド配給)
 90年には「オールウェイズ」初公開
 91年に「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」(日本ヘラルド配給)

と、14作品で16回のリバイバル、新作1本、が来てますし、さらには「おしゃれ泥棒2」と「ニューヨークの恋人たち」もこの時期にVHSビデオで発売(日本初紹介)されています。

 日本ヘラルドも、最初は各製作会社別に買い付けて、MGM/UA、パラマウント、などと他の往年の映画とともにテーマを決めて他作品とオードリー作品を混ぜて公開していたようなのですが、あまりにも突出してオードリー作品の興行成績がよかったんでしょうね、段々オードリー作品のみの買い付け&オードリー作品だけをまとめた上映になっていきます。

 さて、ここでの「パリの恋人」のリバイバルは、1966年以来実に20年ぶりの上映になります。
 「パリの恋人」が上映される!ってんで、舞い上がった僕は高校時代の先輩後輩に連絡をして、10人くらいで梅田に観に行きました。

 大阪は87年になってからの上映でした。(大阪版のチラシの記事はこちら
 というのも、86年当時はまだ今のようなデジタルではなく、フィルムでの上映。

 全国一斉に上映する新作ではなく、リバイバルの場合、フィルムをそんな何十本も取り寄せないんですよね。
 なので、全国分でも数本しか準備されていなかったと思います。

 このポスターで見ると、銀座文化と自由が丘武蔵野館で同じ作品が被っている期間がありますので、2本はある事になりますね。
 さらに予備などであと数本はあるでしょうけど、全国別の場所でそんなたくさん上映できるほどのフィルムは無かったと思われるんですよね。

 何かあった時用に予備は必ず準備しておかなければならないでしょうし、あるだけ全部使うわけにはいかないんですよね。

 なので、昔のロードショー方式のように、全国を順々に回していったと思われます。



(こちらの画像はゲッティイメージズ さんの無料でブログに埋め込み可の画像をお借りしました)


 さて、「パリの恋人」がリバイバルで見られる!ってだけでも嬉しかった僕ですが、劇場に行って驚愕! ロビーには既に予告としてこの「暗くなるまで待って」のポスターが貼ってありました!

 「暗くなるまで待って」のリバイバルを知らなかった僕は、えーーっ!!こんな連続してオードリー作品がリバイバルされるん!?って思ったのを覚えています。

 当時はまだ社会人じゃないし、貧乏な僕には、嬉しいけれどお金が心配になりました。
 それと、また一緒に行くメンバーを集めないといけないなーと思ってました。

 その時に劇場に貼ってあったこの “オードリー・フェスティバル”のポスター!

 当時はこの「パリの恋人」のオペラ座の画像はレアでしたし、なんとキラキラ輝いていたことか!
 僕は喉から手が出るほど欲しかったのを覚えています。

 今はこうして(大阪のじゃないけど)手元にある“オードリー・フェスティバル”のポスターですが、これを見ると当時の思い出が甦ります。

 初公開時の物でも66年リバイバルの物でもないし、「パリの恋人」だけのポスターでもないので、価値はそれほど高くないかとは思いますが、僕にとっては思い出のいっぱい詰まったポスターになります。

 さらに横には「暗くなるまで待って」のポスターも貼ってあったんですから、70年代後半から80年代前半にかけてオードリー作品のリバイバルに飢えていた僕にはいかに壮観で、ポスターだけでもう圧倒されていたのかがわかっていただけるかと思います。

 この時、短期間でこんなにオードリー作品が続々とリバイバルされるなんて、何かただならぬことが起こっている気配を感じたのでした。

 実はこの時に全国的にオードリーのブームは起き始めていて、1987年5月号の雑誌“スクリーン”の人気投票では6年ぶりにベスト10圏内(第7位)にオードリーは返り咲くんですよね。
  


Posted by みつお at 18:00Comments(4)麗しのサブリナパリの恋人

2023年10月01日

2000年の販促用オードリーカレンダー

 こないだいっぱい撮ったポスターの続きを…と思ってたんですが、なんだか気分的にも時期的にもこちらにすることにしました。

 2000年のオードリーカレンダー!サイズは結構大きいです。B2くらい。
 なので、これもこないだ一緒に撮ったんですよー。

 そして、これが印刷されているのは普通の紙ではありません。なんか化学繊維でできているような、合成布っぽいもの。
 なんて言うの?クラフト生地?フェルト生地?そういうのです。

 これは企業さんの販促カレンダーだと思うのですけど、企業名を入れる余白がありませんね。
 別の年のなら、下部に余白があったんですけれども。

 こういうのはカレンダーの会社に販促用のカレンダーが何十だか何百だかの見本があって、その中から業者がお得意様に配るカレンダーを決めて納入してもらうというもの。

 昔は当たり前の光景でしたけど、スマホで日付なんていつでもわかるようになった今は随分廃れてそうです。

 これも1999年に会社の出入りの業者さんにいただいたもの。
 オードリーを使ってくれるなんて、なんとセンスのいい!と思ってました。

 この年のオードリーは「パリの恋人」ですね。
 「パリの恋人」まではあった、オードリーの顔の右から写しているという画像。

 これ以降はオードリー自身が右側から写した画像をあまり気に入らなくて、顔にコンプレックスのあるオードリーはカメラマンに「左側からお願いします」と言うほど常に左側を向けるようになっていきます。

 なので、これは本当に右側から写した、貴重な画像ということになりますね。
 でもこっち側からだと、やっぱり鼻が間延びしています。

 それと1999年〜2000年ごろというと、オードリーのブームも落ち着いて、今度はなかなかオードリー映画来ないなーっていう時期。
 そろそろ全てのオードリー映画のリバイバルの権利が切れてしまって、もう劇場にはオードリー映画がほとんどかからなくなってました。

 結局80年代後半〜90年代初期の大ブーム時でも「尼僧物語」「許されざる者」と「ロビンとマリアン」以降の作品はリバイバルされなかったし、また何か来てほしいなーとオードリーファンなら思ってた頃ですね。

 このオードリーに対する渇望は2003年の「ローマの休日」リバイバルまでは満たされなかったんですけれどもね。

 さて、昨年は結局2023年のカレンダーの紹介をしませんでした。
 その辺のことも含めて、明日は早速2024年のカレンダーの紹介をします。
  


Posted by みつお at 14:00Comments(0)パリの恋人その他グッズ

2022年10月04日

1975年5月21日放映「パリの恋人」紹介記事、雑誌“ロードショー”


 今回は雑誌“ロードショー”1975年7月号からの「パリの恋人」テレビ放送に関する切り抜きです。

 製作65年の「昼下りの情事」をやったら、当然同じく製作65周年の「パリの恋人」もやらないと!ですよね。

 それに1966年にリバイバルした「パリの恋人」が劇場で上映できる期限がまもなく切れるので、1972年に名画座で上映されたのも「昼下りの情事」と同じ。
 となると1972年から50周年にもなりますよね。

 1972年の「パリの恋人」の上映は、僕の調べたところによると、東京では8月15日(火)〜21日(月)まで名画座ミラノってところで、9月5日(火)〜10日(月)まで東急名画座ってところで上映されています。

 正式なリバイバルでもない1972年に、それらの名画座のために新しい「パリの恋人」のパンフレットが作られています!それがこちら

 もう15年も前に紹介していますね。
 当時は紹介はなるべく簡単にしていたので、中身の写真とか全く載せてませんけど、表紙からして「パリの恋人」じゃないですねー。

 72年の謎パンフ、出回ってる数がそこそこ多いところからして、全国の名画座で上映されたんかなーと思います。

 さて、この1975年5月21日放映の「パリの恋人」って、東京12ch(現テレビ東京)の「木曜洋画劇場」版吹替が使われているんですよねー。

 それって僕もファンになってからのもっと後年お昼だか夕方だかのテレビ放映で初めて見ましたけど、池田昌子さんの吹替じゃないし、突然街中で踊り出すミュージカルも受け付けなくて、全然作品に入り込めず思い出が最低になってしまったもの。

 当時はそれまで見たオードリー作品の中では最低作品!とかって思ってました。
 その後字幕版で見たり、池田昌子さんによる新録で見たりして、評価は一変!今では1950年代のオードリー作品では1番好きです!

 こないだのスター・チャンネルの聴き比べ吹替バトル第2弾で放映したもので久々に坂口美奈子さんの「木曜洋画劇場」版を聞くことができましたが、やっぱりごめんなさい、オードリーの吹き替えがダメでした。

 このバージョンでオードリーをあてた坂口美奈子さんはオードリーをお好きだそうですし、この「パリの恋人」の吹替が思い出深かったそうなんですけど、本当に本当に申し訳ないのですがオードリー本人の雰囲気とも年齢の感じとも違うし、池田昌子さんとも全然違うので、気になって気になって作品世界には入れませんでした。

 この吹替バージョンで見たら、確かに「パリの恋人」があまり好きにならなくても仕方ないかな、と。
 フレッド・アステアとか、ケイ・トンプソンとかは良かったんですけどねー。

 放送枠に入れるためにカットもバッサバッサと切られてるので、これで話通じる?みたいに思うところもありました。
 また原語と言ってることが違ってたりするとこもありました。

 ちなみに機内上映版の勝生真沙子さんの吹替は気になりませんでした。池田昌子さんと比べてどうかは置いておいて、演技しているオードリーの熱量と同じ抑揚の発声だったので、すんなり見れたんですよね。

 さてこの “ロードショー”での紹介ですが、カラーでも紹介されてますね。
 この号のメインはカラーの大きさからしてアラン・ドロンの「ボルサリーノ」のようです。

 このカラーのアラン・ドロン、写真写りがここでは小島よしおさんみたいに見えますね。

 そしてオードリーの写真は、ジバンシィのグリーンのコートドレス?の色がダーク・ブルー・ブラックみたいな色になってしまってますね。
 ちょっと僕の方で本来の色に寄せた画像も作ってみました。(3枚目の写真)

 文章では「ファニー・フェイスという流行語はこの映画から生まれた。」と書いてます。
 もし原題のままで邦題も「ファニー・フェイス」にしてくれてたらなーと思います。

 オシャレなファッション業界の映画なのに、オードリー主演映画でも特にセンスも個性も無い「パリの恋人」という日本題名はアカン。
 オードリー映画で最高の邦題の「おしゃれ泥棒」とはセンスが雲泥の差。

 モノクロのグラビアページでも特に珍しい画像はないのですが、左下の風船を飛ばす写真が他よりは少しレア度が高め。
  


Posted by みつお at 21:00Comments(0)パリの恋人ロードショー

2022年08月03日

「オードリー・ヘプバーン映画祭2022」チラシ

 はい、引き続き「オードリー・ヘプバーン映画祭2022」関連で。

 最後はこの映画祭全般のチラシですね。2022年6月10日(金)〜12日(日)まで二子玉川での開催。

 正直、“またか!”と思いましたよね。映画祭自体がじゃ無くて、また東京だけ、二子玉川だけなんかい!という。

 しかも期間も短いので、関西にいたら行けませんもんね。

 まあ東京だけ、というのは東京以外では収益を上げられないから、と予測してるのかもしれませんし、スター・チャンネルさんの考えなのでこちらはどうともできないんですけど、ちょっとヒドイな、とは思います。全国横断、とはいかなくても、関西くらいは出来そうやのに…とは思いますね、

 事前にスター・チャンネルさんに問い合わせはしなかったんですけれども、友達に二子玉川まで行ってもらったんですが、前回はあった無料の映画パンフレットみたいなのは今回は無かったようで、2019年に行われたものよりかはお金の掛け方がちょっと縮小されたような気がします。
 やっぱりこれもコロナの影響でしょうか?

 さて、パンフレットがないとすると、このチラシが唯一の今年のオードリー映画祭での記念品となるのでしょうか?

 2019年の映画祭では「若妻物語」とか「ラベンダー・ヒル・モブ」とかレアなものも含めて10作品上映してましたけど、今回は「ローマの休日」「パリの恋人」「シャレード」「マイ・フェア・レディ」「おしゃれ泥棒」とメジャーどころを揃えて5本だけになってます。これも規模の縮小でしょうか?

 チラシ裏面の上半分を使って今回の上映作品を紹介してますけど、上映スケジュールを見ると、10日が「ローマの休日」「シャレード」「パリの恋人」、11日が「パリの恋人」「おしゃれ泥棒」「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」、12日が「マイ・フェア・レディ」「ローマの休日」「シャレード」「おしゃれ泥棒」。

 「ローマの休日」のみ毎日で3回、ほかの作品は2回の上映になっています。

 その次はイベントの情報。トークショーが毎日あったみたいで、清藤秀人さんがナビゲーター、10日には加藤タキさんも出演されてらしたようです。

 11日と12日にはオードリーの映画音楽のアンサンブルの演奏もあったようです。
 僕も1996年にJAL主催のオードリーのイベントが大阪のロイヤル・ホテル(オードリーが83年来日時に宿泊したホテル)で有った際は、音大の先生にオードリー作品の編曲を依頼して、弦楽四重奏でオードリー作品を演奏したのを思い出します。

 自分たちで演奏した時には「許されざる者」はプロローグ(実際はメインタイトル)とエンドタイトルをくっつけてもらったり、「パリで一緒に」の“That Face”も演奏しましたねー。

 「華麗なる相続人」からは“過去の回想”を演奏したかったけど、僕らの演奏には声が入らないので、同じメインタイトルの旋律を使う“別荘への到着”を演奏しました。

 「シャレード」からは“オレンジ・タムレ”(でもこの曲は“オレンジ・タムレ”のシーンでは使われていない)も演奏しましたよー。

 “オレンジ・タムレ”は演奏してくれた仲間にも大好評で、弾いてる方も聴いてる方も楽しいという、稀有な曲です。

 その音大の先生も、その弦楽四重奏に編曲する際にピアノ版を作って、大阪のヒルトン・ホテルでオードリー作品のピアノ演奏をされたんですよ!僕も見にいきました。仕事が終わってからだったので、全部は見れなかった(特に「おしゃれ泥棒」を見逃した!)のが今でも心残りです。

 大きく脱線しましたけど、次は写真パネル展のことが載っています。今回は映画祭で上映される5作品をメインに飾ってあったようです。

 それと次は二子玉川エクセルホテル東急30階でのグルメ案内。6月中はオードリーが大好きだった「スパゲッティ・アル・ポモドーロ」がメニューに加えられていたことと、12日にはアフタヌーン・ティー・サロンとして清藤秀人さんのトークとともにお昼をいただけたことがわかりますね。

 最下段には5月6日から公開されている映画「オードリー・ヘプバーン」のことが載っています。まあ映画もスター・チャンネルの提供だったから当然ですね。

 さて、チラシ全体を見ておおっ!と思うのは、「おしゃれ泥棒」の画像が全てレアもの、だということでしょうか。
 他のは、うーんよく見るよね、っていうものですが、「おしゃれ泥棒」だけはなぜか非常にレアものばっかり!これは嬉しいですね!
 このチラシは「おしゃれ泥棒」で価値が上がっていますね。どれも写真集未収録のものばかり!

 それと、「ローマの休日」の写真には表の写真にも裏の写真にも著作権マークがないんですよね。「ローマの休日」って画像の許可もいらないのかなーと思いました。
 いや、「パリの恋人」にはパラマウントの著作権が書いてありますし、パラマウントもわかってるんでしょうけどね。
  
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2022年02月18日

「オードリー・スペシャル '92」チラシ

 今回は「オードリー・スペシャル ’92」のチラシの紹介。

 これ、1991年に「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」と「暗くなるまで待って」の配給権を、日本ヘラルド(現、KADOKAWA)が手に入れた時の上映のチラシです。

 日本ヘラルドって、メジャーな映画会社が “もう観客動員は見込めないだろう”と放置してきた昔の名作を、1984年から続々とリバイバルしたんですよね。
 そしたらこれがめっちゃ当たって、続々と旧作がリバイバルされて行ったんですよね。

 ヘラルドさんは映画会社ごとに契約をしてて、最初はMGM/UAだったので、ヴィヴィアン・リーの「哀愁」とか、オードリーだと「噂の二人」なんかが上映されたんですよね。次はパラマウントで、「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」などがリバイバル。
 そんな旧作の中でも特にオードリーの映画がヒットしたので、だんだん日本ヘラルドさんもオードリー作品に集中していくようになってました。

上記の他に、「ティファニーで朝食を」「パリの恋人」「マイ・フェア・レディ」「シャレード」が86年・87年にリバイバル。それらのリバイバルのおかげで、87年5月号の「スクリーン」の人気投票では、とうとう第7位に入るという、ベスト10にも5年ぶりに復活。

 でも82年5月号での「スクリーン」で人気投票第8位は、マニアックな人の支持で8位というか、落日の8位という感があったのですが、この1987年の第7位は全く別。

 この85年「噂の二人」からのオードリー作品のリバイバルは、往年のファンだけじゃなく、“リアルタイムでオードリー・ファンだったお母さんに連れていかれた娘さん”って若い層にもオードリー・ブームに火がついたんですよね。

 1987年7月号のアサヒグラフにはオードリーの特集が組まれるほど、社会現象になっていくんですよね。
 この日本ヘラルドの好調ぶりを見た本家の映画会社も手元に残っていた「暗くなるまで待って」(ワーナー)、「戦争と平和」(UIP=パラマウント)を87年にリバイバルするという、87年までの3年で9本もの作品がリバイバルされたんですよね。

 だからその後も日本ヘラルドさんによって88年「パリで一緒に」「緑の館」、89年「昼下りの情事」と続々とリバイバルがありました。

 …でも、僕としてはとっても気になる作品がまだリバイバルされてなかったんですよね。「噂の二人」や「パリで一緒に」までリバイバルされているのに、僕の1番好きなオードリー作品の「いつも2人で」がまだ来てない!

 やっぱりこの作品はオードリー作品では毛色が違うからリバイバルしてくれないのかなーとかヤキモキしてました。
 よく考えれば「おしゃれ泥棒」もまだやんか、ってわかるんですけど、なんせ1967年の初公開時の興行成績はそこそこ良かったのに、まだ1度もリバイバルしていない「いつも2人で」ですから、当時の僕は不安で不安でたまらないわけですね。

 それがやっとやっとということで待ちに待った「いつも2人で」と「おしゃれ泥棒」、そして87年にワーナーがリバイバルしたものの、権利を取り直して日本ヘラルドから再度「暗くなるまで待って」の3本が「オードリー・スペシャル '91」としてリバイバルされたのが1991年になります。
 もうもうめっちゃ嬉しかったです!それが全国で上映されるにつれ、年を超えてしまったのが「オードリー・スペシャル '92」になってるこれです。

 オードリーのブームも落ち着いた後、1990年代後半か2000年代初頭に日本ヘラルドさんに直接電話して伺いましたけど、「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」のリバイバルが遅れたのは、別にこの2作をリバイバルする気がなかったからではなく、20世紀フォックスとの契約が取れたのがやっとそこになってからだったそうです。
 じゃあ20世紀フォックスの多いマリリン・モンロー作品もここらに多く出たんでしょうかね。

 20世紀フォックスさん、なかなかしぶとかったんですね。でもそれなら本家で先に「おしゃれ泥棒」や「いつも2人で」を上映してくれても良かったのに…。
 でも、20世紀フォックスさん、ディズニーに吸収合併されしまって、今は20世紀スタジオと名乗ってるんですね。別部門だったらそのままの名前でいいのに…って思います。

 ソニーは自分のところの傘下に置いてもコロンビア ピクチャーズって昔の名前そのままでやっているのに、合併した途端往年のメジャー会社の社名をわざわざなくしてしまうなんて、なんか最近のディズニーって僕の中では悪徳商人みたいにイメージ悪いんですよね。

 さて、このチラシは東京にあった自由ガ丘武蔵野館っていう映画館での上映のもの。
 「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」がリバイバル初上映のチラシなのに、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」の間の宣伝写真がメインビジュアルってのが、モノクロ50年代ばっかり推しになってしまった闇を感じますね。

 なお91年の大阪では、87年にもリバイバルしたばっかりのため外されていた「暗くなるまで待って」が、こちらでは入っていますね。
 過去に東京でリバイバルした「麗しのサブリナ」と「パリの恋人」を含めて日本ヘラルドの新しく権利を取った「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」の計5作品で、各作品上映期間は10日ずつ、「いつも2人で」だけ11日の計51日で組まれています。

 映画館からしたら51日もオードリー作品だけで上映し続けるって、大変なことですよ。普通の作品ならとてもリスキーですけど、オードリーだから信頼されていたんでしょうね。

 上映時期は1月15日から3月6日まで。ちょうど30年前の今頃、自由が丘で上映してたんですね!
 いやいや、僕も30年も経ったかと思うとすごいなーと思いますね。「オードリー・スペシャル」まで生きていた人生よりも、その後の30年の方が長くなってしまいましたもんねー!

 今回は何を書こうかなーと、大阪の「オードリー・スペシャル'91」のチラシを6年前に紹介した自分の記事を読んでいたら、自分でもびっくりするくらい良く書けてあったので、自画自賛でそちらを読んでいただくとして。

 この日本ヘラルドの往年の作品のリバイバルって、ある意味小さな映画館にとっては救いだったんじゃないかなーとも思えるんですよね。

 昔の映画館のシステムの話を高校生の親戚にしていたら、ビックリしてました。昔は映画館って1館で1つしかシアター(スクリーン)は無かったんだよー、1日中同じ映画を何回も掛けてたんだよー、今みたいに全国一斉じゃなくて、まず東京の銀座界隈にある最も格の高いチェーンマスターと呼ばれる映画館で上映してから、大都市、2番館→地方都市→名画座って流れていったんだよー、昔は1500人以上も入れる巨大な映画館が存在したんだよー、って言ったんですが、本当に今のシネコンしか行ったことの無い若い人は全く知らないのでしょうね。

 ちょっと脱線しましたが、昔の小さな映画館って、大きな封切館で上映したものがだいぶ遅れてやっと上映の権利が回ってくるんですよね。
 二番館、三番館、名画座とかって格も決められてたんですよね。
 しかも名画座とか地方の映画館だと2本とか3本の同時上映は当たり前。1つのスクリーンで各作品交互に上映してやりくりしていたんですよね。

 昔映画グッズのお店だったチネアルテさんに教えてもらったのは、「オードリー・ヘプバーン ワンウーマンショー」は「華麗なる相続人」が名画座で上映できるようになったから他の当時まだ権利の残っていたオードリー作品とともに上映した、とのこと。
 いつから上映できるか、とかも厳格に決められていたんですね。

 あと、昔の映画雑誌に、動員数で書けないのは、名画座とかは映画1本いくらで買い切りみたいなシステムだから、動員数がわからないということが書いてました。
 どうりで、日本では歴代の調整ができないわけですよね。

 でもどう考えても、ほとんどの人が月に何回も映画に行くという映画が娯楽の王様だった時代に社会現象になった映画と、今の大ヒットじゃ、本当は昔の映画の方が動員数もインフレ調整したら収入も圧倒的にすごいだろうなーというのはわかりますよね。

 そうそう、今度僕のもうひとつのブログ「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」で、“もしインフレ調整したら、オードリー作品は今どれぐらいの興行収入になっていたのか”というのを書こうと思っています。

 …とまたまためっちゃ脱線しましたけど、そういう小さな映画館だったところは、安い値段設定で大劇場の出がらしみたいな作品を周回遅れで上映しなければならなかったわけですね。

 でも日本ヘラルドさんが往年の名画のリバイバルをしてくれたおかげで、大規模なチェーンマスターの映画館では掛けるほどじゃ無いけど、宣伝をしなくてもある程度の集客は見込めるという、リバイバル作品の封切館という受け皿になって行ったと。

 そうするとあまり高い権利金を払わずに、大規模映画館と同じだけの鑑賞料が取れるという、小さな映画館にとっては願ったり叶ったりのことになったわけですね。

 なのでこの時代から昔の安い・2本立てという名画座は急激に数を減らして行くんですよね。二番館、三番館、名画座という格付けが崩壊して、街の代表的な映画館は新作の超話題作、少し小さい映画館が新作の2番手作品、小さな映画館はアート作品やリバイバル作品、という風に往年の上下の関係じゃなく、棲み分けのできた並列の関係になって行くんですよね。

 でもこれもリバイバルが底をつき、さらに映画人口が減っていき、シネコンというものが郊外から出来始めるとさらに崩壊して行くんですけどね。
 80年代後半〜90年代に小さな映画館を支えた日本ヘラルドのオードリーリバイバルでもあったわけですね。

 でも悔しいのは、「おしゃれ泥棒」「いつも2人で」「暗くなるまで待って」がメインのはずなのに、モノクロの50年代オードリー信仰がもう始まっていて、メインで使われていないこと!
 よく見る画像を使ったため、このビジュアルで受ける印象は「平凡」。せめて鉄兜オードリーをメインにして欲しかったです。

 なお、裏面には「パリで一緒に」のことも文章では書いてあるんですが、表面・裏面ともに「パリで一緒に」の画像は一切無し。
 なんでしょうね。企画の段階では上映の予定があったので「パリで一緒に」のことも書いてもらったけれども、「パリで一緒に」は外されてしまったんでしょうかね。
 「パリの恋人」のことも書いてあるので、よくありがちな「パリの恋人」と「パリで一緒に」を混同した、ということでもなさそうです。 

 1992年の今の時期というと、オードリーはもう余命1年もありませんよね。それでもまだオードリー自身ももちろん僕らも、誰一人そんなことは思いもよらなかった時期。
 でもオードリーが亡くなった時に、すぐに追悼上映ができたのは、当時日本ヘラルドさんで働いていて、オードリー作品をいっぱい買い付けてくださった社員さんのおかげです!
  


2021年07月09日

「スクリーン」1957年2月号表紙 衣装について

 今回は「スクリーン」の1957年2月号の表紙の紹介。

 なんか確認してみると「パリの恋人」って2019年以来紹介してないんですよね。しかも最後の紹介はオードリー・ヘップバーン映画祭のパンフレットの話で、「パリの恋人」単独じゃないし。

 その前は同じく19年の1月に“午前十時の映画祭”のチラシで「パリの恋人」を紹介してるものだし、ちょっと「パリの恋人」としては弱い。

 となると実質2018年12月の「映画の友」以降は「パリの恋人」の紹介がないので、今回は「パリの恋人」で探しました。
 で、今回選んだのはこの「パリの恋人」の宣伝写真を使った「スクリーン」の表紙。

 今回も本体は既に持っておらず、切り抜きしたものだけなので、本文にどういうオードリーのことがあったのか、自分の持っている切り抜きの中でどれがこの号の中身なのかがわかりません。

 なので今回はこの表紙だけのお話です。その中でも特にこの衣装のお話。
 こういうのは僕のもうひとつのブログ、「おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!」の方に向いているんですけど、それに載せるにはちょっと小粒なので、こちらで書きました。

 まず57年2月号というと、1956年12月発売ですね。
 なんども書いてきたように、昔は撮影中から画像や情報を出して宣伝していくのが普通でしたよね。
 今みたいに、いよいよ公開前になって突然宣伝が開始するのとはやり方が全然違います。

 まあ昔は今みたいにネットでなんでも調べられる、という時代ではありませんから、人々に浸透させるには長い期間が必要だったのだろうと思います。

 なので、昔の人はこういう「パリの恋人」のオードリーだったら、撮影は前年の1956年に行われていた、というのは雑誌とかで見てご存知だったし、それが常識だったのだろうと思います。

 でも今の人たちはそういう事情とかは知らないので、オードリーのタイムラインに立つ事も無く、「パリの恋人」だったら1957年製作ってなってるから、オードリー28才。って書いちゃうんですよね。

 だから、ネットで “パリの恋人 オードリー 28才”って調べると、「オードリーはこの時28才」って書いてある人のなんと多いことか!
 ほんのちょっと調べると、本国アメリカでの公開は1957年2月ですから、まだオードリーは1957年の誕生日は来てませんよね。なので公開時はまだ27才ということは簡単にわかるんですけどねー。

 しかも正確には「パリの恋人」の撮影は56年4月からなので、「パリの恋人」で僕らが見ているオードリーは26才〜27才が正解、ということになります。

 さてこの表紙の衣装ですが、グリーンのサテンっぽいですよね。なので「スクリーン」という雑誌名や2月号の2という文字もその色に合わせてデザインが組み立てられています。

 でもこれ、ずっと僕は「パリの恋人」のジョーがフロストル教授と初めて会うときの、目の覚めるようなブルーのサテンのガウンだと思っていたんです。
 それが昔のまだ発達していない着色のように見えてしまうカラー技術のせいで印刷でもこういうグリーンに変わってしまっているのだと。

 実際、雑誌「FLIX」の特別追悼号「オードリー・ヘプバーン 永遠のプリンセス・魅力のすべて」という特集号で、ちゃんとブルーに写った画像も載っていましたし(2枚目の画像)、それで僕の中では解決していたんです。

 でもね、ドキュメンタリー「AUDREY」 のトレーラーを紹介した時など、今でもこの衣装がグリーンになっていたりするんで(トレーラーの開始30秒の部分)、今回きっちり調べようと思ってチェックしました。

 そこでわかったのは、この「スクリーン」の表紙の衣装は、「パリの恋人」で着た水色のガウンではない!ということ。

 もしかしてブルーとグリーンで同じものが2色ある?とも思ったんですよね。
 でもこの表紙をよーくみるとわかるんですけど(このブログの写真ではわからないかもしれませんが)、首の部分から肩、腕にかけて前後で縫製されているのがはっきりわかるんです。

 対して「パリの恋人」でフロストル教授に会うシーンで着ているブルーのは1枚布のような、貼り合わせのないもの。「オードリー・ヘプバーン 永遠のプリンセス・魅力のすべて」で着ているものも、その貼り合わせがありません。
 しかもこちらのグリーンの表紙の画像には襟らしきものもありますしね。

 じゃあこのグリーンサテンの衣装は他の写真では見当たらないかな?と思って、まず頭に浮かんだ衣装があって、その記憶をたどって、今度は「FLIX」の「オードリー・ヘプバーン特集号 マイ・フェア・レディ30周年記念版」の中のピンナップ写真を見てみましたが(3枚目の写真)、これはハズレ。フード部分と肩の部分が別生地になっていました。

 「パリの恋人」本編でのオペラ座のグリーンのサテンの衣装か?とも思いましたが、そちらもこの表紙とは形が違いました。フードもありませんしね。

 まあとにかくこの表紙のグリーンのサテンと「パリの恋人」本編のブルーのサテンは別物だというのはわかりましたが、今度はおかしいなと思ったのがドキュメンタリー「AUDREY」 のトレーラー。

 ここで使われている画像と、「FLIX」の特別追悼号「オードリー・ヘプバーン 永遠のプリンセス・魅力のすべて」に載っていた画像は全く同じもの。
 なのに「FLIX」はブルーで、ドキュメンタリーはまるでこの表紙のようなグリーン。

 でも「FLIX」の特別追悼号が出た1993年にはまだPhotoshopなどもまだそんなに発達しておらず、加工とかは普通ではない時代。
 それと比較して、ドキュメンタリー「AUDREY」は現代ですから、加工がむしろ当たり前の時代。

 原版のポジフィルムで見ればはっきり色がわかるのでしょうが、単なる古い印刷物やそれを元にしたデジタル画像の場合、経年劣化で色が退色&黄変している可能性があります。
 青いものに劣化の変色の黄色が乗った場合、当然混ざると緑っぽくなります。

 なのであんまり事情を知らない加工担当の人がこういうグリーンぽくなってしまった画像を見て、これはグリーンだな、と思ってさらにグリーン寄りに加工したのだと思います。

 実際、「FLIX」の写真ではバックに色や影がありますが、ドキュメンタリー「AUDREY」では真っ白になってますもんね。明らかに人の手が入ってます。

 印刷技術が格段に進歩して、昔の写真もポジさえあればまるで昨日撮影したかのように綺麗になるのはいいんですが、オリジナルに忠実ではない余計な加工技術は僕は嫌いです。
 「ローマの休日」の街着のスカートでも“午後の紅茶”の宣伝以来、着色のせいでブルーだと思ってる人の方が一般的には多いですしね。本当はベージュだったんですけど…。

 まあ違いがわかって自分的にはよかったですけど、現代のいい加減な加工のことではモヤモヤしてしまったのでした。
  


Posted by みつお at 20:00Comments(2)パリの恋人スクリーン

2019年06月25日

スター・チャンネル オードリー・ヘプバーン映画祭パンフレット



 今日は、行けなかった僕の代わりに行ってくれた友達が送ってくれた“スター・チャンネル”主催の“オードリー・ヘプバーン映画祭”のパンフレットの紹介。
 まあ売っていたのではなく、無料で置いてあったものなのでプログラム、というのが正しいかもしれませんが。

 この映画祭でパンフレットを売る、というのは“オードリー・ヘプバーン映画祭”の公式サイトに書いてあったんですが、それは問い合わせをしたところ新たに作るものではなく、過去の映画パンフレットを売るだけとのこと。
 新しいパンフレットは作らない、ということだったのですが、無料で配布する冊子は作るとのことだったので、めっちゃ気になってました。

 実際届いてみると全20ページで、しっかりオードリーや作品の解説が載っており、中身はもう完全に映画パンフレット!これを無料で配るとは!
 まあこれを映画パンフレットとして売ると、売上を各オードリー作品の映画会社に分配しないといけないので、却って赤字になるからかもしれませんが。

 なので建前上は“無料で配る映画祭の宣伝の為の販促物”なのかもしれませんが、これは新しいオードリー・ヘプバーン映画のパンフレット!と言っていいと思います。それくらいの内容。

 iTSCOM STUDIO & HALL 二子玉川ライズでのパネル展で置いてあったのは最初の↑の画像のような感じだそうです。

 “えっ!4種類も!?”と思いますが、友人が“4種類に見えるけど、2種類やでー”と言ってました。
 表と裏と両方をそれぞれ見せているだけで、実際は2種類しかないとのこと。

 表紙がブルーの「ティファニーで朝食を」版(裏表紙はピンクの「昼下りの情事」)と、グレーの“自称”「麗しのサブリナ」版(裏表紙黄土色の「ローマの休日」)。

 でもこの自称:「麗しのサブリナ」っていう画像、「麗しのサブリナ」じゃないですよね。
 メイクも髪型も全然違うし、これは「ローマの休日」撮影後で「麗しのサブリナ」撮影前の間に撮影されたオードリー本人の宣伝写真。

 むしろ「ローマの休日」寄り。この撮影の時に「ローマの休日」のネグリジェの衣装で宣伝写真を撮っているのがボブ・ウィロビーの写真とかで残ってますよね。

 著作権者はパラマウントになってますけど、まあパラマウントは過去にニコスカードの提携で明らかに「パリの恋人」の画像も「麗しのサブリナ」ということにしてましたし、「パリの恋人」DVDで「麗しのサブリナ」画像を使ってジャケットを製作したりしてましたから、権利者でも実は写真の扱いはちょっといい加減。

 さて最初のページを開いてみると “あれっっ??”…。

 ティファニー版の表2(表紙の裏側にあたるページ)は自称「麗しのサブリナ」版の表4(裏表紙)だった「ローマの休日」。

 もしかして…と思って表3(裏表紙の裏にあたるページ)を見ると、そこには“自称”「麗しのサブリナ」が!
 “自称”「麗しのサブリナ」版の方も確かめると、表2が「昼下りの情事」、表3が「ティファニーで朝食を」!

 ということは結局表紙だけ裏表を替えて2種作っただけで、実際の中身は1種類だけ、ということになりますね。

 さて、本文の1ページめに当たるところはこの映画祭で上映する作品の画像集になってますね。え?なんでこんなに見え難いのか?ですか?

 これ、実際にこんな薄い感じなんです。モノクロ写真を特色グレー(あるいはシルバー)と色の掛け合わせで載せてるので、元々がグレーなので薄いんですよね。

 紙は表紙も本文も同じです。上質系の紙で、お安いけど写真には向いてない。表紙も元々モノクロ画像の「ローマの休日」・自称「麗しのサブリナ」・「昼下りの情事」とかは大丈夫だけど、スター・チャンネルが手に入れたのがカラーかモノクロかは知りませんが、本来カラーだったはずの「ティファニーで朝食を」は肌に陰影があるぶん紙目が見えて汚くなってますもん。

 2ページ目はオードリー生誕90年の序文と映画上映のスケジュール。
 以前のチラシの紹介でスケジュールは載せたので、ここでは割愛。

 3ページ目からは上映作品のストーリーと解説が始まります。上映順でもなく、制作順でもないこの並び方はどういう基準?
 まさかとは思いますけど、「初恋」「若妻物語」「ラベンダー・ヒル・モブ」の順に並んでるこれを制作順だと思ったんじゃないでしょうね?
 「パリの恋人」と「昼下りの情事」も順番が逆ですけど…。

 「初恋」の解説はバレエのことに焦点を当てて書いてますね。「若妻物語」は劇場初上映とのこと。まあ日本初上映ですよね。
 
 次のページの「ラベンダー・ヒル・モブ」も劇場初上映ってなってますけど、日本初上映ではないですよね。東京のフィルムセンターで既に上映済み。
 それと「麗しのサブリナ」の紹介。

 次は「昼下りの情事」「パリの恋人」、その次は「ティファニーで朝食を」と「噂の二人」、さらにその次は「おしゃれ泥棒」と「いつも2人で」です。
 うーんと「いつも2人で」の解説ですけど、“バーバリーのトレンチコートなどを披露”って書いてますけど、映画の中で披露してましたっけ?撮影スナップでは確かに着てましたけど、1回目の旅の衣装の上から羽織ってたんですが、1回目の旅だとバーバリーなんて絶対買えませんよね?

 その次は「女優として、そして一人の女性としてのオードリーをさらに知るためのトピックスをご紹介します」とのことですが、ここも割と知ってる事のみで構成されているので割愛。

 ちなみにオードリーが楽屋のナンバー55を所望、というのは一体どこから出てきた話なんですか?なんか最近当たり前のように話されるんですが、出典を見つけることが出来ません。

 だいたいトレーラーを使うことの多いスターが、楽屋って使うのかな…。しかも55ってどこにでもあるものなのかな?あったとしても、主演女優の使う物としてどこでも十分な広さがあるものなのかな?
 などとかなり眉唾モノじゃないかと疑ってるんですが…。もしwikiやそれを元にした話以外の出典をご存知でしたら、教えてください。m(_ _)m

 次のページからは今回の映画祭で上映されない残りの作品に触れています。が、「オランダの7つの教訓」「若気のいたり」「ニューヨークの恋人たち」は載っていません(英語版「モンテカルロ・ベイビー」も)。これはスター・チャンネルで放送されないものは全て省かれた、ということですね。

 p14には「オールウェイズ」と共に、ショーンが語るオードリーの思い出とユニセフのことが載っています。

 p15はオードリー映画祭の案内。パネル展やトークショー、ミニコンサートなどの案内。

 p16は二子玉川エクセルホテル東急でのコラボメニューと清藤秀人さんの紹介。書いてないのでわかりませんが、このパンフレットの文章は清藤さんが書いたのかな?

 内容的には可も無く不可も無くなんですが、こうして新しいパンフレットが作られたことが嬉しい!

オススメ度:★★★

 なお、映画祭では他にも色々とチラシがあったみたいなので、それらを次々と紹介して行きますね。
  


2019年01月20日

“午前十時の映画祭9”「パリの恋人」チラシ、とスター・チャンネル続報

 みなさん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 今日はオードリーの命日です。もう亡くなって26年が経ちます。そうか、もうそんなに経ったのか…と思いますよね。
 僕にとってはオードリーが生きてる時からファンなので、いつまでも現役の女優さんなんですけど、10代20代の若い方にとっては伝説の女優なんですよね。

 僕がヴィヴィアン・リーのファンになった時は既に亡くなっていましたが、それ以上に今の若い方にとってはオードリーはもっと前に亡くなっていることになるんですよね〜、なんかスゴイ…。

 さて今回はこないだの年末年始にリバイバルしていた「パリの恋人」を含む “午前十時の映画祭9”でのチラシです。

 僕は年末の29日に友人と大阪ステーションシネマで観てきましたが、やっぱり良かったです!とっても楽しめました!
 見終わった後、一緒に行った友人に「パリの恋人」のエピソードをちょこっと話していたんですが、そしたら前に一人で来て座っていた男性が振り向きましたが、20代くらいの超イケメンさんでした。
 こんな若い人も来てくれてるんだー!と思いました。

 今までもオードリーの映画がリバイバルされる度に劇場に足を運んでましたが、最近は結構お年を召した方が多かったし、若い方は女性が多かったのですが、若い男性もファンになってくれてるんやー!と嬉しくなりました。

 公開が終わった1月3日以降にネットでの反応を調べてみましたが、若い人にもかなりの高評価!ありがたいですね〜!(^-^

 まあ100人に1人くらいはオードリーとフレッド・アステアの年が離れ過ぎてて、製作者のおっさんの願望が透けて見えて胸糞悪いとか、半ばがダレるなどという意見もありましたが、そっちの方がかなり特殊な意見。
 それらの批判的な意見でもオードリーだけは別。というわけで、オードリーは100%高評価!

 実際初公開時にも女性ファンに大好評だったのでしょうが、この後「昼下りの情事」を撮って以降はオードリーの演技派への挑戦が始まるんですよね。

 ガラッと毛色の変わる「尼僧物語」「緑の館」「許されざる者」の第2期のオードリー、そして「ティファニーで朝食を」「噂の二人」の問題作で幕を開ける第3期のオードリーを考えると、よく当時のファンは離れなかったなーとありがたい思いでいっぱいです。

 まあ実際当時の興行収入は、大ヒットの「許されざる者」以外はオードリーにしてはイマイチな感じだったみたいなので、作品の出来とは別にオードリーに観客が求めているものとはやはり違ったのかなーとは思います。

 初公開時オードリーの日本での配給収入のワースト記録を作った「緑の館」、続いて水準ヒットで終わった「尼僧物語」、そのあとに「許されざる者」の大ヒットで盛り返して、「ティファニーで朝食を」がまたまた水準ヒットで終わり、「噂の二人」で「緑の館」を抜いてワースト記録を更新、っていう流れ。

 今じゃオードリーらしい代表作の「ティファニーで朝食を」も、当時の観客からしたら “オードリーが娼婦だなんて!”と違和感ありまくりだったのでしょうね。

 そのあとに「シャレード」が出て劇場に大行列ができるほどの超大ヒット、「パリで一緒に」もこれまた大ヒット、そして「マイ・フェア・レディ」が出て42週大ロングランの超超大ホームランでオードリー作品の頂点を作るのをみれば、映画ファンがオードリーに求めるのはやっぱりロマンティック・コメディなんだなーとわかりますよね。

 でも、映画ファンではなく本当のオードリーファンならお堅い尼僧であろうと失敗と言われる森の妖精であろうと、オードリーが娼婦であろうとLGBTだと噂されようと、全然動じません!
 当時の本当のファンも離れなかったのが人気投票でわかりますよね。2期と3期はオードリーが「映画の友」でも「スクリーン」でも連続1位を獲得していた人気の頂点だった頃。

 当時の同年代の女優が数年で人気を落としていく中で、オードリーだけが絶対に落ちないので驚嘆されていましたが、21世紀になっても生誕90周年にもなっても没後26年経っても人気が続いていてリバイバルされてるっていうのは当時の人たちでもまさか思いもしなかったでしょうね〜。

 そういえば“午前十時の映画祭9”の事務局オフタイムの「パリの恋人」の動画で “「いつも2人で」を見たファンはがっかりしただろうなー” なーんて言われているのですが、とんでもない!

 いまのライトなファンは知りませんが、当時の律儀なオードリーファンにとってむしろ「いつも2人で」は大好評!「スクリーン」では前年の3位から「いつも2人で」が出て1位を奪還しています。

 事務局オフタイムの新春スペシャルではもう既に次回 “午前十時の映画祭10FINAL” の作品が出揃っているような口ぶりです。
 オードリーは「ローマの休日」以外に何が入るんだろう…とドキドキ。願わくば「いつも2人で」「暗くなるまで待って」「尼僧物語」のどれかが入って欲しい!

 ちなみに、小沢健二の居たフリッパーズギターの「カメラ!カメラ!カメラ!」のPVでは「パリの恋人」のドアのシーンをイメージしたPVが作られています。

 さらにもう1組、もっと最近の二人組の男性デュオのアルバムの曲のMVでも「パリの恋人」のドアをモチーフに作られていたのが有ってネットで見たのですが、誰の何という作品だったか忘れてしまいました。超有名な2人組だったのになー、うーんうーん…。
 どなたかご存知でしたら教えてください。m(_ _)m


 さて昨年からお伝えしているスター・チャンネルの “麗しのオードリー” の放映ですが、2月と3月の予定を伺いましたので、掲載しておきますね。

2月
 「パリの恋人」
 「パリで一緒に」
 「麗しのサブリナ」
 「マイヤーリング」
 「昼下りの情事」
 「シャレード」
 「華麗なる相続人」
  の主にパリ特集。

3月
 「昼下りの情事」
 「シャレード」
 「緑の館」
 「噂の二人」
 「ロビンとマリアン」
 「ローマの休日」
 「パリの恋人」

 このうち、「緑の館」はシネスコープサイズのハイビジョン放送なのか問い合わせ中です。

 現在「緑の館」はTSUTAYAでだけDVD-Rの簡易版が発売中ですが、そのスペックは今の時代にスタンダードサイズのDVD画質。
 横を切られているのか、スタンダードサイズにレターボックス状態で収録しているのか知りませんが(あまりにも仕様が酷いので僕ですら買っていません)、画質が最低に近いのはわかります。
 なのでもしこれがワイドのハイビジョン放送ならまるさんもおっしゃってたように加入する価値はあるかも!です。

 そして今スター・チャンネルの無料放送で「映画をもっと」という番組で繰り返しオードリーのAtoZというのをやっていますが、めっちゃ気になったのがMの「My Fair Lady」の部分でウィキペディアのオードリーの項目そのままの文章で、“「今に見てろ」の序奏部分”とやっちゃってます。

 こちらに来てもらってる方ならご存知でしょうが、「今に見てろ」のオードリーの声は、A-B-Aという三部形式のこの曲でのAの怒ってる部分全部です。序奏部分だけじゃありません。

 他も「踊り明かそう」の一節、「スペインの雨」での台詞と歌の掛け合い部分だけとWikipediaそのまんま!
 僕も何度も書いてますが、オードリーに関するウィキは間違いがめっちゃ多いです。みなさんも鵜呑みにしないでくださいねー。

 そしてそれに “オードリーの声はこの3シーンのみ” のナレーションと共にオードリーの映像が付くのですが、映像を編集した人が「マイ・フェア・レディ」をちゃんと見てないのか区別できないのか、オードリーの部分もマーニ・ニクソンの吹き替え部分も一緒くたに放送。

 放送作品を訊くついでにこのことが残念だ〜と以前話したら、なんと!今現在修正をするという方向で動いていると教えていただきました!
 ついでにその際にオードリーとマーニの声の違いもテロップ出ないので一般の人にはわかりにくい、とも伝えておきました。

 なお、修正バージョンが出来て放送される際にはご連絡いただけることになっています!正しいバージョン楽しみ!
 逆に今の間違ってるバージョンも貴重かもです。
  


Posted by みつお at 12:00Comments(40)パリの恋人

2018年12月20日

リバイバル直前!「パリの恋人」応援「映画の友」1957年10月号

 本日21時よりNHK BSプレミアムで ザ・プロファイラー「“永遠の妖精”の知られざる苦悩〜オードリー・ヘプバーン」が放送されます。
 実は僕のブルーレイにも自動予約が前から入っていて、この記事の序文にさらっと書こうと思ってはいたのですが、この記事自体がかなりな大部になってしまって、結局放送当日になってしまいました。

 ニコさん、ぽんさん、カリンさんからもご連絡をいただきました。ありがとうございます。
 明日から「パリの恋人」公開なので、こちらの記事を優先しましたが、なんとか間に合いました!
 お返事は追ってさせていただきますね。

 今日見れなくても、26日に再放送があるようなので、見逃した方は再度チャンスがあります。

 いよいよ明日21日から2週間、1月3日まで年末年始にかけて “午前十時の映画祭9” で5年ぶりにリバイバルされる「パリの恋人」の応援のために今回は「映画の友」1957年10月号の紹介。

 これ、表紙はキム・ノヴァクですが、中身はオードリーの大特集!

 キム・ノヴァクって僕の時代では既に過去の女優さんのような感じでしたが、名前だけは知っていました。後にアガサ・クリスティの「鏡は横にひび割れて」を映画化した(そして平凡な出来の)「クリスタル殺人事件」でも見ましたが、特に何の印象も無く…。

 今見ると、いかにも50年代の女優さん!って感じの美しさ。現在はどうなってるの?と思って検索すると…えっ!なに、この不自然な歳の取り方!ムムム…。

 実は当時の雑誌でも、表紙がオードリーってのがよく今でも掲載されますけど、実際には中身にはオードリーがいなかったりすることが多いです。

 まあそうですよね。当時は特にカラーページは貴重。
 そしたら表紙で出ちゃったら、中身ではカラーは使えない。よく考えたら中身に新作の紹介とか記事がないから苦肉の策で表紙に使ったりするわけで…。

 この号の最初のカラーグラビアはマリリン・モンロー1pとアンソニー・パーキンス2p(その裏は広告)。

 間もなく「緑の館」でオードリーと共演するアンソニー・パーキンスって本当にこの頃は大人気だったようですね。
 50年代前半がモンゴメリー・クリフト、50年代真ん中にジェームス・ディーン、そして50年代後半がアンソニー・パーキンスというのが青春スターの代表だったようです。これは60年代になるとアラン・ドロンに引き継がれて行きますね。

 その後にモノクロ・グラビアが続き、その後の本文ページトップでオードリーが出てきます!

 本文ページといってもオードリーの特集はカラーと単色ページが交互に出てくる(紙の裏表で)部分で、この当時としては破格の扱い!

 そしてこの57年というのは8月に「昼下りの情事」、9月に「パリの恋人」とオードリー作品が日本で連続公開された時期(公開順は撮影と逆になったけど)。
 ついでに言うと56年年末〜57年年始は「戦争と平和」が公開されていたので、この年は何と3本もオードリーの新作を見られるという羨ましさ!

 なのでこの時の「映画の友」や「スクリーン」は「パリの恋人」と「昼下りの情事」が両方バンバン載っていると言う豪華な内容になっています。
 この号も「パリの恋人」「昼下りの情事」、どちらで紹介したらいいのかわからないくらいです。

 ですが、今回「パリの恋人」としてこちらを紹介したのは、裏表紙の広告が「パリの恋人」だったから。
 「昼下りの情事」はまた別の号を紹介しますね。

 さて、まだ「昼下りの情事」も「パリの恋人」も公開前なのですが、映画評論家は既に試写会で鑑賞済み。
 そしてこれだけの特集が組まれるのは、それだけこの2作品ともが映画関係者に与えた衝撃が凄かったということ!

 「ローマの休日」が出た時も映画関係者に与えた衝撃は大きかったけれども、次の「麗しのサブリナ」は女性はともかく男性の批評家には受けは悪かった。
 当時は50年代らしさとはかけ離れたあまりに新しいオードリーのルックスもあって、すぐに人気がなくなるだろうという予想も多かったようです。

 その後にブームも落ち着いて人気投票でも一気に転落。このまま消えて行くのか…と思われた矢先に超大作「戦争と平和」で主演、大ヒット。
 でもこれはオードリー云々というよりも原作と超大作の力。

 まだオードリー自身の力は未知数…と思ってたところにやってきたのが「パリの恋人」と「昼下りの情事」。
 その2本を見た映画関係者は、どちらもがあまりの傑作にめっちゃビックリ!

 ここで初めて映画関係者はオードリーは本物だ!という認識に変わったようです。
 読者の人気投票でもそれは現れていて、オードリーの今に続く人気を獲得したのは「ローマの休日」ではなく、「パリの恋人」と「昼下りの情事」があったからです。1位が定位置になるのもこの2作品の時から。

 それほどオードリーにとって重要な作品だったのが「パリの恋人」と「昼下りの情事」。

 ここでの特集でもいろんな人がこの2作品のオードリーをベタ褒め。この号でのオードリー関連の記事は15pプラスαもあります。

 まずは特集の最初のページ。「パリの恋人」の美しいカラーから。
 ここでの見出しがまずすごいです。

 “オードリーは天才か、チャンスの女優か。彼女の個性、魅力、人気の総てを探る”
 “特集・今秋の話題をさらったオードリイ・ヘプバーン”

 もう如何に映画業界が感嘆したかが表れていますよね。

 次のページからは映画評論家の南部圭之助さんによる“オードリイ・ヘプバーン解剖”という6pに及ぶ記事。
 この中でも南部さんは撮影中には「パリの恋人」にも「昼下りの情事」にも特段の期待をしていなかったのに、「パリの恋人」を見てオードリーの使い方に驚嘆し、「昼下りの情事」を見て南部さんにとって初めてビリー・ワイルダー監督を完全に認めることになった、と書いています。

 “この二つの映画は同じように現代の巴里を背景に使いながら、全く違った世界(芸術上の)に住んだ新作”
 “その両方にオードリーが主演者となってこの秋の話題は彼女に集中されることになった”
 “みなさんも彼女が3年ぶりでシーズンの話題をさらうとは考えていなかったはず”

とまず、序文からオードリーを激賞。


 途中ではグレース・ケリーとの比較や往年の大女優グレタ・ガルボとの比較で、ガルボがアメリカ映画でデビューしたのが20歳で既にして文芸映画の開花した女性であったのに、27歳で既婚のオードリーはいまだにティーン・エイジの少女で妖精のような魅力である、と書いています。

 「昼下りの情事」と「パリの恋人」については

 ビリー・ワイルダーの喜劇は「麗しのサブリナ」や「七年目の浮気」など、エルンスト・ルビッチのスタイルだけれども、ルビッチが艶と情緒なのに対しワイルダーにはどうしても皮肉と諧謔が入ってしまう。そしてそれが映画の流動性を滞らせる。
 なのに「昼下りの情事」では彼自身の中で歩み寄って、予想以上に成功させた。

 「パリの恋人」はパラマウントのミュージカルだが、MGMの物と比べると都会趣味のシャープさにおいてはパラマウントの方が一段と鋭い。
 しかもパラマウントにとっても「パリの恋人」のシャープさは近年ズバ抜けて傑出している。
 このオードリーの生かし方はどうだろう、初めてのミュージカルに別人のように作り直された。

 と手放しの絶賛。
 またここがさすがこの当時の映画評論家!と思うのは、

 「昼下りの情事」が筆者にとっての初めてのビリー・ワイルダーの成功作の中で欠点なく動いた幸福、「パリの恋人」はオードリーのこれまでの5本の映画の中で最も輝かしい役、その成功は「ローマの休日」の三年後にめざましく確立した!

と「パリの恋人」のオードリーの方をより強く褒めながらも、一般客に受ける度合いが「昼下りの情事」ほどではないかもしれない。ときちんと見切っていること。

 実際公開されると「昼下りの情事」は1957年の第5位に入るほどの大ヒット。「パリの恋人」は出だしこそ「昼下りの情事」と同じ快調な滑り出しを見せたものの、だんだんジリ貧に…。

 当時は今と違って、日本ではミュージカルはあまり定着していなかった頃。街中で唐突に“♪ボンジュール・パリ〜♪”とやるのに抵抗がある人が多かったのでしょう。MGMのミュージカルも大多数が日本未公開となっているそうです。

 次は長沢節さんという本職のデザイナーによる「パリの恋人」「昼下りの情事」のファッションについて4p。

 ただ当時のスーパーモデルの「パリの恋人」出演者ドヴィマなどと比べると、オードリーはモデルとしてはやはり二流。スネが太い。

 でも一流の女優が一流のモデルに敵わないように、一流のモデルは一流の女優には敵わない。
 最初に極楽鳥になって出てくるシーンでは本職のモデルには無い特別な雰囲気で神々しいくらいのシルエットを創っていた。

 ところが「昼下りの情事」となると役柄がモデルでは無いので、スネも太くなくむしろ細いくらいだから不思議。
 オードリーは誰が見たって非の打ち所がない不世出の美人。デザイナーが本当に彼女のためにデザインしたというような女優なんてそうザラには無い。

 だということです。

 次に載っているのは4p使った「昼下りの情事」の映画評論家 岡俊雄さんによる新作映画紹介。先に8月に公開されるからなのですが、10月号って8月21日発行。「昼下りの情事」は8月15日公開だったらしいので、ちょっと間に合ってないような…。

 そしてここに最初にアリアーヌ巻きをしたオードリーの写真と一緒に「昼下りの情事」のタイトルデザインの写真も載っているのですが…
 これが現在DVDで見れるタイトルデザインと全然違う!

 今DVDで見れるものは女性がシェードを下ろしたのに被さってタイトルが出るのですが、こちらはカーネーションに被さるタイトル。

 そう!これが日本での1957年の初公開時と1965年にリバイバルされた時のいわゆるヨーロッパ版!
 89年のリバイバルからしか見れていない僕は未だに見た事のないバージョンです。

 こちらには最初にこのタイトルに関して詳しく書かれているのですが、

 “一輪のカーネーションにハート型の模様をあしらったちょっと花文字風の書体のタイトル。なんとなく古風な感じのするタイトルにテーマ音楽の「ファッシネーション」の旋律が甘く流れる。なんだか1930年代にあったようなタイトルの気分だ”

 なんと!メインタイトルの音楽まで違う!
 今の僕らが知っているのはシェードを下ろしたタイトルに “昼下りの情事” という曲が流れるのですが、この初公開時は“ファッシネーション(魅惑のワルツ)”がメインタイトルの曲だったのですね!

 おおおおお!見てみたい、見てみたいぞ、ヨーロッパ版!

 しかもラストシーンでは“汽車を見送るシャヴァッス氏の複雑な微笑のうちに映画は終わる”と書かれていて、結婚に関してのナレーションのことも何も語られていません。

 他の当時の他の雑誌でもこの「昼下りの情事」のタイトル画面が載っていますが、やはりこのカーネーションのもの。
 「噂の二人」などもアメリカと英国で題名を変えて公開していたようですが、それが題名の違いだけだったのに対して、「昼下りの情事」の方は他にも違いがあるかもしれない!

 65年リバイバルのフィルムで「昼下りの情事」をご覧になっていた方に “「昼下りの情事」はタイトルバックが違っていた” というのは伺っていましたが、ヨーロッパ版、現存していないのでしょうかね?

 さて岡俊雄さんの文章ですが、

 「パリの恋人」で溌剌としたところを見せた彼女とはまたがらりと違った家庭的で夢見がちな少女らしい恋愛への憧れを持った娘、そうした性格を最初のショットから実によく出している。

 「麗しのサブリナ」に比べるとオードリーも女優として大きく成長しているが、ワイルダーも彼女でなければ出来ないキャラクターを与えているのに感心する。

 脚本構成の見事さとセリフの秀抜さが大きく、それだけでも抜群の出来栄え。
 セリフの面白味も大変なもので、それだけを楽しんでもこの映画を満喫できる。

と褒めてくださってます。

 これで特集ページは終わりなのですが、カラーページでモノクロ写真を使っているのはちょっともったいない!と思いますね。

 次にオードリーが登場するのは “グラマーとは何か?”という映画評論家清水千代太さんによるページ。

 なぜグラマーのところにオードリーが?と思って読みましたが、当時グラマーという言葉が流行り出したとのこと。
 むしろもっと前からあったものだと思っていたので、これにビックリ。

 マリリン・モンローなどに使用されていたセックス・アピールという言葉があまり直截すぎるので、それに取って代わるものとしてハリウッドから流行り出した言葉だったとか。

 そのグラマーの歴史が語られていくのですが、オードリーが出てくるのは “第一線の若い主演スターたち”の部分。

 オードリーとこの号の表紙キム・ノヴァクは
 肉体美×個性+衣装=グラマー+演技
 という恵まれた素質の持ち主だそうです。…よくわからん。

 特にオードリーはその特異のグラマーをつとめて積極的に宣揚するチャンスを逃さず掴んでいる。
 マリリン・モンローとエリザベス・テイラーはようやくこの方程式に近づいたところ。

 マリリンは過去の経歴からグラマー性を隠そうという傾向、リズは休んでばかり、それだと2人ともグラマー1本に戻ってオードリーに置いていかれてしまう。
 キムはオードリーとその2人の中間だが、これも演技力は未知数でつまづくとグラマーだけになってしまう。

 スーザン・ストラスバーグは第二のオードリーたり得るところの、演技とグラマーの両素質を持っているかもしれない、

と書かれています。なんだかよくわかりませんが、オードリーが同世代の中では一番褒められていました。

 次のオードリー関連は当時フレッド・アステアが来日したようなのですが、そこで淀川長治さんがアステアに “「パリの恋人」見ましたよ!素敵素敵、もうまさに素敵!”と声を掛けたとのこと。

 この号にはオードリーの次に大好きなヴィヴィアン・リーも載っていました。濃い舞台メイクのままで、伝統あるロンドンの劇場の取り壊しに反対する写真。

 この当時ヴィヴィアン・リーは重い躁鬱病にかかっていました。口汚く罵り暴れる躁の時と、震えて怯える鬱を繰り返していたそうなのですが、この時は躁状態。
 貴族院でこの取り壊しの決定を聞いていたヴィヴィアンは立ち上がって “これは輝かしき英国の演劇芸術を破壊するのと同じです!”と叫んで退場させられたとか。
 ここには載っていませんが、のちにこの劇場はヴィヴィアンのこの発言のおかげで取り壊しを免れたそうです。

 次にオードリーが出てくるのは「昼下りの情事」の登川直樹さんという方の映画評。紹介ページがある号に、もう批評が載っているんですね!
 まあ当時は今みたいなインターネットがありませんから、観るか観ないかを決める読者の指針になっていたのかもしれませんね。

 こちらでの評価は

 ワイルダーがオードリーを起用するのは「麗しのサブリナ」に次いで2度目。今回の方が数等スマートで秀抜。
 オードリーの姿態にほころび始めた蕾の見事な感触があり、クーパーにも気品とユーモアがあって、この共演は鮮やか。映画ファンの感慨をわかせるに違いない。
 映画の功労者はワイルダーの演出で、香気を放つばかりの典雅な格調に貫かれている正統派演出で見事。

 ということが述べられているのですが、ここでめっちゃ気になることが!

 “わざわざスタンダードサイズの黒白映画でトーキー完成時代の様式を守り通している”

 えっ!やっぱりスタンダードサイズ!?

 これ以前にも書きましたが、「昼下りの情事」はスタンダードサイズのフィルムで撮影され、構図は上下カットのビスタビジョンサイズで考えられていたということが2回目の「昼下りの情事」DVD(ジェネオン発売時)のライナーノートでも書かれていましたが、ここで当時のスタンダードサイズで見ていた人がいたことの記録になっていますね。

 今では「昼下りの情事」はビスタサイズということになっていますが、フィルムはスタンダードで届いたので、公開当時日本でも律儀にスタンダードで上映した映写技師がいたということがDVDのライナーノートで書かれてましたが、試写会でもスタンダードで上映していたことがあったんですね。

 89年以降のリバイバルではその当時の権利元からシネマスコープサイズ(さらに大幅に上下をカット)でフィルムが来たりして、57年や65年に「昼下りの情事」を見て覚えている人からは非難轟々だったらしいですね。

 これは“午前十時の映画祭”でも最初はシネスコサイズで上映されたためかなりの不満が “みんなのこえ”でも上がっていましたね。
 デジタル化してからの上映ではビスタサイズになって収まったようですが…。

 でもスタンダードサイズの「昼下りの情事」って見てみたいですよね。今まで見れなかった上下の部分まで見れるんですよ!
 普通の映画館だとスタンダードサイズにしちゃうと横が大量に無駄になって画面が小さくなってしまうので、理想は4:3の画面比率に近いIMAXシアターでの上映かな(笑)。
 これだと画面を無駄なく使えて、超超大画面で堪能できそうです。

 次はフランスのヴィクトワール賞の受賞作品が決定したとの記事。
 ヴィクトワール賞はフランスの映画業界誌「ル・フィルム・フランセ」と「ラ・シネグラフィ・ベルジュ」主宰の常設映画館館主による投票だとか。
 この賞、調べると今は出てこないので、もう無くなってしまったのでしょう。

 50年代後半からテレビの台頭によって日本でも58年の映画人口をピークに激減し、映画館も1960年にピークを迎えた後激減。
 フランスでも同じようなことが起こって、映画館館主で投票というのが立ち行かなくなったのでしょうか。

 この賞では「戦争と平和」が最優秀外国映画賞を獲っています。

 また同じくフランスのファン雑誌「シネモンド」と日刊紙「ル・フィガロ」主宰の一般愛読者投票では最優秀外国女優賞の次点にオードリーが入っています。

 次は「映画の友」の、ともの会の東京で当時ファッションモデル(のちのファッション評論家)大内順子さんが「昼下りの情事」のオードリーを褒めまくり、淀川長治さんは小森のおばちゃまが「昼下りの情事」で三度も涙したというラストシーンに感動した、と言ったそうです。

 さらに「映画の友」ではオードリーの写真4枚組を頒布中。画像は「パリの恋人」のものですね。
 他にもオードリーのサイン入りタオル(もちろん印刷)も100円で販売中。

 読者のページでもオードリーがちらほら。僕はこの前の号の9月号を持ってないのですが「パリの恋人」が特集されていて気に入ったという投稿、オードリーの共演者がおじいさんばかりで次が尼僧になるので相手役が心配とか、「アンネの日記」の主演がスーザン・ストラスバーグからオードリーに替わったけど今からどんなオードリーが見れるか楽しみ!っていう、当時でないとわからないことが色々載っています。

 本文最後には編集者のあとがきがあるのですが、ここでも

 “特にわれわれの関心をひいたのは「パリの恋人」と「昼下りの情事」の二本に主演しているオードリイ・ヘプバーンの目ざましい活躍である。ヘプバーンは「ローマの休日」以来、日本における最高の人気スタアのひとりであったが、こんどの二本の新作で多分ふたたびオードリイ・ブームが日本を席捲するのではないかとおもわれる。”

 と大絶賛。本当にこの時の「パリの恋人」と「昼下りの情事」という2本の大傑作のオードリーはあらゆる映画関係者に衝撃だったのですね。

 そして最後の最後、裏表紙(本関連の業界では表4)では「パリの恋人」の宣伝。

 初公開時のポスターとは全く違う、ここでしか見れないデザインなのも素敵。
 フランス国旗を意識した配色と、この時だけの「パリの恋人」のロゴ。ロゴは公開時には変更されています。
  


2018年10月27日

「パリの恋人」初紹介!“映画の友”1956年7月号

 “おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!” の方に、“98.オードリーに関するデマ その9:オードリーは太っていた?” の記事をアップしています。
 これはオードリーのドキュメンタリーなどで、オードリーがニューヨークに渡ってきたときに太っていた、ということについての検証です。

 さらに、31日には “99.オードリーは細いなりに、太ったり痩せたりしていた” という記事をアップします。

 さらにさらにまもなく“おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!” では100個目の文章になるのと、今年の年末年始に “午前十時の映画祭9” でリバイバルされる「パリの恋人」に合わせて、知り合いの方に昔お借りしていた “みつおとオードリーのお話” というサイトで2004年に公開して以降、そのサイト終了と共に(文章がヒドイので)今までお蔵入りにしていた「パリの恋人」関連の45.46.47の文章を11月〜12月にかけて14年ぶりにアップします。

 それらの45・46の文章は、一部、のちの “72.「パリの恋人」の謎” で転用してしまっている、ということもあって、お蔵入りにしていました。
 それに47のお話は本当に赤面しちゃうくらい酷い!僕の友人のカリンさんのカリン劇場のようにしようと思ったのですが、カリンさんのようにはウィットが全く出なくって…。なんせヒドイです!できればスルーしてください。(;><;)

 でもこれを発表することによって、本当に“おしゃれ泥棒、オードリー・ヘップバーン!” で99個の記事を発表したことになるので、100個に向けてと「パリの恋人」リバイバルのタイミングでアップすることにしました。

 さて今日はそんな年末年始にリバイバルされる「パリの恋人」に合わせて、雑誌 “映画の友” 誌で「パリの恋人」が初めて紹介された1956年7月号を紹介!

 この号は表紙も「パリの恋人」のオードリーになってます。
 今見ると着色カラーのようですが、れっきとした本当のカラー。この当時はまだ印刷技術がこんな感じだったんですね。

 「パリの恋人」はアメリカでは1957年2月、日本では1957年9月に初公開されています。日本ではさらに1966年、1986年、2013年に正式リバイバルされており、今年で5回目の公開になります(他にも1997年にも大々的に再映)。

 1957年公開ということで、オードリー28才なんて書いてる文章がありますが、米国では2月のオードリーの誕生日前の公開なので、少なくとも27才であることはおわかりいただけるかと思います。

 そして実際には「パリの恋人」は1956年4月に撮影開始されていますので、撮影時のオードリーの年齢は26〜27才ということになります。

 でも56年4月に撮影開始したばかりなのに、56年の7月号(5月21日発行)でもう撮影の様子が載るなんて、すごい早い速報ですよね。
 まだ邦題も決まっておらず、「ファニイ・フェイス」として紹介。

 でもこの「パリの恋人」の邦題は「ファニー・フェイス」のままで良かったんじゃないかなー。「パリの恋人」ってあまりにもインパクトなさすぎです。
 実際、“ファニー・フェイス” は1957年の流行語にもなったようですしね。

 後年この題名のせいで「パリで一緒に」と混同されるし、「パリの恋人」にとっても「パリで一緒に」にとっても残念なことになってます。
 しかもこれがまたどちらもパラマウント作品なんですから、当時のパラマウント日本支社のセンスのなさが…。

 そういえばジュリー・アンドリュースの音楽映画で、原題「ダーリング・リリー」が邦題「暁の出撃」になってるのも一体誰得??と公開当時叩かれてましたが、それもパラマウント。東京でのロードショーの成績が散々だったので、地方では「愛しのリリー(小さく『暁の出撃』と添えられた)」とされたところもあったみたいですね(まあ「愛しのリリー」もかなりアレですが…)。

 「パリの恋人」は「おしゃれ泥棒」とは逆で、邦題の大失敗作(オードリーの邦題では最大の失敗作)だと思ってます。
 作品は傑作なので、なおのこともったいない!です。まあもう慣れましたけど…。

 この号ではハリウッドで撮影が開始された、とあります。なんとなくパリのブローニュ撮影所で撮られたのかと思っていたので、ちょっとビックリ!
 しかも撮っているシーンはというと、パリでオードリー演じるジョーが滞在しているアパートのシーンですしね。

 じゃあ撮影はハリウッドとニューヨークロケとパリロケ?それは大変!とも思いましたが、よく考えたらニューヨークのロケシーンは別にニューヨークで撮らなくても良さそうな場面なので、これもロサンゼルスのどこかで撮ったのかも…。

 撮影が開始されたばかりなので、詳細な内容は入ってないとしながらも、大雑把なストーリーが書いてあるのですが…

 “アステアがオードリーを発見してモデルに使いたいと熱心にそのあとをつけまわす。そしてオードリーを追ってパリまで行き、とうとう宿望を果たすがついに恋愛にまで発展してしまう。”

 …ってそれってストーカーじゃんかよーっっっ!

 左上の撮影中のスナップですが、ビスタビジョンのテクニカラーのカメラのデカイこと!
 まあテクニカラーというのは赤・青・緑用の3本のフィルムを同時に回して撮影していたわけですから、これくらいデカくもなりますよね。

 これを見ると、「ローマの休日」がカラーで撮りたかったけれども、ウィリアム・ワイラー監督が断念した、という理由もわかります。
 このデカイ機材を野次馬がいっぱいのローマロケでは使えないよね〜と思ってしまいました。

 他にはこの号でのオードリーはあとは「アリアーヌ(後の昼下りの情事)」が8月に撮影開始、という記事のみ。
 でもここではシネマスコープで撮影されるって書いてあります。実際には35mmで撮影されてますけどね。

 でもこの号で1番ページが割かれているのはなんといってもグレース・ケリー。
 4月18日・19日にモナコで行われたレーニエ大公との結婚式の様子、それと6月に公開される「白鳥」の紹介と広告、さらにはモノクログラビア2ページとで全15pもグレース・ケリーのページになっています。

 ちなみに「白鳥」はグレース・ケリーの役が皇太子と結婚するという、まるで本当のレーニエ公との結婚を真似たかのような内容。
 でももちろんそんなことはなくて、単なる偶然。

 それと、オードリーとグレースは同時期に活躍したかのように今となっては思われてしまいますが、実は活躍時期は微妙に被ってません。

 オードリーがバーンと「ローマの休日」でアメリカに出てきた1953年はグレース・ケリーは「モガンボ」でまだ脇役。
 1954年5月にやっとグレースが「ダイヤルMを廻せ!」で注目されて、8月に「裏窓」で人気スターに躍り出た頃オードリーは9月に「麗しのサブリナ」が出て、重なってるとすれば唯一ここくらい。

 日本では全く被ってなくて、54年4月に「ローマの休日」、9月に「麗しのサブリナ」で一大ブーム。
 ところがそのあとメル・ファーラーとの結婚で2年以上新作無し。

 その間にグレースは54年10月に日本で「ダイヤルMを廻せ!」が出て、「裏窓」「喝采」「泥棒成金」など次々と公開されるのが1955年。
 そして56年6月に「白鳥」、10月に「上流社会」が公開されたあとは引退。
 そしてそのあと12月にオードリーの「戦争と平和」がやってきます。

 人気投票でもそれは現れていて、54年度公開作品が対象になる1955年の人気投票では(1月21日発売の3月号で投票、3月21日発売の5月号で発表)、「スクリーン」では1位オードリー、2位グレース。「映画の友」では1位グレース、5位オードリー。と拮抗しています。

 ところが翌年の56年の人気投票では両誌とも1位はグレースで、オードリーは「スクリーン」16位「映画の友」15位。
 逆に57年はオードリーが両誌で6位と上げてきてるのに、グレースは「スクリーン」で11位以下、「映画の友」でも18位となっています。
 さらに翌年からはオードリーの独走体制に入ります。

 当時の映画雑誌でもオードリーがお休みの間にグレース・ケリーが出てきて、グレースが引退するとオードリーは「パリの恋人」「昼下りの情事」でまた話題の中心に!ということが書かれています。

 まあ二人とも気品の高さでは最高級。どちらも清純派で(本当のグレースは違うという説も…)、違いがあるのはグレースにはクールな色気があって、オードリーには無いというところ。

 清廉な50年代のファンには二人ともが憧れの対象だったのでしょう。

 他には当時2本の日本ロケ作品が撮影されており、日仏合作の「忘れえぬ慕情」とマーロン・ブランドが日本人風メイク(目と眉の間を広くする)で沖縄人サキニを演じた「八月十五夜の茶屋」が大きく取り上げられています。

 「八月十五夜の茶屋」は今では白人のブランドが日本人を演じたとして一部の人からホワイトウォッシュの作品として言われたりしますけど…。
 今頃になって60年以上も前の作品をあれこれ言うのってどうなんでしょうね。

 読者投稿欄はまだジェームス・ディーンファンが圧倒的。今となっては30代までの人はジェームス・ディーンを知らない人の方が圧倒的かもしれませんね。
  


Posted by みつお at 21:00Comments(2)パリの恋人映画の友